おともだちができました
有明の月が終わりを迎え、東雲の月が始まりを告げる頃、ステラシアはアステールの付き添いでガクルーキアを訪れていた。
その日は、いつも持たされるみやげはアステールへと集中し、ステラシアは身軽だった。
街は優しく、人々はステラシアに笑みを向ける。恐ろしいものはなにもなく、春の名残の風がふわりと頬を撫でていく。
ステラシアはアステールに断って、ひとり街なかへと歩き出した。
肉屋にパン屋の女将さんに、薬屋の老爺。服飾屋のお姉さんに、仕立て屋のお兄さん。
目が合う全員に声を掛けられ、挨拶をし、手を振り合う。
そうしながら辿り着いた図書館では、身軽にも拘らず門番がステラシアのために門を離れ、扉を開けて押さえてくれる。
「いつもありがとうございます。お礼に、クッキーどうぞ」
身軽とはいえ完全に手ぶらでもなかったステラシアが、かばんから小さな包みを取り出して門番の篭手に包まれた手のひらに置く。
たどたどしく結ばれたリボンを見て、強面の門番の目元が和らいだ。
「本当は職務中だからダメなんだが……うん、ありがとう。大事に食べよう」
「えへへ。こんど感想、おしえてくださいね!」
手を振りながら扉の奥に消えていくステラシアにぎこちなく手を振り返し、門番の男は手のひらの中の小さな包みを潰さないように、そっと握りしめた。
「ステラちゃんいらっしゃい。今日はアステール様がいらっしゃってるって、噂されてたわよ」
「そうなんですか? みなさん情報が早いですね……」
「ふふっ、噂が飛ぶのは一瞬よぉ〜。はい、入館証。終わったら戻してね」
「はい! いつもありがとうございます。これ、よかったらクッキーどうぞ」
「あら〜ありがとう〜。見つかって怒られないうちにしまっちゃおー。あ、他にもクッキー入ってる? ステラちゃんが読みながら食べるとは思わないけど、よかったら荷物ここで預かってようか?」
いそいそと足元のカバンかなにかに小さな包みをしまいながら、受付嬢がそう言った。
一瞬考えるような仕草をして、ステラシアは肩に下げていたカバンをカウンターへと乗せる。
「じゃあ、おねがいします。あの……よかったら、こんどクッキーの感想おしえてください」
図書館は基本的に飲食禁止。火気厳禁。食べ物の持ち込みも、封がされていれば構わないが、推奨はされない。
もちろんステラシアは館内でクッキーを食べようなどと思っていないが、万が一誰かに見られて揉め事が起こっても困る。
「了解〜」と鮮やかに笑いながら近づく受付嬢に、こっそり感想をねだれば、唇に指を立てて片目を瞑られた。
ふふふっ、とふたりで笑みを交わし合い、小さく手を振ってステラシアは図書館の奥へと歩いていく。
入り口に近い書棚には娯楽色の強い書籍が並べられているため、人の姿も多い。喋る人がいないから静かではあるけれど、気配が雑多だ。
中ほどまで行くと各分野ごとに分かれた書架が並び、人も疎らになる。もっと奥に行けば、専門色が強くなるせいでほとんど人の姿を見かけなくなる。
この図書館は二階建てで、上の階には希少本や稀覯本、閲覧制限のある資料が納められていて、限られた者しか立ち入りができないようになっている。
ステラシアは、王族と政治、思想の棚を通り抜け、魔力や魔法道具、神話に関する棚へと向かう。前者の棚の本はほぼすべて読破した。いまは身の回りにある魔法道具に興味があった。
棚からいくつか本を抜き取り、窓側に設置された大きなソファへと腰を据える。
そうしてステラシアは、満足するまで図書館の本を読み漁るのだ。
カランカランという音に、ステラシアは読み耽っていた本から顔を上げた。
背後の窓から差し込む光は、いつの間にか橙色へと変わっていた。
まもなく閉館でーすという微かな声が聞こえてきて、ステラシアは持ち出してきた本を慌てて片付け始めた。
持ってきて読んではその場に積んでまた新しい本を持ってくるから、ステラシアの周りには読み終わった本が溢れかえっている。
これだと他の人が読みたくても読めないからダメだとわかっているのに、どうしても次の本を読むことに集中してしまう。
「こ、こんどは、ちゃんと片づけてから、次の本を持ってこよう……」
最後の本を棚に戻し、誰もいない書架の間でひとり呟く。
きっと、次もまた、同じように本を積み上げているのだろうけれど。
受付嬢から預けていたカバンを受け取って、ステラシアは図書館をあとにする。
