月光のオアシスと、紫の獣
目的地へ辿り着いた頃には、外の世界を照らしていた主役――太陽は、すでに眠りについていた。
人工的な明かりの一切ない夜の世界。
真っ暗闇の中で、まるで蛍のように揺らめく光が二つある。
俺とエリィの腰にぶら下がったランタンだ。
「わあ……すごい……!」
思わず、という声だった。
エリィの澄んだ瞳に映り込むのは、満天の星空。
俺もつられるように顔を上げる。
そこには、宝石をばら撒いたような夜空が広がっていた。
王国内は常に灯りが溢れている。
だから、ここまで星がはっきり見えることはない。
国外に出たことのないエリィにとって、この光景がどれほど衝撃的か――想像に難くなかった。
星々の淡い輝きを圧倒する、ひときわ大きな光。
ダイヤモンドのように澄み、蛍のように優しく照らす満月が、夜空の中心に鎮座している。
エリィは言葉を失い、ただ立ち尽くしていた。
夢を見る子供のように、無意識に浮かべた微笑。
……少し、見惚れてしまった。
「……なんかさ」
ぽつり、とエリィが呟く。
「この世界にも、まだ希望って残ってるんだね」
「……手の届かない希望だけどな」
俺はそう返しながら、空から視線を外す。
「でも、俺たちが掴める希望があるとすれば――それはヒーロー活動の先だ。
飢餓の始祖を倒す、その先にしかない」
空腹も、貧しさも、絶望も。
すべては飢餓の始祖が残した呪いのせいだ。
何百年も姿を見せない存在。
本当に実在するのか、疑う声も多い。
――それでも。
存在してもらわなければ、困る。
こんな世界を救うには、倒すべき“元凶”が必要だからだ。
倒した先に、希望が待っていなければ……俺たちは、何を信じて生きればいい?
「……行くぞ」
「うん」
エリィは力強く頷いた。
「私たち、強くなろうね。
それで、絶対に飢餓の始祖を見つけて、倒そう」
「ああ。絶対に……だ」
拳に力を込め、俺は誓う。
◇
洞窟の中へ足を踏み入れる。
ランタンの光が、岩肌をぼんやりと照らす。
昔なら魔物が巣食っていたであろう場所だが、今は静かなものだ。
「きゃっ!?」
突然、やせ細ったネズミが飛び出してきて、エリィが悲鳴を上げた。
「だ、大丈夫だ。ただのネズミだ」
「びっくりしたぁ……!」
胸に抱きつかれ、一瞬だけ心臓が跳ねたのは秘密だ。
歩くこと十五分ほど。
洞窟の奥で、視界が一気に開けた。
天井が抜け落ちたような場所から、月光が差し込んでいる。
その光を浴びるように、芝生のような草が生え――
「……すご……」
牛、豚、イノシシ。
複数の動物が、穏やかに草を食んでいた。
「神秘的……」
ランタンの明かりすら必要ないほどの明るさ。
端では、警戒心もなく眠る牛の姿まである。
「まるで、砂漠のオアシスだな」
ここにいる動物たちは痩せていない。
外の世界とは、まるで別の場所だ。
「ねえ……」
エリィが、少し不安そうに俺を見る。
「動物……本当に、殺しちゃうの?」
その瞳は、あまりにも優しかった。
「……当たり前だ」
俺は視線を逸らさず、言う。
「ここは平和な場所かもしれない。
でも、俺たちが生きるには食料が必要だ。
弱肉強食――優しさは、時に自分の首を絞める」
「……そっか」
エリィは小さく息を吐いた。
「そう、だよね」
「全部を殺す必要はない。
持てる分だけだ。上手くいけば、ここは繁殖地になる」
「……うん。了解」
俺はナイフを抜く。
エリィも爪を尖らせ、戦闘態勢に入った。
狩りが始まる。
初めて向けられる敵意に、動物たちは慌てて逃げ惑う。
俺の能力は対人用だが、経験で十分補える。
一方――エリィは。
「きゃっ!?」
豚の突進を腹に受け、派手に吹き飛ばされた。
「無理するな! 距離を取れ!」
「だ、大丈夫……!」
何度も外し、何度も転び。
それでも、彼女は学習した。
数分後。
「……や、やった……!」
倒れたウサギを見て、エリィが跳ねるように喜ぶ。
血に染まった体毛。
その姿は、どこか危うくて――少しだけ、不気味だった。
だが。
経験は、確実に彼女を前に進めている。
順調に狩りを終え、エリィが汗を拭いながらこちらへ戻ってきた、その時だった。
――違和感。
奥から、何かが歩いてくる。
うなだれ、千鳥足で。
紫色の禍々しいオーラを纏った存在。
ライオンの獣人。
「あれって……」
「――飢餓化だ。備えろ」
空気が、張り詰める。
距離、二十メートル。
俺は腰を落とし、視線を固定する。
エリィは、まだ動けていない。
「――来るッ!」
次の瞬間。
飢餓化した獣人が、地面を叩き割る勢いで踏み込み――
夜のオアシスが、戦場へと変わった。




