第20話 あの日
2012年1月6日金曜日。学校が始まったばかりの日だったという。充太が2日前に骨折した話でクラスは始業式の日から持ちきりだった。ところが、その話もさることながら、すぐに別の話がクラスに舞い込んできた。
「勇と心美が付き合ってる」
その噂はまるで火に油を注いだかのように爆発的に広がっていく。他のクラスでは羨ましい、というような程度で終わっていたが、2年4組ではそれで済まされることはなかった。
「憧れの三輪さんと無断で付き合った」
「柳本くんは皆の理想であるべきなのに、心美が奪った」
2年4組でずば抜けてかっこいい勇と、美少女である心美は男女それぞれの憧れだった。それだけに、勇と心美に対する嫉妬のようなものは個人差はあれど、合算すればとんでもない勢いを持ったものだった。
そしてとうとう、あの日が来たのだという。
1月9日月曜日。成人の日で休みの教室に、2年4組の生徒の大多数が集まっていた。2人の生徒を取り囲むように、クラスメイトが円陣を組む。
「ねぇ」
素華が言った。
「アンタたち二人、何やったかわかってんの?」
心美が怯えた目で素華を見つめる。
「何なのよ、その目は!?」
素華の手のひらが心美の頬を直撃した。
「何しやがんだ! お前ら、どういうつもりなんだよ!?」
「どういうつもり? それはこっちのセリフだよ」
龍輔が勇の襟首を掴む。
「お前ら……自分のやったことわかってんのか?」
勇がゲホゲホとむせながら答える。
「わかんねぇよ……。俺たち、間違ったことやってんのか?」
「へぇ……」
純司が勇を思い切り拳で殴り飛ばした。
「わかってへんのやったら、血ぃ出るまでわからしたろか?」
「やれるもんならやってみろよ……」
「コイツ……!」
「よしなよ、二条」
「川西……」
七海が心美の顎を指で持ち上げる。2人の手は紐で拘束されていて、ほとんど身動きが取れずにいた。
「ねぇ、アンタたち……お付き合いしてんのよね?」
「……。」
心美はブルブルと震えていた。
「答えなさいよ!」
再び乾いた音が響き、心美の頬が赤くなった。
「ねぇ」
徹子が言った。
「付き合ってるんなら……キスくらい、もうしたんでしょ?」
「そりゃあそうだろ~」
創佑がニヤリと笑った。
「じゃあ、あたしたちにも報告兼ねて、やってもらいましょうよ~!」
名案、とでも言いたそうにあずさが拍手をする。そして、一誠が声を掛け始めた。
「キース!」
「キース!」
「キス! キス! キス!」
「嫌がるならあたしがくっつけてあげるー!」
みなみが頭を押さえ、無理やり心美と勇の唇を接触させた。
「キャー!」
女子の黄色い声が上がる。同時に男子の下品な笑い声が響き渡った。そして、キスが終わって間もなく、龍輔が声を上げる。
「ヤッちまえよ! 付き合ってんだろ!?」
一瞬、教室が静まり返ったがすぐに美知留が声を上げた。
「ヤッチャエ! ヤッチャエ!」
「やめて……いや……!」
素華と七海が心美の服を無理やり脱がし始めた。制服を剥ぎ取られ、下着も次々と剥がれていく。それは勇も同じであった。
素っ裸にされた2人を見て、クラスメイトが大笑いする。
「やんなさいよー!」
「ヤッチャエー!」
「イーケ、イーケ!」
心美が怯えた目で勇を見つめる。
「ゴメンな……」
勇が悔しそうに唇を噛み締めた。
「いいの……」
その出来事があった翌日。悲惨な出来事にも関わらず、心美も勇も何事もなかったかのように学校に来たのだという。
「お前……!」
充太が夏哉の頬を思い切り殴り飛ばした。
「お前、見てただけか!?」
「だ、だって……庇ったりしたら、俺が今度は何されるかわかんねぇんだもん!」
「だからって……お前のやったこと、人間のすることじゃない!」
勇の家で叫ぶ二人の男子生徒。シンと静まり返った、饐えた臭いの漂う空間で夏哉と充太は立ち尽くした。夏哉はポロポロと大粒の涙をこぼし始めた。
「それから……あの日が……」
もうすぐ5月になろうという時であった。1週間ほど前から心美と勇は学校を休み始めた。特に罪悪感を抱いていない生徒たちは、むしろ来なくなったことに喜びすら感じていたのだった。
