序章
<1>サクラ
「げ、さむ!何ここ!」
冬の初め、『サクラ館』の露天風呂で佐藤凪は叫んでいた。
サクラ館とは、露天風呂が有名な旅館である。
凪はいそいそと湯つぼに肩までつかると、タオルを頭にのせてくつろいだ。
露天風呂にいるのは凪一人。
時刻は夜の11時半。
ここは24時間お風呂を開放しているから、いつでも入れる。
ぼんやりと月を見ながら、一人露天風呂を堪能していた。
「あっつい」
さすがに露天風呂だけあって室内のものよりお湯が熱い。
ザブンと音を立てて湯つぼから出ると、タオルを腰にまいて中に入った。
浴衣に着替えると、脱衣所をでて部屋に向かう。
時計の針は12時をさしていた。
夜という雰囲気の無い明るい廊下を渡っていくと、自販機の前に人が立っている。
10代半ばあたりの女の子だった。
浴衣に合わない大きめのキャスケットを目深にかぶって、ジッと自販機を眺めている。
風呂にいたのか、その頬は微かに上気していた。
特に気にも留めず、凪は彼女の後ろを通り過ぎようとする。
その時、館内に悲鳴が走った。
女の奇声、この世の終わりでも見たかのような断末魔。
凪が声のする方に走る。
こう見えても、凪は探偵だ。
解いた事件は0件という、まったくもって役に立たない探偵である。