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8話 グッドバイ、ノド。


 カインは手に持つ聖槍——如意槍を見て、とてもウンザリとしてを吐き出した。


「水よ、流れろ。ついでに浄化」


 謎の光が煌めき反射する。

 既に棒となってしまった聖槍を洗い流すのは、洗浄、消毒の権能を有する術式。

 生活術式と呼ばれる、基礎的な術式であった。


「後で、ちゃんと洗ってやるからな」


 槍を見ながら言ってやる。急場や旅先などでは重宝する術式であるが、気分的にはしっかりと洗いたい。

 何せ第二の相棒とも呼べる如意槍は、つい今しがたまでアベルの唾液塗れだったのだから。


 もう一度、カインは聖骸布へと口付ける。

 純白のコートは染み一つなく、一切の汚れがない。

 どころが金の髪と白い肌のみならず、彼女の纏う衣服も綺麗なままだった。


 黒いタンクトップも赤シャツも、出掛けと変わらず清潔なままでいる。

 褪せたインディゴブルーのダメージジーンズは元から汚れて見えるものの、手入れを欠かしたことのない革の編み上げブーツは鈍く輝きを放ってい。


 聖女の骸を用いし聖骸布の権能は、平穏。

 無垢なる聖女の権能が、カインを守護してくれていた。その祝福は破壊も汚濁も防いだ。

 だがそれは、彼女にとって何の慰めにもならない。ただ、目の前には事実のみがあった。


「こうしちゃ、いられねーか……」


 もう既に、巨根合体グレート・アベルは勃ったまま絶命している。

 裁きの光がアベルの遺骸を焼いていた。その炎が外に漏れることはない。

 平穏は一つの滅びと共に、ここに齎された。


「ごめんな、マグダレナ」


 首を振り、カインは歩き出す。

 耳に捉えた声が、足取りを重くする。

 深い闇の底から、幼い慟哭が夜の冷たい風を震わせていた。



 

 ズッ、ズサと砂利となった地面を踏みしめて歩む。

 慌ただしい物音と共に行き交うのは、次々と運ばれてゆく担架。

 人の乗るものも、人だったモノの乗るものも、丁寧に、だが迅速に運び出されて行った。


 悲鳴や呻きをあげる者達は、比較的原型を保っている。彼らは翡翠の光に包まれていた。

 シーツを被せられた者達に、それはない。

 物言わぬ彼らこそが、聖女の取りこぼした者達。

 兄殺しは静かに十字を切っていく。


 ——ざっと、三十か。半分は間に合わなかったか。


 カインは胸の奥で呟いて、ギシリと奥歯を噛み締めた。喧騒の中で、まだ生と死が隣り合っている。

 その中でも一際耳に響くのは、幼い少女の祈り。

 カインはあしを止めていた。


「だめっ! だべっ! おねがい、目をあけてよ、おじいちゃん……」


 涙と鼻水で掠れた、マグダレナの声である。

 翡翠の光が溢れ出て、周囲に満ちてゆく。

 ある者は光を纏い、またある者は纏わない。

 それは現実であり、決して抗えないものだった。


「がん、ばれぇっ、……がんばれぇっ、……っ、げんきに……」


 つっかえて、ヒクリと喉を鳴らしたマグダレナが老爺の胸に縋り付く。

 その側には無傷の大家が膝をつき、お爺さんの手を握っていた。彼は、大家の旦那さんだった。


「……ははっ、ゴボ、……マギーちゃんは、優しい子じゃのう」

「しゃべんないでよぉ……」


 光は、傷だらけのお爺さんには届かない。


「泣くな、泣くな。婆さんや、飴はないかえ?」


 唇だけが動く。もう目は開いていなかった。


「さっき、食べたばかりでしょう。アナタ」 


 大家が手を取ったまま、その手をマグダレナの頭へ乗せた。


「なんじゃい、泣く子にゃ飴が一番じゃのに。おお、温い、温い。儂の孫は優しい子ばかりで、儂らは幸せじゃて。なぁ、婆さん」


 二人に孫はいない。

 婆さんの腹に子供がいる時にノドが襲われて、その子は流れた。娘さんだったそうである。

 それからずっと、二人でいたそうな。ご近所では有名な話であった。


「あの子にも、久しくあっとらんのぉ」


 カインは前へ進み出る。誰も、何も言わない。それを良いことに、お爺さんの手を取って。


「何を言うのよ、お父さん。近頃は、ずっと一緒にいるじゃない。ねぇ?」


 そんな言葉を告げていた。カインは彼らの過去をほとんど何も知らないが、そうするべきだと思った。


「そうか、そうだったな」


 安心したようにして、細く息が抜けてゆく。


「婆さんや。儂は今度こそ、守れたのかのう?」

「ええ。皆無事でございますよ。この子たちも」

 

