七月十日~day 6-②~
軽快なブザー音を立てバスの扉が開く。途端、ひぐらしの鳴く声が大きくなり冷房の利いた車内に焦がされた夏の空気が押し入ってきた。修二と猛は定期券を差し出し碌に確認もしない運転手の横を通り過ぎる。
猛がバスから顔を出すと、その場にいた女子高生らしき集団が小さく黄色い声を上げるが、慣れているのかそのまま無視して進んでいった。
二人はバス停近くのコーヒーショップに入る。全国展開している店でいつも学生やサラリーマンなどでごった返しているのだが、今日は空いていた。レジに向かい何語なのかよく分からない言葉を使ってサイズを指定すると、商品を受け取って窓際のテーブルに向かい合わせで座った。
「なぁ、さっきの明の態度どう思う?」
猛がホイップクリームを盛り過ぎて逆に飲み難くなったカフェモカをかき混ぜながら尋ねる。その表情はいつもの人を小馬鹿にしたものとは違い、本気で心配しているように見えた。
その姿に若干のおかしみを感じながら修二は口を開く。
「そうだなぁ。多分気づき始めたんだと思うよ。自分の気持ちと矛盾に」
「……余計な事言っちゃたかな。やっぱり」
猛がため息をついた。
「まぁ、時間の問題だった思うよ。心のどこかに予防線を張って自覚しないようにしてたみたいだけど、明は最初から楓さんに魅かれていたみたいだし。ばればれだったじゃない」
そう言うと修二は自分が頼んでいたアイスカフェラテに口をつける。コーヒー豆の香ばしい匂いと同時に、苦みと甘みが口に広がった。
「……しかし、さっきといい今といい、修二はよくもそうのんびりしてられるもんだね。自分は関係ないとか思ってんじゃないの?」
非難がましい目を修二へ向ける。
「ん~。そんなことないって。俺は糸目だから、感情が表に出にくいだけだよ」
苦笑いを浮かべて弁解すると、猛は「まぁ、わかってるけどさ」と呟いて今度はホイップクリームを潰し始めた。普段からは想像できない態度だ。
いつもこんなに素直ならもっといい相手が見つかるだろうに。と修二は思ったが、それは口に出さないでおく。
「あの様子だと明は恋人ごっこのつもりだったんだろうねぇ。楓さんが成仏するまでの仮の関係。それに楓さんは『恋する幽霊』だから自分のことを本気で好きなわけじゃないっていう二つの予防線を引いていたわけか……全く、都合のいい解釈しちゃってさ」
猛が顔を曇らせた。いつものように多いその一言が憂いを帯びている。
「まぁ、今日のことでそれが変だって気がつき始めるだろうし。楓さんや自分の気持ちを素直に認めさえすれば、真面目に向き合おうとするんじゃないかなぁ」
「その結果が、明自身つらい思いをするとしてもかい?」
修二が頷く。
「そこら辺を上手く誤魔化せないのが明だしね。むしろ今までが上手くいき過ぎてたんだ。変だなぁとは思ってたけど、それがまさか、本人の無自覚が原因だとはさすがに考えつかなかったなぁ」
「これからどうなるのかねぇ……」
「まぁ、とりあえず自分の気持ちを素直に認めるかどうか、かなぁ。きっかけはできたわけだし」
「強情だからね。あいつ」
「……」
「もっとさ、こう、はっきり言ってやればよかった?」
「それは、それで明の処理が追いつかないと思う。明が予防線張る原因って、きっと俺らが考えてるよりも根が深いと思うんだ」
二人はカップから手を離すと猛がため息混じりに口を開いた。
「……意外と繊細だよね。明」
「あれ、この前はそんなに柔じゃないとか言ってなかった?」
その言葉に、真面目に話してんだから茶化さないでよとでもいう風に猛が顔を顰める。普段人を茶化すことが多い分、自分がされるのには慣れていないらしい。修二は謝る代わりに肩をすくめた。
「でもまぁ。繊細だね。普段は強がってるけど、ビックリするぐらい人に気とか使うし」
「しばらく様子見……ってことかい」
「そうなるかなぁ」
「あのメガネの幼馴染はどうすると思う?」
