スターリアは生まれたときから②
その日は、いまにも雪が降り始めそうな、小夜星の月の最後日のことだった。
十歳の誕生日を迎えたスターリアは、兄が出かけたのを確認してから、父と母にお願いをした。
「ねぇ、お父様、お母様。わたくし、少し遠くまで買い物に行きたいんです。新しいドレスが欲しいの。でも、領内のドレスには飽きてしまったから、お父様のご実家のお店で売っているドレスを見てみたいわ」
スターリアはとびっきりの笑顔でそう、父母に強請った。彼らは戸惑いながらも、スターリアのその願いを聞き入れた。
屋敷の人間はまた、総入れ替えされていた。父母が馬車を出せと言っても、馬丁は渋るし御者も良い顔をしない。
しかしそれをねじ伏せて、スターリアは父母とともに馬車へと乗り込んだ。
彼らはエミールの言うことであれば素直に従うというのに。
少し前にから父母と兄の関係が変わったような気がして、スターリアは居心地悪く感じていたのだ。
(どうせ、お兄様はわたくしのことなんてどうでもいいのよ……)
アクルークスから父の生まれ故郷まで、馬車で三刻ほど揺られる。
兄は朝食を摂ったあとすぐに、リヴェルを連れて屋敷を出ていった。馬で出かけて行ったから、もうどこにいるのかはわからない。
それを見届けてからスターリアたちは出てきたので、あまり長いこと仕立て屋にいることはできないかもしれない。
外の景色が移り変わっていくのを、スターリアはぼんやりと見ていた。
そうして臀部が痛くなってきた頃、ようやく父の生まれ故郷である、ガクルック領のガクルーキアへと辿り着いた。
ここには領主の館があるが、父――レナードは挨拶に行くつもりはないようだった。
「ではお父様、お母さま。わたくし、少々お店を見て回りますね。――ちょっと、付いてきなさいよ」
笑顔で馬車を降りたスターリアは、御者を無理矢理付き人にして、いくつもの仕立て屋を巡ってはドレスを買い込んだ。
宝飾品もと思ったが、御者に頑なに反対され買うことはできなかった。
クビにしてやるわよ! と脅しても「構いません、どうぞ」と返されて、苛立ちが募った。
そうして、勢いよく開いた扉の向こう。地面の上に尻もちをついた女を見た。
ドクリと、心臓が嫌な音を立てた。
陽の光によって金にも銀にも見える、不思議な色合いの髪。星を宿した濃い藍色の瞳。焼けることを知らないような白い肌。服装は平民のように質素なのに、どうしても目を惹かれてしまうその、見た目。
――わたくしの、半身。
目の前が真っ赤になった。
なんでどうしてあなたがここにいるの。
あの日、階段から落としてやった後どこに行ったのかもわからなかったのに、なんで。
血溜まりが脳裏に浮かぶ。怪我は、大丈夫だったの。どこにいたの。お兄様は知っていたの。だからお兄様はわたくしに厳しくなったの?
どうして? 大丈夫? 怪我は? いやだ。取らないで。どうしてここに?
「あ、あの……あなたは、だれ?」
戸惑ったような瞳が、スターリアを見ていた。
立ち上がった彼女は、透き通ったような目で、スターリアにそう問いかけた。
頭の中が、沸騰したようだった。
あんなことがあったのに。あんなことをしたのに。それなのにこの片割れは――、
(わたくしを、忘れたというの!?)
そうしてスターリアは、いつかのように目の前の女に腕を伸ばした。肩を押せば、簡単によろめいて地面にまた尻を付く。
その後ろを馬車が勢いよく通って、スターリアはハッとした。轢かれていない。良かった。そう安堵して、唇を噛む。
(どうして、わたくしは……っ)
どこからか現れたオランジュール色の髪の少年が、ステラシアを抱き起こしていた。その様子が、無性に腹立たしかった。
だから、わかりやすく挑発してやったのに、怒りの目でこちらを見てきたのは、見知らぬ少年のほうだった。
それにも、イライラとする。いままで、スターリアに突っかかってくるような同年代の男はいなかったのに。
それなのにこの少年は、ずっとステラシアしか見ていない。
だから、その瞳をステラシアから引き剥がしてやりたくなったのだ。
周囲に人が集まりだしたことを、スターリアは感じ取っていた。
だから、ちょうどいいと思ったのだ。ここで片割れの正体をバラしてやれば、きっとみんながステラシアではなく、スターリアを見るはずだから。
だから。だから――。
「この女はねぇ! この国に災いをもたらすと言われてる、凶星なんだから! あっという間に星を堕として、魔獣を溢れさせる厄災そのものなんだから!」
指を突きつけて、笑ってやる。それが真実なのだと、広めてやる。喉の奥から笑い声が漏れた。
青ざめたステラシアが滑稽だった。それで溜飲も、下がるはずだった。
まさか、あんなふうに街の人間がステラシアを追い立てるとは思わなかった。あそこまで、するつもりはなかった。
あんな……石をぶつけられて、血が出ていて、惨めで……。
それでも、哄笑を収めることができなかった。
ステラシアの姿が見えなくなったとき、あのオランジュール色の髪の少年が、自分に向かって手を振り上げるのが見えた。それが振り下ろされる寸前、御者が彼の腕を掴んで睨みつける。
怒りに震えるような目をした少年に、御者が顔を近づけてなにかを言った。そして項垂れる少年を引き立てるように、街の人間は散り散りになって去っていく。
誰も、スターリアを見ることはなかった。
