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聖なる星の乙女と予言の王子  作者: 桜海
7.

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戦勝会のその後に②

「それはさておき……アルトラシオン」


「はい、父上」


 幸せそうに林檎パイの最後の一欠片を飲み込んだアルフォレスタが、紅茶で喉を潤しながらアルトラシオンを見る。

 呼び方が、愛称から正式名に変わったことで、アルトラシオンは意識的に背筋を伸ばす。

 昔、父は彼を『アルト』と呼んでいた。けれど、『他の人といっしょなんていや! ローゼは別の呼び方をするわ!』と宣言したローゼリアに影響され、とうとうアルトラシオンの愛称は『シオン』になった。家族間限定だ。

 そして、アルフォレスタはかしこまったときにしか息子たちを正式名では呼ばない。


「豊穣祭の夜会のあと、そなたを呼び出した私に言ったこと、覚えているな?」


 その言葉に、アルトラシオンは静かに目を伏せた。

 たった四ヶ月ほど前の出来事に思いを馳せる。

 星の降る庭園のベンチで、ステラシアと語らいながら夕餉を共にした、あの夜。

 アルトラシオンはステラシアを第一王子宮に送り届けたその足で、アルフォレスタに謁見した。呼び出されていたからだ。

 あの日は、私室での会話はなく、国王と王子として応接室で面会をしたのだ。他に誰がいるわけでもなかったが。


『率直に聞くが、アルトラシオン。そなたはあのステラという娘を伴侶に望んでいるのか?』


『ええ、そのとおりです』


 率直というよりもド直球で放たれた質問に、躊躇どころか詰まることもなくアルトラシオンは答えた。

 まだ、部屋に入って挨拶も交わしていなかったというのに。


『彼女の素性がまったくわからんのだが? "エル"の中間名を持つ貴族は多いが、"フィールド"という家名は私も知らぬ』


『そうですね。おそらく偽名かと』


『アルトラシオンよ……王族に偽りを申すのは重罪だぞ?』


『ええ。当然、知っています』

 

 魔光燈が煌々と輝く室内は、けれど夜だからか妙に沈んで見える。窓から差し込む星灯りが父をまっすぐ見据える息子の姿を緩やかに浮き上がらせている。

 揺らぐことのない、確固たる意志を秘めたアルトラシオンの瞳を見つめ、アルフォレスタは細く息を吐いた。国王の前に父であり、彼は――妻によく似たこの眼差しにたいそう弱かったのだ。

 豊穣祭の夜会のあとの父子の会話はそんなものだった。

 あの時『まあ、頑張りなさい』とアルトラシオンを送り出した国王からは、もうすでに了承を得たと彼は考えていた。


「――もちろん、覚えております。父上」


 射抜くような金の瞳を見返しながら、アルトラシオンはあえてそう返した。王子としてではなく、息子として。


「そうか……。まあ、パイは美味いしな。うん。それで? 彼女の素性は明らかになったわけだが……お前どうするんだ?」


 砕けた口調で尋ねられたアルトラシオンは、ゆっくりと瞬きをした。淡い金のまつ毛が紫の瞳をゆるりと遮る。微かに傾けられた首筋を、柔らかな髪が一筋はらりと落ちていく。


「アクルークス家はすでに嫡男に代替わりをしています。彼に話を聞くため事態を収集次第王城へ赴くように指示をしております。また、彼の妹はすでに王城の一室に閉じ込め――いえ、休んでもらっています」


「ああ、魔法騎士団(ウチ)のエミールかぁ」


 淡々と事実だけを報告するアルトラシオンの横から、間延びした声が聞こえてくる。隣に座っていたアストリオルが、焼き菓子を頬張っている。


「食べながら喋るなリオル。まったく――まあ、父としてはだなぁ……凶星(まがつぼし)のお嬢さんてのは、"あまりにあまりな相手"になっちゃうわけなんだが」


 アストリオルを叱りながら、アルフォレスタがため息を吐く。

 茶化したように続けた父の言葉に、膝に置かれたアルトラシオンの拳が一瞬ピクリと動いた。


「彼女は凶星などではありません。ただ――まあ、そうですね。あの場にいた者たちにいくら箝口令を敷いたところで、尾鰭に背鰭を付けて噂は飛ぶでしょう。凶星ともなれば、"排除"の声も上がるはず。私は認めませんが。故に、彼女を私預かりとしました。父上もお認めになったはず」


「うむ……まあ、そうだな。今回の事態はすでにおまえに託した。収集がつかなくなるようなら俺が出るが……そうでないなら静観することにしよう」


「それって、父上は是も否も発さないってこと?」


 いまだモゴモゴしながら口を挟むアストリオルに、アルフォレスタは呆れながら頷いた。


「ステラ――いや、ステラシア嬢、か。彼女の身柄は第一王子宮に軟禁。外に出ることは許さぬ。そなたの力で、貴族家を納得させてみせよ」


 承知いたしました、と頭を下げ、アルトラシオンは王の私室をあとにする。

 扉が完全に閉まる直前に振り向き、彼は父王に向かいにこりと笑ってみせた。


「父上、真面目な話をする際は、今後パイはおやめになっほうがよろしいですよ」


 パタンとしまった扉を見つめ、アルフォレスタは呆気にとられた顔をした。


「シオンが笑った……」


「父上〜……たぶん、口の周りがパイくずだらけなこと、からかわれたんだと思うよー」


 アストリオルの一言で口元に手を当てれば、パラパラとカスが零れて絨毯を汚す。

 あーあ、明日徹底的に掃除してもらわなくちゃ〜。という第二王子の声を聞き流し、アルフォレスタは再び残りの林檎パイにフォークを刺した。


(うん……美味い)


