表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私を成仏させないで!  作者: いばらぎとちぎ
3/26

七月五日~day 1-③~

 閑静な住宅地を駆ける影が一つ。握った鞄を揺らしながら走るその姿は、まるで何かに追われているようにも見える。


「たっ、ただいまー」


 影の主下鴨明は、どこにでもありそうな建売りの家の前に立つと急いでドアを開けた。


 「あっ、おかえりお兄ちゃん。遅かったねーって、どうしたのそんな汗だくで?」


 ドアを開けるとそこには、妹である紅葉もみじが立っていた。


 「いや。ちょっとランニングを始めようかなと……」


 肩から力が抜ける。弾むように息をしつつ、時計に視線を移すと時刻はすでに夜八時を回ってしまっている。心の中で舌打ちをして居間へと向かった。


 「ただいま、母さん」


 居間の奥にある小さい仏壇の前で、いつもよりも長く手を合わせる。まだ、頭の整理がきちんとできていないが、今日は報告したいことがたくさんあった。


「って、お前またカレーかよ! 一度カレーを作ったら、三日はカレーを応用した料理になるって何度言えばわかんだよ」


 キッチンへ向かうと、テーブルの上には美味しそうに盛られ湯気を上げているカレーが二つ。別にカレーが嫌いなわけではないが、思わず口から出てしまったのには理由がある。

 

 小学校六年生に上がった妹の紅葉。彼女にもそろそろ夕食をまかせてはどうだと父が言ったのが一ヶ月くらい前のこと。母が五年前に他界した下鴨家では、会社員の父を助けるために家事は基本当番制でローテーションしているのだが、夕食だけは主に明の仕事だった。


 初めはめんどくさいと文句を垂れた紅葉だったが、「明だって来年は受験で忙しくなるんだから今のうちに覚えておきなさい」という一言で、しぶしぶ了解したのだった。


 結果、とりあえず先月の半ば辺りから週に一回くらいの割合で任せることになった。そしたら何を思ったのか、毎週カレーを出してきたのだ。当然一日で食べきれるはずもなく、残りの四日間を担当する明は、どのようにして余ったカレーを処理するのか悩まされる羽目になったのだ。 


「えー。いーじゃなーい! カレー美味しいんだから!」 


「そりゃそうだけど、考えてみろ。お前のおかげで、この一ヶ月間、週に四日はカレー何たらを食ってんだぞ。インド人か俺たちは!」 


 そう言って椅子に座ると、スプーンを動かし始める。むくれていた紅葉も、明が食べ始めると嬉しそうに見つめてきた。 


「……なんだよ?」 


「んふふー。でも、お兄ちゃんって何だかんだ言って食べてくれるよね」 


「味自体は上手くなってるからな。大したもんだ」 


「きゃー! デレた! それツンデレって言うんだよ。知ってた?」 


「うるせー! 黙って食えこの!」「えー、何よ、ほめたのに!」などと言い合いながら、兄と妹、二人だけの食卓は騒がしく過ぎていった。  





「たく、余計な事ばっか覚えやがって」


 食器を片づけた後、部屋に戻った明は携帯電話を開く。そして、発信履歴の一番上の番号を選択するとボタンを押した。数回、コール音が脳内で響いた後、落ち着いた声が聞こえてきた。 


「おっ、龍一か? 悪いなこんな時間に。あっ? 猛が反省してたって。んなわけあるかよ。明日になればまた懲りずにちょっかい出してくんだろうがあいつは」 


 電話の奥で龍一が笑う。そんな龍一に対してひとしきり猛に対する文句を言った後、明は本題に移った。 


「なぁ、龍一。お前、楓さんがなんでこの世に残ってんのか知ってるか?」


「それはまた藪から棒に。どうした?」


「いや、どうもしてねぇんだけどちょっと気になってな」


「……まぁいい。一応知っているが、あくまで噂だしどこまで合っているのかも分からんからな」


龍一は、そう断るとつらつらと楓さんについて話し始めた。





 楓さん。それが本名なのかさえ誰も知らない。楓の木の下に現れるから楓さん。とにかくこの幽霊には謎が多く、楓の木の下に現れる理由も、人と付き合おうとする理由も噂によって違う。ただ、楓さんの生前についてはどの噂も一致していた。