 そう返した大家の声は震えていた。


「そいつはよかった。ちょいと眠くなってきたぞ。婆さんや、先に寝ておくからゆっくりしておれ」

「ええ、爺様。いってらっしゃい」


 そして彼は事切れる。その顔は、穏やかなものであり——。


「ごめんなさい、ごめんなさいっ!」


 突っ伏して泣き喚くマグダレナへ、何一つ言えないでいる。そんなカインの肩に、手が置かれた。


「世話になったね。ありがとうよ」


 大家の手を振り払う気も起きなくて、カインはマグダレナを見つめていた。


「ババア、無理すんな」


 その小さな背中へ、手を伸ばせないままに。


「はっ! 旦那を見送れたんだ、アタシは。同情なんかいらないよ。くたばったのも、覚悟のあるヤツだけさ。これで済んで、良かったんだよ」


 皺だらけの顔で老婆が笑う。シッシと手を振って。


「お行き。まだ、あるんだろうが。やることが」


 カインは眩しいものを見るように目を瞬いた。目は乾いていて、流れるものはない。

 空を仰げば地上には、紫の柱が立っている。


「悪いな。ちっと行ってくるわ」

「マギーちゃんは見ておくからね。しっかりおやり」


 無事だった者、そうでなかった者ともすれ違い、カインは穴から這い出た。

 アベルが立っていた場所に、淡く輝く光。


 柱にも見えるそれは、霊核と呼ばれるものだった。

 一説によれば、魂が具現化したものであるらしい。

 地域最後のアベルを殺すと、これが出る。消失反応を起こして消せば、アベルの発生も収まった。


 勘と経験則でしかないが、アベルの大量発生はここ数年で始まった災厄だ。

 研究は進んでおらず、カインたちもまた、深くは知らない。頼りとなるのは、心許ない知識であった。


 アベルの霊核へ、カインは手を伸ばす。

 紫の柱は輝きながら塵となり、光となった。

 魂は世界へ還元されてゆき、流れ巡るものらしい。

 カインには、かなりどうでも良いことで。


「待ってな兄貴。きちんと送ってやるからよ」


 そう鼻を鳴らした。

 喧騒は段々と落ち着きながら、夜が更けてゆく。

 今夜、幾つかの終わりを見送って。

 兄殺しのカインは、ノドに現れたアベルという災厄を一つだけ滅ぼした。


 世界は何も変わらない。戦場跡も冬の夜空の下、今までと何も変わらないでいる。


 

 

 それから七日が経った。

 霜降る朝。けれども冬の空にしては柔らかな光の中で、ノドの街は平穏を取り戻しつつあった。

 スーツ姿の男女が道路を行き交い、家にいる者は掃除をしていたり、洗濯物を干してもいる。

 日常が、帰ってきていた。

 

