カレイド-03
5
「予防線をはられたな」
どこか面白くなさそうに、言乃は答えた。
「予防線って……」
「牽制と言い換えてもいい。それは、これ以上自分には踏み込ませないというサインだと思う」
目線は手に持ったタマネギに向けながら、言乃は続けた。
帰り道、家まであと数分、というところの十字路で偶然言乃と出くわした僕は、そのままの足で夕食の買い物に荷物持ちとして付き合ったわけだが、スーパーに入って言乃は開口一番こう言った。「浮かない顔だな」と。そして気がつけば今日の昼休みの、天澤さんが呟いた不思議な言葉の話になったというわけだ。
「でも、天澤さんはよく気がつく女の子だし、面倒見のいい子だと思うんだよ。あんまり、他人を拒絶するようなタイプには見えないんだけどな」
僕がそう言うと、言乃は形のいい眉をほんの少しひそめて、小さくため息をついた。
そして無言のまま、持っていたタマネギを押し付ける。続けて人参、ジャガイモ、エリンギ。そしてすたすたと今度は精肉のコーナーに向かって歩いていく。
「って、言乃」
渡された野菜を籠に押し込みながら後を追う僕を一瞥すると、言乃はまたこれ見よがしにため息をついた。
「つぐみは脳天気だ」
耳にかかる部分だけを編みこんだ髪を弄りながら(これは苛々している時の言乃の癖だ)、言乃は振り向いた。
「つぐみ、人にはそれぞれ事情がある」
「それくらいは分かってるよ」
「ならいいが。だがそういうサインを出している以上、その天澤さんとやらにも事情があるのだと思う。つぐみたちといるのは楽しいのだと思うが、ある一線以上は越えて欲しくないという事情だ」
「……事情、か」
言乃が差し出す豚肉のパックを受け取りながら、僕は昨日の天澤さんの表情を思い出した。なにか、眩しいものを見るような目で僕らを見ていた、あのなんともいえない表情。寂しいというより、どこかあきらめに似たような、そんな微笑み。
気がつくと、少し厳しい表情で言乃がまっすぐ僕を見ていた。僕が何を考えているかなんて、お見通しだと言わんばかりの視線。
「変わらないな、つぐみは。いつまでも危なっかしいままだ」
「どういう意味だよ」
「覚悟がいる、という意味だ。他人の事情に首を突っ込むのなら、それ相応の覚悟がな。時と場合によっては火傷じゃすまない可能性だってある」
中学二年生とはとても思えない言葉を呟いて、言乃はやれやれという感じに首を振った。
「覚えているか? つぐみがまだ小学五年生の頃だ。たしか夏祭りの日だったと思う。二人で神社の脇のあぜ道を手をつないで帰ったことがあったろう?」
目を細めながら言乃が言う。というか、僕が五年生の時ってことは、お前はまだ小学三年生じゃないか。どうして僕の周りの女の子と来たら、こう、僕に対してお姉さんぶった態度を取りたがるのだろう?
「あぜ道の脇に、茶色いなにかが転がっていた。薄暗くて、私はそれが最初なにか分からなかった。つぐみが駆け寄って、それを手ですくい上げるまで」
そこまで言われて、僕は思い出した。胸の中に、苦いなにかが広がっていく。
「それは、巣から落ちた椋鳥のヒナだった。子供の目で見ても、すっかり弱っていた。正直、私は助からないなと思ったよ。でもつぐみはその子を迷わず家まで連れて帰った。綺麗な布で体を拭いてやったり、母さんと一緒に一生懸命ヒナに餌をやろうとした。でもその晩、結局ヒナは死んだ。つぐみは泣いていたな」
子供だったな、と僕は思う。あの時、僕は絶対ヒナを助けられると思っていた。ヒナを助けて、空を飛べるようになるまで自分が育てて見せるとまで、きっと思っていた。でも、ヒナは本当にあっさりと死んでしまった。目をあけることすらなかった。僕はヒナが死ぬまでの時間をほんの少し延ばしたのかもしれないが、けっきょくそれだけだった。
「もちろん、人間は鳥のヒナとは違う。でもつぐみ、他人の事情に踏み込むということは、いつだってそういうことを孕んでいる。それでも、放っておけないというのなら──」
