線引きの向こうで
「俺たちは歴史ある葬儀屋だ。飢餓化の呪いによって、多くの死者が出ることは容易に想像できた。その時に相談を受けてな……それ以来、国王とは色々と繋がっている」
ヒバナは静かに語った。
「お前の言う通り、国を守るために、俺はずっと飢餓の始祖を倒すことに否定的だった。……それは今も変わらない」
だが、その言い方には今までとは違うニュアンスがあった。
まるで何かを飲み込んだまま、言葉にするか迷っているような視線が、俺に向けられる。
「俺は国王や獣人の長老と話した。飢餓の始祖を倒す方針は変えない。俺とエリィが倒せれば、人間と獣人が共存できるって証明になる。信用あるヒーローにも協力を仰ぐし、長老も話に乗ってくれた」
一息ついて、俺は続ける。
「獣人を導ければ、この国は滅びるどころか、大きく変われる。……それでも、まだ否定的か?」
「……そうだな」
ヒバナは重たく息を吐いた。
胸に溜め込んだ言葉が、今にも破裂しそうなのに、それでも口に出すことを躊躇っている。
「飢餓の始祖を倒すという行為が、ヒーローという存在そのものに影響を与えるかもしれない――そう言ったらどうする、ノアス」
俺は黙って聞いた。
「俺はお前が好きだ。国のために、自分を犠牲にして動くその姿がな。だから……」
ヒバナは言葉に詰まり、視線を逸らす。
「何だよ。歯切れ悪いな。はっきり言え。何でも聞く」
「……分かった。今から言うことは、あくまで推測だ。だが、かなり根拠はある」
ヒバナは覚悟を決めたように口を開く。
「お前たちヒーローはな――」
「ノアス君!」
背後から鋭く名前を呼ばれた。
「エリィ!」
振り返ると、そこにいたのはエリィだった。
汗で髪が額に張り付き、息も荒い。いつもの太陽のような笑顔はなく、溺れる寸前のような表情をしている。
「大変なの……助けて!」
「どうした。らしくないぞ」
嫌な予感が胸を掠める。
「ママが……ママが行方不明になっちゃったの!」
「何だって!?」
エリィの母親は入院中で、歩ける状態ではないはずだ。
「病院の人も言ってた。一人で抜け出せる体調じゃないって……ずっと探してるのに、見つからなくて……それで、ノアス君の顔が浮かんで……!」
「落ち着け。一緒に探そう。誘拐の可能性もある。一人より二人だ」
俺はヒバナを見る。
「悪い。話はまた今度だ!」
「待て、ノアス! お前たちヒーローは――」
その声を背に、俺たちは走り出した。
ヒバナは右手の鏡を強く握りしめ、去っていく俺の背中を見つめていた。
人の集まる場所、集まらない場所、危険区域――
国中を駆け回っても、手掛かりはなかった。
国外へ出た可能性が脳裏をよぎるが、口には出さない。
「ノアス君、あれ見て!」
指差す先――空の一部だけが歪み、紫色の雲が渦を巻いている。
異常なのに、周囲の人々は誰一人気にも留めていない。
「行くぞ」
「うん」
雲の真下は、国の端にある更地だった。
その中心に、一人の女性が立っている。
「ママ!」
エリィの叫びに、女性はゆっくりと振り向いた。
「待て。罠かもしれない」
慎重に近付く。
病室の服、泥の付いた足元、青白い顔色。
「エリィ……ノアス」
「どうして、こんな所に!?」
エリィが駆け寄ろうとした瞬間、母親は静かに手を上げた。
「これ以上、近付いてはいけません。これは線引き。私と、あなたたち生物の」
「生物……?」
声の温度が、決定的に違う。
「この体の主は、既に亡くなっています。器は限界です」
「何を……言って……」
「私の名は、飢餓の始祖」
次の瞬間、母親の顔にひびが入った。
ガラスが割れるような音と共に、皮膚が剥がれ落ち、内部の透明な“何か”が露わになる。
「ママ……?」
エリィの声が震える。
「ママを……殺したの?」
紫の雲が、さらに濃く渦を巻いた。




