白雪姫のディアンドル
リーゼロッテとウォルフィが10代の頃の回想話。(リザ14歳、ウォルフィ18歳)
(作中の季節は夏ですが)お祭りのイメージはオクトーバーフェストです。
(1)
スラウゼンでは年に一度、真夏に盛大なビール祭りが開催される。
町の至る所に露店が並び、教会の近くの広場では一日中音楽隊が演奏を続け、大道芸人達がここぞと芸を競い合う。
軽快に奏でられるギターや打楽器、ハープ、アコーディオン等の重奏、様々な趣向を凝らした数々の芸を楽しみながら、屋台で売られるシュバルツビアーを酔い潰れるまで飲み続けた。
スラウゼンの男達にとってはこの上なく楽しみな反面、屋台でビールやレバーケーゼの売り子を任される女達は朝から夜遅くまで酔っ払いの相手をしなければならない。
よって売り子役は毎年クジによって公正に決められ、リーゼロッテはその年、とうとう順番が回ってきてしまったのだ。
他の女達とは違い、リーゼロッテは売り子の役が当たっても決して嫌だとは思わなかった。
売り子が着用する衣装に幼い頃から憧れを抱いていたからだ。
また祭りの時期は、彼女の幼馴染みであり恋人のウォルフガングの帰省と丁度重なる。
三年前に中央の士官学校へと進んだ彼と定期的に手紙を送り合い、着実に想いを深め合った二人。
一年前、リーゼロッテが十三歳を迎えたのをきっかけに互いに想いを打ち明け、晴れて幼い恋人同士となった。
大好きな彼にあの衣装を着た自分の姿を見てもらいたい。
年頃の娘らしい仄かな想いを胸に、リーゼロッテは祭りに向けて自らの衣装を手ずから縫い上げていった。
そして迎えたビール祭り当日の早朝。
自室の鏡の前で、リーゼロッテは何度も何度も自分の姿を確認する。
前開きの襟ぐりの深い袖なしの赤い胴衣、襟の深い白ブラウス、赤の膝丈スカートにオリーブ色のエプロン――、ディアンドルと呼ばれる衣装。
「鏡よ、鏡よ、鏡さん。世界で一番美しいのはだれかしら??……なーんてね」
何を言っているのだか、と、鏡の中の自分に照れ笑いすると、すぐに広場へと出掛けていった。
(2)
広場の屋台では、樽からビールを注いで受け渡す仕事を頼まれた。
リーゼロッテがビールの売り子だと知ると、町一番の美少女と名高い彼女と口を聞きたいがため、男達はこぞって彼女の元へ集まっていく。
線の細さや年齢に反した豊かな胸元を、惜しげもなく見せつけるかのような衣装を着ているので、あらぬ下心も抱きながら。
そうと気付かないリーゼロッテはグラスに注いだビールを笑顔で男達に受け渡していく。
同じ屋台で働く他の売り子達は、リーゼロッテに対して鼻の下をだらしなく伸ばす男達を苦々しく思う一方、ただ懸命に働くだけの彼女にすら嫉妬の念を抱き始めていた。
欲望を剥き出しにさせる男達と敵意に満ちた女達、双方から送られる視線で周囲には微妙な空気が流れ始めていた。
何やら不穏な気配を感じるものの、まさか原因が自分にあるとはリーゼロッテは思いも寄らずにいると――、いきなり強引に細い手首を掴まれた。
もう何杯目か分からないグラスをリズから受け取った男が、赤ら顔を近づけてくる。
「おい、リズ!こっちへ来て、俺達の酒の相手してくれよ!!」
「私、まだ十四だからお酒は飲めないわ。それに、仕事しなきゃいけないし」
自分よりも一回りは大きな身体、間近に迫る酒臭い息にも怯まず、リーゼロッテは毅然とした態度で誘いを断った。
しかし、酔っ払いも簡単には諦めない。
「固いこというなよー、そんないいおっぱいしてさぁ、子供ぶるなっての!」
「なっ……」
男達が何故やたらと自分の元ばかりにビールを求めに来たのか。
リーゼロッテはようやく思い至った。
途端に羞恥に見舞われ、全身が石のように固まってしまう。
掴まれた手を振り払うことも忘れて固まるリーゼロッテを、尚も酔っ払いは仲間の元へと引っ張っていこうとした――、が。
突然、酔っ払いが小さくヒッと悲鳴を上げると共に、あっさりとリーゼロッテの手を離したのだ。
