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遠くて近い、近くて遠い、存在(前編)

リヒャルトとフリーデリーケが主従関係を結ぶきっかけとなった過去話。

時系列は本編の10年前で、それぞれの年齢と階級はリヒャルトが25歳で少佐、フリーデリーケが22歳で准尉です。


(1)


「君、その本を少し見せてもらってもいいかな」


 気付くとリヒャルトは、向かい側の席に座る下級生に声を掛けていた。

 食事を終え、膝に置いていたらしき本を小脇に抱えて席を立ち上がろうとした下級生は、戸惑った様子で動きを止める。

 気の強そうな、切れ上がった群青の瞳に警戒心を滲ませながら。

 偶々、食堂で向かい合わせに座っただけで直接は面識のない三学年も上の上級生、それも、元帥ゴードン・ギュルトナーの末息子に突然話し掛けられたとあれば、少なからず誰もが身構えるだろう。

 けれど、士官学校において教官に次いで上級生に逆らうことは許されない。

 警戒心はそのままに、それでいて仕方なさそうに、下級生はリヒャルトに本を手渡してきた。


「あぁ、急に話し掛けたりして申し訳なかったね。まさか、士官学校で魔法書に目を通す者と遭遇するとは思いもよらなくて」

「いけないでしょうか??」


 馬鹿にされたと思ったのか、下級生の警戒心は反抗心へとすり替わっていく。

 無礼な言動や態度こそ取らないまでも、跳ね上がった目尻や固く引き結ばれた唇から彼女が少なからず気分を害したことが伺えた。

 内心ではしまった、と思いつつ、本を手にしたリヒャルトは、パラパラと何となしに項を捲り上げていく。


 食事の時間が終わりに差し掛かる中、一人二人と食堂から学生達が去っていく。

 リヒャルトが本を閉じる頃には、彼と下級生の二人だけが食堂に取り残されていた。


「これはアイザック氏が書いた魔法書のようだけど、これは一〇年前に発行されたものだから少し内容が古いな……。二年前に改訂版として新たに発行されたことは知ってるかい??」

「……いえ」

「僕としては改訂版の方をお勧めするよ」

「…………」


 本を受け取りながら、下級生はちらちらとリヒャルトに視線を送ったのち、少し迷うように尋ねた。


「まさか、ギュルトナーさんが魔法書に詳しい方だとは……。全く思ってもみませんでした」

「まぁ、教官や同期にすら知られていないことだしね。別に禁止はされていないが、士官を目指す者が魔法に興味を持つなど余り歓迎されないのが、哀しいかな、この国の現状だ」


 リヒャルトは空の食器類を乗せたトレイを手に持って椅子から立ち上がると、長テーブルを間に挟んだ目の前で立ち尽くす下級生に再び向き合う。

 身長が一八〇を優に越すリヒャルトと目線の位置が近いことから、女子にしてはかなりの高身長だ。


「でも、僕は、士官を目指すと同時に魔法を学ぶことが、悪いことだとは決して思わない」

「…………」

「改訂されたアイザック氏の魔法書なら持っているから、良ければいつでも君に貸し出そう。君の名前を教えてくれないか??」


 下級生はリヒャルトの真っ直ぐな強い視線を受け、躊躇いがちに口を開いた。


「ポテンテです。私の名は、フリーデリーケ・ポテンテ、と、言います」










(2)

