獣の共鳴(シンクロ)と、もう一つの牙
「――来るッ!」
叫んだ瞬間、飢餓化が地面を叩き割るように踏み込んだ。
弾丸――いや、砲弾だ。
瞬きの次の瞬間には、奴はもう俺の眼前にいた。
「エリィ、伏せろ!」
反射的に彼女を突き飛ばす。
狙いは最初から俺だった。
飢餓化した獣人は、もはや“人”ではない。
口元からは収まりきらないほどの牙。二十センチはあろうかという鋼鉄並みの爪。
大木のように膨れ上がった脚から放たれる瞬発力――
一瞬の油断が、死を意味する。
振り下ろされる右腕。
俺は爪を避け、反動を利用して首元へ蹴りを叩き込んだ。
「――っ!」
よろけるが、倒れない。
やはり、ライオンモデルは伊達じゃない。
次は拳。
肘を蹴り飛ばして軌道を逸らし、かすり傷を覚悟で腕を掴む。
「――はぁっ!」
渾身の投げ。
獣人の巨体が宙を舞い、地面を転がった。
「あれが……飢餓化……」
距離を取り、エリィの前に立つ。
彼女の視線は、吸い寄せられるように飢餓化へ釘付けだった。
「強い。やっぱり、ライオンは厄介だ」
獣人の性能は、モデルとなる獣に左右される。
肉食――その中でも王者。
相手としては、最悪に近い。
「……私、どうしたらいいかな」
声は震えていた。
平静を装ってはいるが、生まれたての小鹿のように足が小刻みに揺れている。
初めて直面する、圧倒的な殺意。
動物たちと同じだ。恐怖の前では、身体が先に悲鳴を上げる。
「エリィ!」
「は、はいっ!」
名前を呼ぶと、彼女はビクッと肩を跳ねさせた。
「安心しろ。俺が付いてる」
そっと、手を取る。
オオカミの獣人らしい、柔らかな肉球。
冷たい――けど、確かに生きている。
「ノアス君……」
「前に話しただろ。ヒーローの戦い方だ」
視線を合わせる。
「俺を信じろ。
相手を“敵”と認識しろ。
それから――俺に力を貸せ」
震えが、わずかに止まった。
「そうすれば、お前の魂と能力が俺に憑依する」
エリィは深く息を吸い、胸に手を当てた。
「……分かった。やってみる」
二度、深呼吸。
起き上がった飢餓化を睨み、奥歯を噛みしめる。
――次の瞬間。
糸の切れた人形のように、エリィが倒れた。
「……来たな」
身体に、異物感。
いや、違う。
“添えられる”感覚だ。
力を込めると、爪が伸びる。
唸れば、牙が露わになる。
肉球は盾となり、尻尾が揺れる。
「……やっぱり、慣れねぇな」
だが――懐かしい。
力が、満ちていく。
『出来た……?』
脳内に、エリィの声が響く。
「成功だ。これが、俺たちの戦い方だ」
――ただ一つ。
過去と違う点があった。
右側の視界が、真っ暗だ。
エリィの義眼。
それも、引き継がれている。
「――っ!」
気づいた時には遅かった。
飢餓化は、見えない右側から――
腹に、重い衝撃。
俺は吹き飛ばされた。
『ノアス君!』
「……問題ない」
悟らせるわけにはいかない。
落ち込ませるわけにもいかない。
四足で地を蹴る。
左側に、必ず捉える。
蹴り、噛みつき、殴られる。
痛みと引き換えに、少しずつ“慣れる”。
『上!』
叫びに反応し、見上げる。
ロケットのように突っ込んでくる影。
両腕の肉球で受け止める。
「――っ、重い!」
完全には防げない。
だが、致命傷は免れた。
「今だ……決めるぞ」
『うん!』
並走し、跳ぶ。
宙で回転し――
かかと落とし。
肺を潰され、飢餓化は唾液を吐き散らし、崩れ落ちた。
紫のオーラが霧散し、表情が穏やかに戻る。
「……勝った?」
「ああ。無力化だ」
意識を失えば、飢餓化は解除される。
だが、根本は何も解決していない。
「すぐに食事を与えないと、また同じだ」
『……眠くなってきた』
「解除だ。すぐ目が覚める」
気配が消え、数秒後――
エリィが、眠たそうに起き上がった。
「……倒したの?」
「ああ。助かった。ありがとう」
頭を撫でると、彼女は照れたように頬を染める。
「……戻ろう」
――その時だった。
「なんじゃ、ここは」
空気を裂く声。
一歩、また一歩。
優雅に歩く、小柄な少女。
欠伸混じりに笑い、
――動物を、次々と殺していく。
「愉快、愉快」
「やめろ!」
返り血に染まった少女は、舌で血を舐めた。
「ほう? 人間風情が、私に指図?」
雰囲気が一変する。
筋肉が脈打ち、殺意が膨れ上がる。
「……ゴリラの獣人か」
速くはない。
だが――一撃必殺。
ナイフは、弾かれた。
「しまった――」
『ノアス君ッ!』
――まだ、戦いは終わらない。




