要求
「アキラ!」
と言ってエイミさんが嬉しそうな声を出した。
エイミさんは立ち上がってダイニングの入り口の方へ小走りに駆けてった。
「あらら、アキラさん戻ってきちゃったよ。黒ちゃん、やるじゃん」
とマミーさんがつぶやいた。
あたしはマミーさんにケーキを口に入れてもらう寸前だった。
スプーンがひょいと消えて、はむっと空気を噛んだ。
アキラと言われた人は背が高くてすごい格好いい人だった。
エイミさんみたいな可愛い人にはやっぱり格好いい恋人が……と思っていたら、ぽっと赤味をさしたエイミさんの顔色が青白くなった。
それからエイミさんは頬をふくらませて腕組みをすると、ソファの方へ戻ってきた。
どすんと座る。
そのエイミさんをアキラさんが追いかけてきて、それからあたしを見た。
「美貴ちゃんていうの、可愛いでしょ?」
とエイミさんが言ったので、あたしはアキラさんを見上げてお愛想笑いをした。
そのとき、ようやくはっきりとアキラさんの顔が見えた。
アキラさんは……そっくりだった。
一番最初にあたしの腕を切断させて逃げた男に。
でも、違う。あの人のはずがない。
アキラさんよりももっと年上で、もっと優しい感じがする。
優しくて優しくて大好きだった。
だから、断れなかった。
腕を切断したらお金になるって、助けてくれって、一生そばにいるって。
愛してるって。
アキラさんの顔はにこりともしなくて、突き刺すような視線であたしを見下ろした。
「こ、こんにちわ」
アキラさんはふんと横を向いただけだった。
「マミー、アキラにもお茶を入れてちょうだい」
「かしこまりました、エイミ様」
マミーさんはそう言うとあたしのそばを離れた。
大きなワゴンには沸いた湯のポットとティーカップ、コーヒーの入ったサーバー、それにお菓子の山盛り入ったカゴが置いてあった。
マミーさんは新しいカップにコーヒーを注ぐと、テーブルにそれを置いた。
「アキラ、突っ立ってないで座りなさいよ。ティータイムよ」
とエイミさんが言ったけど、
「茶を飲みに来たんじゃねえ。美里の映像を消せって言ってんだ」
とアキラさん怒ったような口調で言った。
「知らないわ。あたしがやらせたわけじゃないもん」
「誰がやったにせよ、お前の機嫌取りだろうが」
アキラさんの言葉にエイミさんは肩をすくめた。
「アキラが悪いのよ。お姉様ばっかりと遊んでぇ。ここに戻ってくればお姉様の現場の映像とやらも消してあげるわ。でも、私はまだ見てないんだけどね。うふふ、お姉様のお仕事の映像なんてどきどきしちゃうわね! 創作意欲が湧くかも!」
「け、黙って消せばそれで許してやろうと思ったのにな」
と言った瞬間にアキラさんの拳骨がエイミさんの顔を直撃した。
エイミさんの綺麗な顔がつぶれちゃうって、思った!
けどマミーさんの包帯でぐるぐる巻きにされた脚がしゅっと出てきて、アキラさんの手を蹴り飛ばした。んだけど、やっぱり女の子の蹴りはそんなに力がなくて、アキラさんの腕はエイミさんの顔を殴る事はなかったけど、ただ止まっただけだった。エイミさんの目の前でアキラさんの腕とマミーさんの脚が止まっている。
アキラさんは舌打ちしてからすぐにマミーさんの足首をつかんで引きずった。
マミーさんはぎゃっと叫んでからひっくり返り、床で頭を打ったようだった。
アキラさんはそのままマミーさんの足首をつかんだまま窓際へ歩いていった。
マミーさんは必死で抵抗しているけど、どうにもならない。捲れあがるメイドスカートを押さえたまま引きずられていく。
アキラさんはマミーさんの両足をつかんで持ち上げた。
すぐ側には大きな窓がある。ぴかぴかに磨かれている大きな窓だ。
「せーの」
とアキラさんが言った。
「ま、待って、ください。勘弁してください!」
とマミーさんが言った。
「うるせえ」
そう言った時のアキラさんは無表情だった。
大きなゴミを捨てるようにアキラさんはマミーさんの体を持ち上げて、窓ガラスに叩きつけた。
ガシャン!!とガラスの割れる大きな音。窓枠もへしゃげて、マミーさんの体はその向こう側へ飛んで行った。
ドアが開いた。
執事さんが入ってきて、エイミさんのすぐ側へ走り寄った。
エイミさんを守るように立つ。
「可哀想に、マミーは美貴ちゃんのお世話係だったのに。生きてる?」
とエイミさんが言った。
アキラさんは割れた窓から首を出して下を見た。
「首がへんな風に曲がってる。直してコレクションに入れてやれよ」
とアキラさんが言った。
ここは三階だから……首の骨が折れてしまったんだろうか。
「困ったわ。美貴ちゃんのお世話係を雇わなくちゃ。マミーはよく気のつくいい子だったのに」
「美里の映像を消せよ。使用人を減らしたくないだろ? てめえの変態趣味につきあってくれる大事な使用人を」
「何よぉ。アキラだってずっと楽しそうだったじゃない。お姉様に会ってからすっかりつまんなくなっちゃってぇ、お姉様の趣味だって人の事言えないじゃない? 人殺しのくせにふわふわしたケーキ屋さんの奥様だなんて、おっかしいじゃない?」
「それがお前に何の関係があるんだ」
「ないわ。ぜんっぜん! お姉様が殺人鬼でもマザーテレサでもどうでもいいわ。アキラがエイミの側にいてくれたらそれでいいってお話よ?」
「断る」
「ほんっとシスコンなんだから! お姉様には旦那さんがいるでしょ! 人肉でデザート作るパティシエさんが! アキラの出る幕なんかないわよーっだ」
「うるせえ」
「そんなにお姉様と一緒にいたいなら、藤堂さんを殺すくらいの気概を見せなさいよ! 独り占めする度胸もないくせに!」
アキラさんの顔の表情がすっと変わった。
それと同時に執事さんがエイミさんの前に立つ。
「あなたのお姉さんの所へお帰りなさい。ここでやりあえば君は必ず死ぬ事になる」
「どうかな、ここで強いのはあんただけ。そのあんたももう老いぼれだろ?」
「そうですね。でも君にはまだ負ける気はしませんが」
アキラさんと執事さんが睨みあう。
あたし、こういうの嫌いだった。
怖くって、泣きたい気分になる。
「アキラ、お姉様のお楽しみの映像を消してほしけりゃ、ここへ戻ってくるか、藤堂さんを殺す事ね? そうよ、アキラが藤堂さんを殺す事が出来ればあなたの要求をのんであげるわ」
とエイミさんが言った。
くすくすと笑って、可愛いいたずらっ子のような顔をしている。
アキラさんは首をかしげるような仕草をした。
それから、
「分かってないな……」
とつぶやくように言った。