カレイド-01
1
くすんだ灰色の花が散った。
モンスターから飛び散る花の色は最低ランクの白から始まって、そのモンスターのレベルが上昇するにつれ、少しずつ黒くなっていくらしい。このリザードマンは白みを残したくすんだ灰色の花だから、マニュアルによれば15レベル前後のモンスターということになる。駆け出しにちょっと毛が生えた程度の冒険者の相手としては、ちょうどいいレベル帯といえるだろう。
「ツグミ!」
リザードマンを袈裟懸けに斬り伏せた少女──ノイズが僕の名を叫ぶのと同時に、僕の詠唱も完成した。発動した魔法は《動かぬ大地》。一定以上の確率でモンスターの移動を不能にする、土属性の中級魔法だ。魔法の発動と同時に、残った四体のリザードマンのうち三体が苦悶の声をあげ、行動を停止する。上々の結果に、ツユギがヒュウと口笛を吹き、動きを止めない残りの一体に槍を突き入れた。盾で受け止めそこなったリザードマンは大きくよろめき、がらあきになった腹を長い金髪を振り乱して瞬時に間合いを詰めたノイズが、長剣で一閃した。灰色の花が間欠泉のように吹き出し、リザードマンが断末魔の声をあげる。そろそろタイミングだ。
「二人とも、離れて!」
僕の合図に、ノイズとツユギは弾かれたように後ろに飛びすさった。次の瞬間、呪文の効果が解け、行動を再開しようとしていた三体のリザードマンの中心で光球が炸裂し、青白い炎が周囲を一瞬で焼き尽くした。僕の隣でずっと詠唱を続けていたカナリの《狂える炎》が発動したのだ。三体のリザードマンは瞬時に炎に包まれると、大きく身をよじり、やがて全身を灰色の花びらに変えて四散した。
「パーフェクト!」
ノイズの歓声に、カナリは無言でぶい、と二本指を立てた。さすがに詠唱に時間がかかるだけあって、威力も折り紙つきだ。
顔をしかめるほどでもなく、といって無味乾燥にならないよう適度に抑えられた腐臭に鼻をひくつかせながら、
「新しい階層だから少しは手こずるかと思ったが、これくらいなら問題なくいけるな」
地面に突き立てた槍に持たれかかるようにして、ツユギが言った。このメンツでクランを結盟し、PTを組むようになってから二ヶ月になるが、確かにチームプレイも堂に入ってきたように思える。ノイズとツユギが前衛、カナリが遠距離、そして僕が補助と回復。欲を言えば前衛がもうひとりほしいところだが、このバランスも悪くはない。
「ツグミはあと少しでレベルアップなのよね?」
ノイズの声に僕がうなずくと、
「んじゃ、今日はそこまで付き合いますかね」
とツユギが槍を構えなおした。カナリは相変わらず何を考えているのかよく分からない表情で僕を見ている。小柄な僕よりもっと小柄な彼女は、今日も子犬が母犬を見上げるような目つきで僕を見て、
その顔が、急にこわばった。
「ツグミ!」
ノイズが叫ぶ声と、僕の背中に鈍い痛みが走ったのは、ほぼ同時だった。カナリの息を呑む音と、ツユギの舌打ちを左右の耳で聞きながら、僕は無理やり身をよじった。傷口から赤い花が吹き出す。油断した。もう一体隠れていたのか。
リザードマンは僕の背に突きたてていた湾曲剣を引き抜くと、それを大きく振り上げた。くずれるように倒れた僕をかばうようにしてカナリがリザードマンに取り付いたが、非力な彼女はリザードマンが左手を軽く振り払っただけで、弾き飛ばされる。僕はなんとか距離を取ろうともがいたが、下半身は力が抜けてしまったように言うことをきかない。あわてて詠唱を始めるが、間に合わない。ちくしょう、こんなことだったら、無理してでも《高速詠唱》のスキルを取っておくんだった。
ノイズとツユギが駆け寄ろうとするが、それも間に合わない。死刑宣告のように振り上げられたリザードマンの湾曲剣は、僕の脳天をあやまたず直撃し──
世界は、真っ暗になった。
ツグミ:ごめん、やられた。
ツユギ:いや、むしろフォローできなくてすまん。最悪のタイミングでドジ踏ませちまったな。
ツグミ:まあ、地道に取り戻すよ。
ノイズ:アイテム運は悪かったけど、銀貨はけっこう出たから、明日分配するね。ツグミが一緒の時の方がいいでしょ?
