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私を成仏させないで!  作者: いばらぎとちぎ
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七月九日~day 5-①~



****



  目の前には寂れた神社と鮮やかに色づいた楓の木。空は透き通っていて高い。背後には学校の裏庭から伸びている石階段。頭の上には灰色の鳥居。


 明は首をかしげる。何故自分はこんな所にいるのか……はっきりしない頭で周りを見渡していると、いつの間にやら、妙齢の女性と幼稚園児くらいの子どもが自分に背を向けて拝殿の前に立っていた。


 胸が高鳴る。女性の後ろ姿には確かに見覚えがある。絶対に間違いない。急いで近寄ろうと、足を踏み出す。しかし、何故だろうか……地面に張り付いたようにまったく動いてくれない。


 前に進みたいのに進めない。今にも泣き出しそうな顔になりながら、女性の背中を見つめる。五年前に死んだはずの母が、微笑みながら子どもに向かって何か話しかけている。その姿に激しく嫉妬してしまう。


 一体誰に笑いかけているのか? どうして、自分には笑いかけてくれないのか? それを確かめようにも、こちらを振り向いてもらおうにも、徐々に身体全体が固まってきて視線も動かせなくなっていく。喉も声の出し方を忘れてしまったかのように呻くことしかできない。胸に焦燥感だけが募っていく。


 ――風が強く吹いた。周りの落ち葉を巻き上げて、二人の背中を覆い隠していく。待ってくれ! 心の中でそう叫んだ途端、まるで積み木が崩れるようにガラガラと石段が崩壊し、闇の中に落ちていった。




****



「……!?」


 明の瞳が勢いよく開かれる。初めに目に入ったのは見慣れた天井。乱れた息を整えつつ身体を起こす。表情は険しく、まだ現実だと自覚していないのかその瞳はどこか虚ろである。


 背後では朝七時を告げる目覚ましがけたたましい音を鳴らしている。それに少しだけ安心して、いつものように上部のスイッチを押した。


「なんだ。あの夢……」


 喉をさすり、声がきちんと出ていることを確認して、ベッドの横にある窓を開いた。朝のさわやかな風が、寝汗でべとついた肌をゆっくり撫でていく。昼間は騒音としか思えない蝉の鳴き声も、今だけは天使のラッパのように聞こえた。


「おはよう。父さん」


「おう。おはよう明」


 制服に着替え、登校の支度を終えた明はキッチンへ降りてきて椅子に座る。父は朝食の支度をしており、紅葉はまだ寝ているようだ。


「なぁ、父さん。母さんってあの神社と何か関係があんのか?」


「神社って、あの中学校の裏にある神社か?」


 明の方を振り向くと、変な事を聞くんだな。と怪訝な顔をするが、すぐに料理を再開した。焼き鮭と味噌汁の美味しそうな香りが漂ってきて、明のお腹を刺激する。


「関係というか。単純に好きだったな。あの場所が。ほら、母さんは玄田中の出身だろ。昔からあの神社が好きだったみたいだぞ」


「母さんはって、父さんもじゃねぇか」


 言い回しに違和感をもった明だったが、父は「そうだった。そうだった」と軽く流し、鮭の焼け具合を確かめてお皿に盛っていく。


「明だって母さんと一緒に何度か行っただろう。覚えてないのか? もう大きかっただろうに」


 テーブルに美味しそうに焼けた鮭が並ぶ。父の呆れたような口調に「はは。そうだったけ」と誤魔化して、明はご飯をよそうために立ち上がった。


 そもそもあの神社は、明が小学生の時によく遊んでいた場所の一つである。しかも、中学生になってからも大掃除の区域になぜか神社も入っていたため時々訪れていた。


 そのため、元々が忘れっぽい性格であることも手伝い、何とか思い出そうとしても他の様々な記憶と混ざり合ってしまいあやふやになってしまう。何かが喉に引っ掛かっているようで気持ち悪いのだが、どうしても思い出せない。


「……まぁいいか。どうせ夢だ」


 そう呟いてご飯ジャーを必要以上に勢いよく閉じる。墓参りをしたばかりだし、こういうこともあるのだろう。意外と自分は繊細なようだからな。と自虐して明は無理やり納得することにした。





 黒板の表面を真っ白なチョークが軽快な音で動き回る。時計の針は九時十五分を指しており、もうすぐ一時間目も終わる。


「ここは非常に間違いが多かったところだ。よく聞くように。いいか、この“あからさまなり”は、形容動詞で“本の少し”という意味になる。現代語でも使用されるが、その場合の“あからさま”は“かくさず、ありのまま”などの意味となっているので注意が必要だ。元々の語源は……」


 先月末に実施された期末テストの問題を片手に説明をしているのは、二年B組の担任でもあり国語教諭でもある矢野貴子だ。その凛とした立ち振る舞い、怒った時の有無を言わせぬ迫力、そして厳しさの中に見え隠れする包容力。それら全てが相まって、生徒からはゴッドファーザーと呼ばれ恐れられている。