 涼やかな夜風が酒気で火照る頬を撫でていく。

 精緻な彫模様が施された、彼の腰ら辺まで高さのある柵の手すりに凭れかかる。

 夜風で冷えた石の冷たさが、手すりに乗せた両掌から全身に伝わっていく。

 先程火を付けたばかりの煙草の白い煙が、夜の闇の中をゆらゆらと揺蕩うのを茫洋と眺めていると。


「ギュルトナー少佐」


 背後から、凛とした中低音が特徴的な女の声――、この三か月間、否、五年前までの記憶も付け足そうか――、彼にとってよく聞き馴染んだ声が、背中越しに聞こえてきた。

 煙草を咥えたまま、無言で振り向いてみせる。


「ポテンテ准尉」

「少佐、ベックマン少将が探されていましたよ。こんな暗がりで人気のないバルコニーで何をされているのかと思えば……、また煙草ですか」


 フリーデリーケはあからさまに眉を潜めつつも、リヒャルトの傍へと歩み寄っていく。

 彼女が一歩歩くごとに、普段はきっちりと纏めている、長くゆるやかなダークブロンドの巻毛がふわふわと揺れ、ハイヒールの踵がカツカツと硬質な音を立てる。

 シルバーのショールに濃紺のイブニングドレスという正装姿だけを見れば、長身も相まって軍人というよりモデルの類だと思う者も少なからずいるだろう


「少し酒に酔ったんだ」

「嘘、ですね」

「嘘じゃないさ」

「いいえ、私が見ていた限り、少佐は左程飲まれていませんでした。大方、お酒ではなく人に酔われたのでしょう??」

「君は相変わらず勘が鋭いな」

 リヒャルトは両手を掲げて降参の意を示してみせる。

 ついでに咥えていた煙草を右手の指に挟み、左手で燕尾服の内ポケットから携帯用の灰皿を取り出した。

「ふざけないでください」

「ふざけてなんかいないさ。酔ってるからだよ」

 すかさず睨むフリーデリーケを尻目に、リヒャルトは吸殻の始末をし、携帯灰皿を再び元の場所へと戻した。


「少佐こそ相変わらずではありませんか。人が多く集まる社交の場がお好きでないところが」


 フリーデリーケの指摘通り、リヒャルトは社交界で開かれるパーティー等が苦手であった。

 父ゴードンが元帥という地位ゆえ、物心つく頃からすでに数え切れない程の数で出席はしているものの、二十五歳となった現在ですら、こういった華やかな場所の雰囲気には慣れないでいる。

 あわよくば父や兄達に近付きたい一心で取り入ってくる輩を、彼の貴公子然とした容貌やギュルトナー家の血筋目当てに言い寄ってくる女性達を、笑顔でやんわりと、さりげなくあしらい続けなければならないのが億劫で仕方がない。

 今宵とて、最高司令官のベックマン少将とリヒャルト達を含む南方軍精鋭部隊の者達が、ゾルタールの有力者が開いたパーティーに招待されたため出席したのだが。

 案の定、少将や他の上官達を差し置いて人々はリヒャルトの元に次から次へと挨拶へ訪れ、彼を心身ともに酷く疲弊させた。


 前任地の東部スラウゼンより南部ゾルタールへ異動してまだたったの三か月だというのに。

 人々は一体、何を自分に期待しているというのか。


 二十五の若さで少佐にまで昇進したのは、東部での度重なる国境防衛戦で上官が命を落とした、もしくは重傷を負って退役した、が積み重なって得た地位なだけだ。

 東部から南部への異動は傍から見れば栄転だろうが、ある理由が原因となり、東方軍最高司令官で自身の長兄ヨハン・ギュルトナー准将の怒りを買ってしまった、云わば、左遷のようなもの。

 士官学校卒業と共に顔を合わせなくなったフリーデリーケとここ南部で再会し、偶然にも直属の部下に配属されたことは喜ばしくもあり、同時に複雑な思いも抱く羽目に。


『軍事と魔法が調和し、魔力を持つ者・持たない者も、全てが幸福を得られる世界』


 あの頃、彼女といつも語り合っていた理想の世界。

 もしも、まだ、彼女が変わらず信じていたとしたら――


 きっと、今の自分の姿に、失望を感じているかもしれない。


 東部に駐屯していた五年の間で、リヒャルトはすっかり変わってしまった。


 一日に吸う煙草の本数が二箱を超える程のヘビースモーカ―と化したことも含め。

 所詮は青臭い子供が描いた夢物語でしかない、と、あの頃の理想などとっくに捨て去っていた。


 燕尾服の内ポケットに手を入れた時、右腕に彫られたリンデの樹に巻きつく緑竜の刺青が袖口からちらりと覗く。

 魔法使いの資格を取得したところで結局は何の役にも立たないではないか、と、胸中で自嘲する。

 長らく黙り込んでいるリヒャルトを、隣に立つフリーデリーケが気遣わしげに見上げてきた。

 ハイヒールを履いているため、一段と目線の位置が近く感じる


「本当に、随分とお疲れのようですね……。一度、部屋に戻って少し横になられては」


 パーティーは高級ホテルを貸し切って行われており、参加者全員がホテルに宿泊できるよう各自部屋が手配されている。


「これだけ大人数であれば、一人二人がこの場から消えたところで気付かれることはないかもしれません」

「そうだな……。准尉の言葉に甘えて、部屋に戻らせてもらうか」

「なんでしたら、瞬間移動の魔法を私が発動させましょう」

「君も戻るつもりなのか」 

「はい」


 短く返すとフリーデリーケは辺りに人の気配がないかざっと確認し、やや遠慮がちにリヒャルトの手を軽く握り締め、詠唱する。

 数十秒後、虹色の残光をバルコニーに漂わせ、二人はパーティー会場を後にしたのだった。 

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