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絶対に逃さない

 ステラシアが助けられてかれこれ約二週間。アルトラシオンが手配した、かかりつけの王宮医に、もう外を歩き回って大丈夫と太鼓判を押された日。ベッドの脇に立ち上がったステラシアは、最後の見舞いに来たアルトラシオンに欲しいものがあると告げた。


「このたびは、助けていただいて、本当にありがとうございました。殿下、あの……わたし、お暇したいです」

「…………は?」


 わたしは、とある領地にある魔の森の中腹で暮らしていたんです、とステラシアはアルトラシオンに告げた。


「ここを下がらせていただいて、わたし、森の屋敷に戻りたいです。一緒に住んでいた人がいたんです。あの日、魔獣に襲われて……師匠がわたしを逃してくれて……わたしは、師匠を探さないといけないんです」

「探して、どうするんだ?」


 ゾクリと背筋を震わすような低い声がステラシアの耳に届いた。けれど、ステラシアの口は止まらない。言葉を、止められない。


「師匠を探して、逃げたことを謝って、それで――またふたりであそこに住みたい」


 それが、あの夜、死にたくないと願ったステラシアが考えていたこと。それが、いまステラシアのいちばん欲しいもの。


(だって、それをわたしはいちばん望んでいたのだもの。その、はず……だもの)


 ――本当に?

 脳裏を、世話してくれたマリンや、なにかと構ってくれたアルトラシオンの顔がよぎっていく。なんだかんだ紹介され話すようになった、アルトラシオンの従者兼護衛騎士の顔も浮かぶ。でもそんなこと、平民であるステラシアが考えてはいけないことなのに。


「ステラ」

「……え? あわぁ……っ!?」


 一瞬かすめた疑問の隙を突くように、アルトラシオンがステラシアの肩をトンと押した。それだけで、ずっと寝たきりで体力も筋力も落ちていたステラシアの体は、バランスを崩して後ろへと倒れ込む。

 ベッドの柔らかなスプリングがステラシアを音もなく受け止め、次いでギシリと軋む音を立てる。

 

「――へ?」

「そうか、そうだな」


 気づいたときには、両手をまとめて頭の上に固定されていた。真上にはアルトラシオンの綺麗すぎる顔がある。ベッドに押し倒され、アルトラシオンにのしかかられていると気がついたステラシアの脳内はパニックだ。

 両手首を掴んでいたのはアルトラシオンの大きな手のひらだったらしい。痛みはないから、手加減はしてくれている。それくらいは理性的ということ。

 じゃあ、この態勢はなにごと!?

 ジッと、感情のわからない瞳がステラシアを見下ろしている。

 やっぱり、星を宿したようなきれいな紫色だ。頬に肉はなく滑らかに白く。淡い金髪が肩から落ちて、ステラシアの首筋を柔らかくくすぐる。整った顔立ちは甘く、けれど変わらない表情が少し近寄り難い。

 いまは――もしかしたら、ものすごく苛立っているの、かも?

 それにしても、とてつもなく顔が近い。口を開こうとすれば、吐息がアルトラシオンにかかってしまいそうで、ステラシアは咄嗟に口を閉じた。呼吸も最低限に――あれ、やだなんだかいい匂いがする。

 って、そうじゃない。


「ステラ」


 名を呼ばれ、おずおずと見上げた。

 絡まりあった視線になにかが含まれているようで、合わせ続けることはできなかった。


「ここから、出ていきたいのか?」


 苛立ちを押し込めたような問いかけはあまりに低くステラシアを責め立てる。


「出ていきたいというか、帰りたい、というか……」


 ギリッと手首に少し痛みが走った。

 なるほど、わかった。ひとり納得したアルトラシオンが、ステラシアの耳元に唇を寄せる。


「決めた。おまえを俺の側仕えとして雇うことにする。拒否権はない。観念するんだな」


 一方的な宣言に、ステラシアは呆然と目を見開いた。口調がいつもと違う。一人称も変わって、ステラシアを「おまえ」と呼ぶ。それはまるで、出会ったときの彼を思い起こさせる。

 驚いてまん丸になった目に、自嘲気味に笑う男が映った。その星を宿す瞳に過る色が気になり、ステラシアは反抗しようとした言葉を忘れてしまった。


「……絶対に、逃さない」

 

 沈黙を肯定と捉えたアルトラシオンが、ステラシアの首筋に顔を埋める。まるで縋るように額を押し当てられ、ステラシアはビクリと肩を震わせた。囁かれた言葉は吐息のように肌を滑り、けれどあまりにも小さくてステラシアには届かなかった。



 翌日から、ステラシアは外出を許されるようになった。前日の第一王子の様子から、まさか監禁!? と身構えたのだがそんなことはなく、若干肩透かしを食らったような気分になる。


(いや、自由に歩き回らせてくれるのはありがたいんだけどね!)