 息子の彼女が作った林檎パイは、やっぱりとても美味しかった。


 ◆ ◆ ◆


 アルフォレスタの私室を辞したアルトラシオンは、その足で王城の一室へと向かっていた。後ろからは、扉の外でずっと待機していたクリフォードが付き従っている。


 王城の入口に近い客室のひとつに、アルトラシオンが見張りの指示を出した近衛騎士がふたり立っている。

 頭を下げる彼らに手を上げつつ、アルトラシオンはその部屋を素通りした。そして、その隣の部屋の前へと歩を進める。

 報告どおりであるならば、彼が呼び出した相手はここにいるはずだった。

 扉をクリフォードがノックする。

 応えの声とともに部屋の主自らが扉を開け、アルトラシオンを招き入れた。


「アクルークス伯爵。夜分遅くにすまないな。招集に応じてくれたこと感謝する」


「いえ、とんでもないことでございます、殿下」


「……世話係を付けるべきだったな」


 部屋の中を見回し、アルトラシオンはポツリと呟いた。

 ――なにも無い。

 監禁するわけではないのだから、茶のひとつでも用意させるべきだった。

 アルトラシオンの言葉にエミールは苦笑した。

 この、"騎士団の死神"と呼ばれる上司は、淡々とした見た目とは裏腹にだいぶ細やかな性格らしい。

 王城の客間に、どうぞと言って第一王子を招き入れるのもおかしい気がする。

 その一瞬の逡巡を見抜いたかのように、アルトラシオンは「邪魔するぞ」と言って部屋へと立ち入った。


「クリフォード、夜中だがせめて茶の準備を」


「承知いたしました」


「ああ、それでしたら、茶を淹れるのは私の従者にお任せいただけますか?」


 アルトラシオンがクリフォードに指示を出す。それに普段とは違う丁寧な所作で答えたクリフォードを、エミールが片手を出して引き止める。

 静かな声が「リヴェル」と呼びかけた瞬間、暗がりからひとりの青年が現れる。

 その出現の仕方に既視感を覚え、アルトラシオンは目を細めた。クリフォードの気配が瞬時に警戒に切り替わったのを感じ取り、アルトラシオンは片手の裏で軽く彼の胸を叩いた。


「ギーナン家の者か?」


「――さすがですね、殿下。リヴェルの淹れる紅茶はおいしいのですよ。ですので、茶器だけ用意していただければと」


「影に茶ぁ淹れさせるって……」


 ボソリと呟いたクリフォードを、アルトラシオンが横から小突いた。

 エミールが口の端をゆるりと持ち上げる。

 銀に近い金髪と紫紺の瞳。

 アルトラシオンに似通った色合いを持つ彼だが、表情がまったく違う。

 ふわりと柔らかな雰囲気を作り上げられ、クリフォードはばつの悪さに頬を掻く。


「……すぐにご用意いたします」


 一礼して去っていく従者兼護衛を見遣り、アルトラシオンは小さく息を吐いた。


 客間のソファに腰掛け、男二人で向かい合う。

 クリフォードが準備した茶器を器用に操りながら、リヴェルの手が流れるように紅茶の支度をする。

 その最中、ポットの蓋を開け中を覗いたリヴェルの動きが止まった。翠緑色の瞳が微かに鋭く細められる。


「どうした?」


 様子を見守っていたクリフォードが声をかけた。

 そちらにちらりと視線を向けたリヴェルは、おもむろに自身の主へと向き直る。


「エミール様」


「ん? ああ……」


 呼びかけに一瞬意識を向けたエミールが、なにかを納得したように頷いた。その手がふらりと揺れた瞬間、ポットの中の水がすべて空中に浮く。

 すかさずリヴェルの魔力が火を生み出し、その水を包み込んだ。

 しゅうしゅうと小さな音を立てながら、宙に浮いた水が跡形もなく消えていく。

 ついでにポットまで火で炙ったリヴェルが、再びエミールに声をかける。


「これでいいか?」


「ええ。ありがとうございます」


 魔力で水を注いだポットを手に持ち、リヴェルが淡々と礼を言った。その手の中のポットが煮え滾るように熱くなる。


「……なにしてるんだ?」


 ぽかんとしながら見守っていたクリフォードが、リヴェルに問いかけた。


「ちょっと、水が汚れていたので」


 誰にともなく呟いたリヴェルに、クリフォードの顔色が変わる。赤茶の瞳が鋭くなった。「嘘だろ……」と聞こえるか聞こえないかの声が、部屋に消えていく。

 すぐに部屋から出ようとしたクリフォードを、彼の主が引き止める。


「面白い魔法の使い方をするんだな」


 リヴェルとエミールの様子を見ていたアルトラシオンが、感心したように呟いた。


「ええ、そうですね。ですが、魔法の練習としてはとても有意義なのですよ」


 微笑みながらそう返すエミールを、アルトラシオンは静かに見つめ返す。


(なるほど、要するに、()()()だったということか)


