再会①
ステラシアが第一王子宮に軟禁――という名の保護をされてから、十日が経った。ちょうど二週間である。
それはすなわち、スターリアが王城の客室に匿う――という名の軟禁をされてから十日ということでもあった。
その日、スターリアは実に二週間ぶりに客室から外へと足を踏み出した。
その前後左右には、屈強な騎士たちがスターリアを囲むようにして配置されている。
護衛をされている――とは、スターリアは思わなかった。
どちらかといえば逃げ出さないように監視されている、という感じがしていた。
不機嫌そうに眉を寄せながら、スターリアは王城の硬い廊下を歩き続ける。
しばらくして、ひとつの部屋の扉を騎士のひとりがノックした。微かな応えの声とともに開かれたその扉の向こうへと、促されるままスターリアは入室する。
逃げることなどできなかった。なぜなら扉を囲むように騎士が立っていたから。
(わたくしがなにをしたって言うのよ! わざわざあんな冴えない男を助けてやったというのに!)
不満を眉の間に浮かばせながら、スターリアは部屋の中を見渡した。
そして、濃い金の瞳を大きく見開いて固まったのだった。
◆ ◆ ◆
戦勝会から十日が経ったその日、ステラシアはアルトラシオンに呼ばれ、第一王子宮から外へと出た。
久しぶりの外の空気だった。
いや、第一王子宮の庭を散策していたから、まったく部屋から出なかったというわけではないのだが。形だけでも軟禁という言葉が、ステラシアの心身を縛り付けていたのかもしれない。
馬車には、アルトラシオンも乗っていた。二人きりだ。
イアンとマリンも付いてきてはいるが、馬で移動すると言っていた。マリンはクリフォードの馬に相乗りするそうだ。
なぜか馬車に乗る前、クリフォード自身に上機嫌でステラシアは語って聞かされたのだ。そんなに自慢したかったのだろうか。
すぐさまマリンに肘で突かれ悶絶していたけれど。その後ろでイアンが呆れた目をしてクリフォードを見下ろしていた。
この三人は、驚くほど仲がいい。イアンとクリフォードはともかく、マリンは後から来たはずなのに。
少しだけ羨ましいと、ステラシアは思ってしまう。
「どうした?」
気遣うような問いかけに、ステラシアはハッとした。真向かいに視線を向ける。
紫の瞳に少しだけ心配するような光が見え、ステラシアは慌てて笑みを浮かべた。
「な、なんでもないんです。ただ、ちょっと考え事をしてただけで……」
「その考え事は、俺には言えないことか?」
スッと伸びた指先が、ステラシアの頬に散った髪を優しく耳へとかけ直す。
掠めるように触れた指先の熱さに、ステラシアはや小さく首をすくめて軽く目を閉じた。
「言うほどのことじゃ……」
「ああ。でも俺は、ステラのことならどんなことでも知りたい」
真剣な眼差しに射抜かれ、ステラシアはドレスの胸元に拳を押し当てた。その奥で鼓動が痛いくらい鳴っている。
恋心を自覚してから、ステラシアはもう自分がどうかしてしまったんじゃないかと思う。
アルトラシオンの一挙手一投足に、こんなにも乱れてしまうのだから。
慌てて、窓の外へと視線を向けた。
馬車はゆっくりと王城へと向かっている。
例年と変わらず、雪がチラチラと舞い始めている。
きっともう後数日もすれば、北の大陸にふさわしい、雪深い景色に変わるだろう。
「もうすぐ、本格的な冬が来るなぁって、思ったんです」
ごまかすように、そんなことが口を突く。
三人の関係がうらやましいなどと、言えるはずはなかった。できれば自分もそこに、ずっと混ざっていたいなんて。
「――そうだな。あと数ヶ月、振り積もる雪を我慢すれば、春が来る。……そうしたら、一年だな」
「そ……ッ」
ステラシアと同様に窓の外へと視線を向けたアルトラシオンが、最後にポツリと呟いた。
そうですね、と返そうとしてステラシアは息を呑む。憂いを含んだような声音に思い至り、言葉が詰まる。
――まもなく一年。
それは、ふたりの契約の終わりを意味する。
「あの、アルト様……」
コクリとステラシアの喉が上下した。
ここから先、言わないほうがいい。聞かないほうがいい。そう思うけれど、言葉は止まらない。
ん? と顔を戻すアルトラシオンと、視線が交差した。
胸の上で、拳を握りしめる。
聞かないほうがいいのはわかってる。
でも、だけど……、自分で決めたことだから。
