シーム-05
8
ものすごく原始的に考えれば、「巨大であること」は「強いこと」と同義だ。威容(異様)という表現がしっくり来る《一本腕》の体躯を遠目に見ながら、僕はそんなことを思った。
今までのエリアで戦ってきた敵──リザードマンにしろ、ハーピーにしろ、オークにしろ──は、巨大なものでも、せいぜいが2メートルを越えるくらいだったろう。しかし、《一本腕》は違う。直立した状態でゆうに4メートル近くはあるだろうし、胴回りもまるでずんぐりとした重機を思わせるように太く、がっしりとしている。
事実、その体皮はまるで岩のように硬い。クイやツユギの一撃も、カナリが何発も《炎の矢》を射ち込んでも、防ごうとする仕草さえ見せない。まるでダメージを与えていないということはさすがにないだろうが、表面上は毛ほどにも感じていないようだ。さすが《ネームド》と呼ばれるだけあって、DEFもMDEF(魔法抵抗)も、尋常なレベルではないのだろう。
「野郎、蚊にでも刺されたような顔してやがる」
ツユギの声にも、苦渋めいた響きが混じる。まだ決定的な一撃を食らっていないとはいえ、前衛として《一本腕》のプレッシャーを間近で受けているのだ。僕の《大地の守り》で DEFを底上げしてはいるが、ゾーンボスと謳われる《ネームド》の一撃の前に、どれだけの効果があるかは怪しい。
「大きいの、もう少し距離を取れ。シズを狙って隙を見せたタイミングを狙うんだ」
クイの指示が飛ぶ。そう、救いがあるとすれば、《一本腕》は見た目通りの鈍重なモンスターであることだろう。じっさい、最前衛のシズはその長大な右腕の一撃一撃を、まるで蝶のようにひらひらとかわしている。そして、奴の弱点をもうひとつ付け加えるなら、左腕がないがゆえに、攻撃の起点があの長大な右腕からしかないことだ。だから攻撃の出どころが読みやすく、また次のアクションに移るときは、その長大さがネックとなって、あからさまに隙が出来る。あの異常なリーチこそが、逆に短所でもあるのだ。クイは、そこにこそ付け入る隙があると考えているのだろう。
「言われなくても──」
再度「大きいの」呼ばわりされたツユギが、シズを狙って右腕を振り下ろした《一本腕》の左側に回りこみ、その脇腹に渾身の力を込めて長槍を突き入れた。ごぶり、と分厚い肉をつらぬく不快な音がする。
「ち、硬ぇ──」
「鍵太郎!」
あまりの体皮の重厚さにツユギが顔をしかめたそのせつな、《一本腕》が咆哮とともに右腕を横に薙ぎ払った。分厚い肉に阻まれて、槍を抜けずにいたツユギの回避が一瞬遅れ、その一撃をまともに食らう。まるでピンポン玉が飛んでいくように、いっそコミカルといえるほどの勢いで、ツユギの長身が跳ね飛ばされる。
「あ……」
めったに口を開かないカナリが、僕の後ろで戸惑ったような声をあげた。僕はあわてて《癒しの砂》の魔法式を組み上げようとして──唇を噛んで右手を下ろした。ツユギのHPのゲージが0になっている。つまり、死んだのだ。ただの一撃で。
「──なっ──」
突然の事態にクイはその端正な顔をしかめ、バックステップで《一本腕》から距離を取った。僕らの中で最も、HP、DEFともに高いツユギを、一撃で殺してしまうほどの攻撃力は、さすがに想定外だったのだろう。あの鈍重さ、命中率の低さでバランスを取っているのかもしれないが、それにしてもピーキーにすぎる。
(すまねぇ、ドジっちまった。すぐ戻る──)
ツユギの口惜しそうな「ささやき」が耳を打つ。だが戻るといっても、死に戻り先の安全エリアからこの「首切り場」まで、最短ルートで走っても4、5分はかかるだろう。前衛を一人欠いたこの状況で、はたしてその5分を耐えることが出来るだろうか。幸い、あの機動力の低さであれば、距離を取りつつ時間を稼ぐことも出来るだろうが──
「……クイ」
同じように距離を取ったシズが、クイの横顔を心配そうに見やる。判断を仰いでいるのだろう。レアアイテムをドロップする可能性を捨てるのは惜しいが、なにも《一本腕》はイベント進行上、どうしても倒さねばならない敵というわけではない。じゅうぶんに距離を取ったあとログアウトし、ほとぼりが冷めた頃に戻ってきて、通常のオークを狩りつつ「包丁」のドロップを待てばいいだけの話だ。むしろ、LIFEの減少を考えれば、この状況ではそれが最も良策であるといえるだろう。
シズの無言の問いかけにクイは一瞬目を細めると、ちらり、となぜか僕の方に視線を向けた。そして決意を込めた表情で、《一本腕》に向き直る。
「いや、奴は絶対にここで狩る」
そう言って、一歩を踏み出した。そんなクイにシズは優しげな笑みを浮かべると、再び囮になるべく、前傾姿勢のまま一直線に《一本腕》に向かって突っ込んでゆく。
「お前たちはもう退避してくれ。ログアウトの時間は稼いで見せる。すまなかった。これは元々僕らの問題──」
「──冗談!」
ふと、その全身を淡い光が包み、クイは驚いた表情で僕を見やった。《癒しの砂》を捨て、魔法式を組みなおした僕の《湧き出る力》が発動したのだ。どうせ一撃を食らったら死ぬのだ、もはやDEFの向上に意味はない。ならインファイトよろしく、シンプルにATKを上げるのが、冴えたやり方のはずだ。
「お前……」
