スパルタがはじまりました②
アステールの紺色の瞳が、ステラシアを射抜くように見つめる。
背筋をまっすぐに伸ばし椅子に腰掛ける姿は、ただの女性には見えない。
「ステラシア。わたくしはあなたの力を使えなくしていました。そのようなことがなくとも、今後、あなたは自分の力だけで生きていかなくてはいけません」
「え、師匠……?」
いきなり、アステールの口調が変わった。一人称まで変わっている。
それに、力を使えなくしていたという事実が、よくわからない。
ステラシアはいままで、なにか力を使ったという覚えはなかった。
たまに、庭に遊びに来る傷ついた動物たちを癒やしていたことはあったけれども、それだけだ。
「どうして……?」
だから、ただ単純な疑問だけが口を突いて出てきた。
それが、なにを指していることなのか、ステラシア自身にもわからなかった。
どうして、師匠の口調が変わったのか。
どうして、ステラシアの力を使えなくしていたのか。
どうして、師匠はいままでと態度が違うのか。
どうして、ステラシアの力を使えるようにしたのか。
どうして、ステラシアが今後ひとりになるような言い方をするのか。
とうして……。
「星の力は、持っていることがわかれば国か神殿に保護という名目で囲いこまれる。ほんの少しだけ使えるようにはしたけれど、ここで生きていきたいのならその力は無いものとしなさい。それから、あなたが"凶星かもしれない"という事実は誰にも知られないようにしなさい。それでもわたくしは、あなたが凶星だなどと思ってはいないけれど」
「…………」
そこまで語って、アステールは、はぁぁと深い溜め息を吐いた。
途端に姿勢が崩れ、椅子にしどけなく寄りかかる。
「あー、つっかれた。まあ、そもそも、おまえが"慶星である可能性"のほうがわたしは高いと思ってるんだよね。でも、それだって……いや、そのほうがバレたときメンドクサイことになりそうだからさー。どっちにしても、力は使えると思われないほうがいい」
なんだか得体のしれない雰囲気がいつもの師匠のものに戻り、ステラシアは知らずに入っていた肩の力をゆっくりと抜く。
アステールの語る内容はほとんどわからなかったけれど、ステラシアは神妙に頷いた。
「だから、さ。明日から、おまえにはわたしの持ってる知識と教養をぜんぶ教えてあげるから。ごはん食べてるときと寝てるとき以外はすべて勉強の時間ね。わたしの授業は厳しいぞ。覚悟しときな」
「えっ!?」
「ああ、それと。引っ越すから」
「はい!?」
言うことを言いたいだけ言って、ひらひら手を振ったアステールが食堂から去っていく。
途中で大あくびをしていたから、もしかしたらそのまま寝に行ったのかもしれない。
その後ろ姿を呆然と見遣りながら、ステラシアはポカンと口を開けた。
街で糾弾されて痛い思いをして、気を失って目覚めたあとからの展開が早すぎる。頭が付いていかない。
とりあえず、アステールが言っていたことを反芻して、ステラシアは病み上がりの体を必死に動かした。主に家事に。
そして、家中のものをなんとかカバンに収めることに成功した。
だって、引っ越すとか言っていから。
引っ越し先は、ガグルック領から南下した、もう少し魔の森の深いところに建つ屋敷だった。
今まで住んでいた屋敷より少しだけ小さいそれは、今まで放置されていたのか荒れ放題。まずは片づけと掃除から……と思っていたら、初日はアステールがどこかで食事を買ってきて、翌日には壊れていた厨房が使えるようになっていた。
さらに、日が経つにつれ少しずつ内装がまともになり、ついには外観までもが綺麗になっていく。
いったいどういうことだとアステールを追求したステラシアだったが、当の本人はおかしそうに笑うばかりでなにも教えてはくれない。
「過保護だなぁ……まぁ、これで勉強に集中できるから、良かったじゃないかステラ」
引っ越してきて五日目。アステールが苦笑しながらそう言った。
過保護って誰が? と思うけれども、アステールに教える気はなさそうだ。そもそもそういう問題ではないと思うのだが。
その日からステラシアは本当に、家事と食事と睡眠の時間以外は、アステールに知識と技術を叩き込まれることになった。
◆ ◆ ◆
「師匠から、休みなく礼儀作法や魔法道具の仕組み、魔力や星の力の使い方を教わりました……」
そう言って締めくくるステラシアの言葉に、執務室が微妙な雰囲気に包まれる。そこに至るまでの話が壮絶だったせいで、最後のくだりはなんとも言えない気の抜けたものがあったのだ。