 彼女は生前、病弱で身体が弱かったらしい。中学校へ入学はしたもののめったに通えず、たまに行っても自分一人だけ浮いてしまう。それがつらくて、昼休みになると人の来ない神社でいつも泣いていた。


 入学からしばらくしたある日、いつものように楓の木の下で泣いていたところを、偶々訪れた二つ年上の先輩に声をかけられる。そうして意気投合した二人は、楓さんが登校した日の昼休みに楓の木の下で毎回会うようになったそうだ。その後はありがちな話で、初めて家族以外の異性に優しくされた楓さんは、段々先輩のことが好きになり、彼に会うためだけに学校にも頑張って通うようになる。


 そして二人の関係が始まって数か月経ち、楓さんはいよいよ先輩への恋心を押さえておけなくなる。自分は身体も弱いし、綺麗でも無い、断られるかもしれない、困らせるかもしれない、それでもこの気持ちだけは伝えたい。そう思った楓さんは七月七日、七夕の日に告白することを決心する。


 そして当日。朝から体調が悪かった楓さんは、思いを伝えたい一念で両親の反対を押し切って学校へとやってくる。


~夕方の六時半にいつもの楓の木の下で待っています~


 先輩の靴箱にそれだけ書いた手紙を入れて、その時間までやきもきしながら授業を受ける。身体はしんどかったが、先輩のことを考えることで何とか耐え抜けた。


 そして、約束の時間。楓の木の下に現れた楓さんは、肩を落とした。


――まだ、来てないのね


 木の下には誰もいない。待つことにしたが、五分経っても、十分経っても、誰も来なかった。その内、空も段々曇ってきて、遂には雨も降りだした。いつも待ち合わせに遅れることのない先輩がいつまで経っても来ない。ようやく自分がふられたのだと気がついた楓さんは、とぼとぼと家に帰ろうとして、


――えっ?


 その場に倒れた。体調が悪かったところを無理したせいだろう。その上、雨に打たれて体力を奪われた楓さんは、もう動くことすら出来なくなっていたんだ。そして、倒れた彼女は長時間雨に打たれ続け、発見された時にはすでにこと切れていたらしい。





「……じゃぁ、あの楓さんが現れる時間帯って」


「あぁ、先輩を待っていた時間帯のことだろうな」


 明は思わず唇を噛みしめる。力一杯握りしめた携帯電話がギリギリと音を立てた。


「楓さんの目的だが、死んだ理由が理由だ。まだその先輩のことを待っている説と、先輩を恨んだ楓さんが手当たり次第男に復讐している説の二つがある。まぁ、『付き合って下さい』とお願いすると付き合ってくれるという噂から考えるに、後者の方があってるような気がするが、ただ…………明?」


「あっ、いや、すまん……」


 黙りこんでいる明を不審に思った龍一が声をかける。明はそれに答えるものの、また無言の時間が数秒続き、龍一が軽くため息をついた。


「まぁ、あれだ。よくわからんが何かあれば相談しろよ。どうせすぐにばれるんだからな」


「うるせーよ! でも、ありがとな」


 笑いながらそう伝え電話を切った。


「くそっ。なんだこのもやもやは……!」


 携帯電話をベッドに放り投げ、そのまま大の字になる。最近干したばかりの布団が身体を包み、太陽の香りが胸一杯に広がった。


「病気か。まだやりたいこととか沢山あったんだろうな……」


 胸にたまった空気をゆっくり吐きだす。香りに刺激されて、脳裏に昔の光景が思い浮かんできた。


 白い部屋、白いカーテン、白い台の上には小学校で育てた向日葵の花が一輪、花瓶に刺さった状態で、白いベッドに横たわっている世界で一番好きだった人を見降ろしていた。


 ベッドの横にあった器械が何かを知らせるような甲高い音を鳴らして、お医者さんが何かを確認して首を横に振る。父が声を押し殺すように無言で涙を流して、紅葉が良く分からない顔をしていて、自分はどうしていいかわからなくて、とりあえず近寄ってみたら、いつも通り太陽の香りがするのに、いつものように笑顔で頭を撫でてはくれなくて……それがどうしようもなく悲しくて、不安で、段々涙が目から溢れてきた。


 二人だけの約束。


「あっくん。お父さんのこと助けてあげて、それと紅葉のこと守ってあげてね……最後に、男の子なんだからあんまり泣いちゃだめよ。好きな子ができた時に笑われちゃうわよ?」


