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花葬迷宮  作者: 睦月周
シーム
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シーム-02

          2



 くしゅん、と自分でもどうかなと思う音を立てながら、僕はくしゃみをした。朝からどうも鼻がむずむずする。昨日はつい窓を開けたまま眠ってしまっていたのから、気がつかない内に体が冷えてしまったのだろうか。隣で静かに本を読んでいた天澤さんも、顔を上げて心配そうな目線を向けてくる。


「風邪か? 市ノ瀬」


 続けて、ちょっとハスキーな声が耳朶を打った。古びた机に頬杖をつきながら本を読んでいたその声の主は、垂れ落ちてきた眼鏡を中指で小うるさそうに定位置に戻すと、読んでいた本をぱたんと閉じた、


「そこまで深刻なものじゃないと思いますけど」

「まあ大事を取るに如くはない。天澤、窓を開けてくれるか。すこし空気を入れかえよう」


 図書準備室の主は、そう言って自分も席を立った。蛍光灯の明かりを反射して、洒落たデザインの眼鏡が鈍い光をはなつ。

 時森泉角いずみ。第二読書部の部長にして、一年上の2-D所属。僕にとっては中等部から頭の上がらない先輩のひとりで、黙っていれば学園内屈指の秀才で通る人だと思うのだが、同時に「退屈は敵」の一言で平地に乱を起こしまくる、不穏、という言葉の生きた代名詞のような人でもある。時森、といえばこのあたりでは八重坂、香条と並んで名のしれた旧家で、すらりとした長身とまず美形といっていい顔立ちも手伝って、先輩はけっこうな良家の御曹司のはずなのだが、良い意味でも悪い意味でもまるでそんな雰囲気を感じさせないのが、この時森泉角という人だと僕は思う。


「ふむ。さして熱はないようだが」


 いつの間にか僕のすぐそばにまで歩みよっていた先輩は、大きなてのひらを僕の額に当てて、そう呟いた。


「お茶、淹れましょうか?」


 窓を開けた天澤さんが、カーテンを丁寧にまとめながら訊く。窓から入り込んできた穏やかな風が、天澤さんの髪を揺らして、僕の頬を撫でた。ほんの少し、空気が熱を含んできたような感じがする。


「そうしてくれるか? こういうときは、熱い茶にまさる良薬はない」

「そんな大げさにしなくてもいいですから。……まあお茶は飲みたいですけど」


 僕の返答に天澤さんはくすりと微笑むと、いそいそとした仕草でテーブル脇のクッキーの缶から茶葉を取り出した。陶器の触れ合う、心地よい音がそのあとに続く。


「しかし、相変わらず市ノ瀬は髪の手触りは絶品だな。触っていてまるで飽きん」


 興が乗ったのか、僕の髪を無造作に弄くりまわしながら、先輩が笑った。事あるごとに僕を小さな子供扱いしたがるのがこの人の(多すぎてちょっと数え切れないが)悪い癖のひとつだと僕は思う。


「……人を呼びますよ」


 首をちぢめて僕が抵抗の意志を見せると、「冗談だ、冗談」と笑いながら先輩は身を放し、未練がましく指をわきわきとさせながら自分の椅子に戻った。それからふと思い出したように手を打って、


「そういえば、市ノ瀬と天澤に伝えていないことがあったな」


 そんなことを言った。


「なんですか、改まって」

「いやなに、──ああすまない。とと、熱いな──七月祭のことなんだが」


 ちょうどそのタイミングでお茶を持ってきた天澤さんに礼を言うと、湯飲みに口を寄せながら先輩はそう言った。天澤は僕の前にもお茶を穏やかな手つきで置くと、自分の分を持って僕の隣に腰を下ろし、


