語られざる契約
協会から三十分ほど歩いた先。
貧しいこの国の中でも、ひときわ立派な建物――それが国王の寝床だった。
外観こそ威厳があるが、近づけば壁や柱のあちこちにひび割れや色褪せが見える。
内装も豪華ではあるものの、経年劣化の痕は隠しきれていない。
修繕する金も人材も足りない。
この国の現状を、そのまま形にしたような城だった。
大きな長テーブルを囲むように、背もたれの高い椅子が並べられている。
俺たちは向かい合う形で腰を下ろし、最奥の席に国王が座った。
国王は一度、深く息を吸い、そして吐いた。
室内には重苦しい空気が漂う。
もっとも、それをどう感じるかは人それぞれだ。
俺は比較的リラックスしているつもりだったし、
エリィは緊張しているのか、背筋をぴんと伸ばしている。
ジータは興味があるのか無いのか判別しづらい顔。
リンはというと、堂々とテーブルに足を乗せ、相変わらず偉そうだ。
ランとリーリスは優等生そのものの姿勢で、黙って話を待っている。
「もう一度言うが……」
国王が口を開く。
「獣人たちは聞かない方がいい。……いや、正直に言おう。聞かせたくないのだ」
視線がエリィたちに向けられる。
「退室する気はないか?」
「しつこいな」
即座にリンが噛みついた。
「私は国王とか関係ないぞ。あまり舐めた態度を取るなら、ぶっこ――」
「リン、落ち着け」
ギリギリ――いや、ほぼ言い切った発言を、ジータが何とか制止する。
リンは納得いかない様子で睨みつけるが、状況が理解できないほど馬鹿ではないらしい。
一旦は口を噤む。
……舌打ちはしていたが。
「これだから獣人は……」
国王は小さく吐き捨てるように言い、続けた。
「なら約束しなさい。今から話す事を聞いて、反逆などを考えず、大人しくしていると」
「どういう意味じゃ。大人しく? 私が大人しくすると思うか?」
「……話にならないな」
国王は眉間を押さえた。
「なら今まで通り、国に貢献するようヒーロー活動に専念すると約束しなさい。そこの獣人二人もだ」
「当たり前じゃろ」
リンは鼻で笑う。
「もちろんでーす!」
エリィは子供のように元気よく手を挙げた。
「了解」
リーリスは小さく敬礼する。
それでも国王の表情は晴れない。
エリィたちをちらちらと見ては、奥歯を噛みしめるような苦しそうな顔をしている。
「……なら話そう」
国王は俺たち人間に視線を移した。
「もしもの時は、相棒である君たちが制御するのだ。これは約束だ」
どこまでも不安そうな声だった。
俺たちは頷く。
だが、何をそこまで恐れているのかは分からない。
晴れない表情に、俺は小さな疑念を覚えた。
「では、話す」
国王は背筋を正す。
「これは代々、一部の者しか知らされていない――飢餓の始祖に関する記録、事象だ」
室内の空気が、さらに張り詰める。
「本来、関係者以外への他言は禁じられてきた。だが私は、もはや伏せる必要はないと考えている」
一拍置いて、国王は続けた。
「国の事を考えた結果、それが最も効率的だと判断した。故に君たちに話そう」
ゴクリ、と誰かが唾を呑む音がした。
今まで謎に包まれていた、飢餓の始祖。
俺たちの意識は、国王に吸い込まれるように集中していた。
「ラグナロク王国が出来た当初、この国は今と同じく、人間と獣人によって築かれた」
国王は淡々と語り始める。
「だが、分かち合えた歴史など存在しない。人間は常に獣人に怯えて生きてきた」
エリィたちが、わずかに身じろぎする。
「暴力を振るわれ、理不尽を押し付けられる日々。それでも協力するしかなかった」
国王の声が低くなる。
「この地域には魔物と呼ばれる凶悪な生物が多く、我々には逃げ場が無かったからだ。どんな関係であろうと、上辺だけでも協力せねば生き延びられなかった」
城壁が築かれ、魔物の侵入が防がれるようになっても、問題は残った。
「魔物の脅威と――獣人たちの理不尽さだ」
