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聖なる星の乙女と予言の王子  作者: 桜海
7.

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エミールはその瞬間から

 エミール・ロジェ=アクルークスは、星の名を冠する筆頭伯爵五家のうちの一家、アクルークス伯爵家に生まれた第一子。希望の嫡男だった。

 銀に近い金色の髪。高貴さを表わすような紫紺色の瞳。若干三歳にして父と対等に話すような、利発的な少年だった。屋敷の人間は神童じゃないかと持て囃していたが、彼自身は幼いながらも驕ることなく、誰にでも優しく接するような謙虚さがあった。

 そして、四歳になった頃、ずっと身重で臥せっていた母が待望の第二子を産み落とした。

 まあ、それが第二子と第三子の両方いっぺんに生まれてくるとは思わなかったのだけれど。

 父とともに泣き喜んだ次の瞬間、二重合唱になった赤ん坊の鳴き声に顔を見合わせ、声を上げて笑い転げてしまった。その日は、とても満ち足りた、幸せな瞬間だった。

 翌日、託宣師が来たあとから、父の様子がおかしくなった。きっと、良くない託宣が降りたのだろうと、エミールは幼いながらもそう思った。

 エミール自身の託宣は「将来大物になるでしょう」というような平凡な内容だったので、誰も気に留めはしなかったのだけれども。

 母の寝ているベッドの隣に揺りかごが置かれた。もう一人の乳母の選定が間に合わないとかで、母が自ら双子の世話をしていて、少しだけ羨ましくなったのは、内緒だ。

 揺りかごは高く、エミールの背では中を覗き見ることは叶わない。

 だから、行儀が悪いと思いながらも彼は傍らのソファによじ登り、ゆりかごに体ごと顔を突っ込んだ。


 ――天使が寝ていると思った。


 右側には、銀にも金にも見えるほわほわの髪を生やしたステラシア。

 左側には、銀に近い金の髪をほわほわ生やしたスターリア。

 すぅすぅと寝息を立てて、むにゃむにゃと口を動かして。そして、片手が彷徨った。

 なにかを掴むような素振りを見せるその手に、エミールは両手の人差し指をそっと伸ばした。すかさず、ぎゅうっと掴まれる。驚くほど力が強すぎて痛いくらいだったけれど、エミールは目を輝かせてそっくりな彼女たちを見つめた。

 ゆっくりと、それぞれの額に口づける。

 そして、心の中で誓いを立てた。


(ステラシア。スターリア。僕が、きみたちを守るよ。なにものからも。どんなことからも)


