スプーン1杯分の幸せ(後編)
(1)
ゆっくりと開かれた扉から、フリーデリーケと足並みを揃えて一歩外へと降り立つ。
聖堂を囲む緑陰から差し込む木漏れ日に目を細め、晴れがましき日にふさわしい蒼天を仰ぐ。
澄み渡る空を凪ぐ風と共に二羽の鷹が――、おそらく番だろう――、睥睨するように飛空している。
視線を上空から前方に戻す。
石造りの玄関ポーチから真っ直ぐに続く一本の小径を挟み、大勢の兵士が向かい合って整列していた。
階段を下り、聖堂の白と礼装軍服の黒の間に降り立った瞬間、扉が閉まる音が聞こえた。
それが合図だったかのように、列の最前に立つウォルフィとエドガーが同時に、腰に帯剣するレイピアを抜き放つと頭上高く掲げ、互いに剣先を交差させる。
彼らに倣い、後列の者達も順に抜き放ったレイピアの剣先を頭上で交差させていく。
刀身が放つ鈍色の輝きが兵士達の軍帽から覗く髪を、黒装束までをも明るく輝かせる。
明るくも鋭い、多くの輝きの下、リヒャルトとフリーデリーケは泰然たる態度で歩き出す。
ソードアーチは教会内から入り口の門を越え、各砲塔、テラスとなった中庭も越え、古い煉瓦と石灰岩で作られたトンネルだけは除き、数多くの美しい彫刻が彫られた入り口の大門まで続く長さだった。
二人が最後の列を抜け大門を潜り抜けると頑強な鉄橋の上で出た。
そこには、兵士達と同じく礼装軍服を纏うアストリッド、ハイリガー、ヤスミンの姿があった。
アストリッド、ヤスミンの手には指揮棒型のワンズが握られ、ハイリガーの掌上にはファーデン水晶が浮遊している。
彼女達から少し離れた後方には各報道機関の記者達が陣取り、更に後方には民衆が固唾を飲んで見守る中、アストリッドが二人の前へと進み出た。
「御二方のご結婚を祝し、又、この婚姻がリントヴルムの繁栄に繋がること、心より願い申しあげます。我々から御二方に、ささやかながら力を授けましょう。私からは知力を」
短く詠唱すれば翳したワンズの先端が淡青に光り輝き、二人の頭部を青く輝かせる。
光が一瞬にして消失すると、アストリッドと入れ替わってハイリガーが二人の面前に立った。
「私からは胆力を」
浮遊するファーデン水晶がカッと濃い橙の光を放射し、二人の腹部を一直線に突き抜けていく。
ファーデン水晶の輝きが消失するとハイリガーは下がり、ヤスミンが最後に進み出る。
「私からは健康を」
少し長い詠唱の後、翳したワンズの先端が淡黄に光り輝き、二人の全身を包み込むように優しく輝いた。
淡黄色の光が消失すると、先に下がっていたアストリッド、ハイリガーがヤスミンを挟んでもう一度、二人の面前に進み出る。
一列に並ぶと、三人は二人に向かって深く一礼し、後方へくるりと向き直り、今度は報道陣や民衆へと深く一礼後、鉄橋の端へと速やかに移動した。
しばらくの間、民衆から上がる間断なき祝福の声、報道陣のカメラのシャッター音と光と相対していると、演習場や中央軍宿舎が位置する丘の裏手側から馬の嘶きと蹄が地を蹴る音、車輪が転がる音が鉄橋へと近づく音が響いてきた。
音の正体――、二頭引きの馬車と馬車に続く騎兵隊の列が二人の前に現れる頃には、それが鉄橋を渡れるよう、報道陣も鉄橋の両端にある歩道に全員が移動する。
無蓋の馬車も馬二頭もフリーデリーケのドレスのように真っ白で、座席の深紅と車輪の黒、二人の御者のトップハットの黒、手摺や背もたれ上部に飾り付けられたリースの緑が車体の白さをより際立たせていた。
後に続く騎兵隊に至っては完全なる引き立て役だ。
フリーデリーケの手を取り、馬車に乗り込むの介助をし、自らも踏み台に足を掛けて乗り込む。
二人が座席に腰を落ち着けた頃合いで、御者が手綱を引き馬達が動き出す。
騎兵隊を引き連れた馬車は鉄橋を越え、王都一の大通りをゆったりとした動きで走行する。
