始まりの契約書 ――ノアスとエリィ、二人の道が交わる場所
パートナー契約を結んだ翌日。
俺たちは肩を並べて街を歩いていた。
世界は昨日と同じはずなのに、やけに眩しく見える。
背中に羽が生えたみたいに体が軽く、下手したらスキップしそうな勢いだ。
「ノアス君、ノアス君。ねぇ、本当に聞いてる?」
「え、あ、ごめん。何の話だっけ」
浮かれすぎて、隣のエリィの声が左から右へ抜けていた。
「私たち、どこに向かってるの?」
「ヒーロー協会だよ。昨日は口頭で契約しただけだろ? 今日は正式に書類を書く日。いよいよヒーロー活動スタートってわけ」
「へぇ〜……」
エリィは眉を寄せ、じーっと俺を疑うような目で見てきた。
「……ノアス君のこと、信じていいんだよね?」
「急にどうした」
「いや、ほら。私たち出会って間もないじゃん。昨日はテンション上がって“よろしくね〜”って言ったけど……まさか変な店に連れて行くとか、借金背負わせるとか、怪しい仕事させるとか、そういうのじゃないよね?」
エリィは身を縮こませ、冷めた目で俺を見る。
「そんなわけあるか! 俺がそんなヤバい顔してたらショックなんだけど!」
「うん、信じてるよ? でも警戒は大事じゃん?」
「獣人らしくないな……。まあ俺もズレてるけどさ。そもそも獣人を騙す人間なんて滅多にいないぞ。普通は逆にボコボコにされるからな」
「確かに……。私弱いけど、ノアス君はそういう悪いことする人には見えないし。ごめんね、ノアス君」
素直で優しい、獣人らしくない獣人。
一緒にいると本当に獣人ってことを忘れそうになる。
「ねぇ! あれ食べたい!」
エリィが急に指をさす。
視線の先には、小さなボロ屋台。弱い火にあぶられた肉が並んでいた。
「……肉か」
香りは悪くない。ただ、肉自体はちょっと傷んでいる。
けれど、エリィの尻尾はブンブン回転し、口元にはよだれ。
この状態のエリィを前に拒否する選択肢なんてない。
「ほら」
「ありがとう! ノアス君は食べないの?」
肉を渡すと、彼女はまるで子供みたいに目を輝かせた。
「俺、あんまり腹が減らない体質なんだ」
「ほぉ〜、そうなんだ!」
返事だけはしてくれたが、もう意識は食事に全振りだった。
――こんなに誰かと喋るの、一年ぶりかもしれない。
感情豊かなエリィと一緒にいると、良い意味で疲れる。刺激にもなる。
そんなことを考えているうちに、ヒーロー協会に到着した。
巨大な木造建築を十本の極太柱が支える、まるで山みたいな建物。
中へ近づくにつれ、周りの雰囲気も徐々に変わっていく。
街の連中は“絶望の中にいる普通の人々”。
だがここにいるのは、皆ヒーロー。
人間と獣人のペアばかりが歩いている。
その中で、俺たちが入ると――ざわり、と空気が揺れた。
「……なんか、見られてる?」
周囲の視線が刺さる。囁き声まで聞こえてくる始末。
エリィも気づいたのか、小さな手で俺の人差し指をぎゅっと握ってきた。
「大丈夫だよ」
握り返してやると、エリィは少しだけ落ち着いたようだった。
◆
重い扉を押すと、生温い空気が流れ込んでくる。
暗い室内。天井にはいくつものランタン。
酒場のような丸テーブルと椅子が並び、ヒーローたちが思い思いに休んでいた。
掲示板には大量の依頼書。
捜索、鎮圧、食料調達――そんな言葉ばかりが並ぶ。
受付で簡単な質問に答え、名前を書き、正式に契約完了。
俺たちは空いている席に座り、適当に食事を頼んだ。
「なんか……空気、重いねここ」
エリィは周囲を見回しながら呟く。
「街の連中は“絶望の底”。ヒーローは“絶望に抗おうとする奴ら”だ。
でも現実は進んでなくて、イライラしてる奴ばかり。そりゃ空気も悪くなる」
「そっかぁ……」
彼女は食事に視線を向ける。
安い酒、少し傷んだ木の実、硬い肉。
ここでは贅沢な部類だ。
「ノアス君は食べないの?」
「俺、ヒーローになってからずっと食欲がほとんどないんだ。能力者ってみんなそうらしい」
「え、羨ましい……。じゃあ飢餓化しないの?」
「どうだろうな。能力者が飢餓化したって話は聞かないけど。体の構造が違うのかもしれない」
コーヒーを飲みながら適当に答える。
空腹の“苦しさ”が分からないってのは、確かに俺の欠陥だろう。
「ねえねえ。私たちペアになったばかりだけど、これからどうするの? とりあえずお茶してるけど」
「まずはお互いの能力と戦い方を共有する。それから戦闘の基礎と、ヒーローとして何をするのか教えるよ」
「うん! よろしくね、ノアス君!」




