ep.2【変態という名の】
本日は晴天、風は吹いても心地よい。歩道脇には満開に咲き誇った桜が林立している。
私立S大学の入学式はすでに開催されている。そのため桜並木の今朝の人通りは並以上だった。
特設のホールで開催されている入学式。
ただその中にコウの姿はなかった。
「な~んでこんなことになったんだろうな……?」
特設ホール内でもS大学の敷地内でもない。そこから数十メートル離れた位置に建てられた一棟の寄宿舎。伯父が任されていたとはいえこうやって目の当たりにするのは実は初めてだった。
――ボロいな……。
第一印象それ最悪。板張りの外装は腐敗が進んでいる箇所が点々と見受けられるしそこら中には雑草が無造作に生い茂っており、そのせいで駐輪場とおぼしきスペースは本来の用途を果たしていなかった。
端から見るとただの廃墟といったところか。だがやはりここにも住人は存在するわけで。
「まあ、頼まれたからにはやるしかないよな……」
半ば強引に押しつけられた役回りだが、それより前に内容も確認せずに了承してしまった自分が悪い。引くに引けない状況を自ら作り上げてしまったため泣く泣く首を縦に振るしかなかった。
大きく溜息を吐くとコウは手荷物の中を手探り、伯父から預かった寄宿舎の簡略図を取り出す。
「あった」
開いた簡略図から管理人室――コウが伯父から任せられた部屋――の場所を確認するとその箇所を指で軽く触れる。
まずはここに入って荷物の整理を――そう思ったのだが、簡略図を見てふと疑念が沸いた。
それには管理人室の場所だけではなく、どの部屋に誰が入居しているかということも記載されていたのだが、それがどうもおかしい。
「ここって学校近辺の寮だよな?」
この寄宿舎だけが学校近辺の寮となっているわけではなく、他にも多々あるのだがやはりおかしい。
学校からの距離は目と鼻の先。こんな良物件なんて外観がどうであれ入居の依頼が殺到するはずだ。それにも関わらずこの寮には空き部屋が存在していた。元々部屋数は管理人室を含めて十二部屋と多く備わっているみたいなのだが現在埋まっている部屋数はたったの、四部屋だった。
□■□■□
廃屋に近く等しいなりをしているが仮にもこれから自分が寝泊まりをする建造物に変わりない。コウはボストンバッグを肩に掛け直すと、まず伯父から任せられた内の一つである管理人室を目指す。
管理人室までは鼻歌を奏でる暇さえないほどすぐに到着した。
――『管理人室』
それは紛うことなく管理人室であり、それ以上でも以下でもない。いや、以下はあるかもしれない。ただただ質素な作りだ。そこら中の塗装が剥げ、蝶番は錆が目立つ。
この寮が建てられてからどれくらいの年月が経っているのかはコウには分からないが、やはりそこらを見渡すだけで年期を感じる。
あの伯父のことだ、管理を怠っていたとは考えられない。だが個人にも出来ることの限界はあったのだろう。しかし最低でも雑草を刈るくらいなら出来たのではないだろうか。迷惑に生い茂る雑草を横目にコウは溜息を吐いた。
とりあえず中に入ろう。それから今後のことを考えればいいさ。
コウは酸化が進んでざらざらした手触りのドアノブを掴む。
ドアノブをひねり手前に引く。蝶番が軋む音は想像通り。
だが、戸の中の空間は想定外が広がっていた。
外とは一変して整頓された部屋。
鼻腔をくすぐるシャンプーの香り。
更衣中の女子一人。
部屋を間違えただろうか。コウは一度思案してから表の表札を確認しに出る。
――『管理人室』
やはり間違いない。ここは管理人室だ。
再確認した上でもう一度その部屋に足を踏み入れる。もしかしたらさっきのは見間違いだったのかもしれない。昨日という日だけで伯父のことから寮長のことまで目まぐるしく出来事があったのだから気が滅入ってしまってどうしようもない幻覚でも見ているのだろうと暗示をかける。
