雪崩
ルチェルさんとアステルの後について、見たこともない複雑な道を進みました。
何処を何度曲がったか知れません。
けれど前を歩く二人には迷っている様子はなく、むしろ決められたルートを作業の一環として歩いているような雰囲気さえ感じます。
道は広くなったり狭くなったり、まるで猫の気分です。
「猫はこんな計画的な順路を行かないよ」
「そうなのですか?」
「…あんた、外を歩く猫見たことないでしょ」
図星です。
時たま城を訪れるお客様が連れて来ることはあっても、外猫など見たことがありません、そもそも城から出たことがないですし。
私が肯定すると、ルチェルさんは軽く笑って呆れたような身振りをしました。
「箱入り娘…箱庭育ちっての?予想以上。」
そ、そんなに言われるほどでしょうか…。
アステルも目を逸らして苦笑いを浮かべています。
「あぁ、そろそろ着くよ。長いこと歩かせてごめんね」
枯葉が多く舞っている細い道の中程でルチェルさんが言いました。
やっと影も知らぬ目的地に到着です、お疲れ様です。
進んでいる方向と垂直に交わる道、十字路の向こう側の角が、どうやらそれのようでした。
歴史のありそうな石造りの建物。
けれど古ぼけた重苦しい感じではなく、要所には近代的な設備が見て取れます。
行く手方向に面した壁にはシンプルながらも壮麗なデザインの扉がありました。
綺麗に保たれたドアノブをルチェルさんは無造作に捻って扉を開きます。
複数人がすれ違えそうなくらいの幅のある廊下が伸び、少し遠めからなにやらざわめきが聞こえてきます。
おそらく、2~3人ほどの声。
アステルに押されてルチェルさんの後に入ると、丁度こちらへ向かってくる人影がありました。
真雪のような肌に明るいシーグリーンの瞳、白金の髪を細やかに結い上げている女の子です。
可愛らしくも落ち着きのある服装に、大きな眼鏡の形のネックレスが目を惹きます。
私達に気付いても特に表情を変えません、二人のお知り合いなのでしょう。
「お帰りなさい、マスター達は先に戻ってホールにいるよ」
「はーい了解。」
彼女は一旦立ち止まる丁寧さを見せますが、ルチェルさんはちょっとやる気がありません。
早々に奥へと足を進めてしまうルチェルさんに、彼女は少しむっとした表情になります。
気持ち、なんとなくわかります。
一度目を伏せた後、切り替えるように私に向き直って自己紹介をしてくれました。
「初めまして、私はリュネット。リジーって呼んでね。あなたのことはマスターから聞いてます。この奥の広間にいるから、そこで詳しい話を。」
「は、はい、よろしくお願いします、リュ…リジーさん」
トントンと話を進められてしまいました、おそるべしです。
それじゃあ、と軽く手を振ってリジーさんは私達が入ってきた扉から外へと出て行きました。
…なんだか不思議な、少しの高揚感を覚えます。
「行きましょうディア様」
いつの間にやら前に立っていたアステルに言われて、慌てて歩き出します。
廊下の奥にある、賑わいの元である扉でルチェルさんが待っていました。
急いで追いついて、歓迎するように開けて頂いた扉を潜ります。
そこには貴族の邸宅にあるような大きな広間がありました。
真ん中にはこれまた大きなテーブルが二つ、それを囲むようにソファやスツールが並んでいます。
部屋の反対側に大きな両開きの扉と書類らしき紙が積まれたカウンターが見受けられました、どうやら業務用の場所でもあるようです。
城の祭場よりは小規模ですが、壁や柱、家具等に施された装飾が寛雅な空間を演出しています。
向かって左手に置かれた長いソファには二つの人影が。
一人は燃えるような赤毛をひとつに束ねた、個性的な服装の女性。
もう一人は見覚えのある…というか、現在隣にいるアステルに瓜二つの少年です。
「あ、やっと来たー!無事任務達成したみたいですよ、ルカさん!」
弾む声音で赤毛の女性に声をかけ、同時にこちらに向けて大きく手を振りました。
あの明るさ、笑顔、仕草の一つ一つが、隣にいるアステルよりも彼らしく感じます、どういうことなのでしょう。