 ふにぇ……と右側のステラシアが猫のような声を出した。スターリアが、エミールの指を口に運んでちゅうちゅうと吸い付いてくる。

 薄っすらと、ステラシアの目が開いた。吸い込まれそうなほど綺麗な、星空の色だった。

 かわいくて、かわいくて、絶対に守らなきゃと、エミールはそう思った。


 この日、兄となったエミールは、かわいいかわいい天使のような双子の騎士になることを、このとき胸に誓ったのだった。


 ――だが。


 ステラシアは死んだと聞かされた瞬間に、その誓いは無残にも砕け散った。


 ◆ ◆ ◆


 応接間のソファの上で、エミールはにこにこと正面に座る黒ずくめの男を観察していた。

 ウィルフレッド・ベイル=ギーナン。

 あの、騎士団の死神と言われる、騎士団総括団長及び魔獣騎士団長を兼任する第一王子アルトラシオン・ディア=ポーラリアスの懐刀であり、唯一の影。

 星の名を冠する筆頭伯爵五家のうち一家であるギーナン辺境伯家は、伯爵位よりも上の立場の家だ。

 といっても、星の名を関する貴族家は、その位にあまり意味はないのだが。

 要するに、伯爵家であろうと公爵家と対等な立場にあるということ。辺境伯でもそれは変わらない。

 そして、ギーナン辺境伯家が王家の影を育成し輩出している家であることは、星の名を冠する家でもごく僅かしか知らない情報だ。

 それをなぜエミールが知っているかといえば、斜め後ろに控えているリヴェルが、辺境伯家に由来があり、そこで訓練を受けさせられていたからに他ならない。

 ふたりの間には、温かな紅茶が湯気を立てて置かれていた。エミールが手を付けないからか、ウィルフレッドもそれに手を伸ばすことはない。

 影と言っても、貴族としての教育もしっかりと施されているようだ。

 エミールは微かに目を細め、カップに手を伸ばす。リヴェルの淹れた紅茶を静かに口元へ運ぶと、ゆっくりと傾けた。喉が上下する。

 ソーサーに戻した紅茶が減っていることを確かめてから、ウィルフレッドもまた茶器に手を伸ばす。

 なるほど、とエミールはそうとわからないほどの笑みを口元に浮かべた。


「毒は入っていなかっただろう? そもそも入れる意味がない」


「……いや、そういうわけでは」


 若干の気まずさを滲ませた赤い隻眼が、エミールを見る。

 その様子を面白そうに眺めエミールはおもむろに足を組んだ。膝の上で指を絡ませ、若干胸を反らす。

 それだけで雰囲気の変わったことを察したのだろう。ウィルフレッドに僅かな緊張が走ったのを感じ取る。


「さて……。ギーナン辺境伯ご子息ウィルフレッド・ベイル=ギーナン殿。この家にわざわざ侵入してきたのは、リヴェルに会うためだけかな?」


 単刀直入なエミールの言葉に、ウィルフレッドが赤い瞳を瞬いた。


「……いや、理由のひとつではあるが」


 そうではないと、目の前の黒い男は言う。

 エミールも、まぁ、そうだろうなと思いながら直球の質問を投げかけたのだ。

 そもそもリヴェルがこの屋敷に来た理由からしても、ギーナン側がアクルークスを監視していることは間違いない。というよりも、リヴェルがエミールの下に付いた――忠誠を誓い姿を消した時点で、ギーナンにとっては"任務失敗"という不名誉を被ったわけだ。

 屈辱に震え、躍起になることもまぁ、エミールにだってわからないことはない。不毛だとは思うが。


「……リヴェルは返さないよ?」


「勝手に返さないでください」


 すかさず後ろから飛んでくる牽制に、エミールは苦笑した。返さないと言っているのに。まるで、己がすぐにでも手を離してしまうような、そんな薄情な主にでも見えているのだろうか。

 それにしてもリヴェルの()()は少々度が過ぎているような気も、しないでもないのだけれど。


「別に返してほしいとは思っていない。ただ……ステラシア様の話で確信を持ったから、様子を見に来ただけだ。戦勝会の会場でははぐらかされたからな」


 だからもう、いいんだ。沈んだような声でそういうウィルフレッドを、エミールは静かに見つめた。

 チラリと背後に視線を向ける。翠緑色の綺麗な瞳が「なんですか」とでも言うように、淡々とエミールを見返している。

 しかたないなぁと、溜め息を吐いた。自分の駒と第一王子殿下の駒は、だいぶ拗れた仲のようだ。

 少し前のふたりの戦闘を見ていてもそう思ったが。

 リヴェルに容赦は無かったが、手加減をしているようでもあった。ウィルフレッドは全力こそ出してはいないだろうが、どこかやり難そうだった。

 まあ、自分の駒が楽しそうだったから、最後の決着がつくまで静観していたわけだけれど。


「まさか、ずっと探していたものが、殿下の手の内にあるとは思いもしなかったよ」


「それは、ステラシア様のことか?」


 "探しもの"という言葉に、ウィルフレッドがすぐに切り替えしてくる。肯定するでもなく、エミールは両肩を軽く上げてみせた。

 まあ、半分はね。という台詞は肯定しているようなものだが。


「ねぇ、ウィルフレッド殿」


 呼びかけに返事はなく、赤い瞳がエミールをじっと見る。


「ステラは……ステラシアは、元気かい? 泣いていたり、困っていたりしないかい?」


 パチリと、隻眼が瞬いた。漆黒の髪がさらりと揺れる。

 あの戦勝会でステラシアの姿を見つけたとき、エミールはまさかという思いだった。

 ガクルック領から南下したガイン領にほど近い、魔の森の奥にひっそりと佇むボロ屋敷。

 ステラシアに気づかれないように、彼女たちが引っ越してくる前から屋敷に手を入れていた。まずは住める形にまで持っていき、定住し始めてからもひっそりと修繕を進めて直していった。

 途中から別の人間が修繕に加わってきたことには驚いたけれど、自分だけではなく、叔母の方にも過保護な人間がいるとわかりおかしくなった。

 まあ、おかげですぐにボロ屋敷は立派な屋敷に生まれ変わったのだが。

 リヴェルには、スターリアの目付役を命じる傍ら、定期的にステラシアの様子を見させていた。

 それが数ヶ月前、叔母の屋敷がもぬけの殻だと報告されたときのエミールの気持ちを、誰がわかってくれるだろうか。

 見解では魔獣に襲撃されたらしい、ということまではわかっていた。

 それからのエミールは、リヴェルを使い虱潰しにステラシアと叔母アステールの捜索をさせた。

 身を隠しているなら見つけることは容易ではないが、ただアステールはこう言ってはなんだが目立つ。ただただ目立つ。

 だというのに、一向に見つからず月日はどんどん過ぎていく。

 その間にエミールは、騎士団の仕事も領主としての仕事も、スターリアの後始末も熟している状況だった。


『これで倒れないなんて体力魔獣ですね』


 とリヴェルには言われたが、実際問題倒れている暇など無かったのだ。焦っている自覚はあったが。だがまあ『人を魔獣呼ばわりするんじゃない』と釘を刺すことも忘れなかった。