「七月祭、ですか?」


 と不思議そうな声で訊いた。そういえば、天澤さんは外部編入組だから、7月祭のことを知らないのか。


「そうか、天澤は初めてなんだったな」


 納得したようにうなずくと、先輩は簡単に説明を始めた。七月祭は、簡潔に表現してしまえば、毎年前期に行われる学園祭のようなものだ。十何年前だかの先輩たち(そう考えるとちょうど母さんたちの世代じゃないだろうか)が、イベント目白押しの後期に対して、前期にお祭りごとがないのはつまらない、と有志を募って始めたのがそのきっかけで、11月におこなわれる清泉祭(学園祭のことだ)との違いは、クラス単位での自動的参加というものはなく、あくまで有志(たいていはクラブ単位)で企画・運営されるお祭りだということだ。といっても、伝統的にお祭り好きが多い泉城学園生のことだから、中等部・高等部を巻き込んで毎年七月祭は清泉祭に優るとも劣らない盛り上がりを見せている。


「にぎやかな学風なんですね」


 天澤さんは得心がいった、という風にうなずくと、どこか感心したような口調でそう呟いた。


「で、今度はなにを企んでいるんです?」


 警戒心をむき出しにして僕は訊いた。泉城の中等部に入りたての春、不幸にもこの人と出会ってしまってから、僕は今までどれだけトラブルに巻き込まれてきたか知れない。柿沼先生評するところの、「乱世の梟雄、治世も梟雄」を地で行くこの人の逸話を数え上げたら切りがないので割愛するが、今だって思慮深そうな穏やかな表情の裏で、騒動の種を育てているに違いないのだ。


「そう人を疑るような顔をするな。いやなに、その七月祭に、今年は第二読書部として参加をしようと思っていてな」


 先輩の言葉に、僕と天澤さんは思わず顔を見合わせた。少し困ったような表情で、天澤さんがたずねる。


「それは、その七月祭……に、出し物をしよう、ということですか?」

「まあ、単純明快に言えば、そういうことだ」

「市ノ瀬くんと、部長と、私の3人で……ですか?」

「そうなるな」

「…………」


 もう一度、僕と天澤さんは顔を見合わせた。七月祭は園生会執行部麾下の七月祭運営委員会に企画内容を申請し、受理されれば誰でも企画側として参加できるから、第二読書部としての参加自体は問題はない。そのこと自体はたしかに問題はないが、それにしてもたった3人で何をしようというのだろう。まあ、この人ならたったひとりでも、とんでもないことをやってのける方向性の見えない才能に溢れていることは骨身にしみて知っているが、付き合わされる身としては、正直ただ楽観しているわけにもいかない。


「突然どうしたんです? 先輩はどちらかというと、お祭りを裏から引っ掻きまわすゲリラ的手段が得手だと思っていましたが」


 僕がそう訊くと、先輩はオールバックの髪を無造作に弄りながら、苦笑をひらめかせた。


「今年は、ハチロクの奴がうるさくてなあ」

「会長が?」

「”泉城学園に籍を置く全ての部活動は、常に健全・建設的な活動をしていることを示す義務がある”……んだとさ」

「……それ、すべてのクラブに対する通達なんですか?」

「まさか。我が栄えある第二読書部だけに決まっているだろう」


 変な笑い声を立てながら、先輩は言った。

 ハチロク、というのは泉城学園の園生会(生徒会のことだ)執行部会長、八重坂六菓会長のことだ。名字と名前の漢数字を抜いてハチロク、というわけだが、あの会長をそんな砕けた愛称で呼べるのは、学園内広しといえども、時森先輩くらいのものだろう。定期試験では時森先輩と常に首位を争う学園内屈指の才媛であり、沖乃坂の名家・八重坂家の令嬢であり、モデル並の絢爛な容姿をほこる泉城の女帝。


