師匠さえいればそれでいいと、そう思っていました
目の前でじゃれ合うユーフィリアとマリンを眺め、それをにこにこと見つめているローゼリアに視線を移す。
なぁに? と微笑まれステラシアは曖昧に笑みを浮かべた。
そして、ここに至るまでの経緯を振り返る。
今日、第一王子宮は朝からバタバタしていた。
朝、いつもどおりにアルトラシオンの寝室に向かい、ステラシアは側仕えの役目として彼の身支度の手伝いをした。
そして、いつもと同じように寝室を辞そうとして……そこでいつもと違っていたのは、アルトラシオンが寝室のドアを片手で押さえて出られなくしたことだ。
『ステラ。ともに食堂へ行くぞ』
背後に立たれ、頭の上から低く降ってきた声に、なにも言えずコクコクと頷いた。
そして、手を引かれるままふたりで食堂へ入り朝食を食べる。
イアンやクリフォード、マリンの生暖かい視線に晒されながら、なんとか食事を口に放り込んでいるときに外の警備に当たっているはずの騎士が飛び込んできたのだった。
「え、わたしに、ですか?」
差し出された封蝋付きの封筒に、ステラシアは濃藍色の瞳をきょとんと見開いた。その様子に、騎士は無言で頷いて手にしていた封筒を示す。
受け取ってひっくり返した封蝋には貴族名鑑で見たのと同じ、三ツ星とアイリスの紋章があった。
「どこだ? ああ、これは――」
「ドゥーベルク公爵家の紋章……」
覗き込んだアルトラシオンが言う前に正解を口にすれば、よくできましたと言うように頭を撫でられる。
それに気恥ずかしさを覚えながらいそいそと封を開けている間に、もう一人警備の騎士が食堂にやってくる。
「なんなんだ。今日は騒がしいな……」
どうしてかうんざりしたような声音のアルトラシオンに、悪くもないのに謝った騎士は、手にしていた封筒をステラシアに差し出したのだった。
すごく既視感。
「ええと……こんどもわたしに、ですか?」
頷く騎士から受け取った封筒をひっくり返してみて、ステラシアはこんどこそ息を呑む。
ん? と横から覗き込んだアルトラシオンも眉を寄せていた。
「ローゼ様……」
「ローゼがどうして……いや、そうか。ステラの行動は制限されているしな。アチラが動くしかないのか」
薔薇の刻印と王家の紋章はローゼリア個人のものだ。いちどだけ受け取ったことのあるお茶会の招待状と同じ。
ドゥーベルク公爵家の封筒にはy.lと書かれていたので、おそらくユーフィリアだろう。
ローゼリアとはなんどか会話もし、お茶会までしたのだから多少の縁はできている。
だが、ユーフィリアとはあの戦勝会ではじめて顔を合わせたばかりだ。あのような状態で別れてしまったので、きっともう関わることもないのだと思っていたのに。
「えっと……えっ!? ええっ!?」
「どうした、ステラ?」
まずローゼリアからの手紙を開けて読み、ステラシアは目を見開いた。そして、ユーフィリアの手紙を開封し、驚いたような声を上げる。
慌てるステラシアを落ち着かせるように腰に手を回し、アルトラシオンは椅子ごと彼女を引き寄せた。
「いえ、あの。ローゼ様とユーフィリア様が、『お茶会をしましょう』って……」
「お茶会?」
アルトラシオンの眉が僅かに顰められる。紫の瞳がなにかを推し量るようにして、ステラシアと手紙を交互に見る。
「それで?」
続きは? と言うように短く問われ、ステラシアは混乱しながらも口を開いた。
「それで、『今日行くから』と書かれています……」
ざわりと食堂内がざわめいた気がした。
何人かの女性使用人が、入り口から外へとゆっくり退出していくのが見えた。
「また、アイツらは……」
目の前ではアルトラシオンが眉間に指を当てて揉みほぐしている。
どうしましょう……と眉を下げるステラシアを見遣り、アルトラシオンは彼女の頭を胸元へと引き寄せた。
「まあ、あのふたりなら問題はないだろう。ステラが外に出ることは、いまは避けたほうがいい。それをふたりもわかっている。だから……いやそれにしても急すぎるな。伺いじゃなくて決定事項か」
ステラシアの手元から手紙を抜き取ったアルトラシオンが、ふたり分の文章を読みながら苦い顔をする。心の底から面倒臭そうだ。
そして、肺の奥深くから息を吐き出し、食堂内に視線を走らせた。それを受けて、壁際に下がっていた使用人全員が頭を下げる。
「俺は、公務で城に行かないといけない。クリフォードも連れて行く。が、イアンとマリン嬢はいつもどおりにステラに付けるから、気兼ねなく茶会をしてこい」
腰を抱かれながら、アルトラシオンに頬をゆっくりと撫でられた。
落ちかけていた髪をそっと耳にかけられ、頬が赤く熱を持つ。
「……かわいいな」
ポツリと落とされた低い囁きに、ステラシアの心臓が跳ねる。
使用人は、いつもの三人以外は全員食堂を出ていっていた。いまは、ここに気心の知れた相手しかいない。
アルトラシオンの先ほどの視線は、おそらく「迎える準備をしろ」という意味だったのだろう。先に出ていった使用人たちは早めに準備をするためにいなくなったはずだ。
だから……。
「ステラ……」
そのまま顎を優しく持ち上げられた。美麗な顔が近づいてきて、耐えきれずに目を瞑る。ふ、と吐息のような笑い声が聞こえた。唇に、淡い熱を移され、柔らかな感触がゆっくりと離れていく。
「……は、ぁ……アルト、さま……」
「ああ……かわいいな」
(な、なにこれなにこれ。心臓が保たない……!)
