世界が、満たされる朝
※エリィ※
「……うぅ」
遠くで水面が揺れるような感覚と共に、途絶えていた意識が浮上してくる。
私はゆっくりと瞼を開けた。
視界に広がるのは、何もない荒野。
どうやら地面に倒れていたらしく、頭が少し重い。
「……ママ……」
呟いた瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
夢じゃない。
飢餓の始祖――ママは、確かに私の目の前にいた。
信じがたい真実を突きつけられて、泣いて、叫んで……その最期まで、私は見届けた。
「もう……ママは、いないんだ」
受け止めきれない現実。
それでも、私は立ち止まれない。
「……ノアス君?」
顔を上げた瞬間、嫌な予感が胸をよぎる。
「ノアス君……ノアス君!」
首を左右に振っても、どこにも姿はない。
耳を澄ませても、気配すら感じられない。
「ノアス君! どこ!? どこなの!?」
胸がざわつく。
飢餓の始祖が言っていた言葉が、頭の中で何度も反響する。
――能力を持つ人間は、消えるかもしれない。
まさか。
まさか、本当に……。
涙が溢れた。
心の器から零れ落ちるように、止まらなかった。
居ても立ってもいられず、私は走り出す。
王国の方角へ、ただ無我夢中で。
嫌だ。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
涙を拭っても追いつかない。
焦りと絶望が、心を凍らせていく。
――その時。
丘の上に立つ、一人の男の背中が目に入った。
「……ノアス、君?」
「起きたか、エリィ」
振り返った彼は、ニヤリと笑う。
「見てみろよ。世界が変わったぞ」
間違いない。
ノアス君だ。
喉の奥が熱くなって、言葉が出なかった。
※ノアス※
目を覚ました時、エリィはまだ眠っていた。
そして俺は――ここにいる。
「俺は……消えなかった、か」
飢餓化のイレギュラーとして生まれた俺。
飢餓の始祖が亡くなってなお存在しているという事実が、答えだった。
少しだけ歩いた。
不思議と体が軽い。まるで翼でも生えたみたいだ。
丘の上に立ち、俺は目を疑った。
「……世界が、満たされていく」
空は黄金色に輝き、雨のように食料が降り注いでいる。
野菜、肉、果実――かつて失われたすべて。
死んでいた大地から草原が芽吹き、
やせ細った木々は、次々と実を膨らませていく。
数百年、空腹に苦しんできた世界が、
一気に取り戻されていく光景だった。
言葉を失うほどの、圧倒的な再生。
「ノアス君……」
背後から声がする。
「起きたか、エリィ。見てみろよ」
彼女は、呆然と世界を見つめていた。
さっきまで、俺を探して泣いていたんだろう。
「……なに、これ」
「俺たちが目指した世界の、第一歩だ」
噂は本当だった。
飢餓の呪いが消え、消え去っていた食料が一斉に戻ってきたんだ。
「本当に……空腹から、解放されるんだ……」
そう呟いた直後、エリィは急に俺を見上げた。
「っていうか! 本当にノアス君だよね!?
ね、ね、ね!?」
「言っただろ」
俺は笑って、彼女の頭を撫でる。
「独りにはしないって」
宝石みたいに目を輝かせて、エリィはようやく息をついた。
「さあ、ここからだ。頑張ろうぜ、相棒」
「うん!」
飢餓の始祖との約束を果たす。
滅ぼすんじゃない。再建するんだ。
区別も、差別もない世界を目指して。
王国は案の定、大混乱だった。
降り注ぐ食料に戸惑いながらも、人々は次第にそれを口にし、笑顔を取り戻していく。
その光景を見て、俺の胸は静かに晴れていった。
「おい、ノアス。これはどういう事だ」
ジータ、リン、ラン、リーリスと合流する。
「倒したんだ。飢餓の始祖を」
「マジかよ!」とランが叫ぶ。
俺は、すべてを話した。
苦い表情、涙、そして納得。
「エリィ……大変だったねぇ」
リーリスが号泣しながら抱きしめる。
「で、この後はどうするんじゃ」
「ヒーローを集める。呪いと獣人の件を説明する。その後――」
「その後は俺に任せろ」
現れたのはヒバナだった。
「祭りだ。盛大にな。
死者を弔って、空腹で苦しんだ奴らを笑わせる」
俺は、思わず笑った。
「ああ。頼む」
こうして、俺たちは歩き出す。
――飢えの終わりから、
新しい世界の始まりへ。




