約束/1999年11月/ダレン・アッシャーから、セシル・アッシャーへ
春風がオルガンを連弾する兄妹のうしろを通り過ぎる。
座高の低い妹を膝上に乗せて鍵盤をたたく。左手は伴奏に、右手をセシルの手に重ねながら。
「上手くなったねセシル」
「全然よ。指が届かないもの……」
元々手が小さいのか、やはり小さな少女の手だからなのかセシルの指はドから次のドまで届かなかった。
「もっと上手になりたいのに」
今よりもっと上手になって、ピアノを二台用意してダレンと連弾するのが目標よ。大きなコンサート会場を貸し切ってやりましょう?
少女の夢は生きる魅力にあふれていた。
ダレンがセシルと同じくらいの年には既に失えていたはずの生きる気力や夢や希望。
「僕はピアニストにはならないけど、それでも良いのなら」
「兄さん、そういう事は関係ないのよ。わたしは兄さんと弾きたいんだから! 素敵な夢でしょ」
眩しい。
滅多に見ることがない太陽の光を眺める時よりも頻繁に、それも強く思ったのはセシルだけだろう。
亜麻色の髪の少女が、セシルがダレンを見上げる。
二人は男女のそれのような、果てのない永遠を旅する様にお互いの瞳を見つめ合っていた。
「必ず叶えようね」
どちらともなくそう言うとダレンとセシルは忍び笑いあった。
名門テューダー・カレッジの第二音楽室。
クラシック授業の後、他の生徒たち(テューダーズ)がぞろぞろと部屋から出ていく中、ダレンは奨学生だけが纏うことが許されるガウンの裾を丁寧に払ってピアノの前の椅子に座り楽譜を広げた。
もう何度も読み込み諳んじることも出来るくらいだが生憎、一日中暇という身の上ではないため失敗は許されない。
カセットテープは同じ演劇部のスター、ヘンリー・キャロルから譲ってもらったものだ。
それを録音のため機材に押し込み、録音ボタンをできるだけ強く押した。
ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」
カレッジに入ってからもう二年目だが、毎年こうやって彼女の誕生日が近づくと直接会えない代わりに音楽を贈っている。
“11月21日”生まれなのだからもう後一ヶ月も待てばクリスマス休暇なのだがダレンは妹思いな兄だ。
当日の朝アッシャー家の郵便受けにはバースデーカードと音楽を吹き込んだカセットテープが届いている。
それを思い浮かべただけでも心地の良い幸福が心のなかを満たすのだ。
窓の外にはもう冬といった具合の空の濁り。
午後の霞むセピア調の光が音楽室の空気すらも彩る。
バースデーカードの最愛の妹・セシルへ、という文字すらも空気に溶けて消えてしまいそうだ。