視線の先には、ゆるりと笑みを浮かべるアルトラシオンの綺麗な顔がある。それを瞬きを忘れたようにステラシアはだた見つめるしかできない。
「名残惜しいが、そろそろ時間だな。ステラ、大丈夫だとは思うが、いじめられたら俺に言えよ」
体を離したアルトラシオンが、ステラシアの髪を指先で遊びながら言う。
言葉にならないステラシアは、頬を押さえながら小さく頷いた。
どこからか「ぐぅ……」という抑えたような呻き声が聞こえた気がして顔を上げる。
「埒が明かないからさっさと行くぞ」
そう言われながらクリフォードに引き立てられていくアルトラシオンの背中をステラシアは見送った。そんな彼女に、マリンとイアンの穏やかな声がかかる。
「さぁ、ステラ様。忙しくなりますよ」
「ティーサロンまでは、私も護衛をしますからね」
まだ、ローゼリアにもユーフィリアにも返事をしていないのに、本日のお茶会はすでに開催が決定していた。
ちなみに、ふたりへの返事はアルトラシオンが済ませてくれていたらしい。
妹であるローゼリアはともかく、公爵令嬢であるユーフィリアは第一王子殿下からの返事を受け取って卒倒しているかもしれないな、とそこまで考えてステラシアは頭を降って打ち消した。
あの戦勝会会場での言動から、たぶんそれはないだろう。むしろ「なぜ殿下から返事が来ますの!?」と憤っている気がした。
そんなこんなで大急ぎで身支度やら茶会準備やらを済ませて、ふたりを迎え入れたいま。
なんとも賑やかな集まりになったものだなぁと、ステラシアは感慨深げに思う。
「それで? あなた本当に"凶星"なんですの?」
ひとしきりマリンと言い合いをした――言い負かされていたけれど――ユーフィリアが、乱れた金髪を払いながらステラシアに問う。
その直球さに驚いたけれど、そこに怯えも嫌悪もないことが伝わってきたため、ステラシアの心が波立つことはなかった。
ただ、口元に、困惑とも苦味ともつかない曖昧な笑みを浮かべる。
「それが……よくわからないんです」
ステラシアは、ふたりに対して簡潔に託宣の話をした。すでに、アルトラシオンにもほかの四人にも話したあとだからか、思っていることも事実もつっかえることなく言葉にできた。
「ふーん……」
「あら、まぁ……」
「えと……それだけ、ですか?」
ステラシアの話を聞いても、ローゼリアにもユーフィリアにも特にこれといった反応はなかった。ステラシアのほうが、それに困惑してしまう。
「まぁ、とにかくあなたが凶星だか慶星だかわからないってことはわかりましたわ。だからってそれがなんですの? どちらにしても星の乙女であることには変わりないですし、面倒くさいので神殿ではなくこのまま王家に保護されていなさい」
「そうねぇ。と言っても、わたくしはステラを凶星だと思ってはいないわ。それに、シオンお兄様がステラを手放すとは思えないもの」
「ああ、それはそうですわね。まったくもって業腹ですけれど」
「ラズリア様。あなた様の目の前にいる方はこの国の王女殿下であらせられますし、あなた様がいま悪しざまに罵っているお方は目の前の方の兄君でいらっしゃる上に第一王子殿下でございます」
淡々と諭すような声がステラシアの後ろからかけられ、ユーフィリアがむぐぐと悔しそうに口を噤む。
そのまま殊勝な様子でローゼリアに謝る姿は、叱られた子どものようで微笑ましい。
初対面のときとだいぶ印象が違い、ステラシアは苦笑した。
マリンにとっては格上に当たる公爵家の令嬢だというのに。彼女に頭の上がらないユーフィリアとの関係が、本当に謎だ。
「なにはともあれ、ステラ。このまま第一王子宮に閉じ込められていることはないと思うわ。シオンお兄様が、方々に手を回しているみたいだもの」
戦勝会から一週間が経っていた。その間、ステラシアは一歩も第一王子宮から外に出ていない。
