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 センターの敷いた交通網は本当によく機能していたのだと私たちはすぐに思い知らされた。自分の足で遠くまで歩いていく事がこんなに大変だなんて。しかも、私たちは追っ手を気にしなければならない。私たちは皆裸足だった。道は常に塵一つなく清掃されているので、足を怪我するような心配はないが、今まで外を裸足で歩いた経験などないので、すぐに足の裏が痛み出してきた。おまけに私は肩を怪我している。今頃になってその痛みがひどくなってきて、足の痛さを忘れる程に私を苦しめていた。

 表通りにはパトロールが巡回しているので、私たちはなるべく細い路地を進むしかなく、その為にひどく遠回りをしなければならなかった。乗り物にさえ乗れば、都市の端から端までせいぜい半日なのに、センターからそれ程遠いとも思えない場所にたどり着いたあたりで夜が来た。足の痛みも限界に達していたので、私たちは路地の隅っこにうずくまって眠る事にした。ここに来るまで、誰も何も文句は言わなかった。私の言うたった一つの希望、壁へ向かう事……それを捨ててしまえば、やがて捕まってフードに――恐らく最悪の苦痛を緩和して貰う事もなく――されると判っているから。

 素足を路面に投げ出して地面に座ると、肩と足の痛みで、もう二度と立ち上がる事は出来ないのではないかという恐怖感が襲ってきた。何しろ私たちは今まで、センターの庇護下で病気も事故も単なる概念としてしか知らず、痛みを感じた経験なんて殆ど持たないのだから。せいぜい、オフィスで誤って紙で指先を切ったくらいだ。その時でさえ、細い傷口からぷっくりと赤い血が出るのを見て、大変な怪我をしてしまった、と騒いでしまったものだ。周囲も皆、私に同調して、救護室に連れて行ってくれて、手当てを受けて早退した。


 爆発の時、飛び散った破片が刺さった人たちは皆、たくさんの血を流していた。あの人達はどれ程の苦痛を味わっただろう? 私が大人しくアンドロイドの指示に従っていれば、あの人達は少なくとも、苦痛は味わわずにフードになる運命だった。あの人達は、私を恨みながら死んだのだろうか?

 私はうずくまったまま涙を流した。誰かの為に泣くのなんて初めての事で、最初はどうして涙が出るのか解らなかった。

(どうして。どうしてどうして)

 朝、個室を後にした時は、こんな事になるなんて夢にも思わなかった。新しい肉体を貰って、新しい人生を始めるのだ、という思いでいっぱいだった筈なのに。

「リナ、どうした、傷が痛むのか?」

 ローリーがそっと、優しい声をかけてくれた。私は小さく激しくかぶりを振った。

「ちがうの。痛いのは、ここ」

 涙に濡れた目で私はローリーの黒い瞳を見上げ、彼の手を自分の胸に押し当てた。

「ここ? ぶつけたのか?」

 ローリーは戸惑い気味に私を見返す。

「ちがう。ここの奥が痛いの。みんな、苦しんで死んだ。私のせいなの? その事を考えると、ここが痛い」

「リナ。きみのせいじゃない。あれはセンターが定めた事なんだから」

「でも、私が余計な反抗をしなければ、みんなは苦痛のない方法で死ねたのかも知れない」

「そしてフードになった?」

 ローリーは大きな手を私の胸に置いたまま、小さく笑った。

「きみのここには、他の誰にもない何かがある。俺たちはそれに助けられた。付いてこなかったのは、それが解らなかった者たちだ」

 彼の手は温かく、その手に私の鼓動が伝わり、とくんとくん、と脈打つのが感じられた。

「ここにあるのは心臓だけよ」

「いや、昔の人間は、ここに、『心』があったと思っていたらしい。俺はそういう話が好きで、読める文献は殆ど読んでいるんだ。やはり、センターにとっては異端だったのかも知れないな」

「『心』ってなに? それは概念に過ぎないものじゃないの? 私に特別な何かがあるなんて思えない。それに、まだ、助かるかどうかわからない」

「たとえ捕まる事になっても、後悔はしない。それに、きみがいれば、きっと逃げられる気がする……センターの手の及ばない、安全などこかへ……」

 ローリーの唇が私の唇に重なり、その手は滑るように動いて私の乳房を優しく揉み始めた。私は痛まない方の腕を伸ばして、ローリーの背に回した。私たちは、生きている。センターに抹消された筈の命を、自分たちの力で長らえている。その証を、命の温かさを、感じたいという思いが重なっていた。


 だけどその時。表通りにサイレンの音が響いた。

『元人類番号WA-Oh76-k3692-y5271、Wb-Lo98-j1759-z5342、WA-Xj-i1156-f3256、その他四名、直ちにセンターへ出頭せよ! 自ら出頭すれば、苦痛緩和措置を約束する!』

 拡声されたアンドロイドの声だった。私たちはがばっと跳ね起きた。疲れも痛みも吹き飛び、喉の奥から熱く締め付けるようにこみ上げる……恐怖。

「この時間には市民は全て個室に入っている。そうか、この時間を狙って……」

 ケンが喘ぐように言った。

「逃げよう、早く!」

 ローリーが言ったが、もう一人の女性、ジュリーは泣きながら、

「あたし、もう無理。最初から無理だったのよ、こんな事。あたし、出頭する。そうすれば苦痛を感じなくて済むもの」

「ばか! 奴らが約束を守る保証なんかどこにもない! 頑張るんだ!」

 ケンは彼女の肩を掴んで揺さぶったが、ジュリーは、

「頑張ってどうするの。壁に行って何があるの。壁の向こうには何も無い、絶望の世界じゃないの。あたし達、壁に追い詰められて捕獲されるだけよ。そして意識のあるままに身体を切り刻まれる!」

 そう言って、私を指さした。

「あたしたち、あの女に騙されてるのよ! あの女は悪魔だわ!」


 結局、ジュリーと二人の男性はその路地に残った。アンドロイドが呼びかける通りの方へふらふらと歩いていく三人の姿を、私はもう振り返らなかった。ケン、ローリー、私、それにレイという男性の四人で、ジュリー達とは逆の方へ走った。泣いている私の手をローリーが引いてくれた。

「きみのせいじゃない。気にするな」

 ケンが強い口調で言ってくれたので、少しだけ気が楽になった。


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