「お前じゃなくて、ツグミだよ。こっちはカナリ。LIFEが減ることを考えたらたしかに惜しいけど、そうなるとまだ決まったわけじゃない。むしろ、こんな燃えるシチュエーションで尻尾巻いて逃げたら、後でノイズにどやされるに決まってる。そのほうが嫌だよ」
同意、とばかりにカナリも口元をきゅっと引き結ぶと、素早く魔法式を組み始める。せめてツユギが戻ってくる時間くらいは粘らないと。後衛の僕が言うのもなんだけど、見せ場は残してやらないとね。
「……すまない」
そんな僕ら二人を横目に、クイは一瞬なにか言いたげな表情を見せたが、それを飲み込んだように、ぽつりとその一言だけを呟いた。
9
カナリの詠唱とともに、空中に浮かんだ四つの赤い光点が、矢となって《一本腕》に撃ち込まれた。《炎の矢》は最大4つまで発動させずにホールドさせることが出来、それを応用すれば(準備に相応の時間がかかるが)今カナリがしたように、同時に四発撃つことも可能だ。《炎の渦》では戦術上《一本腕》に肉薄せざるをえないシズを巻き込む恐れがあるのと、ツユギが前衛から一時撤退したことで、味方を誤射する可能性も低くなったとカナリは判断したのだろう。ホールド後の次弾の詠唱は起動部分を省略できるので、たしかに4回個別に撃つよりは効率が良い。
さすがに小うるさく感じたのか、顔面に飛来した《炎の矢》のひとつを、《一本腕》が分厚い二の腕を持ち上げて弾く。瞬間、がら空きになった胴にシズが切り込み、双剣をひらめかせて目にも留まらぬ乱撃を加えた。灰黒がかった花びらが《一本腕》の腹から舞い散り、わずかに苦悶の混じったような咆哮を洩らす。そして、痛みと怒りにまかせたような大ぶりの一撃を、今度は《一本腕》がシズに見舞おうとした。もちろん、回避にすぐれたシズのことだ。振り下ろされた《一本腕》の一撃を彼女は鮮やかなステップでかわした ──
──かに見えた。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
気がつくと、僕のすぐ目の前で、シズが仰向けに倒れていた。
「シズ!」
幸い、シズのHPゲージは1/3ほど削られただけだった。戸惑いに耳と尻尾をぴくぴくさせながら、素早くシズが身を起こす。何が起きたというのだろう。たしかに、シズは攻撃を回避したはずなのに。《一本腕》が地面に右腕を叩きつけたその瞬間、紙のように跳ね飛ばされたのだ。
「風圧にもダメージ判定があるのか?」
シズに追撃させないように自分に注意を引き付けながら、クイが呟いた。いや、先ほどまでそんな効果はなかったはずだ。ある程度ダメージを与えて、《一本腕》の攻撃方法が変化したというのだろうか。先ほどのシズを見る限りでは、ダメージ判定だけでなく、《ふっ飛ばし》の効果もあるようだ。下手をすれば簡単にフォーメーションを崩され、力攻めをされて全滅せざるをえない。
詰まった。シズが囮になって隙を作り、そこにクイとカナリが攻撃をくわえ、僕が後方支援をすることで、長期戦に持ち込んでツユギの帰還を待ちつつ、徐々にHPを削っていく戦術が、これで崩された。《一本腕》の攻撃範囲が広がったことで、シズは今まで以上に距離を取るほかなく、そうなると彼女の持ち味はまるで生かせない。かといって、まともに正面から戦えば容易に力負けしてしまうことは、ツユギが証明している。ちくしょう、このままチェックメイトか。
いや待て、冷静になって考えろ。
ここは中級レベルの狩場で、僕らのレベルはここで狩りをするのにまず適正といえる。いくら出現率がレアな《ネームド》とはいえ、適正(20前後)レベルの冒険者では何も打つ手がないということがあるだろうか。攻略の切り口を変えてみることで、活路が開けるような、そういうバランス設定にされてはいないだろうか。もちろん、ただの無理ゲーという落ちもあるだろう。だけど今は、運営の良心(バランス感覚)を信じて、賭けてみるしかない。攻撃が(プレイヤー側からみて)左方向に偏りがちであること、比較的動作が鈍重であること、それ以外に、なにかまだ、奴の弱点がないだろうか。
そして、その光景が目に飛び込んできた瞬間、僕の頭の中で火花が散った。頭部を狙ったカナリの《炎の矢》を、のけぞるようにして《一本腕》がかわしたのだ。胴体や下半身に攻撃が集中していたときは、まるで無頓着だったのに。
「頭だ!」
はたと気がついて、僕は無我夢中に叫んでいた。
「奴の弱点って、たぶん頭なんだよ。きっと、他の部分よりずっとダメージが通りやすいんだ。だから、頭部への攻撃だけは防ごうとしているんだ」
僕の言葉にクイは目を見開いて、そして得心が行ったようにうなずいた。
「だがどうする? 一撃を加えるにしても、打点が高すぎる。《炎の矢》だけではいかんせん火力不足だ。なにか打つ手はあるのか?」
「それは──」
4メートル超の《一本腕》の巨躯を遠目に、僕は言葉を詰まらせた。たしかに、物理的な攻撃をくわえるには、リーチが足りなすぎる。クイの言う通り、攻撃を通す手段はカナリの《炎の矢》くらいだが、《ネームド》を絶命させるには威力不足と言わざるをえないし、防御を固められたら、いずれAPが尽きてそこで詰みだ。
考えろ、と僕は短刀を握る拳に力を込めた。どうする? どんな方法がある? こちらからは距離を詰めようがない。なら逆はどうだ? ヤツのほうから、距離を詰めさせる方法はないか?
