七月五日~day 1-①~
長くなったので、一話を三分割します。
ここ玄田市立玄田中学校には昔から伝わる七不思議があった。曰く、現在は倉庫になっている旧音楽室から放課後ピアノの音が聞こえる。曰く、理科室と保健室の人体模型が一日交替で入れ換わる。そういった、非常に他愛もなくそしてどこにでもあるような話したち。
しかし、それら七不思議の中で一つだけ他にはない珍しい話が存在した。その名を『恋する幽霊』楓さん。彼女は学校の裏庭から続く石階段の終着点。寂れた神社の大きな楓の木の下にセーラー服を着た少女の姿で出没するという。
夕方の六時半~七時。その時間帯に神社の楓の木に向かって、「楓さん。付き合って下さい」と三度お願いする。それで返事が返ってきたら、晴れて楓さんが恋人になってくれるという、なんとも不思議な怪談だった。ちなみに、告白をしておいて楓さんの了承を断ると呪いをかけられ、世にも無残な死をとげることになり、もし断られた場合どうなるのかは誰も分かっていない……
「へー。そんなのがいんのか。初めて聞いたぞ」
例年より早く始まった梅雨が、去年よりも大分と早く明けてしまった七月五日木曜日。盛夏の頃。夕方の五時半を回った教室は、まだ昼間のように明るい。
机が三十個くらい列をなしている二年B組。完全下校時間に刻一刻と近づき閑散とした教室の窓際、一番後ろの席で少年四人が何やら話をしている。
「お前、本当に楓さんの噂を今初めて聞いたのかい? いくら流行に疎いといっても、そりゃあんまりだろ。半年ぐらい前から話題になってるのに」
端正な顔つきをした少年、武田猛が半笑いで問いかける。この話題を振ってきたのは彼なのだが、「なぁ、楓さんの新しい話聞いたかい?」と切り出したところで、正面に座っていた少年が「楓さん? 何だそれ?」と首を傾げたので、呆気にとられつつも今しがた簡単に説明したところであった。
「俺は部活には入ってないし、仲いいのもお前らだけだ。お前らが教えてくれなかったことを知ってるわけねぇだろ」
口をとがらせ不服そうな顔するが、自信を持って言うことでは決してない。しかし、少年からしてみればこれは至極まっとうな言い分だったらしく、仲良くなって一年以上たつのだからそれくらい察しろよ。とでも言いたげな表情である。
「まぁ、明は家庭の事情もあるからな。仕方ないとこはあるか」
窓に寄りかかっていた少年、青葉龍一が落ち着いた声で口を挟む。メガネをかけた細面の顔は、いかにも賢そうだ。
「そういえば、今日は大丈夫なの? 妹さんもう帰ってきてるんじゃない?」
続けて声をかけてきたのは、山下修二だ。
「大丈夫だろ。もう六年生になったんだし。今日の夜飯当番もあいつだしな」
それに、何でもないように応える短髪ツンツン頭の少年。名を下鴨明という。修二は「へー、偉いんだ」と呟きながら、元から細い目を一層細くさせた。
「というか、なんで三人は知ってんだ? お前らだって似たようなもんじゃないか」
明は三人の顔を不思議そうに見渡す。そう、この四人は部活に所属していない。だからこそ、放課後の時間帯に教室でダラダラと過ごせているのだ。また、この学校ではほとんどの生徒が何かしらの部活に所属しているため、基本的に同じ部活同士で固まる傾向にある。そのため自然と無所属四名で集まることが多く、他に親しい人などそういないはずだ。
なのに何故自分は知らないでお前らは知っているんだ? なんか自分だけ除者みたいで嫌じゃないか。そう思ったからこその質問だったのだが、この問いかけをしたことをすぐに後悔することになる。
黙って顔を見合わせた三人は視線のみで会話をする。ほんの数秒無言の会話だったが、それだけで意思疎通はできたらしく龍一と修二は少し困ったような表情になり、猛は楽しそうに口元を吊り上げた。
一方で、明だけが腕を組んで眉根を寄せたままだ。どうやら、まだ気が付いていないらしい。
「あー、いいかなぁ。明。俺たちはほら、いるだろ?」
そんな明に、修二が優しく語りかける。
「いるって何がだよ?」
しかし、当の本人は気を使われていることにも気がつかないありさまである。修二が別の言葉を探そうと苦心していると、龍一が割って入ってきた。
「そいつは、遠まわしに言っても無駄だ。バカだからな」
なんだと……!? このなかで唯一幼稚園からの馴染みとはいえ、その言い方はどうなんだ。明が反論のために腰を浮かそうとするが、上から押さえつけられた。
「俺たちにあって、お前にないもの……それは」
唇が少しためらいがちに開かれる。声も少し震えている気がして、明は自然と息をのんだ。
「恋人だ」
「あんなやつら、女で身を滅ぼしてしまえばいいんだ!!」
誰もいない玄関で叫ぶと、所々ささくれ立った古びた木製の靴箱へと、乱暴に上履きを突っ込む。
あの龍一がもったいぶって話すのでそんなに言い難いことなのかと構えていたのに、まさかの
「恋人だ……だぁ! ふざけんじゃねぇ!!」
取り出した学校指定の革靴を文字通り空中へ放り投げる。飛ばされた革靴が何とか態勢を維持したまま埃っぽい床に不時着しようとするが、どうやら失敗だったらしい。片方は明後日の方向に飛んで行ってしまった。
それを忌々しげに見つめて、取りに行く。思わずため息が出そうになるが、ここで出したら負けた気がするので我慢した。
