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前編

OVER THE RAINBOWシリーズです。「哀れな子執事に愛の手を」に続くエピソードですが、とくにつながりはありません。

今回の主人公は哲哉。今後のシリーズのキーになるエピソードです。

「今年の活動はこれで終わり。哲哉は台本読んで、最低でも三曲は作ってこいよ」

 オーバー・ザ・レインボウのリーダーである北島ワタルが、今年最後のミーティングを閉めた。年内の講義も終わり、大学は明日から冬休みに入る。最終日の今日は、来年二月にジャスティで開催される合同ライブの相談をしていた。ほかに、各個人に冬休み中の課題が与えられ、得能哲哉は、映画サークルから依頼されたサントラを担当することになった。

 渡された台本をめくってイメージを固めていると、隣にいた氷室武彦が席を立った。

「じゃあこれで。みんなまた来年な」

 顔から笑みがこぼれ落ちていた。ポーカーフェイスと言われるくらいに無表情だったのは最近までのこと。彼女ができてからは、いつ見ても幸せそうだ。今日のクリスマスイブもデートなのだろう。

 五人のメンバーで彼女がいるのは武彦ひとりだ。よく「バンドをやったらモテる」というが、それは都市伝説なのかもしれない。仲間たちを見るたびに、哲哉はそう思う。

「おれも帰る。九時の夜行バスに乗って帰省だよ。拓人の勉強を見てやらなきゃな」

 次に席を立ったのは清水弘樹だった。医学部を目指している弟のために、家庭教師をするらしい。

「受験生にはクリスマスなんて関係ないもんな。おれも今から塾のバイトだよ」

 ワタルがため息をつきながらぼやき、良い年を、と言い残して部室を出た。

 あとに残されたのは、哲哉と宮原直貴になった。

「哲哉はこのあと予定ある?」

「いや別に。直貴は?」

「ぼくもだよ。イブを一緒に過ごす彼女なんていないからね」

 直貴は自虐ぎみにフッと笑った。相談の結果、早めの夕飯にしようということになり、ふたりはクラブハウスを出た。

 ちょうどそのとき、商店街でしきりに流れるクリスマスソングが、日の暮れかかったキャンパスで鳴り響いた。哲哉が音源を探して辺りを見回していると、直貴がコートのポケットからスマートフォンを取り出した。メールが届いたらしく、画面に表示された文章を読んだとたん、えーっと小さく声を上げた。

「どうしよう。弟子からお誘いのメールがきちゃった」

「弟子って、いつのまに師匠になったんだ?」

 カフェテリアにつながるメインストリートを歩きながら、哲哉が訊いた。

「学園祭のあと、女子三人組にバンド活動のアドバイザーにされたんだよ」

 楽器が弾けないのにバンドを始めたいと相談されて、いろいろ悩んだ末にエアバンドを提案した。良いアイディアだと喜ばれたのはよかったが、代わりに演奏をやってくれと強引に押しつけられたという。

「あの子たちに夕飯に誘われちゃったよ。バンドのことも相談したいから絶対に断るな、だって」

 直貴はため息まじりに説明しながら、哲哉にメールの文面を見せた。デコ文字がたくさん使われていて、画面がツリーのオーナメントのように点滅している。

「でもいいんだ。メールに気づかなかったことにするよ。三人組に都合良く使われるのはごめんだから」

 イヒッと笑いながら直貴がスマートフォンをポケットに入れたそのとき。

「あ、ナオくーん。よかった。メール読んでくれた?」

 背後から元気な声がかけられた。ふりむくと女子三人組がきらきらと目を輝かせて立っていた。

「みんな、どうしてここに?」

「ナオくんがクラブハウスから出てくるのを待ってたんだよ。いきなり誘うと驚かせるかなって思って、後ろを歩きながらメールを送ったんだ」

 ショートカットの髪を明るい栗色に染めた女子が説明した。

 三人の第一印象は、一流企業に勤めるOLのようだった。見るからに聡明そうな女子に囲まれていると、小柄で童顔の直貴は末の弟にしか見えない。だが実際は哲哉より一年先輩だ。

