楓の木の下で
梅雨のようなじくじくとした心の日々を乗り切り、夏休みが始まって、半月ほど過ぎた。蝉は今こそ鳴き時だと心得ているように高らかに鳴き、空も相変わらず分厚い雲がプカプカと漂っている。
明は普段よりも洒落た服装で神社の西側石階段の一番下に座り、夏休みに入る前の出来事を思い出していた。何度思い出しても、あの体験はただの夢だったんじゃないかと思える。
あの日、花楓が神社で消えてしまった日、玄田市立病院に運ばれた明は謎の意識不明状態で二日間寝たきりだった。
そんな明が目を覚ました時に一番に目に入ったのは、心の底から安心した顔をした正と紅葉の二人だった。もうその時のことをあまり覚えていない明だったが、大丈夫かと肩を掴んだ正に、開口一番
「母さんって、辛口だったんだな」
と言ってまた眠ったらしい。
後にその真偽を尋ねてみると、「そういう時期もあったんだ」と正は苦笑いをし、紅葉は隣でキョトンとしていた。いつか詳しく聞かれるだろうが、それまでは自分の胸にそっと秘めておくことにした。
ちなみに、明を見つけて救急車を呼んでくれたのは翔太だった。神社に行っていつまでも戻ってこない明を心配して様子を見に来てくれたのだ。自分だってずぶ濡れだったたのに……御礼を言うと「一応借りがあるからな!」と頬を染めていた。
そして、龍一、猛、修二の三人と鈴香が退院するまでの一週間、毎日お見舞いに来てくれた。間接的とはいえ花楓との仲を取り持ってくれたのは鈴香であったため、明が改めて御礼を言うと、不思議そうな顔をされた。無理もないだろう。
退院してもうすぐ十日ほど。終業式も出られずに始まった夏休みだったが、それでもやはり休みとはいいものだ。
クアッと欠伸をして腕時計を見た。少し時間を過ぎているが、そろそろ来る頃だろう。
「んっ、来たか」
立ち上がる。階段の脇に、シルバーの車が止まった。中から出てきたのは可愛らしい水色のワンピースをきた花楓だった。
明は近づくと運転していた母親に頭を下げる。メガネの奥の人懐っこそうな瞳が笑い、ひらひらと手を振った。
花楓はドアを開けると、まだ慣れない感じでモタモタと車から出てきた。
「すいません、待たせちゃいました?」
「大丈夫だよ。それより、階段は大丈夫か?」
花楓が頷く。その左手には松葉づえが握られていた。
「はい。いっぱい練習しましたから」
「そうか、でも何かあったらすぐに俺に掴まるんだぞ」
そう言って右隣りに立つと、一緒に石階段を登り始めた。
花楓は明よりも一日早くに目を覚ましていたらしい。ただ、二人が会えたのはそれから一週間後だったし、花楓が生きていると聞いたのも、会えた当日だった。すぐに会えなかった理由は、互いの体調だ。特に意識不明状態が長かった花楓は精密検査やらなんやらで、大変だったみたいだし、目が覚めたからといってすぐに普通の生活に戻れるわけでもない。それは明も同じだった。無論、症状ははるかに軽かったが。
そして明が退院する日、花楓のことを教えてくれたのは友人三人だ。その時のことは忘れることができない。明の号泣だった。
明は花楓が生きていることは確信していた。そのため三人が話しを始めた時は比較的に冷静だった。あまりの冷静さに驚かせようと思っていた三人も拍子抜けしたほどだ。しかし、いざ会う段階になり彼女の病室に近づいていくごとに、色々な焦りや不安が噴き出して来た。
そう、明はまだ彼女に謝ってなかったのだ。怒っていたらどうしよう。しかし、そんな臆病風は身を縮こまらせて潜ったドアの先で見事に吹き飛んだ。
周りに積まれた絵本や本、そして、白いベッドの上でこちらを見つめる彼女の姿。幽霊の時よりも、少しだけほっそりとしてるが、夢で見たときよりも血色はいい。
花楓はうっすらと涙を溜めたまま、
「あははは、ありがとう明くん。ずっと傍にいてくれて、おかで私、生きてます」
と、明の良く知る顔で――いや、今まで見た最高の笑顔で微笑んだ。その後は、明が号泣し、花楓は泣き笑いをし、事情を全く知らない鈴香は唖然とした表情で二人を見つめ、男三人はやれやれと満足げに見つめ合った。
「おっと、大丈夫か?」
「ありがとうございます。よいしょっと」