大きく息を吸った。速くなる鼓動を抑えるために息を止める。そして、深く吐き出した。
「わたしは、アルト様を、満足させられましたか?」
銀混じりの紫の瞳が、大きく見開かれた。息を呑む音が聞こえてきた。
「……ああ、とても」
そしてゆっくりと、淡い笑みがアルトラシオンの顔に広がっていく。
窓から射し込む朝の光が彼のその笑みを照らし、馬車の中にくっきりとした陰影を作り出していた。
眉を下げ、困ったように。そして、どこか淋しげに。
「報酬を、渡さないといけないな」
「っ、……はい」
そう言って微笑むアルトラシオンを見ていられない。ステラシアは消えそうな声で返事をして、そっと視線を馬車の床へと落とした。
それは、最初に自分が望んだことであったはずなのに。
ズキリと痛む胸の内が、先ほどとは違う鼓動を刻んでいるのがわかった。
馬車が停められたのは、王城の正面ではなく側面の回廊に繋がる場所だった。
アルトラシオン曰く、騎士団がよくここで馬から降りて王城へ駆け込んでいくらしい。
外から差し出される手に、躊躇うことなく自身の手を預け、ステラシアは馬車から降りた。
「アルト様、どこに行くんですか?」
手を引かれながら、人気の少ない道を歩く。
王城はもう少し賑やかなのだろうと思っていたが、見渡しても誰もいない。
回廊を渡り、王城内へ入る。
後ろから、イアンとマリンが付いてきていた。目の前にはクリフォードがいて、先導するように背中を向けている。
彼の後ろを付いていきながら、階段を昇り長い廊下を進んでいく。
実は、階段の途中でステラシアの息が切れた。
登城するために、普段のワンピースから華やかなドレスに着替えさせられていた。夜会のようなとまでは言わないが、生地が重い。
師匠とともに暮らしていたときは外を駆け回っていたため体力に自信があったのに、ここに来てから少し落ちたのかもしれない。
それにしても、転ばないようにと支えてくれるアルトラシオンの優しさに触れるたび、やっぱりステラシアの胸は高鳴ってしまう。
「この部屋です」
クリフォードの常より畏まった声を聞いて、ステラシアは我に返った。
朝、アルトラシオンから「城へ行くぞ」と言われてから、ずっと緊張していた。
入城するのは初めてではないが、いつも通されるのはローゼリアの部屋ばかりだったから。
あの戦勝会の日から、ずっと第一王子宮から出られなかった。やることがなかったわけではないが、ソワソワと落ち着かなかった。自分で解決できることなど少ないとわかっていても、なにもできないことがこんなにも心を沈ませるとは思わなかった。
アルトラシオンが色々動いてくれていたと知っているが、自分の立場がどうなったのかはわからない。
凶星は、忌避される。どんなにやめてと訴えても暴力を振るわれ排他されてきたことを、ステラシアは歴史書で知っている。
だから、少しだけ怖かった。
アルトラシオンが大丈夫だとなんども言ってくれたけれど、彼に任せっきりにしている自分が、どうにも情けなかった。
クリフォードが、扉に手をかける。
開いていく扉を見て、息を吸った。
深く吐き出しながら部屋の中を見て、ステラシアは濃い藍の瞳を大きく見開いたのだった。
◆ ◆ ◆
「お、にい……ちゃん?」
アルトラシオンに導かれた室内には、戦勝会の日に出会った男性がいた。
ソファに座っていた彼は、扉が開かれると同時に立ち上がり、アルトラシオンに向かって頭を下げる。
そして、声を漏らしたステラシアへと笑みを向けた。まるで泣き出しそうにくしゃりと歪んだ笑顔だ。
「ステラシア……やっと会えた。俺のこと、思い出したのか」
「え、ええと……はい……いえ、うん……」
思い出したは思い出したけれど、五歳より以前ならいざ知らず、その後の交流もすべてまるっと忘れていたのは正直後ろめたい気持ちがある。
どう反応していいかわからず曖昧な返事をするステラシアに、エミールは愛しさの滲むような笑みを向ける。
ふわりと、ステラシアの頭を優しい手つきでエミールが撫でる。
「きみを家から遠ざけてからずっと、俺はきみを守れなかったことが後ろめたくて会えなかったんだ。リヴェルを使って遠くから見守るだけだった。だから、きみが――ステラシアが俺のことを忘れても仕方がない。人は会わなければ忘れるものだよ。兄としては……少し淋しいけどね」
