恐怖から生まれた牙、弔いの火
「え、え……じゃあ私たち、同族を倒してたってこと?」
エリィが目を丸くする。
「言い方が悪いな。それとは違うだろ。お前は“獣人”という種族だ」
「あ、そっか! よかったぁ……びっくりした」
胸を撫で下ろすエリィを横目に、俺は長老を見る。
「それが、獣人の歴史ってわけか」
「うむ。だが、話はまだ終わりではない」
長老は杖を床に突き、こちらを見据えた。
「ここからは、儂の仮説じゃ。聞くか?」
「聞かせてほしい」
即答だった。
ここで止まる理由は、もうどこにもない。
「元来、動物は人間に狩られてきた。食料にされ、衣服にされ、家畜にされた。
一言で言えば——人間を嫌っていた」
淡々とした口調が、逆に重い。
「自然界は弱肉強食。理不尽も含めて、それが摂理じゃ。
ゆえに多くの動物の本能には、人間への恐怖と怒りが刻まれている。
では、その動物が獣人へと突然変異したら、どうなる?」
俺とエリィは顔を見合わせる。
「……恐らくだが、獣人の多くは本能的に人間を恐れている。
同時に、憎んでもいる。それは遥か昔から遺伝子に刻まれてきた感情じゃ」
「だから、攻撃的になる……?」
「そういうことじゃ」
長老は頷く。
「獣人社会に根付く“弱肉強食”の思想。
ヒーロー同士で勝敗をつける文化。
あれは、恐怖を力で塗り潰そうとする本能の表れじゃろう」
「人間に怯えているから、先に牙を剥く……」
言葉にすると、残酷なほど筋が通っていた。
リンの顔が脳裏に浮かぶ。
誰よりも獣人らしく、誰よりも潔いあの姿。
敗北を受け入れたのも、弱肉強食という本能に忠実だったからかもしれない。
「……なら、人間は怖くないって伝えられれば、変わる可能性はあるのか?」
「難しいじゃろうな」
長老は即座に否定した。
「何百年と続いてきた恐怖は、言葉一つで消えるものではない。
だが——知っているか、知らないかでは雲泥の差がある」
長老の視線が、俺たちを射抜く。
「獣人の歴史を知ったお主たちが、これからどう動くか。
それ次第で世界は変わる。
もし飢餓の始祖を倒す日が来たなら……儂も力を貸そう。
その時、この国は間違いなく大きな転換点を迎える」
一つ、確かな景色が見えた気がした。
獣人の牙は、憎しみから生まれたのではない。
恐怖から生まれたものだった。
「さて、老人はもう寝る時間じゃ。帰れ」
余韻を噛み締める間もなく、俺たちは家から追い出された。
扉が閉まる、その直前。
「期待しておるぞ、ノアス。エリィ」
ガチャリ。
完全に扉が閉じた瞬間、俺とエリィは顔を見合わせ——
「「名前呼ばれた!!」」
同時に叫び、間の抜けた顔で目をぱちくりさせる。
それから、二人して小さく笑った。
「ノアス君、行こっ!」
「ああ。頑張ろう」
◇
その後、俺たちはいつも通りヒーロー活動に戻り、集めた食料を運ぶ。
エリィは母親の様子を見に行くと言い、教会の前で別れた。
俺は一人、街を抜ける。
相変わらず貧困に染まった人間と獣人で溢れているが——
ほんの少し、揉め事が減った気がした。
リンやリーリスの影響か。
それとも、ヒーローたちの動きが活発になったおかげか。
空腹で倒れたという話は、確かに減っている。
「おーい、いるんだろ。開けてくれ。荷物が落ちそうだ」
両手いっぱいに食料を抱え、足で扉を叩く。
「待ってくれ」
数秒後、扉が開き、大男が顔を出した。
「おお、相変わらずの量だな。さすが今話題のヒーローだ」
ヒバナ。
豪快な笑みを浮かべる、歴史ある葬儀屋の男だ。
「悪い、先に持ってくれ」
「ああ、すまん」
ようやく荷物を受け取ってもらい、息をつく。
「最近、食料をやたら集めてるな。
独り占めする気じゃないよな?」
「お前がそれを言うか」
ヒバナは鼻で笑い、真剣な表情になる。
「飢餓化が増え、死者も増えた。
職人の俺にできることは料理を作ることだが……それだけじゃ足りない」
彼は静かに続けた。
「俺は葬儀屋だ。
派手に弔い、死者を送り、生きている奴らの心を奮い立たせる。
この国に必要なのは、それだと思った」
祭りのような葬儀。
死者のためであり、生者のための弔い。
「……なるほどな」
確かに、それはヒバナにしかできない。
「だが、まだ足りない」
ヒバナの顔が曇る。
「中途半端にやりたくない。国を救うつもりでいる」
「分かってる。でもこれ以上は危ない」
俺ははっきり言った。
「今でも、他の連中には供給が遅れてる。
これ以上続ければ、怪しまれる。獣人なら尚更だ」
「……そうだな」
歯噛みするヒバナ。
「だが、一つだけ方法がある」
「飢餓の始祖、か」
「ああ。倒せば、食料は降ってくるらしい」
根拠は薄い。
それでも——今までで一番、近づいている感覚があった。
「飢餓の始祖は、国を救った存在でもある」
「知ってる。だからこそ、お前は悩んでるんだろ」
ヒバナは苦く笑った。
「ああ。だが……いつまでも立ち止まってはいられない」
国は、限界に近づいている。
恐怖から生まれた牙と、
生者を生かすための弔い。
どちらも、この世界の現実だった。