 そう微笑んだ母に、自分は確かに「うん」と答えたはずなのに、指切りもしたのに、それすらも守れずに涙を流してしまったことが恥ずかしくて、情けなくて余計に大声出して泣いた……五年前の夏。


「くそっ、恥ずかしいこと思い出しちまった。あんな話聞いたからだ。ったく」


 自分が望んで聞いたことにも関わらず、不貞腐れながらゴロンと窓の方へ転がる。その悪態は一体誰に対してなのか。


 見上げた夜空は、雲が多くお世辞にも綺麗だとはいえない。


「あいつ。本当においてきて大丈夫だったのか……明日きちんと屋上に来れるんだろうな」


 一時間ほど前、突然現れた幽霊のことを思い出した。



****



「呪っちゃいます」


  花の咲いたような笑顔。まさにそう形容するに相応しい顔で発せられた衝撃的な言葉に、明は今さらながら激しく動揺する。先ほどまでの落ち着きが嘘のように、頭の中で“呪い”という言葉が縦横無尽に駆け巡り、思考を乱していく。


 小さく呻く。呪われることはもちろんごめんだが、幽霊と付き合うことだって同じくらいお断りしたい。究極の二者択一、額を大粒の汗が濡らしていく。それは決して暑さから発生したものではない。


 どうするか……とりあえず答えをださねぇと。


  長い沈黙が続き、決意する。緊張で硬くなった唇を気合いで吊り上げ、なんとか余裕の表情を作る。


そして――


「……冗談です。呪ったりしません。調子にのっちゃいました」


 申し訳なさそうな顔をして、楓さんは深々と頭を下げた。面食らう明。


「えっ、冗談って? 冗談ってこと?」


 目が点になって同じ言葉を繰り返す。楓さんは頭を上げると、無言で頷いた。


「はい。呪うって噂がありますけど。そんな酷いことしません。告白されてすごい嬉しかったし、こうして普通に人と話すのも久しぶりだったから……悪のりが過ぎてしまいました」


 その言葉に唖然として「そうか」とだけ呟き返す。本来なら怒鳴り散らすところだろうが、感情が状況に追いついてくれない。ただ楓さんが嘘をついていないことだけは何となくだが伝わってきた。


「……お前さ。俺が断ったらどうなるんだ?」


 自分でも何故こんなことを聞くのか理解せぬまま問いかける。楓さんは、一瞬動揺したようにも見えたが、


「消えます。迷惑はかけないので安心して下さい」


 今までとは打って変わって、感情がない顔で短くハッキリと答えた。暗くなった神社に生温かい風が吹き、楓の大木がそれに応えるように音を奏でる。申し訳程度に設置されている街灯に照らされた楓さんの肌は、まさにこの世のものとは思えない白さだった。


「そうか。なら付き合うか」


 何でもないことのように、自然に言葉が出てきた。自分で言っておきながら少し驚いたが、それも目の前にいる楓さんほどではないだろう。その双眸そうぼうは大きく見開かれており、何がどう転んで今の発言につながったのか、聞き間違いではないか、驚きと困惑の感情が見てとれる。


「だから、付き合おうって言ってんだよ。俺は例え相手が幽霊だろうが、きちんと責任は取る」


 今度は自分の意思を込めて、しっかりと告げる。


「それに、呼び出しちまったのは俺だ。むしろ迷惑かけちまった方だし。何より、お前は俺に危害を加える気はない。そうだな?」


「はっ、はい。絶対加えません!」


 目を丸くしたまま、楓さんは首を縦に動かす。


「そうか。なら問題ねぇな。それともやっぱ俺じゃ駄目か?」


 今度は、黙って顔を左右に振る。


「おっし! ならオーケーだな。とりあえず、今日はもう遅いし、続きは明日でいいな。というか、お前住むとこあんのか?」


「あっ、えっと、私はこの楓の木に住んでる幽霊ですから。寝泊まりはここでできます。細かいことは……そうだ! 明日の昼休み! 学校の屋上でどうでしょうか!」


 驚きのあまり理解が追いついていなかった楓さんも、明が本気だと分かると途端に表情が明るくなる。明はその提案に同意すると、紅葉を一人で留守番させていることもあって足早に帰宅した。


 階段を下りていく明のことを、笑顔で見送っていた楓さんの姿が妙に気になった。



****



「……早まったか。俺」


 天井を見上げる。頭の片隅には楓さんの笑顔が貼りついていた。自然とため息がでる。


 思い立ったらすぐに行動に移してしまう自分の性格は、嫌いではない。ただし、今回ばかりはそれが吉と出るか凶と出るか全く予測できなかった。


 何故あのタイミングで、あんなことを聞いて、あまつさえ付き合うことを了承してしまったのか?