国王は悪気なく、エリィたちを睨む。
「そんな時だ。飢餓の始祖が国に訪れたのは」
「「「――!」」」
「姿は無い。強いて言えば、モヤのような存在。概念的存在だ」
国王は淡々と告げる。
「飢餓の始祖は、一つの契約を提示した。
王国とその周辺を、飢餓の呪いで満たすという提案だ」
「……」
「当時の国王は、その契約を呑んだ」
「なんでだ!」
ジータが勢いよく立ち上がる。
「それじゃあ、今この苦しい状況は全部、あんたら王族のせいじゃないか!」
国王は目を閉じ、深く息を吐いた。
「確かに、飢餓の呪いは多くの苦しみを生んだ」
そう前置きし、続ける。
「だが恩恵もあった。作物は枯れ、多くの動物が餓死した。しかし、その結果――」
国王は静かに言った。
「魔物が、この地域を去ったのだ」
「魔物が……」
俺の脳裏に、以前エリィと洞窟へ向かった時の話が蘇る。
そうか、そういう事だったのか。
「餌が無くなり、この土地に留まる意味がなくなった。それが理由だ」
国王は頷く。
「そして、もう一つ。国を苦しめていた獣人の暴走の抑制だ」
「抑制じゃと?」
リンが眉を吊り上げる。
「獣人は強すぎる」
国王ははっきり言った。
「多くが、自分たちを最強の種族と信じ、弱者に慈悲を持たない。人間を見下す者も多かった」
リンは歯を食いしばる。
「飢餓の始祖が来る前の獣人は、今以上に強力だった。その力を抑えるのが飢餓の呪いだ」
「空腹を受け入れる代わりに、力を抑える……」
「そうだ。空腹に苦しむ獣人は、本来の力を発揮できない」
「じゃあ、今の私たちは……」
リンが拳を見つめる。
「本来の力を出せていないって事か!」
「そうなの!?」
エリィも驚いた表情で自分の手を見る。
「当時は、ヒーローのような能力を持つ人間はいなかった。力の偏りを抑えるための選択だった」
国王は言う。
「その結果、人間と獣人が協力する例が増え、後にヒーローという職業が生まれた」
衝撃だった。
飢餓の始祖を倒すために生まれたと思っていたヒーローが、
まさか飢餓の始祖によって生まれていたとは。
俺たちは顔を見合わせるだけで、言葉を失っていた。
「もちろん、飢餓化や餓死といった問題は当初からあった」
国王は静かに続ける。
「それでも国を守るため、我々はその代償を呑み込んだ。魔物の脅威を遠ざけ、獣人を抑えられる。それはあまりにも魅力的だったのだ」
「……なら聞きたい」
俺は口を開いた。
「俺たちの目標は、飢餓の始祖の討伐だ」
視線を逸らさず、国王を見る。
「もしそれを成し遂げたら、その“魅力”は失われる。それについて、どう思っている?」
国を維持するために必要だった存在。
それを倒す行為は、国を滅ぼす事にならないのか。
「今までの国王は、この事実を伏せてきた」
国王は言う。
「国を維持するためだ。だが私は……悩んできた」
声がわずかに震える。
「国民全員が苦しむ状況が、果たして幸せなのか、と」
国王は俺たちを見る。
「だからこうして、君たちに話している」
「つまり……」
俺は確認する。
「飢餓の始祖の討伐に、反対ではない?」
「正確に言えば、どちらでもいい」
国王は答えた。
「私の望みは一つ。皆が平和に、幸せに暮らすことだ」
現状維持も、新しい世界も。
どちらにも痛みは伴う。
「今はヒーローがいる。能力者の人間も増え、獣人とペアを組む者もいる」
国王は続ける。
「君や碧眼の獣人のように、人間に好意的な獣人も存在する。今の勢力なら、魔物が戻ってきても対処できるかもしれない」
沈黙の後、リンが口を開いた。
「なるほどな」
腕を組み、国王を睨む。
「お主が獣人に話したくなかった理由が分かったぞ」
リンは断言する。
「飢餓の始祖を倒せば、私ら獣人は抑えられていた本来の力を取り戻す。
それを恐れていたのだろう?」
国王は否定しなかった。
リンの言葉は――
間違いなく、核心を突いていた。