 豊穣祭の夜会は、会場の外回りの警護で参加できなかった。ただ、スターリアがよくわからない伯爵令息と参加していたと、後から友人たちに聞いて頭を抱えた。

 そちらも早急に手を回さねばならなかった。

 進展はない。問題は山積み。時間が足りない。

 そんな状態で、どうしてもパーティーに行きたいドレスを着たいというスターリアを伴い、招待された戦勝会に参加したのだ。

 ダンスのあとに、スターリアが猛然と走り出したときは、唖然として初動が遅れてしまった。

 まさかそこでスターリアが暴走して、相手がステラシアだなんて思うわけもなく。


「ステラシア、ドレスがよく似合っていたね……。とても、綺麗な淑女になっていた」


 組んだ手の指先を見つめながら、エミールが零す。

 金にも銀にも見える髪は、手入れが行き届いて輝くようだった。星空のようだと思った瞳はいつもより生気に満ち溢れていた。

 スターリアの手前、表情は強張っていたけれど、アステールのところにいた時よりも頬はふっくらしていた。

 細く引き締まっていた体つきも、少し柔らかくなったようだ。

 濃い紺色のドレスはステラシアの体に沿っていて、華奢な肩がよく見えた。大人っぽいデザインだったが、とても良く似合っていた。

 極めつけは彼女が身に着けていた宝飾品。隣に立つ第一王子の瞳によく似たパープルダイヤ。

 ドレスに散らばる銀の刺繍と、紫を包むような銀の宝飾品が、かの人の瞳を思わせる。まるで、"ステラは俺のだ"と主張されているようで、兄としては少々複雑だが。


「……ステラシア様は、お元気です。殿下も騎士も、使用人も、誰もがあの方を疑っていない」


 ウィルフレッドの返しに、エミールは片手で目元を覆った。肩が震えるように揺れ、拳を握って止める。


「そうか……」


 しばらくしてそう呟いて、エミールは片手を下ろした。視線をウィルフレッドヒタリと合わせる。

 ほんの微かに、赤眼が見開かれたように見えた。


「いま、議会はステラシアの処分で紛糾している。他にやることは山積みのはずだが嘆かわしい」


 エミールの言葉に、ウィルフレッドが小さく頷いた。


「神殿が口を出してきているのを、殿下が止めてくださっていると聞いた。だが、それもそんなには保たないだろう。だから、その前にどうにかしないといけない」


「……どうするつもりだ?」


 遠慮のないウィルフレッドの問いかけに、エミールはにこりと笑った。


「私が探していたのは、ステラシアだけじゃないよ。彼女の身元は殿下が保証してくれる。なら、私はもう一人の捜索に専念したい」


 言葉を切ったエミールを、ウィルフレッドは無言で促した。

 再び、エミールの口元が笑みを形作る。


「そして、殿下にも捜索に協力してもらえるよう、君から取り計らってもらえるかな?」


 口を開こうとしたウィルフレッドを、エミールが手のひらを向けて制す。

 眉を寄せ、不満げな顔をする黒い男に、エミールは内心で苦笑した。


「捜索対象はアステール。私の叔母で、ステラシアの師匠。彼女を探せれば、事態は好転するはずだ。それから――」


 まだあるのか、とウィルフレッドの無表情が語っていた。意外とこの影の男はわかりやすいなと、エミールは心の内側だけでほくそ笑む。

 なるほど、だからリヴェルに勝てないのか、と。まあ、リヴェルもそれなりにわかりやすいけれど。


「こちらでの仕事が終わったら、夜は城に登城することになっているから、殿下とまた話し合いをさせてほしいな。あと、スターリアの様子も見させてほしい。彼女はあれでとても寂しがり屋なんだ。できればステラシアにも会いたいけど……それはまだ無理かな。それで、叔母の本名なんだけど――」


 流れるようなエミールの口上に呆気にとられながら、ウィルフレッドは「お伝えする」とだけ言って去っていった。

 客人のいなくなった応接間で、エミールはぐでんとソファの背もたれに寄りかかる。

 茶器の片付けをしていたリヴェルがチラリとそれを見るが、なにも言わずにいちど部屋から出ていった。

 エミールは自分の手足が戻ってくるまで、だらしなくソファに懐いていた。

 戻ってきたリヴェルが、手にしていた肩掛けをエミールに被せてくる。


「……寝ないよ?」


「いいえ。少し寝てください。ちゃんと起こすので」


「はぁ……まったく。お前も俺にはたいがい甘いな」


 わかりやすく溜め息を吐いた主に、リヴェルが小さく両肩を上げる。その姿は主従そっくりだ。長くともにいると似通ってくるらしい。

 エミールは立ち上がると三人掛けのソファにゴロンと横になった。

 寝室まで戻る気力はほとんどない。それすらもリヴェルに見透かされている。


半刻(一時間)だ」


「かしこまりました」


 その言葉に安心して、エミールは意識を手放した。

 結局、起こされたのは一刻(二時間)後で、エミールはさんざんリヴェルに文句を言った。が、その間にやらなければいけなかったことをほぼ全て終わらされていたので、責めることなどできやしなかった。

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