よく凶星を追い出したなと、褒めることもなかった。
遠くから、スターリアを睨む少年の目があった。貴族ではない平民たちの、非難するような視線があった。
「な、なによなによ。わたくしは、みんなの恐怖を退けてやっただけじゃない!」
御者が、それ以上スターリアに喋らせることのないようにと、その体を引きずっていく。馬車の扉を開けると、問答無用で小さな少女の体を車内へと放り込んだ。
馬車の中では、父と母が震えていた。スターリアの体は、フローラリアの腕にすっぽりと包まれた。
ゆっくりゆっくり、力強く。ステラシアの頭をフローラリアの手が撫でる。
「スターリア、ああ、スターリア。なんて恐ろしいことを。もう二度とあんなことを言ってはいけませんよ」
「スターリア、令嬢としての慎みを持ちなさい。あの子のことは忘れるんだ。いいね? そうしたら、お前の欲しいものはなんでも買ってやるから」
「お父様とお母様は、お姉さまがあそこにいることを知っていたの!?」
フローラリアとレナードはスターリアの詰問に、「知るわけがないだろう!?」と大声を上げた。
それがまた、スターリアの胸に苛立ちや焦燥を呼び起こすことなど、ふたりにはわからない。
スターリアにもわからない。
けれど、胸の奥でずっと燻り続けている薪が、パキッと音を立てて割れたような気がした。
馬車は夕食の時間には領地の本邸へと戻ってきた。気乗りしないまま食事をし、購入したドレスにすら目を向けず、スターリアは自室の窓からガクルック領へと視線を向けた。
夜の正餐の席には、エミールも戻ってきていた。食事もそこそこに席を立ちどこかへ行ったかと思えば、夕食を終えたスターリアを部屋に呼びつけた。
そこは、以前なら父が執務を行っていた部屋だった。
『スターリア。なぜガクルック領にいた?』
開口一番にそう問い詰められ、スターリアはカチンと来た。だから、喧嘩腰とわかっていながら、「ドレスが欲しかったのよ!」と返した。
「きみのその勝手な行動で、馬丁と御者が仕事を失うことになるとは考えなかったのかい?」
静かなエミールの声に、スターリアはビクリと肩を揺らした。
「……え?」
「まあ、今回は事情も事情だし不問にしたけど。……それよりも。きみはあそこでステラシアにあったね? どうしてあんなことを言ったの?」
静かだけれど、今度は熱のこもったような声で、問い詰められる。スターリアの唇が、微かに戦慄いた。
「お、お兄様……あそこにいたの?」
「いいや。私はいないよ。でも、リヴェルがいた。リヴェルは、事の次第を最初から最後まで見ていたよ。その後のことも」
どうして? とスターリアの唇が震えた声を漏らす。
見ていたのなら、どうしていつものように「やめてくれませんか」と言ってくれなかったのか。
視界が歪む。滲んで、崩れていく。
静かに涙を流すスターリアの体を、エミールが腕を伸ばして抱きしめる。
「スターリア……俺は、ステラシアも、スターリアも、どちらも大事なんだ。大切なんだ。だから、ふたりとも守りたい。それじゃあ、だめかい?」
エミールのそれに、スターリアは首を振った。まるで小さな幼子のように、なんどもなんども。
実際、スターリアはまだ十歳の子どもだった。
エミールだって、成人もしていない十四歳の子どもだ。
だから子ども同士、わかり合えないことがこんなにも苦しい。
スターリアは、握った拳をエミールの胸へと叩きつけた。
頑是なく首を振り続けたまま、感情のままに叫ぶ。
胸の中の熾火は、もうずっとずっと大きな炎となっていた。
「いやよ! わたくしは、わたくしだけを見てほしいの! お姉さまもじゃなくて、わたくしだけを! なのに……なのに……お兄様のバカ!!」
「待っ……待つんだスターリア!」
走り去るスターリアを、エミールは追いかけては来なかった。
そうして自室に駆け込んだスターリアは、窓の外を睨みつける。
真っ暗な窓には、スターリアの姿がくっきりと浮かび上がっていた。
銀に近い金の髪。ステラシアとは違い、うねるような癖がある。
焦げ茶に見えてしまいそうな、濃い金の瞳。ステラシアとは違い、少し吊り気味で気が強そうに見える。
ぱっと見は似ているのに、与える印象はまったく違う。
みんなみんな、ステラシアばかりを見ている。
「どうして……どうしてよ!!」
ギリッとガラス戸に爪を立てた。
なにもかもが嫌だった。なにもかも壊れてしまえと思った。
スターリアを見てくれないこの世界ごと、なにもかも闇に飲まれて消えてしまえと、そう思った。
ドクリと、胸の奥でなにかが蠢いた。
窓に映る自分の瞳が、金を通り越し、赤く染まるのを見た。
「ぜんぶ、ぜんぶ、消えてなくなっちゃえ」
そうつぶやいた瞬間、体の奥からなにかが溢れ出した。そして、空の星がすべて、一斉に堕ちて、消えた。
どこかで、剣戟の音がする。
誰かが食われて、その命を散らした気配がする。
禍々しいほどに濃い瘴気が、アクルークス領内とガクルック領内に溢れたような気がした。
でもそれがなんなのだろう。
この屋敷にまでわたくしのかわいい魔獣はやってこない。
だから、ぜんぶ、ぜんぶぜんぶぜんぶ。
砕いて、啜って、飲み干して。穢れをふり撒いて、人を溶かして、壊して、壊して、壊して。殺して殺して殺して殺して。
――殺し尽くせばいいのだ。
そうすればきっと、残った人たちは、わたくしを見てくれるわよね?
