七月十四日~day 10~
終盤です。今日で一気に最終話まで投稿します。
七月十四日土曜日。天気は快晴。まだ朝の八時を回ったばかりだというのに、動くだけで汗が滲むくらいには暑くなっていた。
「それじゃぁ、気をつけてな」
明が声をかける。正面では旅行バッグを手にした紅葉と父・正が、靴を履いているところだった。今日からの三連休、二人はバレー合宿のために留守になる。
三日間自由だ! 明は初めての一人生活に胸を躍らせた。隠しているつもりかもしれないが、口元が緩んでしまい隠しきれてない。
そんな明をじっと見つめる正。もう挨拶も注意も済ませたというのにまだ言いたりないことでもあるのか。
「いいか、明。好きになったのなら最後まで諦めるんじゃないぞ。その子のなにが好きだったのか、最初の気持ちを絶対に忘れるなよ」
「はぁ……?」
突然の物言いにしばし呆気にとられる。が、すぐに言葉の意味を飲み込むと隣で気まずそうにしている紅葉を睨みつけた。
紅葉はばつの悪そうな顔をして目を逸らしたものの結局知らぬ存ぜぬで通すことに決めたのか、そっぽを向いて口笛を吹き始めた。
「お前……」
片手で一瞬重くなった頭を支える。本当は頬をつねって怒鳴り飛ばしたいところだが仕方ない。出発も近いし、口止めまではしていないかった自分の迂闊さを反省することにした。
「父さんまで余計な心配しなくていいって。それより、早くしねぇと遅れるぞ」
とりあえずこれ以上の追及がこないことを優先させ、二人をさっさと出発させることにした。正が最後まで心配そうな顔をしていたが、何がそんなに気にかかるのか理解できなかった。
「……ったく」
居間のソファーにドカッと腰掛ける。
開け放された窓から入る風が心地よく大きく息を吸い込む。夏の空気を胸一杯に感じつつ、父の言葉をもう一度咀嚼してみることにしたが、
「……止めた。めんどくせぇ」
やはり止めることにする。
全身から力を抜いて、天井を見上げる。昨日から続くだるさのせいか段々眠くなってきた。ちらりと時計を確認する。楓さんと翔太が家に来るまで残り四時間ほど。
それまでひと眠りするか。そう思った明はゆっくりと瞳を閉じる。消えていく意識とは対照的に蝉の鳴き声がいつまでも頭の中に残っていた。
下鴨家の居間に甲高い呼び鈴の音が響く。眠っていた明は不機嫌そうに喉を鳴らすと、壁にかけている時計を見て目を見開いた。
「げっ、もう一時だと!」
一、二時間のつもりだったのにいつもの間にやら約束の時間になっていた。頭を振って意識を覚醒させる。
「おせーよ!」
「はいはい、悪かった……なって、お前だけか?」
急いで玄関を開くとそこには翔太が一人立っていた。一緒にいるはずの楓さんの姿がない。どうしたのか聞いてみると、楓さんは少しやることができたので遅れるそうだ。ここまでは地図を書いてもらい、それを頼りに来たらしい。
「ふーん、そうなのか。まっ、入れよ」
軽く返事をすると仲へ入るように促す。しかし、翔太はその声を無視するかのようにジトっと睨んできた。
「それだけか?」
「そうだけど」
首をかしげる様に、翔太の毛が逆立った。
「おかしいだろ! 楓姉ちゃんが遅れてくる理由とかきにならないのかよ!」
今にも噛みつきそうな勢いの翔太に、明は余計に困惑してしまう。
今日は何故か良く分からないことばかり聞かれる。
「つまり、楓の用事が何なのか聞けってことか?」
「違う! いや、そうだけど、そこじゃない!!」
「なぞなぞかよ!? 言っとくが俺はなぞなぞ得意じゃねぇんだ」
「そんなこと会った時から分かってる!」
「このクソガキ……」
意味の分からない言い合いに明が肩を落とす。一体何なのか。とりあえず、ここは自分が大人になってきちんと話しを整理してみることにした。
「あー、なんだ、つまりお前は何が言いたいんだ?」
「……お前は楓姉ちゃんのことが好きじゃないのか?」
「おい、話しが飛んだぞ」
「飛んでない! もういい!」
翔太は怒鳴ると靴を脱いで玄関へと上がる。明は眉を顰めていたが仕方ないとばかりにため息をつき、居間へと案内したのだった。
夕方の五時を過ぎた頃、居間にある足の低いテーブルとその周囲には色つきのペン、クレヨン、色紙の切れ端などが散乱していた。
よくもまぁ、ここまで散らかしたもんだ。同じテーブルの端っこで課題をしていた明は、ある意味感心しつつ視線を移した。
翔太と楓さんは息をのんで静かにあるものを見つめている。あるものとは、翔太の手に握られたA4サイズのスケッチブックのことだ。本来の表紙を外され、代わりに最初のページが物語のタイトルを書いた表紙へと変わっている。
「できたー。すげー! きちんと絵本になってる!」
「おめでとう! 翔太くん」
