七月八日~day 4~
七月八日日曜日。母の命日。時刻は午前十時十二分。本来なら母の御墓があるお寺へ到着しているはずの時間。下鴨一家三名を乗せた軽のミニバンは、家を出て十分ほど先の交差点で信号につかまっていた。
「あっ、ちょっと見て! いまあそこの本屋、自動ドアが勝手に開いたよ!!」
出発遅延の原因となった紅葉は、後ろの座席でトレードマークのツインテールを揺らしながら向かいの本屋を指さす。
「うるせーな。誰か近くでも通ったんだろ」
それに隣で座っている明が不機嫌な声で返事をした。
「ちょっと、いつまで怒ってんのよ! 私は育ち盛りなのよ。少しくらい寝坊したっていいじゃない!!」
「何が少しだ。九時半出発だってんのに、九時過ぎてもグースカ寝やがって。しかも、やっと起きたと思ったら、『女の子は準備に時間がかかるのよ!』だと、それならさっさと起きろってんだ。俺はこの後約束があるんだぞ」
チクチクと反論する。紅葉も己に非があることぐらいは分かっているので「む~。小姑みたい……」と頬をむくれさせるに止めている。
「あはは。まぁまぁ、喧嘩するなって。それに紅葉の可愛いとこ見れて、お父さんは嬉しいぞ~。母さんもきっと喜ぶぞ~」
父の言葉に紅葉は先月買ったばかりの服の裾をつまみ上げる。「そうかな~」と顔を綻ばせる姿は、確かにいつもより洒落ていた。しかし、その服装は洒落ているといっても、フリフリしたものやスカートではなく動きやすそうなパンツスタイルだ。墓に着けば掃除をすることを分かっているためだろうが、そこら辺を弁えて選んでくるところがなんとも紅葉らしい。
明は軽いため息をついてシートに身体を沈める。この年で小姑呼ばわりとは甚だ心外だが兄として言うべきことは伝えたし、紅葉がお洒落をしたがった理由も理解している。
これ以上は余計だな。そう思って窓の外を眺める。景色が面白いように流れて行った。
お寺に到着する。住職さんに挨拶を済ませ、早速掃除に取りかかった。
「それじゃぁ紅葉。ちょっと遠いけど、急がなくていいからこれに水を汲んできてくれるか?」
「了解! 大丈夫よ」
紅葉は父からバケツを受け取ると、そのまま水道があるところまで歩いてゆく。父は紅葉がある程度の距離まで進んだことを確認して、明へと語りかけた。
「なぁ明。進路のことなんだが。ちょっとだけいいか?」
「ここでか? 後じゃ駄目なのか?」
「何言ってんだ。ここだから良いんだろうが」
明は箒を動かす手を止めて、下鴨家之墓と掘られた墓石を見つめる。進級してすぐにあった五月の三者面談終わってからずっと、父の追及をのらりくらりとかわしてきたが、確かにここではそれもできそうにない。
「わかった。んで、何だよ。商業高校に行って、高卒で就職ってのがそんなに不満なのか?」
「別に不満なわけじゃない。ただ、その理由が父さんには納得できない。お前、うちの家計を心配してその進路選んだろ?」
「違げぇよ。俺は頭悪いからな。単に受かりやすい方を受けようと思っただけだ」
既に父の問いに対する心づもりはできていたのか、間髪いれずに即答する。箒を握る手に自然と力がこもる。
「それなら後一年以上ある。勉強したらいい。貴子ちゃんだって、明は勉強すればもっと伸びるって言ってたじゃないか。何も今から選択肢を狭くする必要はないと父さんは思う」
“貴子ちゃん”とは、明の担任である矢野貴子国語教諭のことで、中学生の時、母の同級生で父の後輩だったそうだ。そういった事情もあり、明のことを何かと気にかけてくれている。
「だから、俺は働きてぇんだよ。大学とか進む気もないのに普通科進んでどうすんだ」
吐き捨てるように答えると明は掃除を再開してしまう。土埃を頑なに見つめるその姿に父は困ったように眉根を寄せた。
明の気持など父は痛いほど分かっているのだろうし、明だって自分の考えが見透かされていることなど分かっている。しかし、それでも譲れない想いが二人にはあるのだろう。沈黙のまま互いに次の一手を探り合っているとバケツに水を汲んだ紅葉が戻ってきた。
「はー。重かったー。はい、お父さん。これどうしたらいいの?」
「んっ、あぁ。ありがとうな。雑巾で拭くから、墓石にかけてくれるか」
「うん。わかった! ほれ~」
紅葉は柄杓を掴むとお墓に向かって勢いよく水を飛ばした。
「あっ、ちょっ! 何すんだこのバカ!!」
「あはは! 気持ちいいでしょう~」
墓石から跳ね返った水に思わず身をのけ反らせる。そんな二人の姿を、父は憂いとも笑顔とも取れる複雑な表情で見つめている。その視線を受け止める明の表情は、相変わらず頑ななままであった。