「は~ぁぁぁ」


 そんな誰もが緊張する授業の最中に、気の抜けたようなため息をつくつわものが一人。明は窓の外をぼうっと見つめていた。


 ……母さんが話しかけていたあの子ども。あれ誰だったんだ? 結局顔も見れなかったし。俺の夢だってのに聞きとれもしねぇし。っていうか、何でそんなに気になるんだ。ただの夢じゃねぇか。それに普通に考えて俺か紅葉だろ。いや。でも……


 頭を突っ伏して、何回も額を机にぶつける。周りのクラスメイトは、ハラハラしつつその挙動を見つめているが明はお構いなしだ。遂には机に突っ伏したまま両手で頭をわしわしとかき始め、


「っだー!! わかんねー!!!」


 声に出して叫んだ。そして、その瞬間のクラスメイトたちの動きは速かった。全員が教科書を立てると、その陰に隠れようとなるべく身体を縮こまらせ、教壇から歩いてくるボスのために、机を横へずらしていく。


 カツカツと黒板を走るチョークにも負けないほどの軽やかな足取りが、明の机の前で止まる。これまで何度も味わったことのある頭上から降りかかるプレッシャーで、ようやく今が授業中であったことを思い出した。


「なるほど。私の説明がそんなに分かりにくいか。確かに教師として私の教え方が悪ければ、謝らねばならんだろう……しかしだ。今のはどう見ても下鴨の態度が、授業を受けるものとして不適切だった上に、他の授業を受けている者たちに対しても迷惑な行為だったように思うが、どうだ。異論はあるか?」


 し、身体が縮む……! 潰れたヒキガエルのような気持ちになりながら何とか声を絞り出した。


「……ありません」


「そうか。素直に認めたところは評価しよう。よって、古典、現代文の課題プリント十枚で手を打ってやる。期間はそうだな。来週の火曜日でどうだ? 三連休もあるし余裕だろう。異存はないな?」


「もちろんです。ボス」


「……二枚追加だ! 昼休みに職員室へ取りに来い」


 せめてもの意趣返しにと、余計な言葉を付けたのが本当に余計だった。プリントを二枚追加された揚句、拳骨で後頭部を殴られる。


 それは、あんまりだ! と反論しようとしたが、今にも噛みつかれそうな瞳で睨みつけられてしまい、渋々承諾した。それからすぐ授業終了のベルが鳴り、矢野教諭は「昼休みだ。すぐに来い」とだけ言い残して、颯爽と教室から出て行く。それを見送って、早速からかいにきた猛を本当に噛みつくことで撃退した。





 明は肩を弾ませながら屋上への階段を一つ飛ばしで駈け上がっていく。矢野教諭から罰課題のプリントを受け取り、一階にある職員室から四階の屋上へと向かっている途中だ。


「すまん! 遅くなっちまった。待ったか?」


「いいえ。待ってないですよ。そのプリントどうしたんですか?」


 屋上に入ると、ドアのすぐ横、日陰になった場所で楓さんが座っていた。矢野教諭とのことを説明すると楽しそうに笑い、明は不服そうに口をとがらせるがすぐに笑顔になった。


 笑いが収まったところで「熱く無いか?」と聞いたら「そうでもないですよ」と返って来たので明も恐る恐る隣に座ってみる。明は数秒そのままじっとしていたが、すぐに腰を持ち上げた。


「いや熱いだろ! 尻が焼けるかと思ったぞ」


 立ち上がった明は、持っていたプリントでお尻に風を送る。大げさではあるが、それでもじっと座っておくには、真夏の屋上は熱をため込み過ぎていた。


「あれ。そうですか? 日陰になってるし、大丈夫かなと思ったんですけど……」


 そう言って楓さんも立ちあがろうと横に流していた足を身体に寄せる。膝が真上に向いた拍子に少しスカート下にさがる。いつもよりも露出した白い太ももに、明は頬を染めて視線を空へと逸らした。


「なぁ、お前の感覚ってどうなってんだ? 飲み食いしねぇし、汗かかねぇのに熱いとかそういうのは分かるのか?」


 視線を逸らしたまま尋ねる。楓さんはお尻をパタパタとはたいて、真直ぐ背を伸ばした。


「んー。そうですね。正直言ってよくわかりません。ただ、生身の時より感覚は鈍いですね。あと、汗をかかないのも食事を必要としないのも多分代謝がないからだと思います」


「ふーん。代謝がねぇってことは体内に何かを入れてエネルギーをつくる必要ねぇってことか。便利だな」


 感心しながら答えると、楓さんは少し困ったような表情になる。明は空を見上げているので気がついていないが、その顔はどこか悲しそうだ。しかし、すぐにいつもの表情に戻ると、今度は何かを決心したようにキュッと唇を結び、ゆっくりと明へと腕を伸ばしていく。そして