嬉しそうに顔を見合わせ万歳する二人。そんな二人に向けて明は惜しみなく拍手を送ることにする。お世辞にも上等だとは言えないが、それでも小学生の男子が作ったとは思えないほど良くできている。もちろん楓さんの協力あってこその話しではあるが、それでもよく頑張ったものだ。
「後は渡すだけだな。いつ渡すんだ?」
「明日! 明日の昼に渡す!!」
「そうか。頑張れよ。渡した後はきちんと反応を教えろよな」
生意気なところはあってもやはりまだ子どもだな。嬉しそうに笑う翔太につられて、明の表情も崩れた。のだが、
「はぁ!? なに言ってんだ、お前も楓姉ちゃんも一緒に行くんだよ。最後まで責任取れよな!」
前言撤回だ。やはり子どもだからと言ってこの生意気さは度し難い。明は頬を引き攣らせると、そのまま反論を試みる。
「お前こそなにいっ……」
「私たちも行っていいの?」
しかし、その反論も未遂に終わる。顔を輝かせた楓さんが割り込んできたのだ。協力した身としては、やはり妹の反応は気になるのだろう。とても嬉しそうだ。
翔太は鷹揚に「もちろん」と頷いた。
「ありがと! 嬉しいですね。明くん!!」
楓さんの笑顔が明に向かう。明は開けっ放しにしていた口を黙って閉じた。
気は進まないがまぁいいだろう。
「集合は?」
「お昼、三時に市立病院前!」
明日の予定が決まった。
夕暮れの土手。赤く染まり始めた夕陽に照らされた川面と、その両脇の傾斜に生えた草々がどこか郷愁を感じさせるような輝きを放っていた。
「まったく。なんなんだよ、あいつ。楓姉ちゃん一人に俺を送らせるなんて……」
突然、翔太が憮然とした態度で言い放つ。その隣では楓さんが川面から吹きつける涼しい風に黒髪を揺らしていた。
絵本も完成し、明日のことも決まったので、明の家をお暇した二人は仲好く土手を歩いるところだった。この土手を真直ぐと進んだ場所にある団地の一部屋が翔太の家だ。
「ごめんね。翔太くんは私一人だと嫌だった?」
楓さんが、首を傾けるようにして翔太の顔をのぞいた。
「なっ!? 違うよ!」
慌てて弁解しようとする翔太を見て楓さんは悪戯っぽく笑う。
反応が素直なところも明にそっくりでついつい意地悪してしまった。
「でも、仕方ないよ。明くん疲れてるんだもん」
楓さんが笑いかける。翔太は楓さんを見上げると今度は悲しそうな表情で俯いてしまった。明が疲れていることは翔太も知っている。その理由も原因も楓さんに聞いたからだ。
でも、それは……
「楓姉ちゃんだって一緒じゃないか……本当はこうしてるのだって辛いんだろ」
「…………」
呟くような言葉に楓さんの足が止まる。翔太は意を決したかのようにそのまま言葉を続けた。
「俺、あいつのこと嫌いだ……あいつ楓姉ちゃんのこと考えてるようで全然考えてないんだ。楓姉ちゃんが遅れてくるって言っても心配一つしないんだ。姉ちゃんが普通の人と違うって分かってるのに」
語気が荒くなる。
「信じらんねぇよ。さっきだって楓姉ちゃんがきつそうにしてても全然気がつかなかった。ずっと、隅っこで自分の宿題してただけじゃないか!」
「翔太くん」
名前を呼ばれて翔太が見上げる。楓さんはゆっくり顔を横に振ると
「それは明くんのせいじゃない」
優しく説き聞かせるように口を開いた。
「悪いのは私……ね?」
「そんな……そんなの」
楓さんは困ったように翔太の頭を撫でる。自分が見えるから嬉しくて色々話し過ぎてしまった。自分は楽になったが、その代わり分翔太に悲しい思いをさせてしまったことを申し訳なく思う。
しかし、これは本当に明の責任ではない。全ては本当のことを伝えられなかった自分の弱さゆえ……
何も知らない明を責めるのは余りにも酷というものだ。
ふと、瞳を空の方へと向ける。オレンジ色の夕陽が暖かい。後何回この暖かさを感じていられるのか……そのことを考えると涙が出そうになった。
二人を見送った明はのんびりとポットのお湯が湧くのを待っていた。目の前には北極でも凍らずに食べることが可能だとテレビで取りあげられたカップ麺が一つ。広いテーブルの上にポツンと立っていた。
ソファーに寝そべったまま欠伸を噛み殺す。雑な食事だが一人ならかまうまい。むしろ、カップ麺を夕食にすることなど滅多にないことだから心なしかワクワクするくらいだ。
明は身体を横に捻り、楓さんが座っていた場所をじっと見つめる。
「露骨過ぎたか……」
ぽつりと呟く。明自身、今日の楓さんに対する態度が素っ気なかったことは自覚していた。もちろん翔太からの厳しい視線も含めて、だ。
――お前は楓姉ちゃんが好きじゃないのか?
小さくため息をつく。
お湯が沸いたようだし、食事を取ってさっさと寝ることにしよう。
ソファーに沈めていた身体をだるそうに起こした。




