第09話 怖いもの知らず
充太たちが教室を出た後も、2年4組の教室では誰も口を開かなかった。
「ねぇ」
知里がようやく口を開く。
「警察の人が……来てるけど……どういうことだと思う?」
知里の質問に誰も答えようとしない。
「あたし、気になってることがあるんだけど、聞いていい?」
「何?」
それに反応したのは、七海だった。
「半年前になるんだけど……」
視線が一気に知里に集中する。見慣れた顔の友人たちの視線を、怖いと思ったのは知里は初めてだった。
「あれから全然姿を見ないから」
遮るように翔太が言った。
「なんだよ、藤阪。お前聞いてないの?」
「聞いてないって……何をよ」
「アイツらの話だよ。俺らは関係ないってこと」
翔太は笑顔でそう言った。
「あたしたちは関係ないの?」
「あぁ。だって、俺たち直接手出ししたりしてないからさ」
「手出し……?」
翔太の表情がハッと何かに気づいたものへと変わった。
「バカ!」
慌てて龍輔が翔太の制服を無理やり引っ張り、席に着かせた。
「ねぇ、なんなの知里」
七海が立ち上がって知里の前に来る。
「何って……半年前のことちょっと聞いただけじゃない」
「そんな昔のこと聞いてどうするのよ。それとも、警察みたいに私たちを調べてなんとかしようとでも思ってるの?」
知里は首を大きく横に振った。
「そんなこと全然考えてないわ!」
「あ、そ」
七海はフッと笑うと自分の席に戻った。すぐに素華がやって来た。
「気をつけたほうがいいわよ?」
「何に?」
「半年前からのことは、このクラスの誰にも聞かないほうがいいっていう意味よ」
素華の冷たい声に、知里は動けなくなった。
ガタン!と大きな音がしたので全員がそちらを振り向く。
「あたし帰る」
七海は何も入っていないカバンを持ち上げ、教室を出て行った。誰も声をかけることすらできない。
出たかと思うとすぐに七海は引き返してきた。
「言っとくけどね」
誰か特定の人に言っているとは思えなかったが、大きな声で彼女は言い放った。
「あたしは悪いことなんてしてないわ! あたしはあの時『皆もそう思ってるんでしょ~?』って聞いただけ。それに皆は笑顔で答えた。ただ、それだけよ」
知里にはまったくその言葉の意味がわからなかった。しかし、隣に座っている翔太にも後ろにいる利香にも、前にいる和彦にも意味は伝わっているようだった。
「じゃあね」
七海は勢いよくドアを閉め、バタバタと廊下を走り去っていった。
「……。」
誰もが呆然としたまま口を開かない。やがて1時間目の予鈴が鳴り響いた。同時に教室のドアが勢いよく開いたので、傍にいた創佑が「わっ!」と声を上げた。
「ウィーッス! おはようさん!」
快活な関西弁が響いてきた。高校進学と同時に、大阪から鹿児島へ親の仕事の都合で引っ越してきた二条 純司(11番)だった。
「おっ!? なんや、えらい静かやん!」
純司はまったく経緯を知らないのか、飄々とした感じで教室に入り、自分の席に腰掛ける。
「あっ、そうや! 文化祭実行委員って、吹田さんやったっけ!?」
純司が吹田という言葉を吐いた途端、空気が引き締まる。純司もそれを素早く感じ取ったようで、表情を曇らせた。
「ちょ……みんな、どないしたん?」
「それはこっちのセリフだよ!」
健が怒ったように立ち上がり、純司の胸倉を掴みあげた。
「な、なんやねん!」
「お前……本当に何も聞いてねぇのか!?」
「聞いてへんわ! どないしたんや!」
「うるせぇ……! のん気に文化祭なんて言いやがって!」
「やめてよ!」
知里が純司と健の間に割って入った。
「なんなの!? みんな、変だよ! 半年前に変にこだわって。なんなの? 半年前に何があったのよ!? あたし、訳わかんない!」
知里の言葉が響き渡ってから、シンと静まり返る教室。
「とにかく……二条くんにも、教室へ来た以上は知ってもらわないとダメなんだから」
「……俺からは説明したくなんかねぇぞ」
健はフイッと背中を向け、自分の席へと向かって歩いていった。
「説明、するね」
知里は大きく息を吸ってから、一連の事件の説明を始めるのだった。
同じ頃、誰もいない昇降口で川西 七海は携帯電話を片手にまくし立てていた。
「どういうつもりなのよ!? アンタでしょう? わかってるんだから。あたしたちに逆恨みして、こういうことしてるんでしょ!? どうなのよ。返事しなさいよね!」
しかし、七海がかけている相手の電話は留守番電話サービスに接続されてしまっている。七海は留守電相手に怒鳴っているのだ。
