遠くて近い、近くて遠い、存在(中編)
(1)
薄緑色に光り輝く城壁を背に、止むことのない銃弾の嵐の中を突き進む。
舞い上がる砂埃に視界を塞がれながらも姿勢を低め、目標に向けて銃口を構える。
流れてくる弾が頬や野戦服を掠めていくが、怯むことなくトリガーを引き続ける。
その間にも、周囲の兵達の何人かが敵方の銃弾の餌食となり、倒れて行く。
すぐにでも彼らの元へ駆けつけ、治癒回復魔法を掛けてやりたいのに。
それ以前に、銃弾の嵐を食い止める為の防御結界を張りさえすれば、誰も倒れることなどないのに。
『この東方軍に配属された以上、魔法の使用は一切禁止する』
五年前、東方軍最高司令官であり実兄のヨハンから課せられた命令。
最上官から言い渡された命に背くことなど、どうして出来ようか。
魔法などに頼らず軍事力のみでの国防を目指すヨハンは東部へ着任するなり、シュネーヴィトヘンこと東の魔女ロッテにすら、『有事の際、貴女は街への防御結界を張るだけで結構です。戦闘への加勢、及び負傷兵の治癒回復等も含め、我が軍には一切干渉しないで頂きたい』と告げたのだ。
苛烈で気位の高いシュネーヴィトヘンは激怒し、彼の言葉通り、東方軍がどれ程敵国から追い込みをかけられようとも戦闘に関しては一切介入しなくなった。
東方軍が国軍最強の防衛部隊と謳われるのは、そうならざるを得ない状況に追い込まれた結果に過ぎないだけ。
国防の為に命を懸けて戦い、負傷し、命を落とす。
士官の道を選んだ以上、当然覚悟するべきこと。
だが、魔法で助かる命があるならば。
助けられる力があるならば。
『東方軍に置いて私の命は絶対だ』
これまで何度、上官や同期、部下が戦場の露と消えて行ったことか。
即死ならば諦めはつく。
血に塗れ、虫の息で地に倒れ伏す姿を見る度、何度兄の命を破ろうかと思ったことか。
助けられる力があるのに助けられない。
罪悪やジレンマは日毎成長し続け――、東部に駐屯して五年が経過しようとした頃。
彼は、遂に、耐え切れなくなった。
気付くと、彼は狙撃銃を放り出し、撃たれた部下に治癒回復魔法を掛けていた。
その旨は瞬く間にヨハンに伝わり――
『貴様の所業は我が軍に混乱をもたらした。本来なら命令違反で処罰を下してやりたいところだが……、父上、否、元帥と話し合った結果、南部への異動が決まった』
ヨハンから通告された異動命令という名の厄介払い。
けれど、彼を真に打ちのめしたのは他ならぬ、助けた部下の言葉。
『魔法などに命を助けられるくらいなら、自分はあのまま死んだ方がマシでした』
自分が掲げる理想が本当に正しいのか。
異端視され続けることで、自信は失われる一方で、やがて諦めの境地へと変わっていく。
南部へ異動してから三か月。
与えられた仕事を淡々とこなすだけの日々、乾ききった心が以前のような理想に燃える兆しは一切見受けられなかった。
(2)
「少佐。折り入って、お話したきことが……」
宿泊する部屋の階に移動し、身体に纏わりつく残光を手で払いのけるリヒャルトにフリーデリーケがこう切り出してきた。
彼女が自分と共に会場から抜け出したのはそのためか、と、リヒャルトの中で合点がいった。
通常、他の女性であれば『お誘い』の類だと警戒するところだが、彼女に限っては有り得ないだろうし、本当に何か大事な――、それも、自分にしか話せないような、話があってのことだろう。
「いいだろう。酔いも醒めてきたことだし、私で良ければ話を聞こう」
「ありがとうございます。出来れば人に聞かれたくありませんから、少佐のお部屋に伺っても宜しいでしょうか」
「それは……」
いくら何でもまずいだろう、と続けようとしたところ、「上官とはいえ、男性の部屋に女の私が訪ねるのは常識に欠けることだと重々承知しています。ですが、少佐は紳士的な方だと信頼した上で、お願い申し上げているのです」と、『信頼』という言葉を強調して先制されてしまった。
「勿論、既成事実がなくても人に見られれば確実に誤解を招きます。ですから、一度自室に戻った上で、瞬間移動で伺わせてもらおうかと」
人に見られるとか、方法以前の問題、と、フリーデリーケを諭そうとした、が。
彼女にしては珍しく、どこか思いつめたような真剣な面持ちについ目を奪われ、一体、何が彼女をこんなに必死にさせているのか、気になって仕方がない自分がいるのも事実。
(あの頃の信頼を、今現在も抱いてくれているのは充分に有難いことだが……)
過去を思い起こせば学生時代――、休日にこっそりと彼女を自宅の書庫に招き、二人きりで一日中魔法書を読み耽り、内容について議論し合っていたものだ。
二人が出会い、リヒャルトが卒業するまでの二年間続いたが、その間、互いの身に指一本触れたことなど一度足りとて、ない。
「……分かったよ。君がそこまで食い下がるくらいなのだから、余程のことに違いない。君が落ち着き次第、いつでも部屋に来るといい」
「許可を頂けて感謝しております。ありがとうございます」
「やれやれ、昔から君には敵わないな」
正装姿で敬礼を送るフリーデリーケに苦笑してみせると、廊下に敷かれた、毛足の長い毛織物の絨毯を踏みしめながら、リヒャルトは部屋へと戻っていく。
程なくして部屋の前に辿り着くと扉を開け、扉の傍と窓の両側の壁、ベッド脇に設置されたガスランプを灯す。