「それはもう、わたしが音を上げても師匠はやめてくれなかったし……いえ、別に虐待されていたとかは一切ないんですけど、『ほらほら泣き言言ってる場合じゃないよ! しかたないからお茶を一口飲む間は休んでもいい。……ほら休んだね? じゃあ続きから!』とか途轍もなくスパルタだったんです……っ」
そこで、全員の視線がアルトラシオンに向く。
その視線を受けて、当人は「なんだ」と低く呟いた。
(殿下がステラ様に貴族名鑑以上の資料を渡したときと同じ……)
部下三名の考えが、その時完全に一致していた。
「それがもう、辛くて辛くて……だから、庭に薬草やら野菜やら花やら植えて、世話をすることに逃げたんです……!」
だが、それすらも、アステールにとっては勉強の一環だったようだが。薬草は育て方から効能、薬の作り方まで教えられ、野菜は収穫したら料理に使う。花も、どうしたら綺麗に咲くかを調べさせられた。
ガクルック領を南下したところにはガルシア伯爵家のガリア領がある。
ガリア領は、執務室の隅に佇んでいるウィルフレッドの生家である、ギーナン辺境伯家の割譲領だ。
魔の森の近くにはガルガニアという街があり、ステラシアは顔を知られていないのを良いことに、薬草やら野菜やらを売って金に換えていた。ときには花さえも高く売れた。なぜかとても保ちが良いのだとかで。
街に行くとき、ステラシアは外套のフードを思い切り下ろして行った。さすがにもう、街の人たちと交流するようなことは、ステラシアもアステールもしなかったけれど。
イアンとマリンは、その話を聞いてどこか悟ったような笑みを浮かべた。
きっと、ステラシアは受け入れ能力が許容範囲を超えると、外に逃げたくなるタイプなんだな……と。以前の第一王子宮抜け出し事件を思い出し、遠い目をする。
「ガリア領……か」
ステラシアを抱きしめたまま話を聞いていたアルトラシオンが、小さくそう言った。
腕の中から顔を上げて見上げた第一王子は、なにかを懐かしむように口元を緩めている。それを不思議に思いながら見るステラシアに、アルトラシオンは吐息を漏らすように笑った。
「いや、なんでもない……わけでもないんだが。やはりあのときの感覚は間違っていなかったんだなと、そう思っただけだ」
「あのとき……?」
「リリアの花だ」
首を傾げるステラシアにそれ以上言うつもりはないのか。アルトラシオンは愉快そうに微かな笑みを浮かべながら、ステラシアの頭をゆっくりと撫でた。
「あの、ステラシア様」
そんな二人の様子に生暖かい視線を向けているイアン、マリン、クリフォードとは反対側から、ウィルフレッドが音も無く近づいてくる。
名前を呼ばれ、ステラシアは驚いた。
ウィルフレッドはアルトラシオンに絶対的な忠誠を誓っているようだったから。今までも、二人きりになることはなかったが、ウィルフレッドからステラシアに近づくことも声をかけることもなかったのだ。
片方だけの赤い瞳が、ヒタリとステラシアを見据える。温度の見えないその瞳は、少し苦手だった。
(あれ……でも、誰かに、似てる……?)
見た目ではなく、雰囲気が。
誰だっけ、と考え始め、そしてすぐに氷解する。
「貴女の兄上……のそばにいた"見知らぬお兄ちゃん"の名前は、たしかにリヴェルというのですか?」
そう問われ、ああそうだとステラシアは思った。
(そうだ……ウィルフレッドさんは、あの見知らぬお兄ちゃんに、似てるんだ)
真剣な眼差しのウィルフレッドに、ステラシアはコクリと頷いた。
名を聞いたわけではないけれど、アステールの話していた内容から、一度だけその名が出てきていたのを、覚えている。
「見た目は……覚えていますか?」
「え? ええと……ふわふわした焦げ茶色の髪に、綺麗な翠緑色の瞳で……」
そこまで話して首を傾げる。つい最近、どこかでその色を見たような気がした。
言い淀んだステラシアになにを思ったのか、ウィルフレッドは僅かに目を細めると「すみません」と言って引き下がる。
そしてそのまま、アルトラシオンに向き直った。
「殿下。恐れ入りますが、確認したいことができましたので、しばらく留守にいたします」
胸に手を当て、許しを乞うように頭を下げるウィルフレッドに、アルトラシオンがその紫の瞳をスッと細めた。
「わかった」
そして、ただそれだけを告げると、ウィルフレッドは嬉しそうに瞳を緩ませ、あっという間に姿が見えなくなる。
その一部始終を見て、ステラシアは驚いたようにまばたきを繰り返す。
そこに、横から温かな湯気を立ち上らせたカップが差し出された。
「お疲れ様ですステラ様。たくさん話してお疲れになったでしょう? 少しお休みになってください」
「ありがとうございます。マリンさん」
