ep.3【信っっっっっっじらんない!】
――納得いかない、納得できない。
なんであんな突然来たヤツなんかが寮長やってんの!? そんなの許されるの!?
臨時できた? そんなの関係ない!
私はアイツがここの寮長になるなんて認めない。
認めない認めない認めない認めない認めない認めない認めない。
認めてたまるか!
■□■□■
コウが寮に戻ってきた頃には既に日が落ちていた。家宅侵入並びに強制わいせつの疑い。警察署の取調室で突き付けられた罪状だ。
もちろん真実とは遠くかけ離れたでっち上げである。いや、そこまでかけ離れていないのかもしれない。だが真実ではない。
必死の弁明もあってなんとか疑いは晴れたが、無罪だったとしても記録として向こう側は残すとのこと。それは実に屈辱だ。
アレはどう考えたって事故だ。それを警察沙汰まで発展させるなんてもはや悪意すら感じる。むしろ彼女の方にこそ罪状が届いてもいいのではなかろうか。朝の星座占いや血液型占いは観ていないがきっとどれも最下位だろう。欝だ。
本日二度目の管理人室前。朝だと室内の電気が灯っていても気付きづらいところもあるが日没の今部屋の暗さは屋外から確認しても分かる。明かりのない部屋。今度こそ無人だろうか。
「ただいまぁ……」
キィと軋む蝶番は今朝とは変わらず、開かれた戸の先には吸い込まれそうな暗闇が広がっていた。普段ならそんな世界に不安を感じるが今は無人であろうことに安堵する。
そういえば荷物は何処にあるのだろうか。警察署に連れられるより前までは確認していたが今となっては行方知れず。財布に携帯電話に学生証。それらが手元にないとなると……非常にまずい。今さらになってどうしようもない不安が体中を駆け巡る。居ても立っても居られないとはまさしくこのことだ。
指先から胸元まで生じるこのそわそわしたもの。これを取り払いたい。コウは感情に身を任せて部屋の奥へ駆ける――が、靴を脱いですぐの所で何かに躓く。バランスを崩すとそこから体制を立て直すことが困難となり横転する。
「っ痛~」
顎から落ちてしまったらしくじんじんと疼く。開け放たれた戸を除く辺り一面が闇で覆われた部屋で一体何が足元をすくったのか。暗闇にそろそろ慣れ始めた目がそれを確認しようとした瞬間――バタン、戸が閉じた、いや|閉じられた(、、、、、)。
――誰か居るのか……ッ!?
コウは部屋中に視線を巡らせる。しかし如何せん今度こそ真の暗闇の中に身を投じている。まともに機能しない視力に苛立ちを覚える。何なんだ、この状況。誰なんだ、そこに居るのは。
管理人室はコウの意を汲んだかのように部屋一面に光を灯した。
光によって部屋から闇は溶けるように消え去ったが、突然の輝きは目には強い刺激となった。目が眩んで今度は真っ白な世界が広がるがそれは長くは続かなかった。
やがて視力が回復していく。荷物が今朝よりいくつかなくなっているが管理人室で間違いないようだ。物資が減っている代わりに目前には男子が一人。
「おかえりなさい」
彼はコウが自分を目で捉えたことを確認すると軽く会釈した。
「あ、れ……キミは確か――」
目がしっかりと働くようになってから再度見てみると見覚えのある顔だった。
「ども、橘さん。お勤めご苦労様です」
彼――たっくんはおどけた調子でコウに敬礼の素振りをする。
「いやはや、今朝は大変だったね。ハトさんがまさかあそこまでするとは流石に俺でも予想つかなかったよ。あ、荷物そこにあるから」
そう言い終わるとたっくんは部屋の中央を指差した。丁度コウが何かに躓いた場所にはついさっきまで紛失したと慌てていたそれはあった。
「俺の鞄!」
やっと心から安堵したコウは体中のそわそわするものが抜けていった。だが最終確認。財布・携帯電話・学生証、全部ある。
「危なかったんだよ? 俺が止めなきゃハトさんってばその荷物を鞄ごと焼却炉に放り込もうとしたんだから」
まさか本当に持ち物全てが消失する一歩手前にあったとは……彼には深く感謝しておかなければ。しかしハトと呼ばれる人物、末恐ろしいぞ。
などと鞄が手元に帰ってきたことに浮かれてついそのままスルーしてしまうところだった。
「キミは……?」
「あれ? まだ自己紹介してなかったっけ?」
まだもなにもここの人物のことは何一つ知らない状態だ。それに加えて今朝の騒ぎ、もし仮に自己紹介を済ませていたとしても悪いが頭にそれを留めておく余裕はなかった。
「俺は江頭たっぺい。歳は橘さんより一つ下になるかな。キミのことは寮長から聞いてるよ、いろいろ大変だったみたいだね」
そう言うと彼はくるりと踵を返し玄関戸を開く。日も暮れていることだしそのまま自室に戻るのだろう。何はともあれ本当に大波乱な一日だった。ほっと一息ついて畳敷きの居間に寝転がる。このまま深い眠りに就けてしまえそうなそんな気分だ。
こうやって落ち着ける時間を得るまで一苦労なんてものではなかった。もう二苦労も三苦労も苦労を重ねに重ねた。
……。
…………。
……………………肌寒いな。
春も訪れ桜も咲き誇る季節となったといえどもまだ四月の上旬、日没になると気温はまだ下がる。何処かから隙間風でも吹き込んでいるのだろうかとコウは首だけを起こすと玄関ではたっぺいがまだそこに居た。しかも眼鏡の奥では彼の瞳がこちらをじっと捉えている。
「……なに?」
明らかに違和感を覚えたため問いかけるがたっぺいの反応は逆にコウの方がおかしいと言いたげなそれだった。
「なに、じゃないよ。みんな待ってるんだから早く出てきてよね」
そう言い残すとたっぺいはようやく戸を閉めた。しかしどうしてなかなか意味深な言葉を残してくれる。
――みんな、って何?
