シーム-03
4
「よう、待たせたか」
安全エリアに林立する水晶柱の一本に寄りかかって、手持ち無沙汰な時間を鼻歌でまぎらわしていると、いつの間にインしていたのだろう、ツユギが目の前に立っていた。あれ、と思って手元のマニピュレータのクラン情報を見ると、たしかにツユギの名前がオンライン表示になっている。
「うわ、全然気がつかなかった」
「なんかご機嫌だったからなあ、お前」
からかうような口調でツユギは言うと、長槍をまるで健康器具のように持って、大きく伸びをした。黒鉄色の鎧のプレートが、鈍い金属音を立てる。元々長身で肩幅も広いツユギがそうしていると、なんだかすごく映えて見える。僕が前衛スキルを取らずに後衛スキル中心に育成しているのは、性分もあるけど、とてもこういう武具や甲冑が似合わないだろうなと思ったことも大きい。ゲームだから好きなようにやればいいのだろうけれど、五月人形みたいだなとツユギに笑われるのがやる前から目に見えている。
ちなみに、僕とツユギの外見は、現実のそれとさほど大きな変化はない。多少目や髪、肌の色はいじってはいるが(僕は赤みがかった茶色の髪に鳶色の目、ツユギは肌を褐色に変えている)、キャラクターの容姿自体は作成時にスキャンされた自分自身のそれに大した修正を加えてはいないからだ。(せっかくだから思い切り背を伸ばそうかとも思ったが、さすがにむなしくなったのでやめた)ノイズ、カナリに関しては現実の彼女と会ったことがないから比較はできないが、多分、印象が大きく変わるということはないだろう。
「で、なにがあった?」
「……別に」
「ま、色々と予想はつくがね」
悪戯っぽい仕草で片目を閉じながら、ツユギはわざとらしく大あくびをしてみせた。ちくしょう、何もかも見すかしたような目をしやがって。そう僕が心の中で舌を出すと、ツユギは急に真面目な顔になって、僕と同じように柱に背中をあずけた。不思議な光景だ。ぼんやりとそんなことを思う。どれだけ良く出来ていたとしても、ここはデジタルで作られた世界──仮想空間であることは分かっているけれど、水晶作りのこの空間が非現実的であればあるほど、奇妙なリアリティをもって迫ってくるような気がする。子供の頃に夢見た空間、ゲームの中の登場人物たちが辿る場所、そんな幻想がそのまま形を為したような、そんな風景。
ふと、顔を上げる。柱と同じ水晶作りの天井が、幻想的な光をはなつさまを、少しのあいだ、僕らはぼんやりと眺めていた。
「正直、ちょっと安心したよ」
どこか神妙な顔のまま、ぽつり、とツユギが呟いた。
「?」
「……お前が、ようやくそういう気持ちになれたってことがさ」
「…………」
そう呟くツユギの顔がなんだかひどく年上めいて見え、僕はなんだか複雑な気持ちになって視線をまた空に向けた。なんというか、同い年なはずなのに、鍵太郎に比べて自分がひどく子供に思えて嫌になる。
そういう気持ち、か。
鍵太郎と美早がいわゆる彼氏彼女になったとき、まず最初に感じたのは寂しさだったと思う。目には見えないけれど、でもたしかにある階段をひとつ、僕を残して二人だけが昇ってしまったような、そんな不安感と寂しさが、二人を祝福したいという気持ちと同じくらい大きく、僕の中にはたしかにあった。そして今、ようやく僕はあの時の二人のような、そんな気持ちでいるのだろうか。天澤さんと、鍵太郎や美早のような関係になりたいと、そう思っているのだろうか。
分からない。
天澤さんことが、気にならないといえば嘘になる。天澤さんが時折見せる、まるでそのまま空気に溶けてしまいそうな淡い笑顔を見ているだけで、胸の奥がむずむずするような気がするし、もしそんな彼女の力になれるなら、僕は出来るだけのことをしたいとそう思う。だけどそれが、いわゆる世間一般で言うところの、恋愛感情なのかと訊かれたら、僕は──
くしゃ、と髪に触れる大きな掌の感触がした。