瞬間、もう一度僕の頭の中で火花が散った。リスキーな方法だけど、これなら──
「シズ、次のタイミングでクイとポジションをスイッチできる?」
僕の言葉にシズは一瞬きょとんとしたような表情をすると、すぐに意図を察してくれたのか、ふっと微笑んで、うなずきを返した。ごめん、危険だけど、特攻役は身軽な君にしか頼めないんだ。
「カナリは出来るだけ多くの手数で、もう一度頭部に向かって《炎の矢》を。《一本腕》が腕を持ち上げて防ごうとするように、打点はなるべく低めで。空いたふところに、クイは飛び込んで。攻撃のことは考えず、奴が反応したらすぐに退避するんだ。あとはシズ、君が──」
それだけで、クイも全てを理解したようだった。「やれるのか?」という表情でシズを見やる。「やれます」という自信を笑顔にひらめかせて、シズが答えた。もこもこした両耳が、高揚したようにピン、と縦に伸びる。
女の子がここまで言ってくれてるんだ、僕も腹をくくるしかない。
「ツグミさん、援護をお願いできますか?」
「まかされた!」
すぐさま、僕は組み上げていた《湧き出る力》をシズに向かって発動させる。そして走り出したクイとシズの二人が、《一本腕》の数メートル前で交差するように立ち位置を入れ替えた。
「カナリさん!」
シズの声と、カナリの《炎の矢》が《一本腕》の顔面に吸い込まれるように撃ち込まれたのは、ほぼ同時だった。二人の動きに気をとられていた《一本腕》はその一撃をまともに食らい、苦悶の声を上げながら大きく上体をのけぞらせる。続けて二の矢、三の矢。たまらずに長大な右手を持ち上げて、《一本腕》がカナリの攻撃を防ごうとする。
そのふところに、一気に距離を詰めたクイが飛び込んだ。カナリの《炎の矢》で執拗に顔面を狙われた《一本腕》は、怒りの雄たけびを上げて、クイを叩き潰そうと右手を振り上げた。
《一本腕》が丸太のような腕をクイごと地面に叩きつけようとする、まさにその瞬間が、僕らの狙っていたタイミングだった。バックステップで素早く距離を取ったクイが(一撃を入れようとしていたら、風圧のダメージ判定内に巻き込まれていただろう)、返す刀で一気に飛び込み、《一本腕》の右手を地面に縫い付けるように、全体重をかけて片手剣を突き通したのだ。
次の瞬間、地面に突き通された《一本腕》の手の甲、間接のあたり、そして二の腕の部分を、まるでステップを踏むようにシズが駆け上がった。自分の体を駆け上りながら肉薄するシズを認めて、獰猛な猪めいた《一本腕》の顔が驚愕に歪んだ。威嚇の声を上げようとする口に、シズの双剣が刺しこまれる。くぐもった悲鳴をよそに、そのままシズは両手を左右に交差させた。後はもう(すさまじい速度のはずなのに)、スローモーションを見ているようだった。クイとシズを振り払おうと最後のあがきを見せる《一本腕》の頭部を、文字通りシズが切り刻む。右から、左から、また右から。まるで舞踏のように流麗に。吹き出る灰黒い花びらに身を委ねながら。
そして、ついに、どう、と《一本腕》の巨体が前のめりに地面に倒れ伏した。
シズはまるで軽業師のようにその巨体を踏み台にして蜻蛉を切ると、僕たちの方に振り返って、大量の花びらと化した《一本腕》を背に、はにかんだような笑みを浮かべた。
ごめん、鍵太郎。どうやら見せ場は全部、この子に持っていかれたみたいだ──。