「まあ、そういう次第だ。当然、売られた喧嘩は即買いせねばな」


 わざとらしく大きなため息をついて、僕は額に手を当てた。古くからの幼なじみ同士らしいのだが、両雄並び立たずというのか、とかく八重坂会長と時森先輩は不仲で有名で、事あるごとに角突きあっている。なまじどちらも飛びぬけてスペックが高いものだから、その角の突き合いが騒動に発展しないわけがない。(事実、時森先輩が起こしてきた数々の騒動の過半数は会長絡みの出来事が発端といっていい)僕はもう一度大きくため息をついて、まだ事情を理解できないできょとんとしている天澤さんに苦笑を向けた。

 つまるところ、もう事は決してしまったのだ。会長が絡んでいる以上、先輩が引くことはまずありえないし、そうなったらもう僕らとしてはただ腹をくくるしかない。天澤さんにとっては、災難な話かもしれないけれど……。


「分かりました。皆まで言わなくてもいいです。やりましょう」

「さすが市ノ瀬、話が早いな。──天澤はどうだ、異論はないか?」


 そう水を向けられて、天澤さんは一瞬だけ戸惑った表情を見せて、僕の方に視線を向けた。けれど、すぐ意を決したように、


「まだちょっと混乱してますけど……私に出来ることなら、お手伝いします」


 そう言った。その返答に「重畳」、と先輩は満足そうにうなずいた。


「問題は何をするかだが、とりあえず俺には腹案がある。だがまあ、まだ固まりきってはいないのでな、詳細は次の集まりの時にでも報告するとしよう。……ああ、もうこんな時間か。では事前に色々根回しもあるのでな、今日はところは解散するとしよう。各自、気をつけて下校するように──」



          3


 

「大変なことになっちゃいましたね」


 帰る道すがら、ちょうど沖乃坂と宮辻の三叉路に向かう公園通りの入り口で、ふと天澤さんが立ち止まってそんなことを呟いた。


「これから先輩との付き合いが長くなれば、天澤さんもすぐ慣れると思うよ。たぶん……」

「たぶん?」

「たぶん、そのうち大抵のことが大変だと思わなくなる」


 そう言うと、天澤さんが少しだけ目を丸くして、それからくすくすと笑い出した。


「市ノ瀬くんのまわりって、本当に楽しい人たちばかりなんですね」

「……そうかな?」

「はい、断言します」


 口元に手を当てて、笑いを噛み殺しながら天澤さんは言った。そりゃまあ、一癖も二癖もある連中ばかりってのは認めるけどね。


「たぶん、市ノ瀬くんと一緒にいるのが、楽しいからなんでしょうね」

「僕としては、ただ弄られているような気がしなくもないんだけど……」

「そんなことはないですよ。桂さんや露城くん、時森先輩も、みんな楽しそうに笑っているんですから」

「先輩の楽しそうは、なにかベクトルが違うような気がするんだけどなあ」


 僕がそう言うと、天澤さんは思い出し笑いをしたように、口元を緩ませた。


「そういえば柿沼先生がおっしゃってました。時森先輩の数々のご活躍は、有能な補佐役の助力もあずかって大きいとか」


 僕は無言のまま息をついた。好好爺然としたあの先生に、そんな風に思われていたのか。うなだれた僕の表情がおかしかったのか、天澤さんはまだくすくす笑いを続けている。不思議だな、とそんな天澤さんを見ながら僕は思った。彼女と知り合ってまだ、一月半ほどしか月日が経っていないのに、もう何年も前からこんな風に一緒に帰り道を歩いていたような、そんな感覚をおぼえることがある。

 天澤はるか、という女の子を初めて見た時の印象は、大人しそうな子だな、だった。穏やかな日の光が差し込む部屋で、文庫本に目を落としているような、そんなイメージ──というと貧困すぎるかもしれないけれど、天澤さんにはそういう穏やかで、そしてどこか孤高を感じさせる雰囲気があったと思う。最初のHRでの席決めの時に、天澤さんの隣になったときは、どう打ち解けていいか分からなくて正直とまどったものだ。だから、意外にも天澤さんの方から僕に話しかけてくれたときは嬉しかったし、同時に安堵もしたものだ。