そんな4月最後の金曜日。27日のことだった。ホームルームが終わった後も、クラスメイトは談笑をしていた。その最中、突然教室のドアが開いた。
「……。」
心美だった。心美は教壇に立ち、笑顔で言った。
「皆に、報告があるの」
夏哉はもちろん、圭一、みなみ、徹子なども呆然としていた。
「皆のおかげで」
ゾクッとするような、冷めた微笑みだった。そして、次の言葉に全員に戦慄が走った。
「子供ができたの」
心美はサラリと言った。
「私、子供ができたことだし……皆にも嫌われてるから、退学して子育てに専念しようと思うの。もちろん、勇にも言ったわ。勇、今から就職活動をするって。そう甘いもんじゃないけど……頑張るって言ってた」
そしてニコッと笑って言う。
「退学の理由はちゃんと言うわ。『皆のおかげ』で子供ができたので、退学しますってね」
今にしてみれば、それが彼女なりのクラスメイトに対する復讐だったのだろう。ところが、それはさらに思わぬ火種を起こした。
「じゃ」
心美が教室を出た直後、それを追うように素華が走り出した。全員が後を追う。
「待ちなさいよ!」
素華が階段で心美を止める。
「何よ?」
「待って……お願い! 退学の理由、他のにしてよ!」
「……何言ってるの?」
徹子が懇願する。
「お願い! あたしたち、受験とかあるじゃない? この高校、公立でも結構進学率いいじゃない。ね? そんな学校にいるのに、子供ができて退学者が出た。それも、クラスメイトのせいで……なんてニュースが広がったりしたら、もうあたしたちの人生おしまいって感じなの」
「……バカじゃないの」
心美は冷たくあしらった。
「自分たちでやったことでしょ? もちろん、抵抗しなかった私もいけなかった。でもね、止めようとしなかった貴方たちも悪いの。私だけが責任取るなんて……バカバカしくって、できやしない」
そう言い放ったことで、クラスメイトの心に怒りの火が灯った。
「ふざっけんな!」
真っ先に食って掛かったのは龍輔だった。
「元はと言えば、お前らが悪いんだ!」
龍輔がガクガクと心美の体を揺らした。
「やめてよ! 私は誰がなんと言おうと、アンタたちの最低な行為を告白するんだから!」
「聞き分けない子ね! これだけあたしたちがお願いしてるのに!」
素華が同じように心美に食って掛かる。直後、心美の体がフワリと浮いた。
「あ……」
ドドドドドッ、という音の後にゴギッ!と嫌な音が階段中に響き渡った。
「……。」
「あ……」
誰もが呆然と立ち尽くす中、やがて、心美の頭部と股間からゆっくりと血が流れ始めた。
「……。」
スッと健が心美の傍へ行く。そして、低い声で言った。
「死んでる」
「は……? 三輪さんが、死んだ……?」
夏哉の想像を絶する告白に、充太は吐き気すら催しそうであった。
「……ゴメン。今まで、黙ってて」
「その後……どうしたんだよ?」
充太がその先を聞こうとしたときだった。
突然、夏哉が転倒したのだ。ガン!と音を立てて顔を強打する夏哉。
「ぎゃあ!?」
「お、おい! 大丈夫かよ!」
そして、間髪いれずあっという間に夏哉の体がズルズルと引きずられ始めたのだ。
「な、夏哉!」
「うあああああ、あああああ! た、助け、助けてくれぇ!」
「夏哉! 掴め!」
夏哉が必死になって充太の手を掴んだ。しかし、あまりのパワーに充太も一緒に引きずられていく。
「あああああああああ! 痛ってええええええチクショオオオオオオ!」
「ああああああああ! ジュ、ジュッタああああああああああああああああああああ!」
「夏哉あああああああ!」
夏哉の手が離れてしまう。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアア!」
ゴキゴキボギボギゴンガンガンゴン!
階段に夏哉の体や顔が打ち付けられる音が廊下中に響き渡る。やがて、ドアの開く音が響き、夏哉の絶叫が最期に充太の耳に残った。
「……。」
どうすることもできないまま、充太は夏哉の血痕が残った階段で呆然と立ち尽くしていた。