室内が朧げな橙の光に染まる中、燕尾服のジャケットを脱ぎ、カラータイとシャツの第二ボタンまで外していく。
クローゼットからハンガーを取り出し、ジャケットとカラータイを片付ける。
ジャケットの内ポケットから、煙草の箱とライターを出すのは忘れずに。
「おっと……」
煙草に火を付けようとした瞬間、フリーデリーケがこの部屋に来るのだった、と、慌ててテーブルの上の灰皿に煙草を押し付け、火を揉み消す。
直後、部屋の隅が虹色に光り輝き始めた。
「また、性懲りもなく煙草を吸われたのですか」
互いの姿がはっきり確認できるくらいに光が消失すると、すかさずフリーデリーケから叱責が飛んできた。
ショールや装飾品は外してきたらしく、イブニングドレス姿で腰に手を当て、きつく睨む姿は中々の迫力である。
「いや。吸おうとしたけど君が訪ねてくると思い出し、すぐに揉み消したんだ」
何故、年下の部下に対し、子供じみた言い訳を述べているのか。
ベッドを越え、カーテンが閉まった窓際――、丸テーブルを挟んで対に置かれた一人掛けソファーに座るよう、フリーデリーケに促す。
「で、君から私への話とは??」
ソファーに座り、向かい合うと同時にリヒャルトの方から話の口火を切った。
フリーデリーケは決意に満ちた表情で、こう告げた。
「ギュルトナー少佐にお願いがあります。私を、貴方の従僕にするべく、『契約』を結んでください」
一瞬、自分が何を言われたのか、彼女が何を言い出したのか。
瞬き一つ忘れてしまう程、リヒャルトは呆気に取られていた。
従僕の『契約』とは、つまり――
沈黙は、たっぷりと数分に及んだ。
「…………イーディケ、いや、ポテンテ准尉…………」
学生時代、自分だけが呼ぶ彼女の愛称で思わず呼びかけてしまう程、リヒャルトは動揺を覚えていた。
お陰で鬱々とした気分は一気に払拭されたが、代わりに激しい頭痛と眩暈に襲われ始める。
丸テーブルに肘をつき、両の指先で左右のこめかみを揉み解すリヒャルトを、フリーデリーケは黙って見つめている。
「……君は、自分が私に何を言っているのか、きちんと理解している、のか??……」
「はい、勿論です。ただし、少佐に恋人や他に想う方がいるのでしたら……」
「……いや、そんな相手はいない、が……」
厳密に言えば、ずっと忘れられず、未だに心の片隅で眠らせている想いなら――
何人かの女性と交際し身体を重ねてみても、その想いが消えることはついぞなく――
「君が私に何を期待しているのか知らないが……。私が魔法を使う事など、恐らく二度とないと思って欲しい。だから、君の願いに報いてやることはできない。魔法使いの従僕を望むのであれば、他を当たって……」
「私は、誰でも良くて言った訳ではありません。貴方だから申し上げたまでです!」
フリーデリーケの群青の瞳が怒りで燃え上がり、険のある口調に切り替わる。
「すまない、准尉。今のは私の失言だった」
「…………」
「だが、現実を知ってしまった今の私は、あの頃の青臭い理想に身を投じる気にはもう、なれないんだ……」
「…………」
フリーデリーケの瞳が怒りから失望の色へと変化していくのを見たくなくて、リヒャルトは席を立ち、彼女に背を向ける。
彼女の視線が背中に痛い程突き刺さってくるが、振り返って受け止める余裕はない。
「……私じゃ、駄目でしょうか……」
再び訪れた長い沈黙の後、フリーデリーケは消沈気味のか細い声で、ぽつりと漏らす。
「『士官を目指す者が魔法を学ぶことは悪い事じゃない』という、貴方の言葉が、私には、とても心強く思えたのです。貴方のような方が国の現状をきっと変えてくれると……。もしも貴方の下に配属される機会が巡ってきた時のために、微力でも力になれればと、人知れずずっと魔法を学んできました。幸運にもその機会が巡ってきて……、嬉しかったのです」
「……そうか。でも残念だが、今の私は君が期待しているような人間ではなくてね」
「本当にそうでしょうか」
敢えて冷ややかに返すリヒャルトに、先程とは打って変わり、いつもの毅然とした調子でフリーデリーケは反問する。
「僭越ながら……。少佐は、少し疲れてしまわれただけだと思うのです。あくまで私の憶測ですが……、東部で貴方の理想に反することをずっと強制させられてきたのではないかと、それも孤立無援の状態で」
「…………」
「もし、そうであれば……、どうか信じて下さい。私だけは、貴方の掲げていた理想に最後まで殉じる覚悟でいます」
「……その覚悟の証明とやらで、従僕契約を言い出したのか……」
「はい」
力強く、はっきりと答えるフリーデリーケをリヒャルトは振り返る。
振り返ったリヒャルトにつられるようにフリーデリーケは席を立ち、彼に近付いていく。
あと一歩、というところで、リヒャルトはフリーデリーケの背に腕を回し、胸の中に引き寄せていた。
「私は君が思っているような、強い男じゃない」
「はい、充分承知しております」
「とっくに見透かされていたか」
「はい、今更ですね」
抱き合ったまま、顔を上げたフリーデリーケと視線が絡み合う。
柔らかな長い巻毛を指先で弄び、こうして彼女の髪に触れてみたかったことをふと思い出しながら。
やはり、ずっと触れてみたかった唇に自らのを、ゆっくりと落としていった。
次話でラストです。
幕間で、今話と次話の間の出来事をムーンライトノベルの方に投稿するかもしれません。