墓参りも終わって昼食を近くのファミレスでとった三人は、会計を済ますと車に乗り込み駐車場を後にする。明はそのまま龍一と修二が待つ図書館前へと送ってもらい、父と紅葉は二人で買い物に行く予定だ。
「明も何か欲しいもんあるか? そろそろ服も新しいの買った方がいいだろ?」
「いや、まだ着れるからいらねぇ。それに今日はバレー合宿の買い物だろ? 余計な荷物は増やさない方がいいと思う。どうせ紅葉が余計なもん買うだろうからな」
「あっ、また小姑発言!」
すかさず噛みついてくる紅葉だったが、その表情は嬉しさを隠しきれていない。紅葉は小学校のバレークラブに入っていて、来週末の三連休に二泊三日の合宿に行くことになっている。合宿と称してはいるものの実際にはお楽しみ行事に近く、バレークラブに入った四年生の時から毎年楽しみにしていた。さらに今回は父も同伴者としてついて行くのだから、父と旅行をした経験が少ない紅葉にとっては、楽しみで仕方ない。
「じゃぁ、八時には帰るから、夕飯取っといてくれな」
図書館に着くとそう言って車のドアを閉める。車内の二人は了解と手を振って応え、図書館から離れて行った。
市立図書館は市役所の敷地内に併設されている赤茶色したレンガ模様の建物だ。一階には市民も使用できる大小さまざまな部屋とレストランが設置されており、二階が全て図書室となっている。一応三階まであるのだが、関係者以外立ち入り禁止だ。
予定よりも三十分以上は遅れている。小走りで入口へ向かうと扉を押し開ける。そして、そのままの勢いで目の前の階段を駆け上っていった。
「すまん! 遅くなっちまった待った」
カウンター正面左。新聞コーナーに設置されている新聞閲覧専用の机に座っていた二人に近づくと手を合わせた。
「ん? 着いたのか。まぁ、気にするな。もっとゆっくりしてきても良かったんだぞ」
「そうだよ~。昔の新聞見てるのも結構楽しいし、僕らのことは気にしなくてよかったのに」
龍一と修二は申し訳なさそうに謝る明に、事もなげに答えた。
「そういうわけもいかねぇだろ。で、これを見たらいいのか?」
二人の間には青いバインダーに綴じられた新聞が数十冊分ほど積んである。明が手にとって、確かめると中に挟まっているのは全て県内の事柄について書かれた新聞だった。
「これ、他の奴も全部県内の新聞か?」
「そうだ。全国紙も考えたが、記事の量が多すぎる。それに比べて県内新聞は記事の量も少なく、地元に密着した記事が多い。楓さんの件も書かれているとしたら、こちらの方が可能性は高いだろう」
明は感心したように頷いていたが、何かに気がついたように小さく声を上げる。
「どうしたの?」
「いや、今さらだけどよ。ネットで調べれば早かったんじゃねぇのかなって……」
「えっ、それなら調べたよ」
修二が当たり前じゃないかと言う顔で答える。ついでに「大丈夫」と尋ねられたが、もちろん明の頭は正常だ。
「はぁ。そんなこと、一番先にやったに決まっているだろう。まさか、今さらそんなことを聞かれるとは思わなかったぞ」
「うるせー。ちょっとした勘違いだ。それで、何か見つかったのか?」
「それなら、俺たちは新聞調べてないと思うなー」
「ぐっ、確かに……」
悔しそうに唇を突き出す。同じ中学二年生なのにどうしてこうも違うのか。明は気にしても仕方がないことだと理解しつつもやや乱暴に青いバインダーを掴かんだ。
「ぐあ~。疲れた。新聞読むのがあんなに疲れるなんて」
「まぁ、文字も細かいし仕方あるまい。それより、閉館まで粘って何も見つからなかったことの方が俺としてはショックだな」
「あっ、でも。あの神社が縁結びの神様だって知れたことは面白かったかなぁ。意外と楓さんがあそこに住んでるのもそれが関係あるのかも」
三人が話している場所は静かな図書館から変わって洋楽の流れる近くのハンバーガー店だ。
図書館が閉館する七時まで粘った三人だったが、望んだ情報を得ることができずここでお疲れ様会を開いているところだった。といっても、今日確認できたのはせいぜい過去十年分というところだろうが。
「とにかく、闇雲に探しても仕方ないね」
疲れ切った顔の二人とは違い、いつも通りニコニコした表情で修二が口を開く。
「たしかにな。せめて楓さんの噂がいつ頃から存在するのかぐらいは絞らないと、時間ばかり喰ってしまう。やはり、過去の学校新聞なんかを探した方がいいかもしれん」
「げっ、また新聞かよ」
同意した龍一の提案に明はげんなりした表情になるが、元は自分が言い出したことだから仕方ないと思い直す。それより問題は別にある。
「でもよ。学校新聞つっても、新聞部は去年廃部になってんじゃねぇか。何十年も前のやつなんて残ってんのか?」