窓の外から、見上げる人影がある。
襲い来る魔獣を、彼の持つ水と風と土が沈黙させていく。
窓の外から、睨みつけてくる人影がある。
沈黙させられた魔獣を、彼の持つ炎がまるごと焼いていく。
ああ、あの人たちは知っている。そう。ええと、誰だっけ……ああ。
「お兄様……リヴェル……」
ふふっと口元に笑みが浮かんだ。あの人たちには神から授かった恩恵は無い。こんなにも甘美で美しい星の力はない。
「ふ、ふふっ、ふふふっ、あははは……星の力がなければ、魔獣をいくら焼いたところで、意味などないのよ、お兄様!」
領民が逃げてくる。その背中に魔獣が喰らいつく。瘴気が彼らを溶かしていく。
エミールの、リヴェルの魔法で魔獣を退けても、瘴気に蝕まれた人間は助からない。
「無駄に助けずに、あのまま喰わせてあげれば楽に死ねたでしょうに」
冷めた目でスターリアはその光景を見下ろしていた。
けれど領民には小さなお嬢様の姿は、"恐怖に耐えながら見守っている健気な姿"に見えるのだろう。
心底からおかしかった。この世界のなにもかもがおかしかった。
「壊れてしまえばいい。こんな世界」
窓ガラスに苛立ちのまま爪を立てる。体が熱かった。心臓の鼓動が、常よりも早く、苦しかった。
呟いた瞬間に、また、瞳が真紅に染まった。
そして、ああ――スターリアは自覚した。
「わたくしが、凶星――"魔獣の乙女"」
◆ ◆ ◆
短い微睡みから、スターリアは慌てて目を覚ました。
あれから、ソファの上で寝てしまったらしい。
起き上がり、乱れた前髪を手で払う。行儀悪くソファの上で膝を抱え、スターリアは顔を埋めた。
王城の一室に閉じ込められてから、おそらく五日は経った。今日もまた、なにも変わらずにこのまま一日が終わるのかもしれない。
それはそれで、別にいい。友だちのいないスターリアは学院の休日でも一人で過ごすことが多かったから。
ああ、でも最近は、学院で出会った伯爵家の男と外に出ることが多かっただろうか。
ノーラン伯爵家の子息。薄い水色の瞳に茶色の髪のどこにでもいるような男。まあ、顔は多少良かったかもしれないが。
「カイン様、最近はわたくしのところに来てくれなかったわね……」
欲しいものはいくらでも買ってくれるいい人だったのに。身分が下の者に対する態度はあまり褒められたものではなかったけれど。
はぁ、とスターリアの唇からため息が漏れた。
「早く……誰か来てよ……」
こんなに広い部屋にずっとひとりきりなんて、耐えられない。
「おにいさま……」
迷子のような声が、静かに広い室内へと落とされて消えていった。
スターリア・エル=アクルークス(16)
アクルークス伯爵家の次女。
ステラシアの双子の妹。
茶色に見えそうな濃い金の瞳に、ふわふわの銀に近い金の髪。
魔法学院では、婚約者のいる男だろうがなんだろうが、自分を見てくれるのならなんでも構わないというスタンスでお近づきになっていたので、他のご令嬢たちからは嫌われている。
性的なことは一切してないです。
ノーラン伯爵家のカインは、以前のステラシアの初パーティーのときにスターリアをエスコートしてました。確かクリフォードがポロッと言ってた(はず)
ちなみに最近カインがスターリアのところに来なかったのは、エミールが手を回したからです(裏話)(その話もSSとかで入れたいなぁ)
実は凶星。
次回は3/4!
時間は20:10!です。