大通りに入る頃には、騎兵隊の後列に先程ソードアーチを行った面々が歩兵として続いていた。
歩道の各所に警備兵が配置され、緊急に設置された簡易的な柵の中では民衆が国で一番の幸福な二人を、壮観なパレードを一目見ようと押し合っている。
そんな人々に向けて、二人は穏やかに微笑みながら手を振り続けた。
(2)
「で、『花嫁誘拐ゲーム』はいつ始まるんですかー??」
パレード後、高級ホテルを貸し切っての披露宴も中盤を過ぎた頃、歓談中のリヒャルトにワインを注ぎがてら、アストリッドが唐突に尋ねてきた。
「残念ながら、やりませんよ」
「えぇぇぇー!?リントヴルムの結婚披露宴の余興といえば、これしかないじゃないですかー!!」
「ご期待に添えなくて申し訳ありませんが、私の立場上無理な余興でしてね」
「なんだぁー、つまんなーい!つまんなーい!!」
大袈裟にブーイングするアストリッドに対し、隣に座るフリーデリーケと顔を見合わせて苦笑し合う。
「アストリッド殿」
「はい??」
「ゲームとはいえ、私が大人しく誘拐される女だと思いますか??」
フリーデリーケの笑顔は悪戯めいているのに、なぜかアストリッドの背筋に悪寒が走る。
リヒャルトの苦笑が更に深まっていく。
「思いませんねぇ、全っ然!思いません!!夫人のことですから、全員返り討ちに遭いそうです……」
「否定はしません」
アハハ……と乾いた笑いを漏らすアストリッドだったが、突然、ハッと目を見開いて鼻先をぴくぴくと動かし始める。
アストリッドの豹変にフリーデリーケは首を傾げていたが、リヒャルトは何となく嫌な予感を覚えた。
折り良く、二人の席にデザートのケーキが運ばれてきたからだ。
アストリッドが涎を垂らさんばかりに、ハァハァ息を荒げているのが顔を見なくても気配だけで伝わってくる。
ウォルフィを傍に呼ぶべきか。
「そういえば、どこの国かは忘れましたけどー……、『ふぁあすとばいと』とかいう風習があるみたいでー」
「ふぁあすとばいと??」
「お互いにケーキを食べさせ合うと、一生食べるのに困らない生活ができるとかなんとか??なんかそんな感じですー」
もしや……、と、アストリッドを見返せば、胡散臭い程の満面の笑みを二人に向ける。
「皆さーん!ギュルトナー元帥閣下とフリーデリーケ夫人がちょっとした余興をお見せしてくれるそうですよ!!」
「アストリッド様!!」
叱責の声を上げるも周囲のどよめきと、へらへら笑いながら『余興』の説明を勝手に始めるアストリッドの声に掻き消されてしまう。
「閣下、諦めましょう」
「フリーデリーケ」
「ケーキを互いに食べさせ合うだけですから、何のことはありません」
「そうだな……」
「晴れの場ですよ、浮かない顔も厳禁です。堂々として下さい」
顔には出さないよう注意を払い、フリーデリーケと共にケーキの皿とスプーンを手に席を立つ。
チョコレート入りのフォンダンで固めた表層を崩すのに苦労しながら、スプーンで一口分掬い取る。
フリーデリーケはすでに掬い取っており、リヒャルトを待っていた。
式の時同様向かい合い、先にリヒャルトのスプーンがフリーデリーケの口元に運ばれる。
少し大きめに掬ったせいで、一口で口に入れるのが難しかったらしく、唇の端にチョコレートや杏のジャムがくっついてしまう。
さりげなく指先で拭ってやれば、少し照れ臭そうに微笑まれた。
咀嚼し終えたケーキを飲み込むと、今度はフリーデリーケのスプーンがリヒャルトの口元に運ばれる。
程良い大きさで掬い取ったケーキはリヒャルトの口元を汚さなかった。
こってりとした濃厚な甘さに咥内を支配され、舌が蕩けそうだ――、否、ケーキの甘さだけではない。
この、スプーン一杯分の幸せを手に入れられた感慨で、胸が詰まっているに違いない。
隣で笑う彼女も同じ気持ちでいてくれれば――、いい、と、密かに願った。
(了)
(イラスト:151A様)