「……そりゃ。怒ると思うなぁ。自分が一番心配してた展開になったわけだし」
顔を見合わせてため息をついいたその時、二人の携帯電話が同時に鳴った。
「おっと、噂をすればなんとやらだ。怖いメガネから連絡だよ」
「あはは。そりゃ見るのを躊躇っちゃう。明日から俺、ずっと鈴香の隣に居ようかなぁ」
二人はポケットから携帯電話を取り出すと、先ほどまでの真面目な雰囲気はどこにやったのか、急に軽口を言い始める。互いのセリフに苦笑し合いつつ、メールの受信フォルダを開いた。
そこには龍一らしい簡潔な文章で、今日の収穫が説明されていた。
~『柳の木の下で』の件だ。作者と話ができないかと出版社に尋ねてみたが無理だった。出身中学校についても同様だ。最近過激なファンも多いから個人情報一切を教えることはできない。の一点張りだったな。仕方がないので手紙を送ってみようと思う。返事が返ってくる保障もないが、何もしないよりましだろう。今後はとりあえずやれることから進めていくことにしよう。 龍一~
「こっちの方もしばらく様子見か」
猛の言葉に、修二が頷いた。
自宅に戻った明は夕食の準備をしながら大きくため息をついた。猛と修二から聞かされた言葉が頭から離れない。
おかげで龍一への返信メールも「お疲れ!」の一言で終わってしまった。わざわざ出版社に電話をかけてくれたのに申し訳なかったが明の心には余裕がなかった。
グツグツと煮えたぎる鍋をぼんやりと見つめる。
楓さんが俺にべた惚れ……? 冗談だろ。楓さんは『恋する幽霊』で学校の七不思議で、告白されて気に入れば誰とでも付き合うんじゃねぇのか? そもそも出会ってまだ一週間も経ってねぇんだぞ。
「うん。そうだ。やっぱそんなことあるわけねぇ。あはははは……はぁ」
空回った笑い声を出すと鍋をかきまぜる手を止める。なぜこんなにも気になるのか。普段の自分ならこんなことは気のせいだと一蹴してしまえるのに……明は再び大きくため息をついた。
「……お兄ちゃん。止めてよね。そんなため息ばかりつかれたら、ご飯に不幸の種がたくさんひっついちゃうじゃない」
キッチンにジュースを取りに来た紅葉が顔を顰める。しかし、今日ばかりは構っていられる余裕はない。もう一度ため息をつくとまた鍋をかき混ぜ始めた。
「ちょっと! 何無視してんのよ。それになんでカレーつくってんの!? 私が明日つくろうと思ってたのに」
「あぁ、もう! ギャンギャンうるせぇな。なんで俺がカレーつくるのにお前の許可がいんだよ。大体、なんでお前はまたカレーなんだ。いい加減にしやがれ!!」
明の態度に腹を立てた紅葉が突っかかってくる。それには流石にカチンときたのか、明は苛立に任せて怒鳴りつけた。
「あぁ。そういうこと言うんだ。最近お兄ちゃん柔らかくなったなぁ。彼女でもできたのかなぁと思ってちょっと見直してたのに」
しかし、紅葉もこれで謝るほど柔ではない。ジト目で睨みつけると、突然一歩引いた目線から攻めてくる。その辺の立ち回りは一体どこで覚えたのか、いっそ鮮やかなほどのタイミングで態度を変えてきた。
「ぐっ。そりゃどういう意味だ」
相手が急に冷静に転じてきたので怒りを抑えざるを得なくなる。
「そのままの意味よ。最近お兄ちゃん機嫌良かったし怒る時もいつもより優しかったから、これは彼女か好きな人ができたんだと思ってたけど、そんなことなかったみたいね」
紅葉は舌を出すと、ツイテールをヒョコヒョコ揺らしながら居間へと戻ってしまう。
――好きな人ができたんだと思ってたけど
「……どういう意味だ。そりゃ」
困惑した表情で明は呟いた。
予定より速かったのですが投稿しました。今回から中盤に入ります。
楓さんと明、それに友だちーズは一体どこへ向かうつもりなのか……みんな素直なようで、一癖も二癖るので大変です。
序盤から引き続き楽しんでいただけると幸いでございます。ではでは~!