何故ここまで苛立っているのか。先ほどの恋人云々の話が、龍一だけで終わっておけばここまで腹を立てることはなかっただろう。仲間内で一人だけ恋人がいないことなど今さらのことだったし、龍一の言い方は多少癪にさわりはしたものの、それでも気を使ってくれたのだから。問題はその後、話し手が猛に移ってからだ。
玄関のドアを開くと、裏庭へと続く小道を見つめる。明はムカつく胸を押さえながら猛とのやり取りを思い出した。
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「あはははは、りゅっ、龍一! 普段は固物のくせに、中々面白いことを言えるじゃないか!!」
スラット伸びた手足を折りたたんで笑う猛。よほどツボに入ったのか、ここまで大笑いしてくれるなんて、明も友人として喜ばしい限りだ。
「よし。猛。表に出やがれ、その良くできた面をピカソみたいにしてやる」
しかし、それも時と場合によるのだが。明が襟首を掴むと、降参したように「ギブ、ギブ」と手を上げた。
「そう怒るなって。今からいいこと教えてあげるからさ」
「いいことだぁ?」
「もちろんさ。本当にお前のためになるんだから、そう睨むなよ」
猛は襟を正しながら急に真面目な顔になる。なまじ顔の作りがいいだけに、真顔になられると変な迫力があった。
「いいかい明。僕はこの話が半年前ぐらいから話題になっていると言ったね」
明はとりあえず黙って聞くことにした。
「そもそも、この怪談『恋する幽霊』はもう昔話レベルのお話だった。みんなに忘れされていく、そういうお話の一つだったのさ。でも、今は完全に復活している。何故だと思う?」
何故って……。また首をかしげることになった明に、龍一が助け船を出す。
「止めてやれ猛。話が進まなくなるぞ。いいか簡単な話だ、半年前ぐらいから楓さんを見たという目撃例が多発している。猛が初めに言いたかった、話というのも新しい目撃例なのだろう?」
「御名答」猛が鷹揚に頷いてみせる。明は、目撃者が出たことぐらいなら俺でも考え付くわ! と思ったが、自然とたぶん……という留保がついてしまったので口には出さないことにした。
「まぁ、そういうことさ。苔の生えてしまったような怪談が学校中で話題になるほど、目撃例が多発している。それはつまり、楓さんの存在に信憑性が高いということなんだよ。そこで、君に提案があるんだ」
猛の表情が今までになく引き締まる。
「おう、なんだ。言ってみろ」
「君が……告白したらいいと思うんだ」
空気が固まった。明は机の端を握ると行動を起こす前に念のために確認をとっておくことにした。
「……誰にだ?」
「楓さんに」
「うぅぅらぁぁぁぁぁぁ!!」
その瞬間。机が宙を舞いそうになったのを修二が全身を使って上から押さえつける。その対応の早といったら電光石火と言っても過言ではあるまい。
「ちょっ、明、ストップ!」
「うるせー! 真面目な顔して何を言うかと思えば、幽霊と付き合えだ! バカにすんのもいい加減にしろってんだ!!」
「ダメだよ明。いきなり付き合うなんて決めつけちゃ。まずは告白からだ。いくら死んでいるからって、選ぶ権利くらいは認めてあげなくちゃかわいそうじゃないか」
今度は直接飛びかかりそうになったのを龍一が後ろから押さえつける。「からかい過ぎだバカ」と注意するが、猛はどこ吹く風だ。結局、二人を払いのけた明は、机の横にかけてあった平べったい鞄をぶんどると、そのまま教室から出て行ってしまった。
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「楓さんねぇ」
生温かい風に吹かれて頭が冷えたのか、それとも逆にのぼせたのか。明は玄関から裏庭に続く小道をじっと見つめている。裏庭に入れば、奥の方に楓さんが現れるという神社の正面へと続く南石階段がある。
何の神様なのかはあまり知られていないが、ずいぶんと寂れた神社だ。玄田市は近くの都市のベッドタウンになっており、高度経済成長期の人口増加に伴う新校舎建設の折に件の神社は今の場所に移転されたそうだ。つまり現在校舎が建っているところには元々神社が建っていたのだ。元が神様の土地だったために儀式を行った後も祟りがあるといけないということで移転した神社と裏庭とを石階段つなぎ、建前上は神様の土地の一部ということにしている。
そして、神社には東西北にも南と同じように石階段がある。そこを通った方が近道になる生徒もいるため登校時には人の往来はそれなりに多いが、夕方は流石に気味が悪いし急ぐことも無いので、普通に正門と裏門から帰る生徒がほとんどとなっていた。
明自身も西石階段から登下校できるのだが、正門を出た方が家に近いし、なにより帰りは商店街にある行きつけのスーパーで買い物をすることが多いため、普段はその階段を使うことはない。
なのにどういうわけか、今日は使ってみようという気になっていた。猛に言われたからその当てつけというのも少し、恋人になってくれるという幽霊に興味が湧いたのが少し、さらに幽霊なら家に連れ込み放題じゃないかという下心がある程度、そして……死んだ人と会うことが出来るのだろうかという淡い期待が少し。
それらの気持ちが相まって断られたらどうなるかなど、そんなことを考えることもなく自然と裏庭に向かって歩み始める。
時刻はちょうど夕方の六時半を少し過ぎたところ。昼のように明るかった夕方から夜の帳が降り始める夕方へとちょうど変わり始めたぐらいであった。