戦勝会のその後に①
とりあえず書けたところだけ…
時は遡り、戦勝会の会場を後にしたアルトラシオンは、ステラシアを第一王子宮の私室に寝かせたその足で王城の門を潜っていた。
先ほどの東の離宮の騒ぎに乗じてざわめく廊下を踏みしめながら、クリフォードを伴い颯爽と歩く。目指すは王の間ではなく、もっと奥のプライベートスペース。王族の私室が集まる場所だ。
故に、足元はすでに柔らかな絨毯に覆われており、どんなに高らかに足を運んだとしても音ひとつ鳴ることはない。
端を歩く使用人たちが第一王子の顔を掠め見て、そのまま頭を下げる。
彼らに「ごめんなー」と手を振りながら、クリフォードは主の後頭部を後ろから凝視した。
背後から付き従っているせいで、アルトラシオンの表情はわからない。だが、容易く想像することはできた。
おそらく、いつものごとく淡々としていて、それ以上に眉間の谷間が深くなっているのだろう。
顔がいい分、無表情になられると冷たさが際立つ。
(ステラちゃんが側にいねぇと最近はいつもこうだな……)
見つめすぎてさらに不機嫌になった気配を感じ、クリフォードは小さな息を吐き出しながら視線を外すことにした。
そして、また気づかれないほどの溜め息を吐く。
ステラシアに出会う前の主は、これが当たり前だったな、と思い出して。
アルトラシオンは、明らかに不機嫌な自分のことをわかっていた。
六年前のあの魔獣大量発生以降、そんな感情からは遠ざかったと思っていたのに。
時刻は深夜を回っていた。
王妃と王女はもう寝室に下がった頃だろうが、陛下と第二王子はまだ起きているに違いない。
いや、確実に起きているだろう。
あるいは、母はともかく、妹はステラシアのことで眠れぬ夜を過ごしているかもしれない。
それはそれとして、とアルトラシオンは思考を切り替える。
今夜の戦勝会。本音を言えば参加したくはなかったが、そうもいかなかった。国王から騎士団に与える褒賞にその長が出席しないなど、あり得ないからだ。内情は、ただ国王から第一王子への多大なる愛情なのだが。
そこでこんな大事が起こるとは思わなかった。
できれば、ステラシアの美しい姿を一晩中堪能していたかったというのに。出たくもない夜会の楽しみなど、それくらいしか思いつかなかった。
そうだというのに。
――凶星のくせに!!
甲高い少女の声音が、まだ頭の中を叩いているようだ。思い出すだに不快な気分になる。己の機嫌が低下の一途を辿っているのは、あの女のせいであることは間違いがない。
ただそれは、あのスターリアとかいう女が、ステラシアを"凶星"と断じたからではない。
国王主催の戦勝会で騒ぎを起こし、父や陛下の頑張りを台無しにしたからでもない。
ステラシアが凶星や慶星だろうが、聖なる星の乙女や魔獣の乙女だろうが、そんなことはアルトラシオンにとってどうでもいいことだ。
腹が立つのは、多くの貴族がいる前で見せしめのように彼女を糾弾したこと。そして、彼女にあんな――あんな表情をさせたことだ。
(ステラ……)
凶星と責め立てられたときの、ステラシアの瞳を思い出し、アルトラシオンの握る拳が強くなる。爪が、布を貫通し手のひらに傷を作る。
『あなたの瞳は星空のようだ』
ステラシアが第一王子宮に来たばかりの頃、アルトラシオンは彼女にそう言った。
その言葉通り、いつも自分を見上げる彼女の瞳には、夜空の星が見えていた。
それが、あのときのステラシアには見えなかった。すべての感情をどこかに置き去りにしてしまったかのようだった。
――スターリアが、ステラシアの星を堕とした。
アルトラシオンはそう感じた。
だからこそ、許せない。
「あの小娘が"聖なる星の乙女"だと? ふざけんな。あれはどこから見ても"凶星"だろうが」
「アルト……声が漏れてる」
背後からクリフォードが小声で釘を刺してくる。それにふんと鼻を鳴らし、アルトラシオンは辿り着いた扉に手をかけた。
◆ ◆ ◆
「ステラ様のご様子はいかがですか、マリンさん」
主の部屋から退出したマリンを、涼やかな声が引き留めた。
振り返ったマリンの視線の先に、近衛騎士の制服に着替えた美丈夫が立っている。
「イアン様……どちらにいらっしゃったんですか?」
僅かに険のあるマリンの声音に、呼ばれた男がすみませんと返す。申し訳なさそうに眉を下げ、首を傾げるその襟元からサラリと藍色の髪がこぼれ落ちたのが、薄暗がりの中でもわかった。