ルカさんと呼ばれた女性もこちらを見遣り、手にしていた数枚の紙束をテーブルに置いてアステルに続き立ち上がります。
凛とした出で立ちで深々と頭を下げてくださいました。
「初めまして、私はヴィルカス'ブリシュティと申します。まずは非礼をお詫び致します、手荒な真似をしてしまい申し訳ありませんでした」
とっても丁寧です、驚きです。
こんなに綺麗な謝罪をされたことは人生で2、3回くらいしかありません。
それはとてもよろしいことなのですが、正直、戸惑ってしまいます。
「い、いえ、あの…顔を上げてください」
笑みを浮かべたつもりではありますが、きっと、なんとも言えない顔をしているのでしょう。
ヴィルカスさんは私に言われた通り頭を上げますが、少し驚いたような、それを隠しているような雰囲気です。
「取り敢えず皆座ったら?」というルチェルさんの一言とアステルの勧めに、私は赤いソファへと腰を落ち着けました。
座ってから気付きましたが、これは上座というものにあたるのではないでしょうか、どことなく緊張します。
左手側には私が座っているものと同色の、一人掛けのソファ。
そこにヴィルカスさんが座り、向かいにルチェルさんとアステルと、よく似た少年が並びました。
やっぱり、気になります。
「あの、アステル、そちらは…」
どう訊ねたらいいのかわからず尻すぼみです。
応えてくれたのは先にこの部屋にいた、元気な少年。
「ごめんなさいディア様!僕がアステルなんです、こっちは双子の兄貴のルア。今日だけ入れ替わってて…騙すことになっちゃったのは本当にごめんなさい!」
彼は手を顔の前で合わせて謝り倒しです。
びっくりしました…ええ、それはもう。
何せ、並んで座る二人は本当にそっくり、同じ顔なのです。
淡い紅茶色の細い髪にくるりとした空色の瞳、きっと同じ服を着て黙っていたら誰もどちらかなんてわかりません。
現に私も、言われるまでは城から連れ出した方がアステルだと疑いませんでした。
けれどよくよく見てみると表情が全然違います。
そう、アステルはこんなふうによく笑う子なのです。
対してルアさんは大人しくて、アステルには少しぶっきらぼうな様子も見受けられますが静かな方です。
見比べるほどに違和感が増していきます、どうやら本当に別人のようでした。
「すみませんでした、本当に…」
次の言葉が出ない私に、ルアさんも謝ります。
「いえ、謝らなくていいです…少し、驚きましたけど……」
「やっぱり紛らわしいですよね…ルア、着替えてこよう」
困り顔で笑って、アステルとルアさんは交換した服を替えるため、でしょうか、一旦部屋を出て行きました。
それと入れ替わるようにして、背後の扉から音が聞こえます。
入ってきたのは先ほどすれ違ったリジーさん、お茶を持って来てくださったようです。
「あれ、双子は?」
「着替えに行ったよ、そっちに置いておいてやってくれ」
「はいはーい。…入口と受付、締めといた方がいいですかね」
「あぁそうだな…頼む」
リジーさんは配膳を終えた後、カウンターの傍へと移動して扉の鍵を閉めてしまいました。
それを合図にしたかのようにヴィルカスさんが話を再開します。
外には漏れてほしくないお話なのでしょうか、雰囲気が少し、重くなった気がします。
「…本題に入ろう。ここは万事屋ギルド『ニウィス・ルイナ』、私はそのギルドマスターを勤めています。巫女殿、あなたをここへお連れしたのはさる方からの依頼でしてね。正攻法では司教殿に許可頂ける道理もありませんでしたので、少々強引ですがこのような方法を取らせてもらいました」
ギルド、依頼?
どういうことでしょう…。
万事屋ギルド、ということは依頼内容を限定する一般的なギルドとは違うのでしょうか。
それに、私には司教様や近衛の方々以外に知り合いはおりません、外へ連れ出すよう依頼する人など心当たりがないのです。
どれだけ考えても腑に落ちません、どうしたものでしょう…。
「ま、あんたの知らない人だと思うよ。依頼人も面識はないって言ってたし。顔も合わせたことない、その上高貴な身分のお方を誘拐しろだなんて…相当だとも思うけど」
「ゆっ…?」
なんだか物騒な単語が聞こえました。
誘拐、ですか…?