そろそろ陽の光が恋しくなってきたなぁとは思うが、特段困ることもなかった。だから、まさかアルトラシオンが奔走してくれていたとは考えもしなかった。
ローゼリアの言葉を聞いて、ステラシアは眉を下げた。
「アルト様にも、皆さんにも、ご迷惑をおかけして……っ!?」
パチン、と両頬に痛みが走った。
大きく目を見開いたステラシアの目の前で、ユーフィリアが燃えるような瞳でステラシアを見ている。
深い青の瞳の中で、銀色の煌めきが星のように光って見える。
「それ以上言ったら、怒りますわよ」
「ユ、ユーフィリア、さま……?」
「殿下も、ローゼ様も、マリン姉さまも、あなたの護衛たちだって……も、もちろんわたくしだって!? べ、別に迷惑だなんて思っていませんわよ!! そんなこと……言うんじゃないわよ。悲しいじゃない」
両手でステラシアの頬を挟んで、ユーフィリアが俯いた。立ち上がっているのに、ティーカップが倒れていないところがすごいな、とどうでもいいことが頭を過る。
呆然としてマリンを見て、ローゼリアへと視線を移す。
ふたりとも、笑っていた。
その微笑みが、寂しそうに見えて、ステラシアの胸がきゅうっと痛くなる。
「ご、ごめんなひゃいたたたいひゃいえふゆーふぃいあさあ」
謝った瞬間頬を掴んで伸ばされた。そのまま縦に横に伸ばされ捏ねくり回され、視界がぼやけていく。落ちそうになった雫は、ほっぺたが痛いせいだ。
(ぜったい、そう。ユーフィリア様が意地悪するから、だもん……)
流れる水気を、ユーフィリアの細い指がごしごしと拭う。その片手を払い除けて、ローゼリアが優しく目元を擦った。
反対側の手はマリンがペッと払い落とし、柔らかな手巾で拭ってくれる。
「あ、ありがとう……ございます」
ひくっとしゃくり上げる声をむりやり押し込めて、ステラシアは満面の笑みを浮かべた。
南向きの日当たりの良い庭の畑で、ステラシアは野菜や薬草に水をやる。適度に育った薬草を摘んで、その日の食事を考えながら野菜を収穫する。花も、木も、ステラシアを拒むことはなかった。
たまに、師匠が実験に失敗して部屋を爆発させていて、「たすけて〜」という声に苦笑しながら世話をする。
そんな日々を過ごしていた。
十歳になった頃から始まったアステールによるスパルタ指導は、十六歳になる頃には「もう教えることなーい」と言われて終わりを迎えていた。
それでも、毎朝必ず変なタイミングでの抜き打ち確認はあったけれど。
いきなりダンスの型をやれと言われたときは、手に野菜を持っているときだったせいで恨めしく思ったこともあるけれど。
相変わらずなんの役に立つのかはさっぱりわからなかったけれど。
それでも、ステラシアはそれでいいと思っていた。
師匠がいて、仕事があって、たまに動物の怪我を直して。
それだけでいいと、思っていた。
思っていた――はずなのに。
いま、目の前で、ステラシアを本気で心配してくれる人たちがいる。いつか、石を投げられた自分だけれど、ここにいていいと願ってくれる人たちがいる。
それがどれだけ幸せなことなのか。ステラシアはようやくわかったような気がした。
『いつか、ステラにももっといい出会いがいっぱいあるよ』
そんな師匠の言葉が、ステラシアの脳裏に蘇ってきた。
あのとき、ステラシアはそんなものは欲しくないと言った。師匠だけがいればそれでいいと言った。
でも、きっと、そうではなかった。
(そうじゃ、なかったんだ……)
ステラシアはずっと、凶星でも慶星でもない、"ただのステラシア"を、自分が好きになった人たちに受け入れてもらいたいと、そう願っていたのだ。
そんなことを今さらのように理解したステラシアの耳に、『まったくバカな子だな』というアステールの声が聞こえた気がした。
プロローグをここに持ってきてしまいましたね…。
次回は2/22!
時間は20:10です!