春の終わりの沈む太陽は、穏やかなのに強く明るく、少しだけもの悲しい気持ちにさせる。風に冷たさはなく、そよそよとそよいでステラシアの長い銀にも金にも見える髪に絡んで遊んでいく。
その風に乗って、どこかから楽しそうな歌声が聞こえてきた。大通りから外れた裏路地の、その先のほうから響いている。
釣られるように路地裏へと入り、ステラシアは家屋の陰からひょっこりと覗き込んだ。
路地の先は広く、まるで庭のようだった。柵が張り巡らされているが、あまり状態の良いものではなさそうで、どこもかしこも隙間だらけだ。
その隙間から、広場で遊んでいる、ステラシアよりも年下だろう子どもたちが見える。ひとりの小さな女の子が歌を歌っていて、その周りを手をつないだ子どもたちが踊るように回っていた。
(きれいな歌声……あっ)
薄ピンク色の髪の毛は珍しいと思いながら見つめていると、その奥で子どもたちを見ていた少年とバッチリ目が合ってしまう。
訝しげな顔をした少年が歩き出すと、歌声がピタリと止んだ。
回っていた子どもたちも、動きを止め、一箇所に固まって少年の後ろへと隠れる。たぶん、この少年が、この子どもたちのリーダーなのだろう。
警戒されているとわかり、ステラシアはペコリと頭を下げるとすぐに顔を引っ込めて踵を返した。
「なぁ、まてよ」
帰ろうとした背中に、少し高い少年の声がかかる。ビクリとして振り向いたステラシアの瞳に、鮮やかなオランジュール色が飛び込んでくる。
太陽のように強く明るい髪の色だった。後ろ髪が少し長く、ふわふわと揺れている。
鳶色の瞳は確固たる意志を持ってステラシアを見ていて、目が離せなくなる。
「おまえ、どこの子? この街の人間……じゃないよな?」
確信を持って問われた内容に、ステラシアはぱちぱちと目を瞬いた。
なんだろう、この少年は。まさか、このガクルーキアに住む人々全員を覚えてでもいるのだろうか。
詰問するような声音ではないのは、ただ事実を確認したいだけだからだろう。
「ええと……その、このまちには住んでないけど、そこの森の中に、住んでるよ」
「は? そこの森って、魔の森だぞ」
器用に片眉を上げる少年に、ステラシアはコクコクと無言で首を縦に振る。
少年は小声で「マジかよ……」と呟いた。
続けざまに親は? と尋ねられ、ステラシアはまたもや首を振る。こんどは、横に。
その様子をじっと見つめていた少年が、不意にニッと口角を上げた。
「え、あの……!」
「おまえ、おもしろいな! 魔の森に住んでるやつなんてはじめてだ!」
手首を掴まれ、引っ張られる。「こっちに来いよ!」と言われ、引かれるがままに付いていく。
「オレの名前はヘリオ。ただのヘリオだ。おまえの名前は?」
「え、あ……す、ステラ!」
ただのステラだよ、と小声で付け足す。振り向いたヘリオが、邪気のない、真っ直ぐな笑顔をステラシアに向けていた。
太陽のように大きく、誰もが惹かれてしまうような笑みだった。
ヘリオは、押しは強いけれど強引ではなかった。手を引かれたステラシアが、嫌だと言ったら、きっとそのまま手を離して解放してくれたのだろうと思う。
でもきっと、それから先、二度と関わらないように線引きをされる気がした。だからステラシアは抗わなかったし、この先になにがあるんだろうという興味が勝り拒絶したくなかった。
ヘリオに手を引かれ、隙間の空いた柵から広い庭へと潜り込む。
そこには、さっきまで歌を歌ってクルクル踊っていた子どもたちが、ヘリオを待つようにしてひとかたまりになっていた。
興味と疑心の瞳がステラシアに向かう。
明らかに歓迎されていない様子に眉を下げると、ヘリオがステラシアの前に立ち塞がって両手を広げた。
「コイツはステラって言うらしいぜ! オレは、ステラもいっしょに遊べばいいと思う。おまえらはどうだ?」
よく通るヘリオの声音に、子どもたちが視線を交わしているのを、ステラシアは彼の後ろから覗いていた。
そのうち、薄ピンク色の髪をした少女が、ヘリオの前に出てくる。歌を歌っていた子だ。青紫色の瞳が印象的だった。
きっと、ヘリオの次に年上の子なのだろう。ステラシアよりは少し年下に見えた。
と言っても、ステラシアももともと発育が良くはない。ここ一〜二年で成長はしたけれど、まだ追いついてはいない。
彼女たちも、あまり栄養良く食事をしているとは思えなかった。着ているものは、以前ステラシアが着ていたようなものよりはマシだろうけれど、着古された上にサイズが合っていないように思えた。