ツユギ:そうだな。
カナリ:同意。
ツグミ:それにしても参ったよ。ああいう時のために、やっぱり無理してでも《高速詠唱》は取っておいた方がいいのかな。
カナリ:《高速詠唱》は必須。
ノイズ:火力を考えれば《多重詠唱》と迷うところだけど、危機回避には必要かも。ツグミのDEFなんて紙みたいなものだもんね。
ツユギ:やっぱ、俺とノイズだけだと厳しくなってきたかね。ここはもうひとり前衛探して、後衛をフォローできるよう3-2でいくか?
ノイズ:反対反対! 今のままのメンバーで十分だよ。それにもうひとり増えたら経験値効率だって悪くなるし…。
ツグミ:僕はどっちでも構わないけど…。
ツユギ:ま、そのあたりは次にインした時でも話そうぜ。今日はもう落ちようや。ツグミ、悪いけど古典のノート、明日頼むな。
ツグミ:了解。じゃあ、おやすみ。
ノイズ:おやすみ、またね。
ツユギ:んじゃな。
カナリ:おやすみ。
ヘッドギアを外して、僕はふうと息をついた。《ゲーム》を始めてすぐの頃は、ギアを外した瞬間の現実とのラグに足元がふらつくような浮遊感を覚えていたものだが、今は軽い脱力感を感じる程度ですんでいる。これも慣れというやつだろうか。
ベッドに横になって枕元の時計を見る。時刻は1:34。今日びの高校生にしてみれば夜更かしともいえない時間かもしれないが、《ゲーム》を始める前は日付が変わる前に床についていた僕にしてみれば、この時間まで起きているというのは、ギアに慣れるより少し辛いものがあった。目を閉じると、じわりと全身に疲労感が被さってくるような感覚がある。
僕は大きくのびをすると、そっとベッドを降りた。さすがに三時間休みなしで潜っていると喉もかわく。
寝ている言乃を起こさないよう、静かに一階に降り、流し台の蛇口に直接口をつけて水を飲む。言乃に見られたら「行儀が悪い」と怒られそうだが、コップを出してまた洗うのもなんとなく億劫だった。
ふと、背後で携帯の着信音がした。ああ、そういえば上着のポケットに入れっぱなしになっていたんだっけ。
液晶画面を見てみると、メールが二件入っていた。一件は鍵太郎からで、もう一件は……送信者名に、天澤はるか、とあった。
部屋に戻り、ベッドに横になりながら、受信トレイを開く。鍵太郎の件名:「おつかれさん」を選択する。
さっきは災難だったな。とりあえず週末は一晩中付き合えるから、そこで取り戻そうぜ。じゃ、ノートよろしく。
予想通りの鍵太郎の文面に苦笑しつつ、次を開く。といっても、メールの着信履歴を見ると20:45とあるから、たぶん僕が家に帰って食事を済ませ、二階に上がった少しあとに届いたメールだろう。
件名:「放課後のこと」を選択する。
液晶に小さな文字が浮かぶ。
今日は本当にありがとう。
もう一度お礼をしたくてメールしました。市ノ瀬くんが手伝ってくれなかったら、多分夜までかかったと思います。すごく、助かりました。
だから、もう一度、ありがとうと言わせてください。
それから、お疲れさま。今夜はゆっくり休んでくださいね。
おやすみなさい。
天澤はるか
おやすみなさい、のところで胸のあたりが少しむずがゆくなる。書架室の片付けを手伝ったくらいで大げさだな、と思いながら僕は目を閉じた。口元はすこし笑っていたかもしれない。
それにしても、今日は疲れた。全身に軽い疲労感を感じながら、僕は息をついた。少しずつ、まぶたが重みを増していく。
週末はどうしようか。とりあえずスキルポイントを貯めて、《高速詠唱》を覚えるのが先決かな。ノイズが水晶剣を欲しがっていたから、かけらを集めるついでにB7Fで経験値稼ぎをするのもいいかもしれない。西側なら適性狩場だろう。カナリの相性の悪い敵が多いのはネックかもしれないけど。
ゆっくりと意識が沈んでいく。眠りに落ちる前、僕はなんとなく天澤さんの顔を思い浮かべた。控えめな笑顔。頬にかかる黒髪を弄びながら、黙々と文庫本に視線を落とす横顔を、思い浮かべた。