「ま、のんびりいこうや」
僕の髪をぐりぐりと弄り回しながら、ツユギは笑った。その顔がどこかいち兄に似ていて、それがなんだか妙に悔しくて、僕は憮然とした表情でツユギの手を振り払った。
「……余計なお世話だ」
ツユギはそんな僕を見やって、そして目を細めて小さく、そうだな、と呟いた。
不意に、手元のマニピュレータが明滅し、素朴な効果音とともにギルド情報のカナリの名前の脇にオンラインのマークが点灯した。数瞬のあと、僕らから少し離れた空間に、虹色の光彩が沸きあがる。
「ま、相談したいことがあれば、いつでも声かけてくれや。俺も美早もこれでも興味深々──いやいや、心配してるんだよ。まあ、人生の先輩として、色々アドバイスしてやれることもあるだろうさ」
「……ちょっと自分が先に生まれたからって偉そうに」
からかうように言ったツユギにそう毒づくと、僕は柱から身を放した。やがて光彩は空気に溶け込むようにして淡く消え、僕らの視線の先にはダークブラウンの髪をお下げにした小柄な少女──カナリが立っていた。
僕たちの姿を認めると、カナリはとてとて、という擬音が似合いそうな仕草で歩みより、
「……遅れた?」
と細い声で訊いた。
「いや、むしろカナリが時間ぴったり。僕らがすこし早く来すぎただけだよ」
そう言うと、カナリは安心したように、少しだけ口元を緩ませた。元々無口なたちなのか、カナリは言葉数の多い女の子ではけしてないのだが、時々見せるこういったやわらかい表情から、僕はこの子はきっとすごく良い子なんだろうな、と心底思っている。
「んじゃ、あとはノイズを待つだけか」
「ああごめん、言い忘れてた」
ツユギの言葉を受けて、僕は手元のマニピュレータを軽く指で弾いた。
「ツユギが来るちょっと前、ノイズから連絡があってさ。ちょっと立て込んでて、今日は来れないってさ」
言いながらメッセージの履歴を二人に見せる。『野暮用発生、不参加ご容赦』とノイズらしい簡潔な一文。面と向かうとけっこうおしゃべりなのに、メールやメッセージだと不思議と言葉数が少ないんだよな、ノイズは。
「マジか。今日はもう一層くらい下に潜ろうかと気合入れて来たんだけどな」
「都合が悪いんじゃ仕方ないよ」
僕の言葉に、カナリは相変わらずのどこか茫洋とした瞳で視線を向けた。じゃあ今日はどうするの、とそう言いたいのだろう。
「とりあえずどうしようか? ノイズがいないとなると、あまり深いところは厳しいと思うんだけど」
「かなり不味くなっちまったが、B8Fの潅木地帯でトカゲ狩りが妥当かね」
僕はうなずいた。リザードマンには余りいい思い出はないが、たしかにそのあたりが無難だろう。経験値効率は悪いだろうが、その分POT代は節約できるはずだ。そう思ってカナリを見やると、彼女は小さく首を縦に振った。異存はないらしい。
「じゃあ──」
ゲートに向かおうか、と言おうとした僕の言葉は、突如数メートル先に出現した虹色の柱に遮られた。どうやらどこかのプレイヤーが転移してきたらしい。さきほどのカナリの時に比べて色が青みがかっているところを見ると、これは死に戻り(ダンジョン内で死亡したさい、強制的に最後にマークした安全エリアまで戻されること)か。
光芒が消えさったあとの地面に、ちょうど僕と同じくらいの背格好の少女がうずくまっていた。まだ気絶状態を引きずっているのか、力ない動作でそのままぺたり、と前のめりに地面に崩れ落ちる。普通なら回復アイテムなりですぐに復活するところだが、プレイヤー自身にも何かあったのだろうか。
