母の覚悟と、獣人の少女
「現在、街では飢餓化が急激に増えています。
飢餓の“暴走”でしょうか……もう潮時なのかもしれませんね」
キスリングはそう言って、再び俺へと視線を向けた。
弱々しい笑み。しかし、その奥にある感情は読み取れない。
「今が踏ん張りどころです。ヒーロー活動、頑張ってください」
「……ありがとうございます。ところでエリィ、少し遅いですね。俺、探してきます」
立ち上がろうとした俺を、キスリングの声が静かに制止した。
「大丈夫ですよ。……ところで」
一拍。
「私と会うのは、二回目ですね」
――世界が、凍り付いた。
「え……」
溶けかけていた緊張が、一瞬で極寒へ引き戻される。
「ヒーローになった時に、ベルと一緒に会いましたね。……そうでしょう?」
逃げ場はなかった。
「……はい」
「ベルは――」
「すみませんでした!」
俺は言葉を被せるように吐き出し、そのまま床に額を擦り付けた。
「俺が未熟だったばかりに……ベルは、亡くなりました」
卑怯だ。
言わずに逃げるつもりだった。
キスリングに切り出させた俺は、最低だ。
「……顔を上げてください」
静かな声。
「大丈夫です。怒っていません」
恐る恐る顔を上げる。
「……怒って、いない?」
「ええ。あの子がヒーローになると言った時、
いつか突然会えなくなる日が来るかもしれないと、覚悟はしていましたから」
責めるでもなく、泣くでもなく。
ただ、淡々と。
「先ほどのあなたの言葉で、分かりました。
どれほどベルを想ってくれていたのか」
胸が、締め付けられる。
「だからお願いがあります」
キスリングは俺をまっすぐ見つめた。
「いつか、必ず来るでしょう。
ベルの死を、エリィに話さなければならない時が」
「……はい」
「その時、彼女を支えてあげてください。
そして――エリィを守り抜いてほしい」
少しだけ、声に力が宿る。
「あの姉妹が願う“区別と差別のない世界”は、
獣人としては、とても珍しい思想です」
「あなたとエリィなら……きっと、ラグナロク王国を救える。
私は、そう願っています」
「あ……はい」
理屈では納得できる。
それでも、どこか“他人事”のような話し方が、胸に引っかかった。
「では……私は疲れてしまいました。
エリィには、また今度来て、と伝えてください」
「分かりました。
……俺は、必ずエリィを守ります。
ベルのことも、いつか自分の口から話します」
深く頭を下げ、病室を出ようとした――その時。
「ノアス」
背後から、声。
「飢餓の始祖を倒せた時……
もし、あなた達ヒーローが“消えてしまう”としたら、どうします?」
「……どういう意味ですか」
「存在が、形もなく消滅するとしたら。
それでも、倒しますか?」
俺は迷わなかった。
「倒します。
俺たちが消えても……一人でも笑える世界が残るなら」
「それが、ヒーローの役目ですから」
一瞬だけ、キスリングの口元が緩んだ。
「……その答えが聞けて、満足です。
本日は、ありがとうございました」
病室を出る直前、誰も映っていない鏡が視界に入ったが、
俺は気に留めず扉を閉めた。
廊下で背中を壁に預け、深く息を吐く。
「あれ? ノアス君、どうしたの?」
飲み物を抱えたエリィが立っていた。
「少し疲れただけさ。
お母さん、また今度にしようって」
「そっか……残念」
汗をかいた額。
一本の飲み物のために、どれだけ走り回ったのかが分かる。
「はい、ノアス君」
「ありがとう」
胸の奥に、拭えない違和感が残ったまま、俺たちは病院を後にした。
「ねえノアス君。
ラグナロク王国の国王に会ったこと、ある?」
「いや……多分ないな」
「そっか。
この状況、どう思ってるのかなって」
確かに――ヒーローの負担ばかりが増えている。
「あの、すいません!」
背後から、息を切らした声。
転びそうになった少女を、エリィが支える。
「大丈夫?」
「ありがとうございます……!」
猫科――いや、ライオンの獣人。
「あなた達、ノアスさんとエリィさんですよね!」
「どちら様?」
「私、リーリスです。
先日……飢餓化になってしまって、助けて頂きました」
「あっ」「あー!」
洞窟での記憶が蘇る。
「よかった……無事で」
エリィは優しく彼女を抱きしめた。
「ずっと探していました。
ようやく……会えました」
リーリスは、震える声でそう言った。
――新たな縁が、確かに結ばれた瞬間だった。