「バカにしないでよ! 皆は怖がってるけど、あたし全然怖くないから。アンタが何かあたしにしようってもんなら、あたしだって正々堂々挑んでやるわよ! 卑怯なことやってないで、正面からドーンと向かってきなさいよ! この電話聞いたでしょ? 狙うなら次はあたしにしなさいよね!」
息が切れてきたが、それでも七海は言葉を止めようとしない。
「狙うときもどうせ、あたしの利用料金がどうとかこうとか言ってくるんでしょ。なんなの、あれ? 意味不明なんだけど。あたし別に携帯電話で登録したサイトとかないからさ、あんな料金払うつもりなんてちっとも無いからね? 何でも言いつけてきなさいよ!」
七海はそれだけ言い切ると、電話を切った。
「……。」
実際、七海は自分の中で一誠と美知留の件をこう解釈していた。
七海は一誠と美知留が付き合っていることを知っていた。そして、一誠は浮気性があること、美知留は嫉妬深い性格であることも。1年も同じ教室で過ごしていれば、だいたいこの人はこんな人だということもわかってくる。
きっと一誠が浮気をし、激怒した美知留が恐ろしいことに一誠に毒を仕込み、殺害。美知留も後を追うように死んだ。
偶然にも進路相談室で警部の安食 裕則が見せた推理と同じだったが、もちろん七海はそんなことを全然知らない。たまたまあの時、彼らにああいうことをさせた二人が、事件を引き起こしただけのことだと、七海は偶然で片付けようとしていた。
校庭に出る。体育が無いからか、校庭は静まり返っていた。
「……1年生、今日は体育無しか」
いつもは1年3組と4組が体育の授業をしている時間だが、今日はなぜか授業をしている様子はなかった。七海は一人で校庭をトボトボと歩いていく。
ザザザ……という音がしたので七海は振り返った。
「何……?」
誰かが追いかけている気配もなければ、そのような足跡も何も無かった。
「気のせいね」
七海は疲れているのだと思い、家へ帰ってすぐに寝ようと思った。けれども歩き始めるとザザザ……と何かが追いかけてくる音がする。
「……?」
七海は気味が悪くなって校庭を一気に走りぬけた。しかし、運悪く信号に引っ掛かってしまう。
次に七海が気づいたのは、その交差点には自動車やバスはおろか、自転車も人の姿もなかったことだ。普段なら人の往来が激しい交差点。買い物へ行く若いお母さん、立ち話をしているおばさんたち、仕事で外へ出ているサラリーマン。この時間帯なら、遅刻して走ってくる真砂高校の生徒だっている。しかし、今日は誰もいなかった。
赤信号の赤色灯を見つめる七海。赤と一言で言っても、信号のように鮮やかな赤もあれば、一誠が吐いた血のように濃く深い赤もあると七海は初めて知った。
その時だった。
携帯電話が震えた。
「メール……?」
七海は怯えながらメールボックスを開く。1件の受信メールが入っていた。
< 0001 > D
From:☆♪※!!?
Sb:納期限のお知らせ
添付:なし
―――――――――――
川西 七海様
お知らせいたします。
川西様はお支払いを拒否
されました。従ってお支
払いの意志がないと見な
し、弊社より罰則を付し
ます。
「ひっ!?」
さすがにこのメールを見てもはや冷静でいられる七海ではなかった。恐怖のあまり、教室へ一旦引き返そうとする七海。しかし、足が動かない。
「やだ! なんで……動け、動けあたしの足!」
七海は動かない足をなんとか持ち上げようとする。ただ動かないのではない。何かが引っ掛かっているようなそのような感触がしていた。
「……ひ」
七海が足元を見ると、青白い手が地面から伸びてきていて、七海の足を掴んでいたのだ。
「きゃあああああああああああああああああああ!」
七海は必死で手を蹴り飛ばそうとするが、すり抜けてまったく蹴る感触が伝わらない。
「いやああああ! いいいいいやあああああああ!」
どれだけ叫んでも、誰もいない道路。七海の悲鳴を聞いて駆けつける者などいなかった。
「いやあああ! 誰か、誰か来てぇ!」
2年4組の教室の窓は全開だ。遠くからでもわかるほど背の高い龍輔の姿や、窓から呆然と外の景色を見ているみなみの姿が見えた。
「ほ、星田くん! みなみぃ! 助けてぇ!」
しかし、悲鳴に近い叫び声でも彼らに七海の声が届いている様子はない。業を煮やした七海は、携帯電話を取り出してガムシャラに発信した。
発信先は、偶然にも親友の素華だった。
「早く、早く繋がれ!」
足を握る青白い手の力が強くなる中、ようやく発信音が響いてきた。
プッ、と電話に出る音がした。
「もしもし! 素華! 助けて! あたし、七海! いま校門の前にいるんだけど!」
ようやく聞こえてきた言葉。それは七海の期待を裏切るものだった。