カナリがどうするの、という視線を僕に向けた。余計なお世話かもしれないが、このまま放置していくのも、なんだか気分がよくない。僕はツユギに目くばせすると、少女のそばに駆けよった。ツユギが少女の背に腕を回して抱き起こすと、僕は右手で《癒しの砂》の魔法式を組み、詠唱を始める。数秒後、あたたかな熱とともに、少女の体が淡い光に包まれた。全体的に革系防具が中心な軽装というところをみると、スカウト系のスキルを中心に育成しているのだろうか。見れば、ショートの黒髪から大きな猫耳がぴくぴくと動いていて、この子が獣人族(といっても耳と尻尾以外は普通の人間と大差ないのだが)であることに僕は気づいた。うわ、本当にふさふさした耳なんだな。
耳に触れたい、むずむずとした衝動を抑えながら、僕は詠唱を終えた。HPも回復しきったのだろう、少女はツユギの腕の中で小さく身をよじり、うっすらと目を開けた。
目が合った。くりっとした元気そうな目だな、と思っていたら、少女は怪訝そうな視線になって僕を見、まるでブリキの人形みたいにギギギ、と身をよじって自分を抱きとめているツユギを振り返り、
「あ……」
「あ?」
そして、
「……っ、☆▼#□※!!!」
悲鳴をあげた。
5
「……本当に、本当に、ご無礼をいたしました!」
「別にそこまでかしこまらなくても……」
いやに古風な言い回しをする子だな、と思いながら僕が苦笑しながらそう言うと、少女はいっそう恐縮したように小さな体をくの字に折り曲げて深々と頭を下げた。
「その、本当に悪気はなかったんです。突然のことで、思わずつい、その、右手が、ぱーん、と」
必死にそう言う彼女の耳は、まるで耳全体が反省しているかのようにぺたんとしおれていて、ズボンの後ろから垂れている尻尾も心なしか元気がない。ぴく、ぴくとまるで申し訳なさそうにわずかに左右に揺れるさまがなんだかひどくおかしくて、僕は思わず吹き出してしまった。
「なんか割り切れねぇ……」
憮然としたその声に振り向くと、頬に鮮やかな掌のあとを残したツユギが、ふてくされた表情でそっぽを向いていた。あの顔は、この子に頬をはられたことより、頬をはられてしまった自分に向いてるんだろうな。そう思うと、その横顔がさっきとはうって変わって妙に子供じみて見えて、僕はもう一度吹き出した。
「……なんだよ」
「いや、女の子に頬をはられる鍵太郎も、なんか絵になるなと思ってさ」
「……悪いがこちとら文系科目はからきしなんだよ。発言者の意図を、明確に、平易に、句読点含んだ5文字以内で表現してくれ」
「ええと……『かっこ悪い』?」
「…………」
「その……すみません」
言い合う僕とツユギを交互に見やりながら、まだちょっとおびえた感じの声で、少女がツユギに正対して頭を下げる。どう反応したものか、という感じでツユギは鼻の頭をこりこりと指で掻くと、
「あー、まあ、こっちも誤解されるようなマネしてすまなかった」
ふるふる、と少女は首を振る。あくまで非は自分にある、と言いたいのだろう。まっすぐな子だな、と微笑ましい気持ちになりながら僕は思ったが、これではいつまで経っても話が終わらない。
「でも、僕たちも悪かったと思う。びっくりさせたこともそうだけど、ダンジョン内ならともかく、安全エリアで辻回復ってのも、余計なお節介だったかもしれないし」
そう言うと、少女はまるで扇風機みたいに首を振り、
「そんな! ちょうどPOTの手持ちも少なくなっていましたし、本当に助かりました」
「そんなに大げさにお礼を言われるほどのことじゃないよ」
「いえ、“恩は等しく、讐は乗して”返せ、というのが我が家の家訓ですので。必ず、このご恩に報いさせて頂きます」
まっすぐ僕を見つめてそう言うと、もう一度深くこうべを垂れた。猫耳がそれに合わせるようにぺたんとしおれる。そういうキャラクターを演じているというより、どうもこれがこの子の地なのだろうな、と僕はなんとなくそう思った。それにしても“しゅう”って復讐の讐だろうか。だとしたら怖すぎる家訓だ。
「うん、じゃあそんな機会があったらね」
人の好意を無碍に断るのもなんだと思い僕がそう答えると、はい! と少女は満面の笑みを浮かべてうなずいた。感情が素直に顔に出る子なんだなあ。言乃もこのくらい喜怒哀楽がはっきりしてれば、もう少し兄としての威厳も保てるのに。