 そんな中、早起きしたカインは大荷物を廊下に出して、アパルトメントの鍵をかける。


「はぁ、結構買い込んじまったな」


 背負い鞄に詰め込まれているのは水と保存食、薬や生活必需品。

 ついでに着替えなんかも大量に用意してある。この先に続けてゆく、野営の準備であった。


 アベルに侵蝕された故郷の街。その故郷を消し飛ばした余波で、単車も荷物も消え去ってしまっている。

 残ったのは、身に付けていた物と収納されていた物くらいでしかない。

 ここ、ノドへ辿り着いたときにはカインは素寒貧であった。


 この街に留まったのも、近場に湧いていたアベルの駆除ついでに働いて、金を貯めて補給をしようという考えからだった。

 思えば一ヶ月。長くもないが、そう短くもない日々を過ごしていた。


「おい、マグダレナ。少しは手伝えよ」


 死霊聖女は出てこない。あの日から、ずっと塞ぎ込んだままだ。その癖に、ずっと聖骸布の権能は発揮されたままである。

 今日のカインはピンクのパーカーを着ていた。ジーンズは変わらない。履きこむほどに味が出る。


「ったくよぉ……。良い天気だってーのに、辛気臭いヤツだな」


 返事がないので、独り言ちてしまう。

 この街は、居心地が良かった。

 死霊でも、アベルの妹でも区別せず、普通の女の子として扱ってくれていた。


 カインには、マグダレナの気持ちが良くわかる。

 取り戻せないものを振り返ってしまうのは、「人」であるならば仕方がなかった。

 だからこそ、皮肉の一つくらいしか言えやしないでいる。


「大家に鍵を返しに行くぜ。ババアの顔も、今日で見納めだ」


 返事はなかった。

 今日は借りていた部屋を、引き払う日であった。




 大家の家に来てみれば、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ。

 音がする。庭からのそれは、低く重く轟く排気音。

 朝の冬空へ、重低音が響く。


「おい、ババア。近所迷惑だぜ」 


 火が入り、鼓動を奏でる鉄の二輪。


「あん? んーだ糞ガキ、おはようさん」


 単車である。跨るのは、老婆であり大家であった。


「大体、迷惑なことなんかあるかい。近所はウチの店子だよ。もうすっかり慣れっこさ」


 爺さんが毎朝走り回るので、慣れているらしい。昼から起き出すカインには、預かり知らぬ話であった。


「ま、おはようさん。鍵、返しに来たぜ」


 カインはチャラチャラと鍵を揺らし、キーホルダーから外す。

 髑髏や龍や剣などが沢山ついた、ロックでバンクなキーホルダーから。


「……あぁ、そうかい。アタシゃ、何も言わないよ。もう、行くんだね?」


 カッコ良いキーホルダーを白い目で見た大家の言葉にカインは頷く。

 羨ましがられようが、コレはあげられないものだ。

 この一か月、コツコツと揃えてきたオシャレアイテムであった。


「ま、オレらもちっと長居しすぎたしな」


 大家は単車を一吹かししてからエンジンを切って鍵を抜く。単車から降りて、彼女は口を開いた。


「マギーちゃんは?」


 カインは肩を竦め、首を振る。


「そうかい、残念だねぇ。最後に、可愛いお顔を見せて欲しかったのにさ。ああ婆さんは、このまま誰に看取られることなく朽ちていくんだねぇ」


 残念そうにして、わざとらしく棒読みで老婆が言った。カインはつい、苦笑してしまう。だって——。


「最後だなんて言わないでっ!」


 翡翠の光がブンブンと形を持って、怒鳴っているのだから。

 死霊の癖にまだ目は腫れぼったくて、涙の跡さえ拭えていない。だけど、婆ちゃんに手を伸ばされて。


「うんうん、そうだね。ありがとよ、マギーちゃん」


 頭を撫でられた表情は、安らいでいた。

 死霊でも、聖女でも。

 マグダレナはまだ十歳の女の子。


「やっとお目覚めかい、寝坊助さん」

「カインと一緒にしないでよ。屈辱だわ」


 軽口が、いつものように出ている。


「子供は元気が一番さ。二人とも、爺さんにも顔を見せてやってくれないか?」


 二人は揃って頷いた。

 生意気で、淑女ぶったり格好つけたりしていても、感じやすく繊細な、心優しい女の子。

 そんな二人は七日ぶりの軽口を叩き合いながら、大家の背中を追っていった。


 大家の家に上がらせて貰い、爺さんの遺影へ手を合わせる。

 遺影はごく最近のものらしく、爺さんは飴を持ってイェーイのポーズをしている。やたらとファンキーなジジイであった。


 カインは出された茶菓子を貪って、マグダレナは大家の膝の上へ座っていた。

 生きている二人は茶を啜り、マグダレナも茶を啜るフリをする。

 爺さんも、きっとそうしているに違いない。益体もない世間話が暫く続いた。

 日はすっかり、高くなっている。


