第73章
73.
この世界に於いては、そもそも刑事警察機能自体が明確ではない。あえて言うなら各国の騎士団や私設守備隊がこれに準じ、街に駐留する軍隊の規模と治安維持能力は、ほぼ比例しているとも言える。その体で言えば、ランス王国に属しながらも私設の海軍艦艇が出入りするリングハートは比較的治安も良いと言えたが、港町という出自の偏りからか港湾部を除けば余り街中の治安維持活動、定期的な巡邏といった事は行われていなかった。
そして、当然の事ながら科学捜査などと言う概念は、まだ確立されておらず、近衛騎士団副団長シャーロット・ランプラングの襲撃現場とされる路地裏では、現場に残された彼女の片腕と、一振りの剣が回収されたのみだった。これは明確に彼女の持ち物だったと分かる、特徴的な円形刃と、その柄を握ったままの右腕。
故に、その右腕もまた、彼女の物であるはず、だった。
「・・・違う。やっぱり、この右手はシャーロットさんの右手じゃないわ!」
遺骸の一部とされる切り取られた右腕の見分の申し出は、アイリーンの名前を出すだけで、ごくごく簡単に認められた。今や実質的に、リングハートに於けるデヴラ商会の商館は聖ルトビア王国の出先機関であり、そこに出入りするジェニフィーは第四皇女であるアイリーンの直属の部下と見なされている。
まして、衛兵たちからすれば氷漬けにされ保管されている右腕など、寧ろさっさと提供してしまいたい、と言うのが正直なところだった様だ。
「私の覚えているシャーロットさんの腕は、そう、もっと細かった・・・」
切り取られ時間を経た腕は黒ずみ艶を失い、見た目での判断は難しい。だから最初は、人間なら誰しも、その指の先に持つ固有の文様を比較する事を考えた。十分な事例を比較調査した訳ではないが、おそらくは千差万別であろうこの文様を、残された右腕とシャーロットの、たとえば愛用のティーカップに残る跡を何とか取り出し比較する事で、その同一性を精査出来るはずだ。
だが、もしそれが出来ていれば、この世界で初めての指紋照合であったろう偉業は、単純にシャーロットの持ち物が極度に少なく、指紋をとるアルミの粉(そもそも、電気の普及していないこの世界で、電気分解を経ずして『軽銀』と呼ばれる事になるアルミニウムが精錬されるのは、まだ何年も先の話だ)も手元にない状況では、ジェニフィーには荷が重すぎた。商館の一室に寝泊まりしていたシャーロットの持ち物は、近衛騎士としての支給品ばかり。使う食器にしろ、私物は一切ない。
だが、それで目を付けたのが、部屋に残された手甲だった。良く手入れされた手甲からは、商館の食堂から借り出した小麦粉を叩いても曇り一つ見つからなかったが、手首に固定する為の革のベルトには使い込まれた凹凸があり、普段使っていた金具の穴の位置が明確だった。
後は、氷漬けの右腕に手甲をはめてみるだけ。結果は、残された右腕はシャーロットの右腕の太さとは一致しない、という事実だ。
「それと、もう一つ・・・」
だが、もう一つ、疑問が残る。
雨に流された路地裏の襲撃現場だが、シャーロットは如何やら移動しながら戦っていたらしく、その経路のごく一部は周囲の家々の張り出した軒先に守られ、降り続く雨に消される事なく複数の足跡を残していた。
シャーロットの物と思しき躍動する足跡、シャーロットを追う複数の男たちの足跡。
そしてもう一つ、小さな、おそらくは小柄な女の子の足跡。
襲撃犯以外にも、誰かがシャーロットと行動を共にしている。
「・・・探してみせるわ。私が、シャーロットさんの行方を!」
ジェニフィーは人知れず静かな決意をその金色の瞳に宿らせ、雨の中の現場調査で濡れた金髪に、手ぐしを通した。
まだ、調査は、始まったばかりだ。