□■□■□
コウはたっぺいに促されるままに管理人室から出る。玄関戸を開けてすぐの所でたっぺいが立っていた。
「やっと出てきた。んじゃ早速行こうか」
「いやちょっと待ってよ!」
背を見せ歩き始めたたっぺいの肩を掴む。さっきから行動が突然過ぎる。
「行くって何処に!? 待ってるって誰が!?」
たっぺいは必死に食らいつくコウの手を払いのけ、再び向き直る。
「離れにある食堂に寮の住人が集まってくれてるから。みんなのこと、後はキミのことを知ってもらわないと、また今朝みたいなことになっちゃうし」
それから二人は終始無言で食堂まで進んだ。
この寮は案外広い敷地を所有しているようで、実際に歩いてみるとそれが体感できた。想像では小ぢんまりとした建物だけがその場に構えているだけかと思っていたのだが、その建物自体から規格外で学生寮としては勿体無いのではとも思えるほどの十分すぎる完備。だがやはりそれだけの設備の数々を考えるとどうしてもそれが宝の持ち腐れのように思えてしまう。
十二の部屋を備えている宿舎。
自転車の設置台数が二十前後の駐輪場。
学校の教室ほどの広さの食堂。
果たしてここまでの設備が本当に必要なのだろうか。コウは謎に満ちた土地の広大さと使用用途に疑問を抱く。
「ここが食堂」
管理人室の前で示した建物に着くとたっぺいが首だけをコウに向けて言う。
やはりここも宿舎と同様に木造建築――丸太のログハウス――で腐敗の進む箇所を発見するのは容易だった。
「んじゃ空けるよ」
きぃ。管理人室とは違い蝶番が甲高い音を鳴らして戸を開く。
食堂の中はその雰囲気を崩さないようなウッドデザインの家具がメインとなってインテリアが整っていた。テーブルの周りを椅子が六脚取り囲んでいるセットが四つ。その内の二つのセットに住人たちが既に座って居た。住人の男女比は隣に居るたっぺいを含めると二人と二人で丁度半々だ。その女性側の一人にはもちろん例の彼女も居るわけで。
「たっくん遅~い。待ちくたびれちゃった」
入り口間近で女の子が腰かけている椅子を後ろ脚でバランスをとりゆらゆらと前後に揺れながら恨めしそうな目を向ける。たっぺいはそれに「ごめんごめん」とへらへらした表情で返す。背丈はコウやたっぺいより低く黒のロングヘアーはところどころで跳ねている。彼女は初めて見る顔だ。その彼女がコウの存在に気付くと一瞬目を細めた。
「えっと……その、隣に居るのが……」
「そ。新しい寮長の――」
そこまで言うとたっぺいは次の句を紡がずに目線をコウに送る。続きは自分で言え。その意を汲んだコウは固唾を呑んで落ち着きを確認する。緊張はしているが何も喋れないわけではない。そもそもそこまで口下手なわけでもない。よし。
「えっと、今日から伯父さん……寮長の臨時というのも兼ねて新寮長を任された橘コウです。何分至らないところがあるかもしれないけど宜しくお願いします」
テンプレートのような台詞をつらつらと並べただけの言葉ではあるが自己紹介としてはまずまずベストな対応だったとコウ自身自負している。自己紹介を受けた住人たちは目を瞬かせたが暫く間ができるとまばらな拍手が鳴った。
拍手に一端の区切れがつくとまず行動したのは先ほどのロングヘアーの女の子だった。
「新しい寮長が私らの為に自己紹介してくれたんだもん、私も自己紹介しないとね」
大仰に片手を挙げると今度は左右に振る。天真爛漫という言葉がぴったり当てはまる。
「私は春風優華。この中だと一番若いです! えっとえっと~……モットーは『当たって砕けろ』ってことで。あ、でも砕けちゃったら痛いよね。いや、当たった時点でもう痛いのかな? とにかくヨロシクゥ♪」
怒涛のラッシュが終わると優華は素早く着席し、同じテーブルで対面している短髪の男子に次いで自己紹介するように促した。
彼は椅子からゆらりと立ち上がると半開きの目をコウに向ける。直立してみると彼の群を抜いた長身がよく伺えた。
「杉崎生衣です。みんなからは『キー』って呼ばれてます。一応ギターの演奏とか好きですね。後は……そうそう、そこのたっくんとは同い年ってことくらいですかね。とりあえずこちらこそ宜しくお願いします」
柔らかい物腰で生衣は淡々と簡単に紹介を済ませた。口調からして優華とは違い大人しい雰囲気を持っている。
「で、次は……」
優華にならって生衣も言い終えたると着席し、後に残った彼女(、、)に目を向ける。
「…………」
一人違うテーブルに着いていたのは、今朝の事故で嫌というほど関係した彼女。通称ハト。
ハトはむすっと無愛想にしながらコウを睨む。その強烈な態度に元々の住人たちも蛇に睨まれた蛙のごとく身を強張らせる。コウも呑まれそうになりつつもぐっともち直し、ハトを直視する。今朝の件もある手前やはりお互いにやりづらい面もあるのだろうが、ここは逃げてはいけない。目を背けようものならコウの男としての小ささ、さらには人間としての小ささも量られてしまう。それ以前にまず仲を取り繕いたいのだ。
ここは自分から話を振るべきなのだろう。
――今朝は本当に迷惑をかけました。そういえばまだお互いにちゃんとした紹介をしていませんでしたね? 俺は橘コウです。あなたの名前もよろしければ教えてくれませんか?