「彼女たちに会うのは初めてだったね」

 直貴に促されて哲哉が簡単な自己紹介をすると、女子三人の「よろしく」という返事が見事に重なった。

「二週間も前に予約してるの。断ったりしないわよね、ナオくん」

 ツインテールの女子が背後で手を組み、少し鼻にかかった声で言った。

「勝手なこと言うなよ。ぼくにだって都合があるんだ」

「見栄はらなくていいの。イブに一緒に過ごす彼女がいないことくらい、あたしたちにもわかっているわ」

「彼女はいないけど、哲哉と約束が……」

 直貴は上目遣いで口を尖らせながら、つぶやくように反論した。

「おれはいいよ。図書館に行く用を思い出したし。だからみんなで楽しんで、バンドの今後も打ち合わせしてきなよ」

「そんなあ。見捨てないでよお」

 直貴が助けを求めるような視線を送ってきたが、あえて無視した。予約しているくらいだから、プレゼントも用意しているかもしれない。好き勝手にふるまっているようで、本心では師匠を尊敬しているのだろう。そう考えると引き止める気にはなれなかった。

「じゃあな。メリークリスマス」

 引きずられるようにして連れて行かれる直貴を、手をふって見送った。

 残されたのは、哲哉ひとりになった。

 明日にはみんな、学生街から姿を消してしまうだろう。仲間は、大切な人が待つ家に戻る。オーバー・ザ・レインボウ以外にも帰る場所を持っている。

 吹き抜ける風に、ふと冬の寒さを感じた。哲哉はブルゾンのファスナーを一番上まで閉めて、ポケットに手を入れた。冬枯れの木々が並ぶメインストリートを抜けると、ほどなくして図書館についた。

 学生証を通して静けさの支配する館内に入り、目的の数学や物理のコーナーに移動する。受験生だった去年と違い、今年はのんびりした年末年始が迎えられそうだ。それでも休み明けにはレポート提出があるので、遊んでばかりもいられない。解析学の本と古典力学の演習本を手にし、カウンターで貸し出し手続きをしていると、背後からなじみのある声に呼びかけられた。

「得能くんじゃない」

 本をたくさん抱えて立っていたのは、高校時代のクラスメート西田沙樹だった。大学では放送研に所属しているにもかかわらず、バンドのサポートもしてくれている。ありがたい存在だ。

 週に半分以上は会っているのに、今日に限って、ひどく懐かしいような、不思議な感覚に包まれた。

 沙樹は、英語の本と一緒に、音楽関係の書籍を数冊借りていた。英文学を勉強するのに使うのだろうか。ふと気になった哲哉は、図書館を出たところで尋ねてみた。

「やだな、しっかり見られてたんだ」

 沙樹は前髪をかき上げながら、照れ隠しに笑った。

「あたしってバンドのサポーターなのに、音楽の知識がほとんどないでしょ。そのせいで話についていけないことが多くてね。だから休みの間に少しでも勉強して、みんなに近づこうって思ったの」

「わからないときは遠慮しないで質問しなよ。みんな丁寧に教えてくれるぜ」

「だから逆に申し訳ないのよね。優しいのをいいことに甘えてちゃいけないでしょ。それに……」

 と、途中で言葉を止めた。

「それに?」

「ううん、なんでもない。それより得能くん、このあと予定ある?」

 スケジュールが空白だと言うと、

「じゃあレンタルショップにつきあってくれない? CD借りようと思うんだけど、まず何を聴けばいいのかわからないの。参考までに意見を聞かせてほしいんだ」

 と両手をあわせた。

「いいよ。アーティストとかジャンルとか決まってる?」

 沙樹は具体的なバンド名を二、三上げた。

「それならうちにあるから、好きなだけ持って帰りなよ」

「いいの?」

 目を輝かせる沙樹に、哲哉は親指を立てて返事した。


 哲哉のマンションは、大学の正門から徒歩で十分ほどのところにある。普段は自転車で移動するので五分とかからない。

「二十四時間セキュリティーつきの賃貸マンション? 学生専用じゃないんだね。立派なとこに住んでんだ」

 四階が哲哉の部屋だ。ひとりで住むには広い間取りだが、仲間がよく集まるためか、手狭に感じることも多い。哲哉はリビングのクローゼットを開け、所狭しと並んでいるCDラックを引っ張り出して沙樹に見せた。