もしかして、今とても怖い状況なのでしょうか…。
ルチェルさんはまた私を見て苦笑いを浮かべます。
「まさかとは思うけど、誘拐だなんて~とか思ってる?」
「そんな物々しい言い方はしたくないが、巫女殿…」
ヴィルカスさんも、今度は驚きを隠していません。
ええ、ええ、そんな恐ろしいこととは思っていませんでした。
なんだか、途端に頭の中が真っ白です、白紙が渦を巻いています。
「ほら、言った通りでしょ?ディア様はなんていうか…平和ボケ?極端だよねえ~」
「言い過ぎだぞ、少しは慎め」
どこから聞いていたのでしょうか、服を丸ごと取り替えた二人が戻ってきました。
仰る通り、返す言葉もありません、危機意識の欠如です。
拐われたのなら、逃げた方がいいのでしょうか。
けれど城までの道なんて覚えていませんし、この軽い包囲状態から抜け出せるとも思えません。
「あなたに危害を加えることはありませんから、そこはご安心ください。依頼主から連絡があるまでここにいて頂くことにはなりますが…出来る限り不自由のないようにしますよ」
私を安心させるように、ヴィルカスさんが笑いかけてくださいます。
悪い方達ではない、のでしょうか…。
判断するのは早計かと思いますが、どなたからも悪意は感じられません。
ここから逃げられる予感もなければ、ここにいてはならない理由もないようでした。
不意に、とことこと駆け足で、アステルが私の横に近付きます。
「そういう訳でディア様、暫くはおはようからおやすみまでずっと一緒ですよ!」
「何を狙ってるんだお前は…!ディ…巫女様、お疲れでしょう?部屋まで案内します。いいですよね、ルカさん?」
「構わないよ。長いこと連れ回してしまったし、休息も必要だろう」
ルアさんがアステルの背中を蹴り上げつつ、案内を申し出てくださいました。
気持ちの整理と休息、願ってもないことです。
「ありがとうございます…」
「お礼は要らないですよ~、僕ら誘拐犯ですし…!」
冗談めかして、アステルは普段通りの軽口を叩きます。
…今日ばかりは笑えませんよ?
真面目に案内をしてくださるルアさんについて、広間の左右に設置された階段から二階へと進みます。
こうして全体を眺めると、本当に貴族の邸宅のようです。
上階には無数の扉、ネームプレートがかかっているものもいくつかありました。
扉の間の広く取られた壁には品の良い絵画が数点。
長い廊下には緻密な模様の絨毯が敷かれています。
私の部屋として割り当てられたのは、真鍮色のプレートに「Vilkas'Brishti」と彫られたお部屋の一つ向こうでした。
Vilkas…ヴィルカスさんの、隣部屋。
「部屋の中にあるものは好きに使って構いません。何かあったらルカ…ヴィルカスさんが大体こっちの部屋にいるので。もしいなかったら反対側、そっちの部屋に声を掛けてください」
ルアさんが示す、ヴィルカスさんの部屋と反対にある扉を見ると、こちらも真鍮色に「Dorossel」と彫られていました。
「それじゃ、僕たちはルカさんとちょっとお話があるんでこれで!本当にごめんね、ディア様」
申し訳なさそうに微笑みかけて、アステルとルアさんは戻ってしまいます。
それを見送って扉を開けると、ベッドやテーブル、椅子、クローゼットなど、一通りの家具が揃えられた清楚な内装が現れました。
ここに来て今日初めてのひとりきりです。
ベッドに腰を下ろし、心悲しい静けさに少し目を瞑ります。
なんだか、大変なことになっていませんでしょうか。
私は自分の立場や身分を理解しているつもりでいますが、それを考慮しても考慮しなくても、そう、とっても大事件なのではないでしょうか。
壁には大きな窓がひとつ。
今、誰もいないこの部屋からなら逃げ出せるかも知れません。
けれどまだ、依頼主さんのお話も聞いていないのです、それでいいのでしょうか。
「どうするべきなのでしょう…」
独りごちても返ってくるものはありません、当然です。
暫くうんうんと唸っていましたが、得るものはありませんでした。
休む意味も兼ねて、上半身だけベッドに横たえます。
冠がしゃらりと鳴りましたが、もうお構いなしです。
どうにでもなってしまえばいいのです。
そんな折、小さく控えめにノックする音が聞こえました。
「…はい!」
慌てて起き上がって髪を整え、扉に向かいます。
そっとドアノブを回すと、そこには小さな女の子が。
真紅の瞳とふわふわと長い金髪、とても小さくて愛らしい少女です。
「えと、お、お食事です…」
綺麗な声音でそう告げられました。
見ると、手にはサンドイッチや紅茶が乗った盆があります、わざわざ届けてくれたようです。
「ありがとうございます」
受け取ってにっこりと微笑んでみました。
どうやら彼女は人見知りのようで、怯えているかのような、少しおどおどした表情です。
そんなところも可愛らしく思えてしまう幼さですが、背中には人間ではないことの証が垣間見えました。
透き通る、妖精の羽です。
一歩下がって去るタイミングを図っている彼女に、意を決して話しかけてみることにしました。
先程のお話の席にいなかった彼女です、もしかしたら、何か知っていることがあるかもしれません。
「あの…よかったら一緒に、食べませんか?」
その言葉に彼女の表情も少しだけ明るくなったような気がして、ほんのりと胸が温まりました。