石階段の中段。少しバランスを崩した花楓を明がそっと支える。まだ階段が少し怖いのだろう。その顔は少し引きつっていた。
これは、明が退院して、花楓のお見舞いに行っている間に知った話しだ。
どうやら彼女の意識不明の原因は病気ではなかったらしい。その原因とは病院の階段を踏み外したこと。体調が悪くなってまたしばらく入院していた彼女は、気晴らしに登った屋上から帰る途中に足を踏み外した。強く頭を打ったようだが、外傷は特になく、何故意識も戻らないのか不明のまま、二週間以上も眠っていたとのことだ。その均衡が崩れたのが、彼女が神社で消えた日だった。脳波も心拍数も突然弱まり、もうダメかと思われたところで奇跡の蘇生。医者も、まったく訳が分からないとさじを投げたらしい。
まぁ、それについて明はあらかたの想像がついていた。話しても信じてもらえないだろうから花楓にしか話してない。あの時、少女の姿で現れた奏恵は、二人が繋がっているといった。明の生命エネルギーを花楓が吸い取っていると。つまりそういうことなのだ。
花楓もまさか自分の吸い取っている力が、そのまま自分のために使用されているとは思っていなかったらしく、明の話を聞いた時は驚いていた。単に自分が生霊になったから、そういう幽霊っぽいことが起こっていただけだと思っていたらしい。
「しかし、どうせなら全部直してくれりゃよかったのにな、神様も」
拝殿の前に立ち、花楓がお賽銭を出すのを待っていた明が笑った。
「いえいえ、充分奇跡ですから」
それが冗談だと分かっているので、花楓も笑って応える。
そう、起こった奇跡は謎の蘇生だけではなかったのである。なんと、花楓の心臓病がすっかり治っていたのだ。まるで、一度死んでから生まれ変わったかのように。これには、医者もさじどころか医師免許を投げ出そうかと思ったと答えたくらいだ。
しかし、それにはおまけがついていた。それが、左足の麻痺だ。頭を強打した影響だろうと言われているが、これも原因がハッキリしない。そして、原因がハッキリしないということは治しようがないということだ。ちなみにこれをおまけだと称したのは花楓自身だ。
「きっと神様が、私が調子に乗り過ぎないように与えてくれたんだと思います」
そう言った、彼女はとても満足そうだった。
拝んでいた頭を二人してあげる。思えば本当に不思議な出来事ばかりだった。明がぼうっと拝殿の奥にあるであろう、御神体を見つめていると、
「ちょっと、こっちに来て下さい」
花楓が手を引っ張った。
ついて行ったその先は、楓の大木。
「奏恵おばさんにも御礼を言わないと」
そう言って、花楓が木の幹に目をつむって身体を預けたので、明も同じように隣で身体を預けた。
ひんやりとして、ゴツゴツした木の幹から、大木の鼓動が伝わって来る。二人はこの楓の木を通じて繋がっていたのだ。
「こうしてると今でも明くんと繋がってるみたいです」
「うっ、ごほっ」
その言葉に明がむせた。まったく、突然とんでもないことを言うから困る。
明は真っ赤な顔で花楓を見つめた。
「花楓、好きだ。ずっと一緒にいよう」
「はい、よろしくお願いしますね」
片方の手を楓の幹につけ、余った手で互いの手を握った。
初めて重なった唇の暖かさは、きっといつまでも忘れることはないだろう。
緑の葉を茂らせた楓の大木が、さわさわと二人を祝福するように風に揺れる。
ここが、“幸福の楓神社”として語り継がれるようになるのは、そう遠くない日のことだ。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
未熟な作品でしたが、最後まで書き終えられてことを素直に嬉しく思います。長かった。
そして、明くん、花楓ちゃん、ともだちーズもありがとう。せっかく作った設定も力不足で活かせなかったよ……。でも、ありがとう。
それでは、これからも読んでいただける方に楽しんでもらえるような話を書きたいと思っていますので、どうぞごひいきに!
新作です。よければこちらもどうぞー。
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