「好きなだけ持って行きなよ」

「得能くんは聴かないの?」

 哲哉は親指で窓際を指さした。机の横にパソコンラックがあり、リンゴマークのついたノート形のPCがおいてある。

「全部Macに取り込んでるのさ。聴きたくなったらそこから出すし、よく聴く曲はミュージックプレイヤーに入れてるんだ」

 そう言いながらポケットからプレイヤーを出し、電子ピアノの横においたミニコンポに取りつけた。

「うちなんかまだまだ少ないほうだぜ。ワタルの部屋はCDが壁一面にぎっしり並んでいる。知ってた?」

「そうなんだ。気がつかなかったな」

「今度貸してって頼んでみなよ。うれしそうに解説しながら、あれこれアルバムを勧めてくれるからさ」

 哲哉はキッチンに入り、やかんを火にかけた。

「コーヒーならブラジルとモカ、紅茶はダージリンとアップルティー、それとココアがあるけど、どれがいい?」

「アップルティー、プリーズ」

 お湯が沸くのを待っている間に、ラックからCDを数枚取り出し、テーブルにおいた。

「西田さんが言ってたバンドはね、このアーティストの影響が強いんだ。彼らのトリビュートアルバムにも参加してるんだよ」

 解説を読んでいる沙樹に、哲哉は二枚のアルバムを見せた。

「この曲はこっちのアルバムに入ってるこの曲と似たメロディが出てくる。聴き比べてみるとおもしろいよ」

 ほかにもバックバンドやプロデューサーをもとにアルバムを結びつけて、いろいろ紹介した。真剣に耳を傾けてくれるのがうれしくてつい熱弁していると、やかんの笛が鳴って説明を中断させた。

 アップルティーを入れてリビングに戻ると、沙樹が大量のアルバムをテーブルの上におき、腕組みしていた。

「得能くんのお勧めをもとに選んだら、こんなに増えちゃった。全部は持って帰れないから、優先順位をつけてもらえる?」

 沙樹がたくさん本を借りていたことを、哲哉は思い出した。それに大量のCDを加えたら、電車に乗るのは重くて大変だろう。

「西田さんは運転するよな。明日車で取りにこいよ。本も一晩預かるぜ」

「いいの?」

 哲哉の提案を聴いて顔を輝かせたのも束の間、沙樹は首を横にふった。

「やっぱ悪いよ。得能くんも明日には実家に帰るんでしょ。家の人、心待ちにしてるよ」

 沙樹の言葉が、哲哉の動きを止めた。

 自分に冷たい視線を投げてくる父と、無視する母の顔が浮かんだ。鈍い痛みが胸をかすめる。

 哲哉は口を閉じて立ち上がり、CDラックをクローゼットに入れて扉を閉めた。ふりかえると、沙樹が申し訳なさそうな目をむけていた。

「ごめん。あたし何か悪いこと言ったみたい」

 沙樹の言葉に他意のないことはわかっていた。だからポーカーフェイスで聞き流したつもりだったが、思ったほどうまくはできなかったようだ。

「謝ることないって。西田さんは悪くないんだからさ」

 哲哉はあの家の子供でありながら、ずっと疎まれて育ってきた。両親は帰りを待ってはいない。自分は邪魔者でしかないのだ。

「おれは小さいときから、親の期待を裏切ってばかりでね。そのせいでとうとう親に見捨てられたのさ。普通の親なら、子供が帰るのを楽しみにするんだろうな。でもうちの親は、おれの帰宅を煩わしく思ってるんだぜ。だから夏休みもそうだったけど、冬休みも帰るつもりはないんだ」

 平気な顔でさらっと流したつもりだったのに、沙樹は眉をひそめたままで、哲哉の話を聞いていた。

 言いふらすものでもないが、かといって隠すつもりもなかった。だがこうやってオープンにすると、みんな同じように口をつぐんでしまう。同情なんて必要ないのに、いらぬ気を使わせてしまう。自分でもどこかふっきれてない部分があって、それが相手に伝わるのか。

 哲哉はそんな弱い自分が大嫌いだった。

「だからさ、明日でも明後日でも、好きなときに取りに来いよ」

 無理して笑顔を作ると、沙樹は安心したように微笑みを返した。

「はい、湿っぽい話はこれで終わり」

 哲哉は食器棚からクッキーを出し、テーブルにおいた。

「次々と飲み物にお菓子が出てくるのね。みんなの好みに合わせてストックしてるの?」

「そうなんだ。あいつら、好きなものがバラバラなくせに、こだわりは強いだろ。突然やってくることもよくあるから、買いおきしてるのさ。そうだ、西田さん用の飲み物もおいておこうか」

「だめだめ。彼女ができたときに困るって」

「うーん。やっぱりまずいか」

「独占欲の強い女子だと、些細なことでも焼くよ。相手が人間でなくてもね」

 たしかに沙樹の言うように、哲哉が音楽に夢中になりすぎて、すぐにふられてしまうパターンの繰り返しだった。

「音楽ごと好きになってくれる子って、滅多にいないんだよな。かといってファンから入った子は、普段のおれの姿なんて知りもしないで、勝手なイメージ作ってるし。その点、武彦は良い相手に巡り会えたよ」

