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安らぎを与え給うな

「美里がいらいらしてるんだけど、君、また何かやったの?」

 と藤堂に言われてアキラは肩をすくめた。

「知らねえよ。せーりなんじゃないの? あ、生理ない人だっけ」

 とアキラが大きな声で言った瞬間、ビシビシビシッと何かが立て続けに飛んできた。

「うお、危ねえな!」

 アキラがそれをよけると、今までアキラの顔があった箇所にナイフがたんたんたんと当たって床に落ちた。

「ちょ、これ俺んじゃねえか!」

 ナイフを拾い上げてアキラが目をむいた。

 美里はぎろっとアキラを睨んでからふんっとキッチンを出て行った。

「な? 機嫌が悪いだろ?」

「そーっすね、藤堂さん、浮気したのがばれたんじゃないの?」

 拾い上げたナイフの刃を確認しながらアキラが言った。

「浮気なんかするか」

「あ。あれだ。殺人鬼の嫁から逃げたいってネットで相談したんじゃないの? パソコンの履歴は消しとかなきゃ」

「あのなあ」

「じゃ、美里に他に男が出来た、決まりだな」

「そんなわけないだろ。美里は俺の事が好きなの」

「何、その自信。好きなのはあんたの作るチョコレートだろ。さすがにもう飽きたんじゃねぇ? たまにはしょっぱい物が食いたくなるっていうアレだ」

「……真剣に考えてくれよ。心当たりないのか?」

「さあ」

 藤堂は腕組みをしてふむ、と考え込んだ。

 アキラはコーヒーカップを取り上げて冷めたコーヒーを飲み干すと、

「藤堂さん、殺されてやったら? そしたら機嫌よくなるんじゃない?」

 と言った。

 藤堂は恨めしそうな顔でアキラを見た。

「そしたら機嫌のよくなった美里の笑顔を俺は見られないわけだが」

「知らねえよ、そんなこと。ごちそうさま~遊びに行ってこよっと」

 と言ってアキラは立ち上がりキッチンを出て行った。

 残された藤堂はため息をつきつつ考えこんだ。



 チョコレート・ハウスの定休日だった。

 特に予定のない日はやはり厨房で試作品を作ってみたりするのだが、今日はそんな気にもならない藤堂だった。

 美里がいらいらしているのはここ一週間ほどだった。

 特に誰かに八つ当たりするわけでなく店ではにこやかにしているが、時々ため息をついたりする。何かあったのかと聞いても笑って「気のせいよ」と言う。

 ため息をつきつつ藤堂は階下の厨房へ降りて行った。

 美里の心配をする以外に藤堂に出来るのは新作のケーキを作る事しかない。

 栗が出回る季節だからモンブラン用の甘露煮を作ろうと思っている。

「クリスマス用のケーキも作らないとなぁ」

 予約受付用に撮影してポスターにしなければならない。配るチラシを広告会社に依頼しなければならない。やらなければならない事は山ほど。


 美里は家の事も店の事もそつなくこなす。 

 彼女は生い立ちがどうであれ、それを理由に何かをないがしろにする人間ではなかった。

 もちろん何かを破壊するという衝動だけは押さえきれず、それを守る為に彼女は誰よりも真面目に生きている。

 もしかしたらそのたがが外れかけているのかもしれない。

 ここにいる事に彼女が飽きてしまったら、それだけが藤堂の憂いだ。 

 いっそ自分を殺して行ってくれたらそれでいい。

 置いて行かれるのは嫌だ。

 藤堂にとってそれは恐怖にも似た感情だった。

 


「こんな格好で死ぬなんてお気の毒。あなたのお母さんがまともな人ならきっと嘆き悲しむわね。でもあなたを産んだ人もあなたみたないなクズだったら、笑うかもしれないわ。クズのDNAを受け継いでしまった自分を哀れむことね」

 と美里が言った。

 声をかけられた相手は目があった場所から血を流している。

 それは綺麗なものではなかった。

 鼻水と汗と血と涙と唾液が一緒になって顔を汚くしていた。

 目玉はすでに両方とも失われている。

 しなびたまぶたが右目のふたをしている。

 瞬きをするのは本能だろうか、時々開く。ぱっくりと空洞になった奥が見える。

 左目は激痛が進行中だろう。

 尖った木の杭が突き刺さっている。

 それに手を伸ばして抜こうとするが力が入らないらしく、木の杭を両手で握っているだけだ。

 ひーひーひーという音声を発しながらその男はぱくぱくと口を動かした。

 上半身は安物のよれたスーツの上着にワイシャツ。ネクタイは別の用途に使う為に手放している。ズボンとブリーフは足下までずり落ちて、もじゃもじゃと毛の生えた太い短い足が露出している。もちろん男が欲望をかなえる為にむき出した性器は縮んでしまい、今では尿をもらすくらいにしか役に立っていない。


 その横には少女の遺体。

 ひどく乱暴に扱われたらしく、下腹部は血だらけだ。

 小学生の低学年くらいだろう。

 衣服をはぎ取られた体は白く華奢だった。

 泣いて許しを願っただろうその唇は両端が裂けて血がにじんでいる。

 小さな唇だった。生きていればピンク色で、可愛らしい笑い声をあげただろう。

何度も何度も殴られただろう跡が小さい顔にも体にも無数に残っている。


 まだ未発達の性器に無理矢理に挿入し、嫌がる少女に暴力をふるいそして陵辱する事で快感を得るような人間を美里は見下ろした。

 

「でもあなたラッキーよ。殺してあげないから」

 と美里が言った。

 自分の欲望の為に弱い者を襲う奴を批判はしない。

 今更善悪を述べるつもりもない。

 そんな資格も美里にはない。

 それどころか、弱い者を襲う自分が今ここにいる。

 弱い者を陵辱して喜んでいるような変態を襲う事で快感を得る自分。

 いつか同じ目に遭うだろう。

 

 この男もいつか自分よりも強い者に破壊しつくされる事を自覚しておくべきだった。

 一瞬の快感の為に永遠の地獄を味わう事を今更に知るだろう。


 男が手をのばした。

「た、たすけ……」

「お断りよ」

「つ、捕まえても、お、おれは罪にはな、ならないぞ」

「あら、どうして?」

「俺は精神病患者だからな! はっはっは、病院にも通ってるし、し、診断書もある、ど、どっかにぶちこまれても税金で一生安泰に、く、暮らせるぞ!」

「もちろんよ」

 と美里は優しく言った。

「もちろんあなたが罪に問われる事はないわ。あなたが行くのは刑務所ではなくて、フレンチのレストランだもの」

 一瞬男はきょとんとなり、口を開いたまま美里の声のする方へ顔を向けた。


 人の足音がしてガチャッとドアが開いた。

 美里が振り返る。

「おやまあ」

 と顔を覗かせた笹本が辺りを見渡して言った。

「笹本さん」

 その後ろから入ってきた警官の安田が手際よくブルーシートを広げようとしてから困惑した表情で笹本の方へ振り返った。

「珍しいね。仕留めてないなんて」

 と笹本が言った。

「そんな安らぎを与えていいのかしらって思って。笹本さん、活け作りなんてどう?」

 笹本はぱちんと指を鳴らしてヒュウと言った。

「そいつはありがたいね」 


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