そして僕の意識は、今度こそ本当の暗闇に落ち込んでいった。
2
ギアテック社が開発した国内初のダイブ型オンラインゲームは、当初《仮想迷宮》という何のヒネりもないタイトルで発表され、結局ヒネられることのないまま、クローズドβの日を迎えた。
ユーザーの間ではこれまた簡素に《ゲーム》と呼称されたこのゲームは、専用のフルフェイス型ヘッドギアを使い、リアルな仮想空間の冒険を体験できるのが売りで、今は(階層によって多少変化はあるようだが)ダンジョン内しか体験できないが、ゆくゆくは広大なフィールド世界の冒険も可能になるらしい。とにかく、今の段階でもそのインターフェースの優秀さ(仮想空間での動きは、現実と比べても驚くほど遜色がない)モンスター造形のリアルさ、戦闘の迫力は特筆もので、したがって前評判も高く、事実五百人枠のクローズドβには十万人をゆうに越える応募者が殺到したという。
僕はその二百倍の倍率を潜り抜けた幸運児──というわけでは全然なく、兄がギアテック社に勤めているという、いわゆるコネでクローズドβの参加権利を手に入れた。といっても、僕が頼んだわけじゃなくて、いち兄に強引にやらされたようなものなんだけど。
まあ、《ゲーム》は考えていたよりずっと面白かったからそれはいいんだけど、このゲームで少し笑える点があるとすれば、それは残酷表現の認可が下りなかったことだ。なんでも初期のデモプレーに参加した倫理協会の人間が、モンスターの流血のあまりのリアルさに吐いて失神したらしく(システム上PKもPVPも実装されているから、たしかに余りにリアルでは問題があるだろう)、以後流血表現に大幅な規制がかけられたのだという。一時は流血表現そのものの削除を要求されたという話だが、これには開発陣が猛反対したらしい。どれだけリアルに形作られていても、血のひとつも流さないのでは臨場感に欠ける、という彼らの主張と倫理協会の衝突は不思議な妥協案で一応の解決を見た。
なぜそういう経緯になったのかは分からない。
ただひとつ言えることは、今やこの演出こそが《ゲーム》を印象づける大きな要素になっているということだ。なにしろ、《この世界》では、吹き出る血の代わりに、花が宙を舞うのだから──
「ケチャップ」
言乃の高い声が耳を打って、僕は起きぬけのぼんやりした気分のまま、うん? と返事をした。なんとなく頭にまだもやがかかっているような、頼りない感覚がする。
「つぐみ。ケチャップ」
言われて手元を探そうとするが、ケチャップらしき瓶は見当たらない。言乃はそんな僕を見て溜め息をつき、白い指をすいとのばして僕の口元をぬぐうと、
「ついてる」
と言ってそのまま口にふくんだ。ああ、ケチャップってそういうことか。
「そんなに眠いなら、もっと早く寝ればいい」
どこかムスッとした感じで、言乃が言う。元々低血圧で朝に弱い僕だが、このところ《ゲーム》で夜更かしを続けていることもあって、最近はとみにボロボロだ。世話好きというより、僕の保護者をもって任じている言乃がいなければ、歯を磨きながら二度寝してしまうくらい、平気でやってのけたことだろう。
言乃は不機嫌そうにトースターからきつね色に焼けたトーストを取り出し、丁寧にバターを塗って僕に差し出した。背も体つきもコンパクトな割に、言乃の表情はいつも大人びている。言葉づかいは中学二年の女の子とはとても思えないほど老成してるし(このあたりはいち兄の影響かな。それ以前に女の子らしいとは言えないけど)、母さんに似てどこか頼りげのない(とは言乃の弁)僕よりもずっと落ち着きがあって思慮深い。耳にかかる部分だけを編みこんだセミロングの髪と、端正な顔だち、桜坂のブレザーにエプロンをかけた姿は、兄バカで恐縮だけど、肉親の贔屓目を抜きにしても可愛いと思う。