しかし室内には更衣を済ませたソレは居た。
耳が隠れるくらいまで伸びたブラウンのセミロングヘヤー。長いまつ毛の下には切れ長の目がこちらを捕えて離さない。彼女から出る雰囲気には大人っぽさを感じる。
が、どうしても納得しえない。幻覚であったとしても鮮明に映し出されすぎではないだろうか。まぁ実際に幻覚をこの目にしたことがないのでどうとも言えないのだが。
コウは再度顎に手を添え思案する。
わからない。
わからないわからない。
わからないわからないわからな――あ、そうか。きっと自分でも気付かぬ間に想像力が豊かになってこんな鮮明な像が映し出されてわなわなと震える彼女の握り拳が鳩尾目掛けて飛んできた。
「ぐぼっっ!!」
確信した。これは幻覚でもなければ妄想でもない、リアルだ。彼女は今目の前に存在する。
衝撃で表まで突き飛ばされたコウ。サンダルを履いて追ってきた彼女はコウの胸倉を掴み上げる。しっとりと湿った髪からはさっき香ったシャンプーのそれと同じだった。
「アンタ誰!? 着替え中……なんで入って――ホントに誰よッ!?」
彼女は赤面した顔で胸倉を掴んだコウをがくがくと無茶苦茶に振り回す。
「ちょ、まっ、ちがっ」
弁明しようとするが縦横無尽に振り回されながらで中々思うように発言が困難だ。抵抗さえ出来ぬままその威力は勢いを増す。縦に横に後ろに前に、左に右に左と思いきや上から下に。
止まぬ猛攻、耐える抵抗。
いつまでも続くデッドヒート。
□■□■□
管理人室に戻ると、コウはまず椅子に括り付けられた。先ほどの取っ組み合い――コウが一方的に受けていただけだが――が響いて抵抗できずコウと椅子は簡単に一体と化した。
「なんか物足りないなぁ……」
管理人室の彼女は少し腕組み考え、暫く間を置くとポンと手のひらをうつ。するとコウをそのままに部屋の奥へと行ってしまった。
「やっぱりコレだと思うんだよね、絵的にも」
戻ってきた彼女が手にしていたのは――ガムテープ。
ビッと音をたてて適度な長さで切る。そこまでされたら次に何をされるかなんてお見通しだ。
「これで良し、っと」
予想的中。ガムテープはコウの口を塞ぐように貼り付けられた。どうやら彼女の思い描く『人を縛り上げた図』というのは椅子・縄・ガムテープがデフォだそうだ。だがそれは悪人に対する扱いではなく逆に悪人がとる方法ではないだろうか。いや、俺悪人じゃないけどさ。
「さて、と」
一仕事終えた後のように手のひらを打ち合わせ、そして一息吐く。
「アンタは一体誰なの……?」
と、仁王立ちしながら汚物でも見下すかのような冷めた目つきでコウに尋問を始めた。
――俺は伯父さんからこの寮を任された者です。
「なによ、シカト決め込むつもり?」
――本当ならここの住人として来るはずだったんだけど、まぁいろいろあって。
「アンタの身元を教えなさいって言ってるだけじゃない」
――あ、そういえば自己紹介がまだだったっけ……って、
この人は馬鹿なんだろうか?
音声だけでお届けした場合これはただ単にコウが黙り続けているだけだが、映像としてお届けすると椅子に括り付けられ口をガムテープで塞がれている行動も言動も許可されていない状態の男子とそれに対して延々と尋問を繰り返す女子の滑稽な図が繰り広げられている。これは一体何のコントだ。
「家宅侵入罪ってあったよね、確か」
そんなことを考えていると彼女がぼそりと呟く。まずい。このままでは何の弁明も出来ぬまま犯罪者にされてしまう。
「んー! んんー!」
コウが必死に抵抗しようとしたが、彼女はそれに対してにっと口の端を持ち上げる。
「今さら慌てたってもう遅いよ」
ぞっとするような不敵な笑み。どうやら通報する気満々のようだ。くそっ、このドSがぁ!
