第1章
華龍storyと同一世界です。同時進行で書けたら良いなと。
1.
北方の帝国と西方の古きランス王国に挟まれて、小さな聖ルトビア王国はある。南方に向かえば未開の森林地帯を経て、魔族の住む土地があった。帝国もランス王国も、そして聖ルトビア王国も何れも人間が打ち建てた国々で、国を脅かす魔物の長であるとも言われる魔族を忌み嫌うのは、致し方ない事ではあった。この時代、人間の国はその国土を、魔物たちに荒らされていたのだから。
聖ルトビア王国はそうした人間の国の中では、比較的に新しく歴史の浅い国だ。30年程前に勇者と謳われた現王が、帝国から下賜された辺境領を帝国の衛星国家として独立させた国で、帝国から見れば帝国に朝貢の義務を負う一辺境領にしか過ぎない。それでも人々は僅かに国名と同じルトビアの名を持つ首都だけしかない、この小さな都市国家を、ひとつの国として識り、守り、その国民である事を誇りにしてきた。
そんな首都ルトビアの旧市街に、一軒の、古風な喫茶店があった。
「世に知られた聖ルトビア王国の首都の大通りだというのに、誰もいないじゃない。それに、どの店も閉まっているわ。もし、あのお店が閉まっていたら、如何しよう・・・」
八月に入ると街を覆う熱気は更に強まり、人が日中に往来を歩く事は殺人的な暑さを覚悟する必要がある程にもなっていた。実際に熱中症で倒れた老人が、万能のはずの魔法薬の甲斐もなく亡くなるという事まで起きていた。余りの熱さに日頃は王家を慕う街の人々も、『かつて現王が、竜を殺したせいではないか?』とか『西の大海の「深海の乙女」を誑かしたので、海神が怒っている』だとか、朝夕の街では根拠のない噂が実しやかに囁かれもしていた。だが、昼となると、目抜き通りの左右に続く商店街は朝市と称してその営業時間を早め、日暮れて街の人々が漸く涼を取る時間帯までは店を閉めてしまうところが多い。
「あぁ、やっと、あった! それに如何やら、ちゃんと営業しているわ、良かった・・・」
目を開けていられない程に石畳からの照り返しが眩しく、薄い革の靴底が熱くて炎の上を素足で歩かされている様で、背負った布袋は汗を吸って重みを増し、もう、これ以上は歩けない。そう、弱音を吐きそうになった時。
漸く少女は行き倒れる前に、目的の店を見つけ出す事が出来た。
石造りの店の並ぶ中で、唯一素焼きの煉瓦を積んだ茶色い壁。小さな格子窓には、気泡の見える厚みのある炭酸ガラスが嵌めこまれている。
人一人が通れる程の木の扉には、見落とす程に小さな看板が掛かっている。
『アルティフィナの店』
訊いてきた通りの店、一見、何の店かも分からないが、もちろん喫茶店のはずだ。そう、訊いてきたのだから。
「いらっしゃいませ」
樫の重い扉に付けられたベルが、カラン、と鳴った。
にこやかな笑顔と程よく冷やされた店の空気が、暑さで朦朧とし始めた少女を優しく迎えてくれた。外とは余りにも変化が大きく、しかもそれは心地よい変化で『ここは天国なのかしら?』などと取りとめもない事が頭の中を過った。
ぼおっ、としていると、近づいてきた黒髪の少女がいつの間にか、背中のリュックを下ろさせて、そのまま夏だというのに長袖の、少女の髪と合せたかの様な黒いワンピースの腕に抱えて、窓際の席へと案内をしてくれていた。
「お暑い中、ようこそ『アルティフィナ珈琲店』へ。今日はお食事ですか? それとも、お茶になさいますか?」
自分とさして年の違わないだろう黒髪の少女が、厚みのある古びた革表紙の店のメニューと一緒に、水の入ったガラスのコップと水差しをテーブルに置いてくれる。
ダメだわ、黒髪の少女が待っていてくれるけれど、折角だからまずは水を飲まさせて貰おう。ごくごくと喉を伝う冷えた水が、体に吸い込まれていく。
漸く一息ついて見上げると、店の中には自分以外には客がいないらしい。窓際に並んだ四人掛けの木のテーブルは、どれもその中央に小さな花瓶が置かれ一輪の白い花が挿してあるが、席に座っているのは自分だけだった。
店内から視線を戻すと、黒髪の店員と目があった。
吸い込まれそうな、黒い瞳。
ほっそりとした首筋を覆う白いフリルのついた襟元と、凛とした立ち姿。
あぁ、同性だけれど、この少女を見られただけでも、この店に来た甲斐があった。
「お客様?」
黒髪の少女が、カチューシャを載せた頭を傾げた。
しまった、何か凄く恥ずかしい事をしているかも。
「す、済みません。このトマト・スパゲッティとダージリンのセットをお願いします」
如何にか、注文まで、出来た。
まずいわ、ひょっとすると、黒髪の少女を見た感想を、知らず知らずのうちに口に出してしまっていたのかもしれない。それで、変なヤツと、嫌われたかもしれない。先程までの炎天下で焼かれていた時よりも、頬が熱くなる。
「今日は、とても暑いですね。ルトビアには、観光でいらしたのですか?」
黒髪の少女が抜ける様に白いしなやかな指先で、銀のホークとスプーンを並べてくれた。
ああ、あの少女の白い頬に触れたい。
な、何を考えているのだろう、私?
そ、そうだ、そんな目的でこの店に来た訳じゃないのに。
「あ、あの。店長のグレンさんはいらっしゃいますか? 今日は、その。私、グレンさんに相談があって来ました」
少し間近で見る少女の横顔に思わず、どきまぎしながらも、如何にか本当の目的を打ち明ける。我儘な客だと少女に嫌われないかが心配だったが、如何やら少女はこちらの申し出を、最初から予測していたのかもしれない。私が言い出しやすい様に水を向けてくれた、そんな気がした。
「はい。店長は今、スパゲッティを茹でておりますので、お出ししてから参ります。どうぞ、先にお召し上がりになって、お待ちください」
狭い店内には、黒髪の少女がそう説明するうちにも、にんにくをオリーブオイルで炒める食欲をそそる匂いが満ちてきた。
そう言って店の奥の厨房の方に戻っていく少女の、背中で結ばれた大きなリボンを見るとはなしに見送りながら、考える。もしかしたら、私がこの店に来る事まで、あの少女は知っていたのかもしれない。だとしたら少女の答えはもう、決まっているはずなのだ。
あぁ、たとえ依頼を断られてしまっても良いから、一度で良いからあの黒髪の少女を抱きしめてみたい・・・。如何したんだろう、私、なんで、こんな事ばかり、考えているのだろう?
華龍storyと同一世界です。同時進行で書けたら良いなと。