というわけで文句なく自慢の妹なのだが、本人は妹であるという意識はほとんどないようで、いつも「つぐみはしょうがない奴だ」と言いながら僕の世話を焼き、僕は不本意ながらそんな言乃に毎日世話を焼かれている。言乃にとって僕は兄というより、手のかかる弟のように映っているのかもしれない。三歳も年上だってのに、情けない話だけど。
市ノ瀬つぐみ、というのが僕の名前。
女の子みたいな名前だと昔はよく馬鹿にされたけれど、本来は次実という字を当てる、父さんに言わせればれっきとした男の子の名前だ。(兄の名前が一弥だから、次男という意味で《次実》と付けたのだと思う)平仮名の方が他人に覚えてもらえる、と母さんが《つぐみ》で届けてしまったため、以後つぐみちゃんと馬鹿にされること久しかったが(僕は背格好も顔もとことん母さん似なので、昔はよく女の子と間違えられたのだ。いち兄と言乃は父さん似なんだけどね)、僕自身はつぐみ、という響きはけっこう気に入っている。
「つぐみ」
正確には誰かが僕をそう呼んでくれる響きを、気に入ってるのかもしれない。
「つぐみ」
「? あ、うん、起きてるって」
はむはむ、とトーストを齧りながら答える。やっぱりどうも朝は苦手だ。ちなみに母さんはきっと今も夢の中だろう。
すでに食事を終えた言乃は自分の食器を流し台に片付けながら、
「あまり、夜更かしはしないほうがいい」
そう呟いた。食器を洗う水音が、それに続く。
「いや、出来れば早く寝ようとは思っているんだけどさ」
言乃が淹れてくれていた冷たい紅茶を飲みながら、答える。ようやく、頭の中がすっきりとしてきた。
「ほら、いち兄の会社で開発してる新作のゲームあるだろ? あれのモニターを頼まれてるんだよ。時間はどうしても夜しか取れないから、寝る時間も遅くなるわけで──」
「まあ、いち兄の手伝いなら仕方ないが」
エプロンの胸元で水を切りながら、言乃が言う。こいつ、昔からいち兄に対してだけは素直なんだよな。
「つぐみ、時間だぞ」
言乃の声に壁の時計を見やると、時刻はすでに7:30を指していた。たしかに、そろそろ頃合の時間だ。ちなみに僕の通う泉城学園と言乃の通う桜坂女子は距離的に15分ほどの差異があるため、いつもそれくらい早く僕の方が先に出ている。
「おっと、じゃあ、行って来る。言乃、今日も弁当ありがとな」
言乃の作ってくれた弁当の包みを鞄に詰めて、僕は椅子を立った。使った食器を流し台まで持っていって言乃に手渡すと、言乃は素っ気なくうなずいた。
「ああ、ちょっと待て」
踵を返そうとした僕を言乃が呼び止める。
振り返った僕の方に言乃は歩みよると、そっとワイシャツの襟元に手をのばした。
ネクタイがずれていたらしく、器用に歪みを直していく。
小柄な僕の目線のずっと下に、言乃の顔はあった。こういうとき、改めて言乃は小さな女の子なんだなと僕は実感する。まったく、兄としていつまでも甘えてはいられないな。
ふと、言乃の目じりが、ほんの少しだけど赤く腫れていることに気づいた。その疑問を僕が問いただそうとするよりも早く、
「ほら」
とネクタイの乱れを正してくれた言乃が、僕の肩をそっと押した。さりげなく表情をうかがってみたが、べつだん、いつもと変わらない感じだ。そういえば今日は言乃にしてはめずらしく、小さく何度か欠伸をしていたっけ。また小難しい本に熱中して、ひと晩中読みふけったりとか、そういうことかな。
「ほら、そろそろ本当に時間がなくなるぞ」
ぼんやりと立っていた僕に、言乃がそう声をかけた。
「ん、それじゃ、行ってくる」
「ああ」
言乃に見送られながら、居間のドアノブに手をかけた僕は、もう一度振り返った。
どうした? という表情をする言乃に、
「ありがと、言乃」
僕はそう声をかけた。
「聞き飽きたよ、その言葉は」
それでもどこか嬉しそうに、言乃は笑った。




