風の正体と、避けられない約束
目覚めがいい。
今日はいつもより気持ちのいい風が吹いている。
……いや、思い込みだろう。
先日のジータとの戦いに勝利した興奮が、普通の風すら特別に感じさせているだけだ。
今日はエリィとヒーローの仕事を受ける約束をしている。
あの戦いから一週間。久しぶりの再会だった。
ヒーロー協会でエリィを見つける。
彼女はいつも通り、子供のような笑顔を浮かべていた――が。
「……何かあったか」
視線を落とすと、体は傷だらけだ。
嫌な予感が胸をよぎる。
「っふっふっふ。違う違う。鍛えてたんだよ!」
エリィは腕を曲げて「フンッ」と鼻息を鳴らし、
小枝のように細い腕を誇らしげに見せつけてくる。
一瞬、何を言っているのか分からなかった。
だが――ああ、そうか。
“私の筋肉どう?”
そう言いたいのだと理解して、俺は無言で彼女の頭を撫でた。
「さあ、行こうか」
戦闘センスこそまだ拙いが、
エリィは確実に基礎を積み上げている。
今日の仕事は国外での食料調達。
飢餓化の制圧もあるが、俺たちは基本的に食料確保を優先している。
理由は単純だ。
今はまだ、無理をする段階じゃない。
ヒバナでの一件も、ジータとの決闘も、
あれは“勝てた”だけのイレギュラー。
勢いで飢餓化に挑むのは愚策だ。
まずは経験と実績を積む。
掲示板で程よい仕事を選ぼうとした、そのとき。
「おい、兄ちゃん。お前たちもヒーローか?」
声をかけてきたのは、協会職員らしき中年の男だった。
「白髪で寡黙な男。ヒバナから聞いたぜ。
結成して間もないのに、飢餓化を制圧したんだってな」
「……ああ」
「それに、ジータとリンを倒したんだろ?」
思わず眉をひそめる。
「決闘の勝敗なんてすぐ広まる。
あいつら、あれ以来大人しくなったしな。助かってるぜ」
「良かったね」
エリィが嬉しそうに笑った。
男は掲示板を指差す。
「けどな……これを見てくれ」
掲示板の六割。
そこに並んでいるのは――飢餓化の制圧依頼。
「昔は二、三割だった。
今は倍以上だ」
……確かに異常だ。
「原因は不明。
食料不足って訳でもない。なのに増えてる」
負傷者、死傷者も増加。
嫌な予感が胸に広がる。
「……分かった。頭に入れておく」
今は、まだ動く時じゃない。
男を見送り、俺は小さく息を吐いた。
「大丈夫かな……飢餓化」
「気にしない、とは言えないが。
今はやれることをやろう」
俺たちが一人で世界を変えられるわけじゃない。
今は、今できることを。
その後はいつも通り狩りを行い、
飢餓化と遭遇することもなく無事に終えた。
食料を協会へ納め、一部を受け取る。
解散しようとしたが、エリィに袖を引かれた。
「ちょっと話そうよ」
軽食をとる。
エリィは獲物を前にした犬のように、尻尾を振っていた。
試しに「お手」と言うと、
素直に手のひらをタッチしてきて、少しだけ罪悪感を覚える。
……やりすぎだな。
「あのさ。明日の朝、暇かな?」
来た。
タイミングと視線で、もう分かる。
「……暇だけど」
「じゃあ決まりね!」
満面の笑み。
「ママに会ってほしいんだ!」
喉が鳴る音を、必死に飲み込む。
心臓がうるさい。
爆発しそうだ。
けれど、断る理由はない。
「……分かった」
それからの食事は、ほとんど喉を通らなかった。
エリィに心配されたが、何とか誤魔化す。
そして、解散。
――風が、少し冷たく感じた。