 「第一王子殿下の側仕え」なるものになる話はどうなったのかわからないが、あの日から、アルトラシオンがステラシアの部屋に立ち寄ることなく日々が過ぎ、すでに七日目。

 それまで幾度もそれとなくお断りをしても毎日顔を見せていたのに、態度を急変させてからまったく姿を見せなくなるのはどうかと思う。


(べ、別に、顔が見られなくて物足りない……とかそんなことはないけどね!?)


 身の回りのことは、いまだ侍女としてそばにいるマリンがせっせと手伝ってくれる。こちらも、いくらステラシアが自分でできるからと言っても聞かないので、もう好きにしてもらうことにした。まぁ、慣れないものは慣れないのだが。

 だから、ステラシアにできるのは、寝ている間に落ちてしまった体力をなんとか取り戻すことだけ。毎朝、朝食のあとに部屋を出て、庭を満足するまで散歩するのだ。その時も、後ろにマリンが付き従っているのだけれど。

 ステラシアがアルトラシオンに匿われていたのは、王城の建つ敷地から少し離れたところにある第一王子宮というところだった。

 さすがに王家の庭というだけあって、植えられている木々も花々も立派に整えられている。季節の花は一定の間隔で咲き誇り、植え込みはきちんと剪定されている。

 すでに季節は春の終わりの有明星の月から、初夏の風吹く東雲星の月に変わり、少し汗ばむようになってきた。

 ステラシアは調和の取れた庭を眺め、ツ、と目を細める。


(素晴らしいんだけどね……わたしは、師匠と住んでたあの畑の花とか、森に転々と咲く花とか、てんでバラバラに生えてる木とかが懐かしいかな)


 そんなふうに考えてしまうステラシアは、どうあってもこの場所に縁遠い気がしてしまうのだ。


 そうやって散歩の気が済んだら、こんどは第一王子宮の厨房に立ち寄り、毎日の食事のお礼をする。少し前に料理のお手伝いを買って出たのだが、お客様にそんなことをさせられないと料理長自らに断られてしまったため、ステラシアはみんなの手が空いているときに隅を少しだけ借りてお菓子を作ることにしたのである。

 その手際の良さに料理担当たちははじめ驚いていたが、だんだんと微笑ましい顔つきで見守るようになった。それは、菓子づくりに夢中になっているステラシアにはまったく伝わっていないのだが。

 ちなみに、みなさんでどうぞ、と置いていったステラシア特製の焼き菓子やクッキーは、午後のお茶の際にアルトラシオンに饗されているのだが、こちらもステラシアには預かり知らぬことである。

 お菓子作りが一段落したら、いったん部屋に戻る。マリンが、背後からしきりに戻るように促すからだ。問答無用でお茶を淹れられ、先ほど自ら作ったお菓子とともに休憩するように言われる。

 物心ついてからこの方、一日中働き回っていたステラシアは、なんだか贅沢をしているようで落ち着かなくなってしまう。

 この七日間で、ステラシアは第一王子宮のあらゆるところを見て回った。制限がされなかったから見放題だったというのもある。よくもまあ、部外者が呑気に歩いているのになにも言わないものだ。

 なお、ステラシアが部屋を借りている三階には、アルトラシオンの寝室もあるということなのだが、さすがにそちらには足を向けられないでいる。

 代わりに、二階にある書庫に、ステラシアは目を輝かせた。二室の壁を抜いた広い書庫。王立図書館には到底及ばないとマリンからは説明されたが、それでもステラシアには宝の山に見えた。

 ポーラリア星王国だけではなく、今は国交がほぼ途絶えている隣国の書物も、交易が盛んな東の大陸のルナティリス月皇国の書籍や巻物もあったのだ。

 本は高価だからあまり平民には広まらない。平民が本を読もうとしたら、少し敷居の高い地方の図書館に足を運ぶしかないのに。贅沢の極みがここにある。なんと、隣国以上に交流の少ない、西の大陸――ソルトリア陽帝国の書物も存在していた。さすが王宮。さすが王家。知識の宝庫がここにある!

 こうして、ステラシアの午後は昼食を食べたあとに書庫に籠もることで定着していった。


 そんなふうに、なんだかんだ充実した七日間が過ぎた頃、ステラシアは第一王子宮にあるアルトラシオンの執務室に呼び出されたのだった。


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