でも、僕は思う。それでも、あの薄暗い、寂しい場所でひっそりと死んでいくよりは──ずっと幸せだったはずだと、僕は今でも信じている。
「もっと話してやればいい。少しずつでも、踏み込んでいってやればいい。つぐみがそうしたいのなら、それは、きっと正しいことだ」
そう言って、言乃はひどく優しい表情で言葉を切った。
「なんか、いつも説教されてばかりだな、僕は」
そうぼやく僕を見て、言乃は小さく笑みを浮かべた。
「心配をかけられるのも妹の務めだよ。たとえば、妹としてはさして体の強くない兄が、毎晩夜ふかしをしているのはひどく気になっている」
「だから、あれはいち兄の手伝いで──」
「それにしてはずいぶんな熱の入れ具合だと思うが」
からかうように言って、言乃はすたすたと歩いていく。舌打ちしつつその後を追いながら、言い返せないな、と僕は思った。たしかに最初はさしたる目的もなく、いち兄に言われるままに始めたゲームだった。じっさい、ソロプレイしていた頃はそのリアルさには驚いたけれど、夢中になるというほどのものではなかった。でもノイズと出会ってクランを組むようになり、鍵太郎もやっていると知って合流し、カナリもそれに加わって──仲間が増えるたびに、僕はしだいにあの世界に潜ることを楽しみ始めている。それは正直な気持ちだ。少しずつ強くなっていく実感。ひとりでは達成できない何かを、仲間と一緒にやりとげる快感。現実のものではありえないかもしれないけれど、その実感だけは確かなものだと僕は思う。
「悪かったな、頼りのない兄で」
ふて腐れた声でいう僕を見て、言乃は珍しく悪戯っぽい表情を見せ、棚から牛乳を二本取り出し、一本を僕に手渡した。
「そんなことはない。私はとてもつぐみを頼りにしている」
くすくすと笑いながら指差した先には、赤いペンでこう書かれていた。
《お一人様一本まで》
6
翼を大きくはためかせ、再び舞い上がろうとしたハーピーの喉をツユギの槍が貫いた瞬間、僕の体が淡い光芒に包まれた。全身を奇妙な高揚感が走り抜けたかと思うと、半ばほどに減っていたHPとAPが全回復する。
「お、祝着祝着!」
なおも群がる二体のハーピーをあしらいながら、ツユギが叫んだ。手元のマニピュレータ(この仮想空間で唯一現実世界を思わせるものがこれだ)を見ると、レベルを示す数値が17から18に変わっている。今日二度目のレベルアップだ。
「喜んでる場合じゃなさそうだけどね……」
僕は呟いて、短剣を構えなおした。ツユギが倒したハーピーの一匹が、花びらになって四散する前に、けたたましい断末魔の声を上げたのだ。ハーピーは手負いのまま数ターン放置しておくと、仲間を呼ぶ習性があり、それを知らなかった僕らは、以前十数匹のハーピーに囲まれて全滅の憂き目を見たことがある。
「ツグミ、フォローお願い」
「了解」
ノイズの声に緊張の響きが混じる。一度は全滅させられた相手だ。あれから多少レベルが上がったとはいえ、用心するに如くはない。
残った二対のハーピーは、ツユギの槍とカナリの《炎の矢》で迅速に仕留められた。以前は乱戦中に次々と仲間を呼ばれ全滅させられてしまったから、援軍が来るまでに既存の敵を掃討できたのは大きい。
「──出るよ」
《感知》のスキルで索敵態勢に入っていたカナリの呟きを合図に、僕は詠唱に入った。覚えたばかりの《高速詠唱》を使い迅速に魔法式を組み上げる。少数対多数の戦いでは補助魔法の持続時間が大きな鍵となるので、発動時間はモンスターとの接触の少し前に合わせるのがベストだし、乱戦中の詠唱回数は少なければ少ないほど勝手がいい。
パーティー全員の防御力を上げる《大地の守り》を僕が発動させた数秒ほどあとに、前方10メートルくらいの空間に夥しい数の黒点が出現した。おそらく仲間に召還された新手のハーピーが実体化しようとしているのだろう。それにしても数が多い。十、いや十二、三体はいるだろうか。ちょっと尋常な数ではない。
「おいおい、また外れを引いちまったか?」
