第3章
3.
この国が出来たのは30年程前だが、建国後の混乱は10年以上に亘って続いた。はっきりしないが、俺が生まれたのは多分その混乱のさなかだったのだと思う。物心ついた頃には、俺はこの小さなルトビアの街じゃあ、一番の悪ガキに育っていた。市場の隅にある冷蔵倉庫の機械室がその頃のねぐらで、ジャッパという名の弟分と市場で出るゴミをあさったり、出入りする客の財布を拝借したりして、それなりに楽しく暮らしていた。
そう、ジャッパの奴が死ぬまで、は。
あの日も、このルトビアは朝からとても暑かった。
「くそっ、如何して、如何して死んじまったんだよ! 俺が、何とかするって言ったじゃないか!」
どんなに叫んでも体を揺すっても、ジャッパの奴は二度と目を開ける事はしなかった。お互い薄汚れてはいたが、何時も文句ばかり口にしながらも、何とか、これまで生きてこられた。
それなのに。
「なんだ、このガキもか。邪魔だからコイツも放り出せ」
日常の終わりは、突然にやってくる。
後で知った事だが、混乱が少し収まり街の経済が回復してきていた。皮肉な話だが、戦乱の収束が俺たちにとっては最悪の日をもたらした。倉庫の建て替えが決まり、倉庫の周辺にいた浮浪者や、体がまだ小さくて通気口から機械室の奥へ入れた俺たちも、揃って市場の外へと叩き出された。倉庫の軒下で雨露をしのいでいた浮浪者たちは抵抗もなく追い出されるままに場所を開けたが、曲がりなりにも屋根のある寝床を確保していた俺たちには、唯一の財産を失うに等しい。
だが、抵抗するべきではなかった、命を掛けてまでは。
身動きしなくなったジャッパに縋りつく俺を、倉庫の解体を請け負った奴らが蹴りまわした。戦争がなくなって喰いっぱぐれた元傭兵だとか冒険者たちだが、奴らは当然のごとく気が荒い。腹を蹴りあげられた俺は、血反吐を吐きながら、地面に這いつくばっていた。
もう、如何でも良かった。
ジャッパも死んだ、俺が死んでも悲しむ者は誰もいない。
そう、思った。
実際、そうなったはずだったのだが。
「あなたたち、邪魔よ。どきなさい」
鈴の鳴る様な、声が聞こえた。
這いつくばったまま、如何にか薄目を開けて見ると、男たちに取り囲まれた少女が見えた。
長い黒髪が流れる様に伸び、高価な人形の様に小さな顔は病的な程に白い。
それが、アルティフィナだった。
「なんだぁ、こいつも浮浪者か? そうだ、邪魔する奴は如何しちまっても、俺たちの勝手だよなぁ?」
勿論、絹地の黒いワンピースに身を包んだ美しい少女が、俺たちの様な浮浪者や身よりのない孤児である訳はないし、誰が見てもそうは見えなかっただろう。
だが、そんな事は奴らにはどうでも良かったのだ。たまたま、俺たちが楯突いた。たまたま、美しい少女が通り掛かった。それだけで。
だが、奴らが下卑た薄笑いを浮かべながら少女に触れようとした時、空気が震えた。
「皆、身動きする事を『禁ずる』、そこで寝ていなさい」
凛とした声が、そう命じた。
今でもそうなのだが、アルティフィナは意識して結界を張っていないと、周囲の男どもの欲望を掻き立ててしまう。それは時として女にまで及ぶ程に強烈で、男の冒険者たちが群がって来たのは、一概に冒険者たちの罪とは言い難かったのだが。
ばたばたと、男たちが埃っぽい地面に倒れた。
苦痛で元から体が動かない俺の横まで、黒髪の少女が歩いてくる。
行った事などないが、障害物など何もない王宮の廊下を歩く様に、しずしずと。だが、周囲には、強烈な恐怖を引きずっているのが分かる。皆、何が起きたかのかも分からないまま、眼には恐怖を浮かべて体を痙攣させている。
「わたしは、アルティフィナ。わたしと一緒に来て、共に生きなさい」
それは問いではなく、命令だった。
俺は直接にではないが、その時、勝手に死ぬ事を『禁じられた』と思っている。実際、そうなのかもしれない。それ以来、どんなに苦しくとも俺は、死のうという気にはなれない。
少女の差し出した手は、とてもしなやかで、そして氷の様に冷たかった。
「・・・何やってるのよ? お客様がダージリンをお待ちよ?」
やたら冷たいアルティフィナの声が、俺を現実に引き戻した。
あれから、いろいろと、あった。
一番の変化は徐々にではあるが、俺がアルティフィナの『非保護者』から、一応は『恋人』に昇格?したらしい事だ。アルティフィナは歳をとらないらしいので、このままいけばその内に俺は父親になれるかもしれない。孤児だった俺が父親とは、如何したものかとも思うが、そうしたら娘になったアルティフィナは大人しく親の俺の言う事をきいてくれるだろうか?
否、ないな。
きっと、我儘な娘になっているに違いない。
「それ言ってて、少しは反省してないのか? 大体、アルティが・・・」
無駄なのは知っているが、一応は将来に備えアルティフィナの反省を促す。そうだ、俺は更なる地位の向上を目指さなければならない。
ならないのだが、アルティフィナが両手で俺の頭を捉えると、そのままキスしてきた。
先程の続きか!?
だが、流石に客が来たのに、それはなかったらしく、軽く口づけただけで、俺の両手をすり抜けて厨房から出て行ってしまった。
まぁ、良いさ。
続きは今夜で良い。
可愛い黒髪のサキュバスの少女の後姿を目で追いながら、考える。
俺の可愛い『恋人』を、退屈させる訳にはいかない。
まずは、仕事だ。