『つぐみくん、という名前なんですね』


 思えばなぜか、僕にそう声をかけてくれたときから、彼女の表情には親しみがこめられていたような気がする。いや、これはもしかしたら、僕の自惚れかもしれないけれど。

 緩やかな風が、公園通りの木々の間を吹き抜けて、天澤さんの長い黒髪をわずかに揺らした。小さな葉ずれの音がする。


「まだちょっと肌寒いと思うときありますけど、もうすこししたら、上着がいらない陽気になりそうですね」

「今年の夏は猛暑だっていうけどさ」

「はい」

「なんか毎年同じことを言ってるような気がする。『今年は猛暑!』って」

「それは家電業界の情報戦略ですよ、きっと」


 他愛もない話をしながら公園通りを抜けていく。鍵太郎や美早といるときとは違った、どこかくすぐったいような不思議な時間がすぎて、僕らの足はもう一度止まった。公園通りを抜けたのだ。ここから右に曲がれば天澤さんの家がある沖乃坂に、左に曲がれば僕の家がある宮辻の住宅街に繋がる。


「……早いなあ」


 ぽつり、と天澤さんが呟いた。


「市ノ瀬くんと帰るようになってから、帰り道が早くなった気がします」


 柔らかく微笑んで、天澤さんはくるりとターンを踏むような仕草で、僕の方に体を向けた。


「色々突然の話ばっかりで、今日は驚いちゃいましたけど」


 風に小さく揺れる黒髪をおさえながら、言う。


「私、ちょっとワクワクしているみたいです。7月祭、楽しい出し物になるといいですね」


 僕はうなずいた。なにか気の利いた言葉を返したかったけど、何も思いつかなかったし、それ以前に僕は天澤さんの表情にみとれていたのだと思う。


「……うん」


 ようやく、それだけを僕は言った。気がつくと、もう太陽はゆっくりと沈もうとしていて、空はすっかり茜色に染まり始めていた。

 天澤さんはちょっとうつむくような仕草をして、


「それじゃ、市ノ瀬くん、また明日」


 そう言って、もう一度笑った。

 どうしてかは分からないけど、そのときの笑顔が、僕にはすごくはかないものに思えた。さっきまでの穏やかな笑顔とは違う、時折天澤さんが見せる、どこか寂しげな微笑み。僕が天澤さんの言葉にもう一度「……うん」とうなずくと、天澤さんは小さく頭を下げ、きびすを返した。一歩、二歩。天澤さんが離れていく。


「……天澤さん!」


 なにかに押されるように、僕の喉からその名前がすべり出た。二十歩ほど離れた場所で、天澤さんは立ち止まり、振り返った。夕焼けの、鈍い幻想的なオレンジの光を背に受けて、彼女は切れ長の瞳をじっと僕に向けていた。


「さっき言ったよね、僕のまわりにいる人たちは、みんな楽しい人たちばかりだって。いつも楽しそうに笑ってるって」


 天澤さんはうなずく。


「じゃあ──」


 僕は言葉を切り、いつの間にか固く握っていた拳に汗をにじませて、続けた。


「天澤さんは、楽しい?」


 僕の言葉に、天澤さんはちょっとだけ驚いたような顔をして、でもすぐにその表情は微笑みに変わった。その表情に寂しげな色はなくて、僕は安堵する。

 天澤さんは胸に手を当てながら、視線を落とし、そしてゆっくりを顔を上げ、両手を口元によせて、小さく叫んだ。


「答えは、もう、言いましたよ!」


 白い頬を夕焼けの色に染めて、天澤さんは続けた。


「言いましたよね、私、“市ノ瀬くんと帰るようになってから、帰りが早くなった気がする”って──」


 そして──


「“楽しい時間”は、いつも早く過ぎるんです──!」

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