ツユギのぼやきに苦笑しながらノイズがカナリに視線を向けた。カナリはこくりとうなずくと、すぐさま詠唱に入る。おそらくは《炎の渦》を発動させるのだろう。《狂える炎》より威力は低いが、有効範囲は遥かに広い。たしかにこの状況にはうってつけの魔法といえる。
「ま、やるしかないってか」
そう呟いて一歩を踏み出したツユギに狙いを定めるように、もっとも早く実体化を完成させた二対のハーピーが文字通り怪鳥の叫びをあげて滑空を始めた。
「ノイズ、右のは任せた!」
ツユギの声に答えるより早く、一気に間合いを詰めたノイズが長剣を横凪ぎに一閃すると、避けそこなったハーピーが白灰色の花びらを撒き散らしながら身をよじった。僕は素早く魔法式を組みなおし、次の詠唱に入る。ツユギの槍はハーピーの右の翼をかすめ、かすかに花が散った。
ノイズの打撃が浅い、と見てとると、僕は彼女を対象に味方一人の攻撃力を上げる《湧き出る力》を発動させた。もともとスピード特化型のノイズはツユギに比べると敏捷性にすぐれ、攻撃力は低い。機動力を低く設定した代わりに、長い攻撃範囲と腕力、体力、防御力に重点を置いたツユギが壁役となってモンスターをせきとめ、ノイズが遊撃的な役割をし、カナリが後方火力支援、僕が回復と補助──というのが、いつの間にか固まってきたこのクランのスタイルだがこれだけの数を相手にするとなると、そのセオリーは崩さざるをえないだろう。後衛の僕らとの距離が一気に縮まって危険ではあるが、ノイズにもっと前に出てもらうしかない。
「このっ!」
一時的に攻撃力を増幅されたノイズがハーピーを袈裟懸けに斬り倒し、絶命させた。ノイズ自身も幾つか軽傷を負っているようだが、《大地の守り》の効果が持続している間はアイテム回復でも事足りるだろう。そう判断した僕は、次の魔法式の構成に入る。POT代が気にならないといえば嘘だが、ここでデスペナを食らうよりはよほどましだ。
瞬間、炸裂音とともに残りのハーピーたちが実体化しつつあった空間に赤黒い炎が渦巻いた。苦悶の叫びが不協和音となって木霊する。カナリの《炎の渦》だ。この一発で全滅させるというわけにはいかないが、満遍なく体力を削っておけば前衛の二人の殲滅効率も上がるだろう。
「次!」
ノイズにおくれて先駆けのハーピーを仕留めたツユギの声をまるで合図にしたかのように、燃え盛る炎の中から五体のハーピーが次々と飛び出してくる。ハーピーを突き伏せた態勢のままのツユギに三体、フォローに入ろうとしたノイズに二体が群がった。
普通の戦いなら敵を少しでも足止めするべく《動かぬ大地》を選択するところだが、飛行属性を持つハーピーには通用しない。(前回はそれで酷い目にあった)数体のハーピーに絡みつかれて手間取っているツユギを見て取ると、僕は組み上げておいた《湧き出る力》を発動させる。今度の対象はツユギだ。こう乱戦に近い状態では、個々の回復は(アイテムの消費は痛いが)アイテムに任せ、僕は《大地の守り》と《湧き出る力》の維持に集中するのがベストだろう。
しかし、七体ものハーピーに囲まれて一歩も引かないツユギとノイズはすごい。僕が近接戦闘のスキルを持っていないせいもあるが、引っ切りなしに襲いくる爪の一撃を武器でいなし、あるいは装甲の厚い部分で受け、僅かな隙を狙って確実に仕留めていく姿は熟練の技を思わせた。二ヶ月同じクランで戦っていると呼吸も心得たもので、ノイズもツユギも上手い具合に互いの死角をフォローし合いながら上手く立ち回っている。すでにカナリの全体魔法で体力を削っていたとはいえ、数で優るハーピーを確実に凌いでいるように僕には見えた。だが──
「まずっ……!」
ツユギの舌打ちとともに、その脇を一体のハーピーがすり抜けた。首をもたげ、視線を僕に向ける。そして一瞬ひどく酷薄な笑みを浮かべたように僕には見えた。
「う、わ……」
油断した! ノイズを援護しようと魔法式を組み上げ始めたばかりで一瞬判断が遅れた。今さら距離を取ろうにもどうにもならない。全身に悪寒が走る。ハーピーは一気に肉薄し、鉤爪を開いた。一撃くらいは耐えられるだろうか──?