「まぁ、いいか。悪さはしねぇっていってんだし。結構いい奴そうだったしな」


 大きく背伸びをして、一気に脱力する。「消えます」と言い放った楓さんを何故か放っておけなかった。その感情が何なのか……戸惑いつつも、了承してしまったものは仕方ない! と、持ち前の単純さで即効割りきってしまう。


 それよりも、これからのことを考えた方が余程自分らしい。そう思った。


 唸りながらもう一度楓さんのことを思い出す。第一印象では、顔は可愛い方、性格は良いと思う、そして身体つきは……


「って、違うだろ。たしかにめっちゃ柔らかかったけど……」


 頬を赤く染めつつ、頭を振って煩悩を振り払う。昔から紅葉の読む少女漫画や恋愛小説を借りて読んでいるせいか、実は純愛に憧れていた。しかし、当然問題はそこではない。今考えるべきことは、楓さんの過去を知った上で、これからどう関わっていくのか。そこだった。


「とりあえず何かしてやりたいとは思うけどな……でも、何すりゃいいんだ。というか、そもそも楓さんをどうしたいんだ俺は……」


 ダラダラと考えるがあまり良い案は浮かばない。頭をガシガシと掻いていると、ドアをノックする音と寸分違わぬタイミングで紅葉が入ってきた。間違いなく開けながらノックしている。


 しかしそれもいつものことである。紅葉はスタスタと一直線にベッドへと近づき、明に向かって手を差し出した。


「お兄ちゃん。一週間前に貸した小説まだ読んでる? 友達に貸したいから、そろそろ返してほしいんだけど。ほら、『柳の木の下で』ってやつ」


 思考が数秒止まる。そういえば、そんなタイトルの本を借りた記憶が確かにあった。


「あぁ、あれか。ちょっと待てよ」


 たしか、数ページ目を通しただけで飽きてしまい、本棚に直しておいたはずだ。ベッドから降りた明は本棚の前に腰を下ろすと、背表紙を右から順番に指でなぞっていく。


 そして、棚の二段目に来たぐらいで軽快に背表紙を滑っていた指が不意に止まった。目的の本が見つかったからではない。閃いたからだ。


「なぁ、紅葉。これの内容ってさ、どんなだった?」


「えっ、内容? 読んでないならネタばれになっちゃうけどいいの?」


「いや、粗筋ならわかってんだけど、確認してぇんだ」


 いつもの明らしからぬ真剣な声に、紅葉は不審そうに瞳を細めつつも説明する。


「まぁ、簡単に言えば、高校の校庭にある柳の木の下に出るって噂の女子の幽霊と、その幽霊のことを好きになってしまった男子高校生のラブストーリーよね。好きになった幽霊に喜んでもらうために主人公がとにかく頑張るの。そこまで珍しい話じゃないと思うけど、どうしたの?」


 明は無言で紅葉に近づくと、その両手を強く握った。


「ちょっ、痛い! どうしたのよ!」


「それだ、紅葉! ちょっとこれまだ貸しといてくれ!」


 喜びのあまり、手を掴んだまま縦に振りまわす明に、怒りのローキックが入る。


「もう! 意味分かんない! 明日の朝ご飯お兄ちゃんつくってよね! ご飯と何か一品!!」


 言い放つと肩を怒らせて部屋を出て行ってしまった。本を置いて行ってくれたことを鑑みるに、朝食をつくる代わりに延滞させてくれるということだろう。


「いてぇな、この。すぐ沸騰しやがって。誰に似やがったんだ。でもこれで、楓さん対策のための重要な参考書が手に入ったぞ!」


 とにかく良い本が手に入ったと、左足を押さえながらも大喜びする。しかし、そもそも楓さんをどうしたいのかについて考えがまとまっていなかったため、結局、今夜一晩頭を悩ませることになったのだった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