……うむ、多少盛りすぎな点もあるかもしれないが、気分は害さないだろう。よしっ。切り出すぞ。
「あの、今朝は本当に迷わ――」
「…………はぁ」
人が折角話しかけているというのにコイツ溜息を吐きやがった。
いや、まだだ。何も溜息の理由が自分にあるとは限らない。このまま続けよう。
「そういえばまだお互いにちゃんとし――」
「何か飲み物入れるけど他に欲しい人いる?」
「いい加減わざとだろう、お前!?」
コウは激昂して怒鳴り散らすが、ハトはなんのそので席を立ってからキッチンの方へずんずん進む。がんとして無視を貫き通すつもりらしい。
「え~っと……」
コウの隣ではたっぺいが苦笑いを浮かべながら顔を引きつらせていた。
「はぁいお待たせ、みんな麦茶だけどいいよね?」
ハトがグラスに注がれた麦茶をトレーに載せてキッチンから戻ってきた。優華と生衣が着くテーブルにそのグラスを手際よく置く。
「たっくんの分も入れといたからね」
そう言うとハトはグラスに口を付け中身を少し口内に含ませた。
無言の時間が流れる。
「あの、ハトさん? 一応こうやって集まってくれてるわけなんだしさ、ハトさんも自己紹介してくれないかな?」
気まずいのはなにもコウだけではない。ここにこうやって集まってくれた全員が感じていることだ。その緊迫した状況をなんとか打破しようとたっぺいが動いてくれた。
だがそれに対する返答は無情なもので。
「なんで?」
心情が何一つ伺えない全くの無表情。ハトのこんな様子を彼らも初めて見るのだろう、威圧を感じてたじろいでいた。
ハトは追い討ちをかけるように言葉を繋ぐ。
「だって新しい寮長になるんでしょ? それだったら隣人荘の住人の名前くらい把握しててもおかしくないんじゃないの?」
侮蔑の籠もった眼差しがコウに向けられる。今にも毒々しい紫色の光線が発射されそうだ。
「隣人荘?」
コウがそう素っ頓狂な声をあげるとハトは今度は呆れ果てて頭を抱える。
「ホントに信っっっっっっじらんない! 寮長になるならない以前にここに住むなら寮の名前くらい知ってるもんでしょ!? もういい! 私自分の部屋戻るから!」
「ちょっとハトさん!?」
コウを押しのけて外に飛び出したハトを優華が呼び止める。
「何があったとかってのはさっき教えてもらったから分かるけどさ、やっぱり自己紹介は私大切だと思うな? それに今朝のコウさんだって悪気があってやったわけじゃないだろうし……」
ハトに追いつくと腕を掴む。さらに上目遣いも加わるとハトは歩を止め首だけをひねり横目でコウを捕らえる。
「小林ハヤト」
虫が鳴くような声で言うと、優華の頭を撫でてから彼女は足早に食堂から遠ざかってしまった。
徐々に小さくなっていく背中をコウはじっと黙ったまま見えなくなるのを見届けていた。
それを皮切りに他の住人たちも飲み終えたグラスを洗ってから各々の自室に戻る。
春の夜はまだ肌寒かった。
今日という一日が目まぐるしく流れてそして去っていった。昨日までキャンパスライフを心待ちにしていたはずの学生が今は一つの寮を任された重役を担っている。たった一日で人の生活というものはこうも大きく変化をみせるものなのだ。いや、みせるものなのだろうか。
狂った。
その考えは間違いなのか、それとも正しいのか。
ただこれだけは断言できる。最悪のスタートを切った、と。
コウの突然にして始まった寮長生活の記念すべき第一日目は波乱に満ちた形となって閉じることとなった。