思わず目をつぶった瞬間、予想していた苦痛は訪れなかった。僕に襲いかかろうとしたハーピーの眉間を一条の赤い光が貫いたのだ。もんどりうつようにハーピーは床に倒れこみ、もがいた後白灰色の花びらを撒き散らして消滅する。
カナリの《炎の矢》だ。安堵の息をついて目線で感謝の意をしめす僕に、カナリが小さくぶい、と指先をそろえた。同じように安堵の表情を見せたツユギが顔をひきしめ、大きく槍を薙ぎ払う。バランスを崩したハーピーの一匹にすかさずノイズが長剣を突き入れる。手持ちのアイテムで素早くAPを回復すると、僕は再び《高速詠唱》で《大地の守り》の魔法式を組み上げる。カナリも目を閉じ、次の目標に狙いを定めて詠唱を開始した。残る六体のハーピーが、黒煙の中から実体化しようとしているのが遠目にも分かる。
さあ、ここからは消耗戦だ。
僕は魔法の発動体である黒い短剣を構えなおし、再び《大地の守り》を発動させた──。
ヘッドギアを外すと、首まわりがじっとりと汗ばんでいるのが分かった。気がつくと、時計はすでに深夜の2時を回っている。ログインしたのがたしか23時過ぎだから、かれこれ3時間も潜っていたらしい。
ふと、笑みがこぼれる。
満身創痍、という表現で過不足はないだろう。事実僕のPOTもカナリのPOTも尽きかけていたし、ツユギとノイズもあと一撃食らえばそのまま昇天してしまいそうなギリギリの瞬間も何度もあった。
でも、生き残った。
誰も欠けることなく、十三体のハーピーをすべて全滅させて、僕らは生き残った。最後の一匹がカナリの《炎の矢》で無数の花びらになって散った瞬間、もう耐えられないというように僕らは地面に突っ伏した。(たぶんこの瞬間、新手のモンスターに襲われていたらひとたまりもなかったろう)ごろりとあおむけになり、ひからびた苔と土で薄汚れた迷宮の天井を見上げる。
はは、と誰かが笑った。笑いはまたたく間に伝染して、僕らはダンジョンの床に寝転びながら笑い続けた。めったに表情を崩さないあのカナリも、めずらしく口もとをほころばせていた。
「高レベルの冒険者にしてみれば、きっと、なんでもないことなんだろうけど──」
上気した頬に笑みをたたえながら、ノイズが言った。
「なんか、してやった! って感じがする。上手く言葉にできないけど、なんか──」
ノイズの言葉を思い出しながら、僕は胸に手を当てた。まだ、心臓がどくどく高鳴っている。たかがゲーム、という気持ちはもちろんある。でも、興奮を抑えきれない。どうということはない、難度の高いイベントをこなしたわけでも、レアアイテムをドロップしたわけでもない。中級レベルの冒険者が、少しばかり厳しい条件下におかれて、それを乗り切ったというだけだ。本当にそれだけの話。だのに──
ひどく頬が熱い。ノイズの台詞じゃないけど、本当にしてやった、という感じがする、不思議な達成感。まったく、言乃にからかわれても仕方がない。僕は明らかにハマっている。いち兄、この《ゲーム》は本物だよ。
心地よい疲れに身を任せながら、僕は目を閉じた。気だるい眠気が、ゆっくりと頭の中を覆っていくような感覚。まったく、電気もPCもつけっぱなしで──、と苦い顔をする言乃の顔を思い浮かべながら、僕は大きく息をついて、眠りの中に落ちていった。
OTHERSIDE
……《ゲーム》からログアウトする瞬間の言いようのない気だるさと、それ以上の興奮に身を震わせながら、少女はぽすんとベッドに倒れこんだ。マウスを握っていた手が、まだじっとりと汗で濡れている。どうしよう、と少女は思った。頬が緩んでいくのを止められない。思わず声をあげてしまいそうになる形のよい口元を押さえながら、少女は幸福そうな表情で目を閉じた。
勝った。数週間前は手もなく全滅させられたハーピーの大群を前にして、誰ひとり欠けることなく生き残った。強くなっている! 少女は思う。かりそめの、いかに精巧に作られていたとしても、しょせんは擬似世界の出来事だと理解はしているけれど、それでも仲間と手をたずさえ、共に強くなっていけるというそのことが、少女にとっては何よりの喜びだった。
「──ツグミ」
少女は呟いた。呟きながら、あの日、薄暗いダンジョンの中で自分を見つけてくれた少年の顔を思い出す。散りすさぶ白灰色の花びらの渦の中で静かに佇んでいた、茶味がかった髪の少年。
不思議だった。彼の顔を、声を思い浮かべるだけで、荒んでいた心がクリアになっていくような気がする。彼の笑顔を思い出すだけで、こんな自分でも、きらきらした何かを取り戻せると、そう信じられるような──
足音。
いつまでも聞き慣れないその音に少女はびくりと身を震わせ、やがて諦観に似た表情で深く息をついた。
そしていつものように、規則正しいノックの音。
「……彼方」
抑揚のない枯れた声が、ドアの向こう側から響いた。
カナタ、と呼ばれた少女は笑った。それはついさきほどまでの少女とは思えない、作りものめいた笑いだったが、その方がよほど自分には似つかわしい、と少女は思った。ああ、夢の時間は、もう終わりだ。
少女は緩慢な動作でベッドから身を起こし、答えた。
「はい、父さん。起きています──」
ドアが開くその瞬間、少女は枕元の携帯に視線を向けた。冷たい色をたたえた液晶画面に、着信を示す表示は、なかった。