言乃に気付かれたら白い眼で見られそうなことを考える僕を少女はきょとんとした顔で見つめていたが、ふと何かに気付いたように、胸の前でポン、と手を合わせた。
「そういえば、まだ名乗ってもいませんでした。ご無礼をお許し下さい。私は──」
思わず本名の方を口走りそうになったのか、少女は一瞬わたわたした仕草で口ごもると、
「シズ、と言います。カタカナでシズ、です」
気を取り直してそう言った。シズ、か。漢字に直せば静といったところかな。見た目どうみても活発そうなこの子の名前にしてはちょっとギャップがあって、僕はなんとなくおかしくなってしまった。
「僕はツグミ。それから、この大きいのがツユギで、この子がカナリ。もうひとりノイズっていうアタッカーがいて、その4人で今はクランを組んでる」
僕のすぐ後ろでずっと沈黙を守っていたカナリは、そう紹介されると、ちら、という感じにシズを見やり、首をかすかに傾げて会釈の仕草をした。シズはそんな僕たちの顔を順番に眺めてから、
「ツグミさんにツユギさん、……カナリさん。覚えました」
弾むような声でそう言うと、嬉しそうに口元をほころばせた。その表情がなんともいえず和やかで、僕はまた微笑ましい気分になってしまう。ここが仮想空間である以上、当然普段とはまったく違う自分を演じているプレイヤーもいるだろうし、時には性別すら偽っている場合だってあるだろう。それがある意味の醍醐味だと思うのだが、この子の場合はあまりそんな風に思えない。なんというか、育ちの良さがそのままこの子の明るさに繋がっているというか──いや、あって十分も経ってないというのに、そう断定してしまうのもおかしな話だけど。
「──あ、あの?」
そんなことを考えていると、ふと、目の前のシズがうつむきかげんに首をすくめ、戸惑うような声をあげた。気がつくと、息のかかりそうな距離で彼女を見つめてしまっていたらしい。
「お前、そりゃちょっと勘違いされる距離だぞ」
からかうようなツユギの声に、シズは小麦色の頬を染めて、ますますうつむいた。しまった、つい言乃にするような距離感で接してしまった。
「あ、その──ごめん」
「いえ、そんな──」
なぜかぺこぺこと謝りあう僕たち。今さらながら恥ずかしくなってしまった僕の背中越しに、カナリのかすかな溜め息が聞こえる。うわ、きっと今僕の顔は真っ赤になってるだろうな、というくらい頬が熱い。ツユギはといえば、さっきの意趣返しのつもりか、遠慮仮借なくけたけたと笑い声をあげていた。ああもう、そんなに笑わなくたっていいじゃないか。そう僕がツユギに何か一言いってやろうと顔を上げた矢先、
「──あ」
シズが、固まっていた。
「…………?」
僕とツユギ、カナリの視線がシズに集まる。
「あ、あ──、あ──!」
シズがなにかとんでもない忘れ物を思い出したように声を上げると、それにあわせたようなリズムでネコミミも逆立った。どうしようと繰り返しながら、その表情がみるみる暗くなってゆく。その心中を表すように、茶色い尻尾が落ち着きなく左右に揺れていた。
「あの、シズ……?」
おそるおそる僕が声をかけると、シズが振り向くよりも早く、彼女の尻尾がぴん、と立った。そして彼女が助けを求めるような瞳で僕を見、次の瞬間、
「ツグミさん!!」
「わっ」
僕は押し倒されていた。
まるで元気のいい飼い犬が主人にそうするように、シズが飛びついてきたのだ。とっさに受け止めきれずに、仰向けに倒れた僕にのしかかるようにして、
「ツグミさん、お願いします! 《私たち》を助けて下さい!!」
さっきよりももっと近く──鼻が触れ合いそうになる距離で、そうシズが叫んだ。
「え? いや、ちょっと、シズ?」
わけが分からず戸惑う僕の耳を、今度はそれと分かるようにはっきりと、カナリの溜め息が打った。