 影を輩出するギーナン辺境伯家が、アクルークス伯爵家を注視していることは知っていた。

 なぜかやたら敵視しているような気もしていたが――そこは追々話でも聞いてみるかと考えつつ、アルトラシオンはリヴェルに供されたティーカップに手を伸ばす。

 横から「おい待て」と制止の声が届くが気にはしない。

 ひと口飲んで、彼はゆっくりと頷いた。


「ああ、美味いな」


「恐れ入ります、殿下」


 リヴェルが軽く頭を下げる。

 同じようにカップを傾けるエミールが、満足そうに唇の端を緩めている。

 ちなみに、礼を言ったのは主であるエミールだ。リヴェル自身はエミール以外と一切言葉を交わしていない。

 影の鑑だなとアルトラシオンは感心する。

 影がまるきり表に出て従者の真似事をしていることに違和感は覚えるけれど。


「さて、アクルークス伯爵。貴殿を信用していることはこれで伝わったかと思うのだが」


「寛大な評価をありがとうございます、殿下。では、ひとつ……いえ、ふたつだけ要望を伝えても?」


 柔和に微笑むエミールの目元にステラシアの面影が重なって見える。同じような顔立ちのスターリアがまるで重ならないことがおかしいが、雰囲気がそうさせるのだろう。

 この目の前の、同年代の男が、ステラシアのように優しいだけだとは到底思えはしないのだが。

 紅茶を淹れ終わったリヴェルは、エミールの背後に静かに戻っていった。

 アルトラシオンの後ろにも、クリフォードが同じように立っている。

 同じギーナン家の、アルトラシオンの手足であるウィルフレッドは第一王子宮に置いてきたから、いまここにはいない。彼とリヴェルが顔を合わせたらどういう結末があったのか興味は尽きないが、それもあとに回すべきだろう。

 顔の横に指を二本立てたエミールに、アルトラシオンは鷹揚に頷いた。

 ありがとうございますと微笑むエミールが、二本立てていた指を一本に戻す。


「まず、ひとつめですが――スターリアに無体なことはしないでいただきたいのです。私に対してはいくらでも構いませんが……彼女はあまり刺激するべきではありません」


 微笑むエミールの口元が、わずかばかり苦味に歪む。紫紺の瞳に仄かな陰が差す。

 深く沈んだように見えるそれが()()()であることを、アルトラシオンは感じ取っていた。


「貴殿は、気づいているのか」


 感情のこもらない声で問い質すアルトラシオンに、エミールはただニコリと笑みを見せる。

 傾げた小首から、さらりと銀に近い金髪が流れて揺れる。


「……まあ、よい。ふたつめは?」


「家の仕事がありますので、昼間は王都と自領の屋敷に戻ることを許してほしいのです」


 ふたつめの提案に、アルトラシオンは形のよい眉を片方上げた。

 カップを傾け、中身を喉奥に流しながら彼はふと視線を下へと向ける。


「本当は、ステラシアの庇護も殿下にお願いしようと思ったのですが、そちらはもうすでに済んでいるようでしたので。わがままを言えば、ステラシアに会わせていただけると嬉しいのですが……これだとお願いがみっつになってしまいますね」


 にこにこと微笑むエミールを盗み見て、アルトラシオンは細く息を吐く。


(食えない男だな)


 さすが、成人してすぐに家督を継いだ男だ。

 騎士団の頂点に立つアルトラシオンを前にしても、簡単に腹の(うち)を読ませない。これでアルトラシオンとひとつしか違わないのだから、どれだけ必死だったのかは想像に難くない。


(だが、少しだけわかったな)


 エミールは食えない男だけれど、自らの妹たちは心より大事にしている。

 アルトラシオンは傾けたカップの陰で、ゆるりと口の端を持ち上げた。


「わかった、許可をしよう。行ったり来たりで大変だとは思うが。魔法騎士団の仕事もあるだろう? そちらはアストリオルに言っておく。ああ、それと。ひとつめの願いも善処はしよう。私から彼女になにかすることはない」


 アルトラシオンのその言葉に、エミールは微かに目を細め、けれどなにも言わずに頭を下げる。

 立ち上がり、片腕を背に。胸に手を当てて片膝を床に突く、()()()()()()最敬礼だった。


「ご配慮に感謝いたします、殿下。詳しい話はまた、追ってお話させていただければ幸いです」


「ああ。そのときはまた呼ぶだろう。今日はもう遅い。貴殿はこの部屋を好き使うと良い。厨房には私から苦情を入れておこう」


 言いながら、アルトラシオンは立ち上がる。扉を出る直前まで、エミールは床に膝を突いたままだった。

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