 ふと目の前にいる女性のことを考えた。サポーターをしてくれている沙樹でも、音楽に嫉妬するだろうか。

「どうしたの?」

「いや、西田さんなら、音楽もバンドもまとめて好きになりそうだなって……」

 何気ないつぶやきのつもりだった。が沙樹は目を見開き、急にほおを赤らめた。

「やだ、そんなふうに見えるの?」

 そう言って恥ずかしそうに両手で頬を隠した。

「もしかして、メンバーのだれかとつきあってるとか」

「そんなわけないって」

 沙樹はどぎまぎして視線を泳がせた。

「ごめんごめん。もしそうなら、イブの日におれのところなんて来ないよな」

 クリスマスイブは大切な人と過ごす夜。恋人、友達、家族、だれでもいい。人の温もりを感じながらそれに感謝をする。そんな日に、仲間たちはそれぞれの場所に戻っていった。バンド仲間ではなく、家族や恋人のもとに。

 哲哉のそばに、だれが寄り添ってくれるのだろう。

 ひとりになりたくはなかった。いつもは平気なのに、今は無性にだれかと過ごしたかった。沙樹なら一緒にいてくれるだろうか。

「西田さん、今夜予定ある?」

「ないよ。レンタルショップ行ったら、まっすぐ帰るつもりだったの」

「じゃあ、夕飯でもどう?」

「行く行く。家に帰ってもクリスマスのイベントなんてないから、寂しかったんだ」

 沙樹は目を細くして快く承諾してくれた。そんな些細なことが、今夜の哲哉は泣きたいくらいにうれしかった。


 学生街にある洒落た店は、すでに満席だった。何軒かまわってみたが、どこもいっぱいだ。イブの夜に予約なしで入るのは無謀だったようだ。行き着くところは、学生むけの通い慣れた店。カップルには縁のなさそうな昔ながらの食堂だ。だが沙樹は、えらくはしゃいでいた。

「自宅通学だとね、こういう店に来ることないでしょ。ずっと憧れてたの」

 年配の女性がお茶を持ってきた。テーブルにおかれたメニュー表を見ていると、

「哲ちゃん、彼女つれてきてくれるのはうれしいけど、今日くらいはムードのある店に行ったらどうなんだね」

「それがさあ、どこもいっぱいで入れなかったんだよ。行くとこ行くとこカップルばかりでさ。まいっちまうよ」

「それでうちに来たのかね」

「おれにはここの手料理が一番のごちそうだもんな」

 哲哉がそう言うと、女性店員が豪快に笑った。ごく普通の家庭料理が並ぶメニューの中から、それぞれ数品注文する。

「得能くんの行きつけ?」

「そうだよ。おじさんとおばさんの手料理が味わえるからね」

 ジャスティとは違う雰囲気が、哲哉には持てなかった家庭の温かさを感じさせてくれる。

 ほどなくして出てきた料理を食べていると、哲哉のスマートフォンが鳴った。ジャスティのマスターからだ。

「今から? 食事中なんだけど。五分ですませろ? 無理だって。なるべく早く食って行くから。それまで間を持たせといてよ」

 哲哉は肩をすぼめながら、スマートフォンをポケットに戻した。

「マスター、なんだって?」

「よくわからないけど、手が足りないから助けてくれ、だって」

 哲哉と沙樹は食事もそこそこに店を出て、ジャスティに急いだ。

 扉を開けると店内はほぼ満席だった。だがアルバイトの男子学生もいて、わざわざ呼び出さなければならないほどの忙しさは見られない。

 哲哉たちの姿を見つけるなり、マスターが飛び出してきた。

「よく来てくれた。助かったよ」

「本当に人手が足りない? そうは見えないけど」

 店内を見回しながら訊ねると、マスターは正面のピアノを指さした。

「ピアニストが急に体調を崩して、生演奏する人がいなくなったんだよ。イブの夜にCDやレコードだけってわけにはいかんだろ。だから、な」

 と、本当に申し訳なさそうに、手をあわせて頭を下げた。

「オーケー。そのかわり、バイト料は弾んでもらうよ」

 哲哉はスタッフルーム入り、衣装に着替えた。そしてマスターに渡された曲のリストに目を通した。今までに何度も弾いた曲ばかりがならんでいる。これならぶっつけ本番でも心配ない。哲哉は指をほぐしながらピアノの前に座った。


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