「ん。そろそろ昼だね。二人とも、食べてくかい?」


 大家の誘いにカインは首を振る。

 マグダレナを抱き上げて、立ち上がった大家の手が彼女の頭を梳いた。


「んーだよ、ババア」

「なんでもないよ」


 死霊であるマグダレナは食事を取れない。一人だけ楽しむつもりにはなれなかった。


「じゃ、オレ達は行くぜ。くたばれ糞ババア」


 ニヤリと笑い、カインも立ち上がる。マグダレナもその肩へと乗った。


「はっ! 糞ガキが。夜のギターは禁止だよ。わかってんだろうね?」

「サイレンサー付きで、やってやってんよ。苦情、なかったろ?」


 コツコツと色々揃えているのだ。カインは浪費家であった。

 おかげで、オシャレアイテムを数多く持っている。

 そのせいで、収納では足りないほどに大荷物を抱えることとなっていた。


 してやったりとドヤ顔を晒すカイン。老婆は呆れて息を吐く。


「道理で苦情が減ったと思ったら。ま、綺麗に使ってくれたから、敷金礼金を返さないとならんねぇ。今は持ち合わせがないんだが」


 なんだか契約書にそんな記述があった気もするが、カインはあまり気にしない。


「あー、くれてやった分だし、いらねーよ」 


 宵越しの金を持たない彼女には、よくわからない話であった。普段のお金の管理は、マグダレナがしている。この七日間、彼女は何もしていない。


「そーもいかないのが、社会だよ。ああ、そうだ」


 大家が何かを投げる。金属製の小さなもの。

 放物線を描いて、それは手皿を作ったカインの手のひらへと収まった。


「持っておいきよ。どう処分したものかと迷っていてね。丁度良い当てが、いるじゃないか」


 それは単車の鍵である。さっき、見たばかりのものだった。そして、ゴツくてデカい単車はずっと、カインの心を離してくれない。


「おいババア」


 かと言って、素直に受け取れるほど彼女は子供でなかった。


「旧いもんだが、手入れは欠かしてないよ。釣り代わりなら、そんなもんだろ」


 大家は背中を見せた。その背中は隙だらけだった。


「ま。ちっとの間、預かっておくぜ」


 握りしめたのは、誰かの、大家の大切な思い出。

 それはいつか、誰かに返したいもので。

 見送る背中が、先に失くすものであっても。


「アタシゃ、昼飯の用意をせんとならんからね。用が済んだなら、さっさとお行きよ」


 台所へ向かう大家へ頭を下げ、二人は。


「ババア」

「お婆様」


 声を揃えて。


「「行ってきます」」


 そう言った。


 


 ——ドッ、ドッ、ドッ。


 鉄騎の作った長い影は一つ所に留まらず、揺れながら流れていった。

 空は高く晴れている。響くのは、幼い歓声。


「可愛いっ! 可愛いっ! キューティちやーん!」


 ご機嫌に死霊聖女が両手を上げて、振っている。

 聖女にネーミングセンスはなかった。

 彼女が収まるのは峡谷である谷間。


「ちげーよっ! なっ、ラ・ヴェッキア(ババア)」


 ——ドゥルン、ドゥルン、ドゥルルン。


 金髪ポニテで蒼い目の、爆乳少女はアクセルを吹かす。

 ピンクのパーカーの、フードが大きく膨らんだ。

 

「なー、マギーっ! 次は、どこに行く?」

「決まってるじゃない! 良い所よ!」


 音よりも速く衝撃波を振り撒いて、ご機嫌な二人は進む。

 道路でも、荒野でも。人が作っても、自然が作っても。そうして声を合わせる。


「「アベルがいなけりゃね!」」


 キャッキャと笑いながらも、二人は楽しんで度をする。目的は、アベルを殺し尽くすこと。

 だから二人はもう一度、声を合わせて。


「「グッドバイ、ノド!」」


 笑い続ける。街道は、気持ち良い風が吹いていた。

 

「わたし、ひとがだいすきっ❤️」


 幼い声が歌うなら。


「オレは、なんでも好きだぜっ!」


 ちょっと蓮っ葉な、不良少女も謳った。


 二人はアベルを殺すもの。

 兄殺しのカインは、昨日も今日も明日でも。

 旅をしながら、楽しみながら。


「カインっ! 逸れアベルがいるわっ!」

「なら、殺るしかねーなっ!」


 ただ、アベルを殺してゆく。


「カインちゃーん!」


 すれ違ったアベルは、変わらず妹萌えであった。


 今日も明日も明後日も。

 相棒二人は賑やかに、ただ笑っていく。


 

 

 

 お読みいただきありがとうございます。

 読まれないので、一旦ここで停止しますね。かなりweb向けにしてこれですね。何がつまんなくて、読む気がしないかわからない。

 ありがとうございます。せっかくブクマして貰いましたが、面白くならなくてすみません。未完になります。続きは、気分で描きたくなれば。

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