「いいよ。お兄ちゃんがそういうなら。ステラだっけ? わたしのなまえはリト。よろしくね」
ヘリオの背中から顔だけ出していたステラシアへと、リトと名乗った少女が手を差し出してくる。その手を恐る恐る握りしめると、思いの外強く握られた。
そのままぐいっと引かれて、隠れていることもできずヘリオの陰から飛び出してしまう。
そのステラシアへと、小さな子どもたちが群がった。
同年代とも、年下とも接したことのないステラシアには、この瞬間はとても貴重な瞬間になった。
子どもたちは、ステラシアが読み書きができると知ると、本を読んでほしいと我先にとせがみはじめる。
その日、ステラシアは陽が完全に地平へと沈むまで本を読み聞かせることになった。今まで、これほど誰かに本を読んだことなどない。喉が枯れるかと思うくらいに声を出したのは、はじめてだった。
その様子を、ヘリオもリトも穏やかな顔をして見守っていた。
家族に受け入れられなかったステラシアは、ここで自分を受け入れてくれたことがとても嬉しかったのだ。
そろそろ帰らなくちゃという子どもたちに、バイバイと手を振れば、「またね、ステラ!」と帰ってきて、泣きたくなる。
両手で胸元を握りしめるステラシアを、ヘリオがニッと笑いながら覗き込む。
「なあ、ステラ。おまえいま、すっげぇいい顔してる」
「……いいかお?」
「おう! すっげぇ、かわいい!」
太陽のような笑顔で、裏表無くそんなふうに言われ、ステラシアは真っ赤になった。
隣にいたリトが、「お兄ちゃんはまたそうやって人をたぶらかす……」と呟いていた。
どこでそんな言葉覚えたの!? という疑問も、ヘリオがステラシアの頭をくしゃくしゃと撫でたせいでどこかに飛んでいってしまう。
「も、もう、ばか! そんなふうに言われても、なにも出ないんだからね!」
頭を撫でるヘリオの手を掴んで下ろす。その手に、配りきれなかったクッキーの小袋をすべて乗せて、ステラシアは逃げるようにその場を去った。
「またなー! ステラー!」
背中からヘリオの声が届いて胸がドキドキと高鳴った。
立ち止まり、振り向く。鳶色の瞳と青紫色の瞳が、まだステラシアを見ていた。
その二人に小さく手を振った。小声でまたねと囁いて、森へ向かって走り出す。
ステラシアの言葉が聞こえているわけはないけれど、ヘリオとリトが嬉しそうに手を振っていたのを、ステラシアは知らなかった。
はじめてできた、ステラシアの友だちだった。
そこが、親のいない子たちのための孤児院だと、師匠の家に帰ってからステラシアは知った。
◆ ◆ ◆
あの日から、なんどもなんども、ステラと遊んだ。
はじめて彼女を見たとき、ヘリオは衝撃を受けたのだ。
世の中に、こんなにも綺麗な女がいるのか、と。
夕陽に透けた、金にも銀にも見える不思議な髪。星空を映し込んだような藍色の瞳。日焼けを知らないような透き通るほどに白い肌。
年齢は、リトと同じくらいかと思ったら、自分より一つ下だった。
まるで汚れを知らないような少女なのに、聞けば親はいないという。師匠と二人で魔の森に住んでいると聞いて、驚いた。
「ヘリオ、リト! またねー!」
今日も、夕陽の中ステラが手を振って走り去っていく。
ヘリオの手の中には、いつものようにみんなに配られた菓子の包み。
その重さを感じながら、ヘリオは小さくなった背中に見えていないとわかりながら、ひらりと手を振った。
「お兄ちゃんさぁ……」
「なんだよ」
不意に、隣で同じようにステラを見送っていたリトが、ヘリオを呼んだ。
横目で見下ろしたその顔が、面白そうにニヤついて自分を見上げている。そのニヤケ顔に少しだけイラッとする。せっかくかわいい顔をしてるのに。
「ステラのこと、好きでしょ?」
「……なっ!? ばっ……そ、そんなんじゃ、ねぇ、し」
「ふぅーん? わたしはねぇ、お兄ちゃんはひとめぼれだったと思うんだよねぇ」
コツン、と肘で突かれて、ヘリオは顔を真っ赤にして施設へと走った。
その後ろから、リトがケタケタ笑いながら付いていく。
気恥ずかしくて、でも「違う」と断定するには自分の心に嘘などつけなくて。
ヘリオはまた手の中で、軽い包みを転がした。
なんとも穏やかな、夏の夕暮れのことだった。
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