彼女が携帯電話に手を伸ばした。
終わってしまうのか、俺のキャンパスライフ。
まだ始まってもいないというのに。
その時絶望の淵に立たされたコウに救いの手が差し伸べられた。
管理人室の戸が外から誰かによってノックされた。彼女の携帯電話を操作する手も停止する。
「ハトさん居る?」
その声とともに一人の少年が入室する。
「居るよ~」
「よかった、ちょっと伝えとかなきゃいけないことが――って何この状況!?」
入室早々彼は部屋内の惨劇に驚愕しているようだ。まぁ無理もないことだろう。
「まぁいいや」
まぁいいや!? こいつ今まぁいいやって言ったか!?
どこをどう見てどう考えたらこの状況がまぁいい状況になるんだ!?
だが彼はコウの心情などまるで察しようともせずあくまでも自らの要件を済ませようとする。ここの住人は頭のネジが何本か抜けているのか。
「聞いてよたっくん! こいつ私が着替えてるところ堂々と入ってくるの。警察沙汰だよ、コレ」
「そりゃ災難だったね」
「災難で済まさないでくれる?」
「でもその前に俺の話も聞いてほしいんだけど」
彼――たっくんが彼女――ハトを抑える。
「てかこの人のなりから察するとハトさんが尋問でもしてたんだろうけど、口塞いでたら話そうにも話せないよ」
「痛っ……!」
たっくんによってコウの口はガムテープから解放された。これでようやくまともに会話が出来る。
「あっ、鼻腔も塞いでやろうと思ってたのに……」
「殺す気かッ!」
前言撤回。やっぱりまともには無理みたいだ。家宅侵入罪くらいなら知っているが、それの罰が死刑になるわけがない。
「アンタは俺のことをただののぞき野郎だと勘違いしてるみたいだが、俺はここの寮長を任されて来たんだよ!」
「はぁ? あのねぇ……吐くならもっとマシな嘘吐いたら?」
侮蔑の籠もった眼差しでハトは椅子に縛られるコウを見下す。
「とりあえず110番はさせてもらうからね」
「いや、マジなんだって!」
必死の抵抗もむなしくハトの手指は携帯電話のパネルを操作し始めた。
「あのさハトさん、俺が伝えたかったってことなんだけどさ」
「うん、なに?」
片耳に携帯電話を添えながらハトが適当に答える。彼女のその態度にたっくんはまぁいいかと妥協して話を続ける。
「寮長がさ、入院したときに仮の人を呼ぶからって言ってたんだ」
「へぇー、そうなんだ。それってどんな人?」
「橘コウ、って人らしいんだけどね」
「タチバナ? それって寮長と同じ苗字じゃん」
「うん、寮長の甥らしいよ」
そこまでをハトに説明すると彼はくるりと踵を返し今度はコウに訊ねる。
「じゃあキミの名前をハトさんに教えてあげて」
「え?」
「いいの? 早くしないと保健所送りになっちゃうよ?」
「俺はどこぞの変態紳士か! あーそうだよ! 俺が臨時で寮長任せられた橘コウ本人だ!」
コウの言葉にハトは一瞬固まった。
「……たっくん、それってホント?」
携帯電話は未だに耳に当てられたままだが、様子は先ほどとは違う。
「本人がそうだって言ってるんだからそうなんじゃないの? 俺はそれ以上のことは知らないよ」
「ふ~ん……」
彼のお陰でどうやらコウの疑いは晴れたようだ。では早いところ捕縛から解放してほしいわけなんだが、ハトはそんな素振りを見せない。
「なぁ……いい加減これ解いてくれないかな?」
「あ、もしもし警察ですか?」
「ってオーーーーイッ!!」
疑いが晴れようとも更衣中に入室してしまった事実は変わらない。ハトはコウを解放する気なんてなかったんだ。ハトが通話している最中放心状態のコウの肩にたっくんが手を添え「どんまい」と呟いた。
程なくして寮に一台のパトカーが停まった。