第一王子宮のステラシアの部屋の周りはいま、彼女の眠りを妨げないように魔光燈の光源を限りなく落としている。
けれど、イアンの髪は暗がりに落ちることなく、窓からの星灯りに照らされて見えるのだから、猫っ毛のマリンは羨ましくなってしまう。
「ステラ様は、今はもうすっかりお休みになられています」
ツンと澄ましたように返すマリンに、イアンが苦笑の気配を漏らす。
「すみません。すぐに駆けつけられなくて。ミザーリ閣下と話をしていたものですから」
「それで主を蔑ろにするのはどうかと思います」
「蔑ろにしたわけでは……ああ、いえ。そう、ですね……そう思われても仕方がないことだとは思います」
普段は、イアンがマリンに苦言を呈することが多いが、今日に限っては立場が逆転したようだ。
イアンは、反論しようとして口を閉ざした。いまは、彼女に言わせたほうがいいのだろう。
戦勝会会場であのような騒ぎがあって、いちばんステラシアに近い場所にいる彼女が、堪えていないわけはないのだから。
マリンの、ヘーゼル色の大きな瞳が潤んでいまにも落ちそうになっている。
けれど、イアンはそれに手を伸ばすことはない。マリンも、もうそれを望んではいないだろう。
マリンに触れてしまえば、親友兼幼馴染にもイアンの大切な彼女にも、不誠実になってしまうから。そしてそんな自分をイアンは許せない。
いつものように、少しだけ困ったように笑って、彼はマリンにチーフをそっと差し出した。
その白をちらりと見たマリンが、自分の指先でさっと目元を払う。
「大丈夫です。ありがとうございます。……ねぇ、イアン様。わたしは、決めました。いえ、すでに決めていたんですけどね」
なにを、とは問わなかった。
真っ直ぐに自分を見上げる大きな瞳に、いつもどおりの強い光が宿っていた。
己の主を定めてしまった騎士の意志はとても強い。それをイアンは身を以て知っているから。
「一応、釘を刺しますが……我々は王国の騎士ですからね?」
行き場のなくなったチーフを懐に戻しながら、イアンはマリンに言った。
マリンが眉を上げてイアンを見返す。まるで「あなたがそれを言うのですか?」と言われているようでおかしくなる。
「イアン様だって、国ではなく殿下に仕えているくせに」
「……そういうのは、心の中だけに留めておきましょうね」
真っ直ぐなのは彼女の良いところだ。だからこそそれに親友が心奪われていたことも、微笑ましいと言えば微笑ましい。
苦笑しながら自身の唇に指を立てる。そんなイアンの姿を見上げ、マリンが微かに唇を尖らせた。
◆ ◆ ◆
応えの声と同時に飛び込んだ部屋には、父アルフォレスタと、弟アストリオルがソファに座って談笑していた。
この夜中に茶菓子なんぞをフォークで切り分け、カップを傾けている。
一瞬ここはティーサロンか? とアルトラシオンは錯覚した。
ぐるりと室内を見渡して、また視線を正面に戻す。間違いない。ちゃんと父の私室だ。
「男二人でこんな夜中になにやってるんです……?」
つい今しがたまで胸の奥で渦巻いていた燃えるような怒りが、目の前の光景によって揺らいでいく。小さく萎んで燻るだけになったそれを持て余しながら、アルトラシオンはこめかみに指を当てた。
はぁ、という小さな吐息が、部屋へと散っていく。
こちらにおいでと促されるまま、アルトラシオンはソファへと近づいていく。
クリフォードは、扉を閉めたあと廊下に引き下がっていった。その口元が微かに震えていたのをアルトラシオンは見逃さなかった。あとで締めようと小さく決意を固める。
「兄上もお茶飲む?」
「いや、私は……」
「いいじゃないか。ほら、このアプルフェルパイは絶品だぞ。リオ、気にしなくていいから早くシオンにお茶を注いでやれ」
横から皿が差し出され、アルフォレスタが自らパイを切り分ける。
少しいじけた様子だったアストリオルが、アルフォレスタの言葉に頷き、こちらも手ずから茶を注ぐ。
さあどうぞ、と期待に満ちた四対の瞳で見つめられ、アルトラシオンは仕方なくカップに口を付け、フォークを持った。
「……これ」
ひと口、パイを口に含んで、アルトラシオンはすぐに目を見開いた。
甘く煮込んだ林檎に、仄かな香辛料の香りと味。そこに、僅かに混ざる清涼感。これはよく、ステラシアが焼き菓子にも混ぜているハーブの香り。
アルトラシオンはその味を知っていた。いつだったか、第一王子宮での執務の合間に侍従が持ってきたものだ。