何事かと思い、顔を上げれば、リーゼロッテより二回り、酔っ払いから見ても一回りは背の高い少年――、ウォルフガングが無言で鋭く睨み付けていた。
「お、おう、ウォルフか……。何だ、帰って来てたのかよ……」
「…………」
ウォルフガングの方が一〇歳近く年下の筈なのに。
十八の少年のものとは思えぬ佇まいに気圧された酔っ払いは、尻尾を巻いてすごすごと立ち去っていく。
「あ……」
「……すみません。ちょっとこいつを借ります」
「え」
ウォルフガングは、売り子の中で一番年かさの女に一声かけると、リーゼロッテの手を掴み、無理矢理屋台の中から人気の少ない場所まで連れ出していく。
「ねぇ、ウォルフ。何で怒ってるの??」
酔っ払いから助けてくれたはいいが、いきなり仕事を放棄させられた理由がリーゼロッテには皆目見当がつかない。
一つだけ分かるのは、彼が酷く機嫌を損ねている、ということだけ。
「ねぇってば!何がそんなに気に入らないの??」
「…………」
「言いたいことがあるならはっきり言ってよ!」
ウォルフガングは迷うようにちらっと彼女を一瞥した後、ゆっくりと口を開いた。
「……何で、未成年のお前が、ビールの売り子なんかしてるんだ」
「だって、クジで当たってしまったんだもの」
「十五歳以下なら断れる筈だろう??何で断らなかった。酔っ払いの相手はお前にはまだ早い」
子供扱いされた、と直感的に感じ取るなり、カッと頭に血が昇る。
「馬鹿にしないでよ!!何よ、ちょっと年上だからって、大人ぶって!!」
「そういう風に、すぐにムキになるところが子供なんだよ。現に、酔っ払い一人、上手くあしらえなかったじゃないか」
「……つっ……」
逃れようのない事実を突きつけられ、リーゼロッテは一瞬押し黙った。
けれど、彼女には彼女なりに、売り子をやりたかった理由がある。
きっと、彼は下らない理由と思うだろうが、それでもリーゼロッテは精一杯主張したかった。
「……売り子が着ている衣装を、ディアンドルを一度着てみたかったの!……。小さい頃から、ずっと憧れていたし……」
「…………」
案の定、ウォルフガングは眉間に深い皺を寄せている。
構わず、リーゼロッテは続けた。
「……売り子の役が決まってから、一生懸命、自分で作ったのよ??それと……」
「それと??」
「ディアンドルを着た私を、ウォルフに見てもらいたかったの……」
「…………」
「ごめん、すごく下らない理由よね。自分でも充分分かっているわ。さっきは助けてくれてありがとう……。ただ、引き受けた以上は最後まで仕事しなきゃ駄目だから、もう戻るわね」
だんだん居たたまれなくなってきて、徐にウォルフガングから視線を逸らし、背を向けた時だった。
「リザ」
彼だけが呼ぶリーゼロッテの愛称に、つい振り返ってしまった。
「よく似合っている……、と思う」
「…………」
滅多に人を褒めたりしない――、リーゼロッテも例外ではない――、ウォルフガングからの思わぬ言葉に、リーゼロッテは大きく黒い瞳を更に瞠る。
「ただ……」
「え、何」
「他の連中には余り……、見せたくない……」
「…………」
不機嫌そうな顰め面で何を言い出すかと思いきや……、リーゼロッテの頬が一瞬にして赤く色づいた。
自分で言っておきながら相当に恥ずかしいのか、ウォルフガングの口元がきつく引き結ばれる。
すると、着ていた上着を脱ぎ始め、リーゼロッテの細い肩にそれを被せてきた。
「これなら、さっきみたいな目に遭う事はなくなる」
「…………」
ふいと顔を逸らすと、ウォルフガングは再びリザの手を取った。
先程と違うのは、互いの指を絡ませて握り合っていることか。
「戻るぞ」
「……うん……」
リーゼロッテは殊勝に頷き、元来た道を二人は再び歩き始めた。
夏の日差しの下、木々の陰と共に二人の歩く影も伸びる。
屋台に着いたら、この手を離さなければいけない。
分かっていながら、でも、離したくなくて。
せめてもの細やかな抵抗を示すように、リーゼロッテは繋いでいる手にギュッと力を込めた。
(了)
この後、本編第七章「I Know」冒頭、湖畔でのイチャイチャに繋がっていくのでした。