「正解でーす。良い子ですね!」


 何を思ったのか、頭を撫で始めた。これが小さい子ども相手なら、「わーい。やったー!」で終わるかもしれない。


 しかし、相手は中学二年生男子である。十四歳といえばただでさえ大人扱いされたい時期であり、分不相応にプライドが高くなってしまう時期でもある。そんな微妙な年頃の男子が、いきなり小さい子どもを扱うような態度で、あまつさえ小学生でも分かるようなことを大げさに褒められたのだ。そんなことをされれば誰であっても恥ずかしいうえに、馬鹿にされていると勘違いして怒ってしまうだろう。


 もちろん明も例外でなく、むしろ普段からその言動を「バカだ。バカだ」と馬鹿にされているため、その反応は早かった。


「お前なぁ!」


 声を荒げて、頭に乗っている楓さんの手を掴む。そして、文句でも言ってやろうと引き寄せたところで固まった。


 目の前にいる楓さんは、驚きと恐怖で目を見開いている。いつものような、ふんわりとした表情はそこにはない。


 明の熱が冷水でも浴びせられたかのように引いていく。ほんの数秒前の和やかな雰囲気はどこにいったのか、強く握った腕が余りに華奢でそれを乱暴に握った自分が愚かしく思えてきて、途端に息苦しくなる。


「おい?」


「……」


 声をかけるが、楓さんは俯いて黙り込んでしまった。いつものように「空気読み間違えちゃいました」と言ってくれることを願うがその気配もまったくだ。むしろ身体が震えて、鼻をすすり始めている。


「おい。まだ怒ってねぇのに泣くなよ」


「泣いてません! ちょっとビックリしただけです!」


 泣きそうになっている女の子にかける声としては、甚だ不適切なことを口走る明だったが、それが功を成したのか楓さんが言い返してきた。まだ俯いているその声と肩は細くて震えていて……それを見つめていた明は、突然――ポンっと楓さんの頭に手を乗せる。


 反動で楓さんの瞳に溜まっていた涙がこぼれコンクリートに吸い込まれていく。不思議に思った楓さんは俯いていた顔を上げた。


「ほら。これでおあいこだろ。お前だって良い子だ。だから泣くな」


「……ぅ」


 楓さんの瞳から決壊したように涙が流れ始める。


「なっ! お前泣くなっていったばっかじゃねぇか! ほら泣くな!!」


「うぅ。ずるいですよぉ。何ですかそれぇ……あいこって。それに、何で明さんがそんな顔するんですかぁーー!」


「知るか! こういう顔なんだよ!!」


 何とか宥めようとする努力むなしく、楓さんの瞳からはいよいよもって大量の水滴がこぼれ出す。自分がどんな表情をしていたのかは知らないが、とりあえず貸すハンカチもなかったので、夏服の裾を差し出した。


 こいつ。遠慮ぐらいしろよな。明がそう思うほど豪快に制服の裾を使って楓さんは涙ぬぐう。やっと、涙が止まったかと思うと鼻を赤くした顔で口を開いた。


「すいません。私、甘えてました。明さん優しいからきっと何を言っても受け入れてくれるだろうと思って……」


「いや、こっちこそ悪かったな。本気で怒ってたわけじゃねぇんだ。普段男としかつるまねぇもんだから、ついいつもの調子でやっちまった。すまん」


「だから! 何で明さんがそんな、自分が悪いような顔するんですか!? 悪いのは私なんですから、明さんが……明さんにそんな顔されると悲しくなるじゃないですかぁ」


 地団太を踏みながら、楓さんは悔しいのか悲しいのかよく分からない表情で瞳を潤ませる。明は「もう勘弁してくれ」と苦笑しながら、もう一度楓さんの頭を優しく撫でた。


「ところで、さっきのは何だったんだ? まさか本当に馬鹿にしたわけじゃねぇんだろ?」


 努めて落ち着いた声で話しかけると、頬を染め下を向いていた楓さんは肩をビクッと震わせる。上目遣いに「話さないとダメですか?」と聞いてきたが、そこは譲らなかった。





「なんだそりゃ? お前どういう系のを漁ったんだ」


 珍しく呆れたような表情の明に、楓さんは申し訳なさそうに目を伏せた。


 土曜日のデートで楽しませてもらってばかりだったと反省した楓さんは、自分も明を楽しませようと決意した。


 その調査のために日曜日の午前中から、本屋が開くのを見計らって商品を保管している部屋に忍び込んだのだ。そして、人に見えないことをいいことに気になる本や雑誌を手当たり次第に読み漁ったらしい。結果、男はみんな幼児に返りたいという願望を抱いており、それを満たしてくれる女性を好むという話を見つけ、それを実行したというわけだ。


 当初の目的からは、かなりずれてしまっている気がしないでもないが楓さんにその自覚はないのだろう。本人が至って純粋な気持ちだったことは、その表情から察することができる。


「しかし、律義に開く時間守ってんのにやることが大雑把と言うか、大胆と言うか」


「うぅ。だって本好きなんです。あれも読みたい。これも読みたいってなったら自制がきかなくなっちゃって……」


 スカートを両手で掴み頬をふくらませる。その姿を見て、見た目は可愛いんだけどなぁ。と思いつつやれやれと首を振った。この幽霊は意外と大胆で、思ったより気が強い。楓さんの性格にそう付け加えた明であった。




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