「ああ、殿下には私が淹れるので、あなたは下がっていていいですよ」
にっこり、ふふふと笑い合う二人の後ろから、長い手が伸びてきたかと思うとマリンの手にしていたティーポットが流れるように奪い去られていく。
「なっ、イアン様!?」
「おや、まだ入っていますね。では残りはこちらに淹れておくので、マリンさんもステラ様と一緒にお茶をしたらいいと思いますよ」
「仕事中です!」
「なぁ、それならそのお茶、俺にくれねぇ?」
「ぅ、ひゃあっ!?」
素っ頓狂な声が執務室に響き渡る。
アルトラシオンとともにその様子を眺めていたステラシアは、堪えきれなくなって吹き出した。
「ふっ、ふふふっ、あはは……っ」
呆れたように三人を眺めているアルトラシオン。その手はずっとステラシアの肩を抱いている。
ステラシアの世話を焼こうとするマリン、それを横取りしようとするイアン。そして、マリンにちょっかいをかけようとするクリフォード。
騙していたのに。黙っていたのに。この人たちは変わらない。
イアンがマリンから仕事を奪おうとしたのは、働き過ぎの彼女を休ませようとしたから。クリフォードがマリンに絡むのは……ステラシアにはちょっとわからないけれど。
でもたぶん、三人ともが、ステラシアに普段通りを見せようとしている。
自分が陰り星の乙女――凶星――だったとしても、聖なる星の乙女――慶星――だったとしても、きっと同じように接してくれるのだろうと、なぜかステラシアはそう確信していた。
ステラシアの笑い声に、揉めていた(ように見える)三人は、動きを止めて彼女を見た。
腕の中で笑い転げるステラシアに、アルトラシオンも僅かに驚いたような表情を見せる。けれど、すぐに熱を帯びたような瞳で彼女を見下ろして、抱きしめる力を強くした。
その様子を見ていたイアンとクリフォードは苦笑して、マリンはサッと頬を赤らめる。
白皙の美貌に淡く蕩けるような微笑。
普段の無表情や鋭い刃のような温度のない瞳。そんなものとは正反対のその表情。
自らの上司のそんな顔はぜったいに他の人には見せられない。
――"騎士団の死神"が形無しだ。
そんな思いを三人ともに抱いた。
◆ ◆ ◆
「それで? 今後どうするかは決まったのですの?」
「あら、ユフィ。まだお茶会は始まったばかりよ?」
第一王子宮の一階、東側のティーサロンにて、マリンが淹れた茶を優雅にカップを傾けて飲みながら、豪奢な金髪の彼女はそう言った。その表情には特段笑みもなく、ただ淡々と事実を確認しようとする様だけが見える。
そこに、もうひとり。こちらも滑らかな手つきでカップを口元に寄せ、香りを楽しんでから口を付けた少女が嗜めるようにおっとりと言う。
この場で誰よりも高貴な少女に「性急すぎる」と窘められた彼女は、ぐっと喉の奥で言葉を飲み込んだようだった。
「あ、あの……ローゼ様もユーフィリア様も、お越しくださってありがとうございます……」
いつの間に、ローゼリアのユーフィリアに対する呼び方が愛称になったのだろうと疑問に思いながらも、ステラシアは目の前に座る二人に礼を伝えた。
「べ、別に、あなたのことが心配だったから様子を見に来たとか……そ、そんなんじゃないのですからね!?」
「…………心配で心配で夜も眠れなくて飛んでいらっしゃったくせに」
取り繕ったようにカップをソーサーに置いたユーフィリアが、ステラシアを睨みつけるようにしてそんなことを言う。
そのカップにおもむろに紅茶を注ぎ入れながら、マリンがボソリと口を挟んだ。
「〜〜〜〜ッ、マリンね……先輩! 茶々入れないでくださいます!?」
「お茶ならいま注ぎましたよ。どうぞ、お召し上がりください、ラズリア様?」
(茶々ってそういうことじゃないような……)
むきー! と高位令嬢らしからぬ叫び声を上げるユーフィリアにどうしようかとオロオロする。
いつも、ステラシアに優しく、上下関係の何たるかをとやかく言うマリンが、なぜこうもユーフィリアに突っかかるのか。このふたりの関係性が欠片もわからない。
「ふふふ。ユフィとマリンは仲良しなのね。ねぇステラ? あなたもそう思わない?」
「え、ええ……そうです、ね?」
これは仲がいいということで良いのだろうか。
いまいち確信が持てずに首を傾げるステラシアに、ユーフィリアが持ち寄ったクッキーを綺麗な所作でつまみながら、ローゼリアがにこやかに笑みを見せる。
あの日、戦勝パーティーで糾弾されたステラシアが公に第一王子宮預かりとなって以来、こうやって顔を合わせるのは初めてのことだった。
次は2/20!
時間は20:10!です。
ちょっと最初の方の話書き直したいですね…。