「あっ、それは大丈夫だと思う。生徒が発行したものは全て生徒会の倉庫に直してあるはずだからね。明日、鈴香に頼んでみるよ」
「……橘にか? あいつに借りを作るのは正直気が進まんが」
よく知ってんなー。と感心した明とは対照的に龍一が苦虫を潰したような顔になる。
二年F組、橘鈴香。現生徒会書記であり時期生徒会長筆頭候補、ポニーテールと勝気な瞳がチャームポイントな彼女は玄田中で一位、二位を争う美少女である。しかも、学年でトップレベルの頭脳を持つというかなりハイスペックな人物であり、修二の恋人だ。
いつもニコニコしているぐらいしか取り柄がないと他のクラスメイトから評される修二と漫画に出てきそうなほどのハイスペックさを誇る橘鈴香が付き合った理由は謎とされており、明たちですら詳しくは知らない。
「あはは。そんなに毛嫌いしないでやってよ。鈴香のやつ負けず嫌いだから。テストの成績でいつも龍一に負けるのが悔しいんだよ」
「別に毛嫌いしているわけではない。向こうがやたらと突っかかってくるだけだ」
龍一はムスッとした顔でハンバーガーにかぶりつく。余りに勢いよく喰いついたため、ソースが下から零れているが、それを気にする様子もない。
「そういえば、修二。最近、橘との調子はどうだ? 上手くやってんのか?」
何気なく尋ねる。話の流れから何となく気になっただけで、明に特に他意はなかったのだが、
「…………」
修二は肩に石でも乗ってきたかのように一気に机へに沈んでしまった。ギョッとする二人。
「どっ、どうした?」
「えっ、聞いちゃいけねぇことだったか? すまん! 無理に答えなくていいんだ」
「……いや、いいんだ。むしろちょっと聞いて欲しいくらい」
ゆっくりと顔を上げた修二の表情は、やはり笑っているように見えるもののどこか暗い。その修二らしからぬ有様が、悩みの深さを二人に感じさせた。
「実は最近さ。鈴香のやつ何かに悩んでるみたいなんだよ」
「悩み? あの橘がか? 想像できねぇな」
思わず本音を滑らせた明を龍一が窘める。
「バカ。橘みたいに何でもできるタイプの奴ほど、一度悩み始めるとやっかいなんだ。どうせ修二に対しても、自分で解決するとか言って何も話さないのだろう?」
「というか悩んでいること自体隠そうとするんだ。本人は気づかれてないつもりだと思うんだけど、会話してる時とか上の空のことが多いし、時々深刻な顔してる時もあるし。それに……」
言葉が途切れる。これから先を伝えるか迷っているようだが、二人の視線に促されて躊躇いがちに口を開く。
「ここ二週間くらいどこかに通ってるみたいなんだ。ほぼ毎日。本人は生徒会の用事だって言ってるけど、中学の生徒会で外に行く用事がそうそうあると思えないし。姉さんに相談したら『 待ってやるのも男の度量よ』とか言われちゃって……」
「お手上げだよ」そう言って天井に向けて両手を放り投げた。
「まぁ、お姉さんの肩を持つわけじゃないが、橘はしっかりしてるからな。変な事にだけはなっていないと思うぞ。そこら辺はお前が一番分かっているだろう?」
「まぁ、そうなんだけどね」
珍しく優しい声と表情で語りかける龍一に、力なくうなだれる修二。明はそんな二人のやり取りを見て、付き合うって大変だなー。などと外野気分を味わいつつ味の薄くなったコーラを啜る。壁にある時計へと目を向けると時刻は八時を回っており、外の景色ももう暗くなっていた。
「あー! やべぇ! 帰らねぇと!」
急いで立ちあがった明は、まだ話し込んでいる二人へ礼を伝える。龍一が何かを言いたそうに口を開きかけたものの結局は口を噤んでしまい、明はそのままドタバタと帰ってしまった。
帰宅した明は、「おそ~い! ご飯待ってたんだから!!」と朝の仕返しと言わんばかりに文句を言ってくる紅葉の相手をしながら食事を済ませ、その後は、食事の後片付けを手伝い、風呂に入って、今は部屋で小説の続きを読んでいるところだった。
「……っ」
眉を顰めたまま本を閉じ、机の上に置いてある鞄の中へと直す。大分集中していたらしい。時計を確かめると十二時を回っていた。そのまま電気を消すとベッドに倒れ込む。
激しく脈打つ心臓を押えるために深く息をする。瞳を閉じると、楓さんと初めて会った時のことを思い出した。
そろそろ序盤が終わったので、以前に投稿したものを纏めて改稿しました。さて、次から中盤へと入っていきます。二十話以内に収めたいな~(゜_゜)収まるかな~。
というか、ヒロインの影が薄い……エアヒロインになってしまいそうだ。頑張れ楓さん!!お前もっとできる子なんだ!!
ということで、次の更新は再来週辺りになります。たぶん。それではでは~。