でも自業自得だ。そう言って、肩を竦めるエミールを、ステラシアは潤んだ瞳で見上げた。
「そんなことない。お兄ちゃんはずっと、自分のできる最大限のことで、わたしのこと守ってくれてた」
頭を撫でるエミールの手を、ステラシアは両手で握りしめる。
兄の表情が、泣きそうに歪んだ。笑っているはずなのに、今にも涙が溢れてしまいそうだ。
少し金は濃いけれど、自分と似たような髪の色。紫が多めの煌めく紺色の瞳。明るい紫紺色は、ステラシアの濃紺の瞳とは違うけれど、似通っているとそう思う。
そのエミールの後ろに、焦げ茶色の髪をした男性が立っていることにステラシアは気がついた。
「あ……」
それは、あの戦勝会の夜にスターリアを見て「醜悪だ」と呟いていた青年だった。
短いけれど緩く波打つ髪が、頬にかかっている。翠緑色の瞳がステラシアを見つめ、懐かしむように細められた。
感情は薄いけれど、微笑んだように見える。
「名前を知らない、お兄ちゃん……」
ステラシアがリヴェルを見ながらかけた言葉に、エミールが吹き出す。
当の青年の感情の浮かばなかった表情も、ゆるゆると破顔する。
「すまない。いちども紹介していなかったな。彼はリヴェル・ユーウェル。ギーナン伯爵家の分家である、ユーウェル子爵家の遠縁にあたる男だ。俺の従者兼護衛だよ」
「リヴェルさん……」
ステラシアの呼び声に微笑んだりヴェルは、胸に手を当てると優雅にお辞儀をする。
「どうぞ、リヴェルと呼び捨ててください。ステラシアお嬢様。……お久しぶりです。ずっとあなたの成長を見てきましたが、言葉を交わすのはあなたがまだ小さな子どもだった時以来です。ご無事で、本当によかった」
ステラシアが子どものときは、彼もまだ子どもだったと思うが、あの当時のステラシアにとって兄とこのリヴェルは唯一構ってくれるおとなだった。
誰からも見放されたステラシアに「愛しているよ」と言ってくれたのは、抱きしめて食事を与えてくれたのは、この兄だけだった。
(わたし……ちゃんと家族がいた。師匠とは家族にはなれなかったけど、ちゃんと……)
エミールとリヴェルを交互に見つめ、ステラシアは涙を浮かべたまま花がほころぶような笑みを見せた。
「ステラ……エミール殿も、茶の準備をさせたからこちらへ来るといい」
再会に喜ぶステラシアたちの、ちょうど区切りがついたところでアルトラシオンが声をかける。
慌てて振り向いたステラシアの目に、すっかり支度の整えられたテーブルが飛び込んできた。
静かな所作でポットに湯を注いでいるのは、マリンではなくイアンだ。横から仕事を取り上げられたらしいマリンが、少し憮然とした顔でイアンを見つめている。
そばでクリフォードがまあまあとマリンを宥めているのはいつもの光景だ。
そしていつの間にか、壁際にウィルフレッドが腕を組んで立っている。軽く壁に寄りかかりながら、見つめているのはリヴェルのことのようだ。
「……イアン殿がお茶を淹れるのですか?」
ソファに腰掛けながら尋ねるエミールに、イアンがにこやかに応じた。
「ええ。マリンさんより、私が淹れたほうがおいしいですよ」
「むきーっ!」
「マリン……マリン、いいから落ち着けって。きみの淹れたお茶のが俺は好きだぜ?」
「……っ、そういうことはいまこの場で言う必要ありませんよね!?」
エミールとイアンが言葉を交わし合う横で、マリンが両手を握って悔しそうな顔をする。
そんな彼女にクリフォードが声をかけるが、逆に火に油のようだ。真っ赤な顔でクリフォードを睨みつけたマリンが、ステラシアの元へと駆けてくる。
「ささっ、ステラ様。ステラ様にはわたしが別のお茶を淹れますからね! どうぞこちらへ!」
「そんな手間はかけなくていい。ほら、ステラ。おまえは俺の隣だ。こちらに来い」
「ま、マリンさん。お茶はまたこんど淹れてくださいね」
アルトラシオンに腰を抱かれ、そのまま隣に座らされる。
やたら距離が近い状況にステラシアの思考が停止しそうになるが、アルトラシオンに無下にされたマリンが固まったまま動かない姿を見てしまえば、そんなわけにもいかない。
慰めるようなステラシアの言葉で、マリンの硬直は解けたようだった。いまにも泣きそうに笑うから、ステラシアの胸にも温かななにかが灯る。マリンの横で、クリフォードが拗ねたように唇を尖らせていた。




