誇りと傷、焚火の前で
拳同士を打ち鳴らし、不敵な笑みを浮かべたリンは、なおも戦闘態勢を解かなかった。
その視線は獲物を見据える獣のそれだ。
――だが。
「……あまり失望させるなよ、リン」
「なんじゃと、ジータ!」
ジータの低い声が、張りつめた空気を切り裂いた。
「見て分からないのか。彼らは飢餓化と戦った直後だ。しかも、あのオッドアイの獣人……明らかに経験不足だろう」
淡々と、だが鋭く言葉を重ねる。
「消耗した相手を潰す。それが“誇り高き獣人”のやることか?」
「……」
一瞬、リンの表情が歪む。
「チッ……相変わらず腹の立つ言い方じゃのう。だが、一理ある」
リンは肩を竦め、殺気を引っ込めた。
「そこの獣人の恥を逃すのは癪じゃが、今回は見逃してやる。だが覚えておけ、人間。必ずヒーローの規約に則って、お前に敗北を味わわせてやる」
殺意の気配が、潮が引くように消えていく。
――助かった。
そう思ったのは事実だが、胸の奥に残るこの屈辱は、簡単には消えてくれなかった。
「ノアス。僕は、あんたに憧れている」
去り際、ジータは振り返って言った。
「だが、あんたの掲げる思想――“区別や差別のない世界”は、多くのヒーローに否定されている。
僕たちは強者が上に立つ世界を選ぶ。邪魔なものは潰す。それが正義だ」
眼鏡の奥の瞳が、真っ直ぐ俺を射抜く。
「だから、いずれ手合わせ願いたい。あんたの信念の先に、どんな景色があるのか……知りたい」
「ああ。いいぜ」
俺は小さく笑った。
「今回は助かった。次は、じっくり話そう」
「行くぞ、ジータ。雑魚と話す時間は終わりじゃ」
リンに引きずられるように、二人の背中が遠ざかっていく。
――惨めだ。
何も出来ず、ただ見送るしかなかった自分が、どうしようもなく腹立たしい。
静寂が戻った洞窟で、俺は大きく息を吐いた。
「はぁ……」
張りつめていた糸が切れ、全身に疲労が押し寄せる。
「大丈夫、ノアス君?」
尻もちをついた俺を、エリィが心配そうに覗き込む。
「ああ。心配ありがとう」
頭を撫でると、彼女は少し照れたように頬を染めた。
「……さっきのこと、気にしないで」
エリィはそう言って、静かに語り始める。
オッドアイゆえに拒絶され、
義眼ゆえに嘲られ、
群れに入ろうとしては、何度も突き放された過去。
「唯一、私を支えてくれたのは妹のベルだけだった」
彼女の声は、優しく、そして強かった。
「ベルは言ってた。獣人も人間も、平等な世界を作るって。
だから私も、独りでも頑張ろうって思ったの」
その言葉に、胸が締めつけられる。
「……けどな」
俺は拳を握った。
「俺は、あいつを許さない。相棒を侮辱されて黙っていられるほど、落ちちゃいない」
エリィは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに力強く頷いた。
「うん。私も、答えられるように頑張る」
その後、洞窟を出た俺たちは焚火を囲んだ。
「ノアス君って、昔はどんな人だったの?」
問いかけに、俺は少しだけ過去を語った。
恐れを知らず、孤独を楽しみ、燃え盛る炎のようだった頃の自分を。
「……相方さんは?」
その言葉に、心臓が痛んだ。
今は、言えない。
言ってはいけない。
「……死んだ」
それだけを告げ、拳を握りしめる。
エリィは何も言わず、ただ抱きしめてくれた。
「大丈夫だよ。私、絶対に死なないから」
その優しさが、痛いほど胸に沁みた。
「ありがとう。俺も強くなる」
偽りを含んだ誓いでも、今はそれでいい。
焚火の炎が揺れる中、
俺たちは静かに眠りについた。