そして、ここ最近休憩の合間に出される茶菓子は、すべてがステラシアの手作りだった。
豊穣祭のあとの収穫期にどっさりと厨房に届いた林檎を、ステラシアがコトコト煮込んでいたことをアルトラシオンは知っている。
そのあとに出された林檎パイが、いま食べたものと同じ味だった。
「どうしてこれが……」
フォークを握りしめたまま動かないアルトラシオンを、アストリオルがジッと見つめていた。
「どうだ、美味いだろう?」
アルフォレスタに問われたアルトラシオンは、戸惑ったような表情で曖昧に頷いた。
またひと口、パイを食べる。甘い林檎とバターの香り。香辛料の微々たる刺激とハーブの清涼感。やはり、アルトラシオンのよく知る味だ。
「これはな、アストリオルが貰ってきたものだ」
「ゴホッ……はい?」
どう考えてもステラシアの味で、残すことなど考えられなかったアルトラシオンは黙々とパイを咀嚼していた。そして、飲み込む寸前を狙ったかのような父の言葉に、見事に噎せる。
横からアストリオルがカップを差し出してきたので、遠慮なく喉へと流し込んだ。
音もなくソーサーに戻しながら、隣に座る弟に目を向ける。
「……どういうことかな? アストリオル」
あくまで冷静に。普段と変わらず穏やかさの仮面を被り、アルトラシオンは弟へ問いかける。
けれど、兄の目を見たアストリオルの体が、無意識に強張った。
(兄上の目が……怖い)
いつもどおりの淡々とした表情だけれど、アルトラシオンのアストリオルを見る目は鋭かった。
アストリオルは膝の上で両手を握りしめた。
あの日、豊穣祭の夜会会場でステラシアを伴って登場したアルトラシオンは、今まで彼が見たこともないほどに穏やかな顔をしていた。
その表情が、ずっと頭から離れなかった。
幼い頃に、自ら王城を出てひとり離宮で生活を始めた兄。
滅多に会うことのできなかった兄だが、会うたびに優しくはあった。けれどそこに、どこか一歩線を引かれたような感覚があるのを、アストリオルは痛いほど感じ取っていた。
拒絶とは違う。特に、母や妹に対する遠慮のようなもの。
それをあの、ステラとかいう女は易易と乗り越えてしまっていた。あのクリフォードやイアンだとて、兄とあそこまで打ち解けられるのに時間を要したというのに。
だから、気に入らなかったのかもしれない。
まさかローゼリアまでが彼女に絆されているとは思わなかった。母のクリスティアはまた別の意味でステラシアを気にしているようだったが。
それならば、とアストリオルは思ったのだ。
自分があの女の化けの皮を剥いでやろう、と。
「あ……兄上が遠征で留守の間に、あの子がローゼリアに呼ばれてお茶会をしていたから……」
「していたから?」
「……ちょっと、話しただけだよ」
「アストリオル」
追求するようなアルトラシオンの声が、アストリオルの名を呼ぶ。柔らかなはずの声音に、まるで追い落とされるような気分になりながら、アストリオルは口元に浮かべていた笑みを消した。情けなく、眉が下がる。
「……兄上に近づくなんてどんな女なのかなって思って、ちょっと突いただけだよ! べ、別になにもしてないから、そんな射殺しそうな目で見ないでよ! だから、ちょっと話して……そしたら、父上が甘く煮た林檎を好きだって話になって……それで、何回か作って届けてくれるようになった」
それだけだよぅ……と普段魔法騎士団で副団長を努めているとは思えないほどの弱々しい声が、アストリオルから聞こえてくる。
視線を下げ、気まずそうに上目で盗み見てくるところは、昔と変わらない。その手元に目を向けて、アルトラシオンは小さく息を吐いた。
(本当に、仕方のない……)
食べるでもなく両手で遊んでいるだけの焼き菓子を見て、アルトラシオンの目元が微かに柔らかくなった。
「それも、ステラが作ったのかな?」
懐かしそうな兄の声に、アストリオルはパッと顔を上げた。
「うん!」
幼子のような笑みと返答に小さく苦笑する。兄上にあげる! と差し出されたそれを手に取り、口をつける。
華やかな檸檬の香りが鼻の奥に広がり、甘酸っぱい味が下の上で溶ける。
いつもの、ステラの味だ。
「うまいな」
飾ることもなく呟いた兄の姿に、アストリオルは満面の笑みを見せた。
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